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第五章 ふたりの千早
ふたりの千早(4)
しおりを挟む次に千早が訪れたのは、昨日、学校帰りに市橋愛美が来ていた街の図書館だった。ここは無料で本を読める場所だと明から教わっていた。
なるべく『普通』を装って館内に入り、周囲の人を盗み見ながら真似をして、本棚の前に立ってみる。
『今月の新刊』とカラフルに描かれた看板の下に、たくさんの真新しい本が表紙を表にして置かれている。
児童書や図鑑、大人向けの小説の他に、若者向けの雑誌もあった。その表紙は、胸躍る様な素敵な服を着た、美しい少女たちが笑顔で映っている。
ファッション雑誌に釘付けになったまま、一向に手に取らない千早に、青いエプロンを着けた女性が声をかける。
「あの、館内で読まれるなら大丈夫ですよ?今月の新刊ですから貸し出しはできないんですが」
「は、はい、ありがとうございます!」
司書に声をかけられて、千早はまた世慣れない様子の受け答えをしてしまう。
上等な身なりをしているのに妙に緊張した様子の千早を、メガネの司書さんはほんの少しうかがう様に見てから、すぐに笑顔を作って雑誌を渡してくれた。
千早は雑誌を抱いて、逃げるように窓際の小さなソファに移動する。
建物の曲線に沿って作り付けられたソファは、二方向を本棚に囲まれ、ちょっとした個室の様だった。
新しくもない、安いビニール製のソファだったが、千早はこの場所が気に入った。
本に囲まれたこの空間は、高級な革張りのソファが備え付けられた飛竜家の自室よりずっと落ち着けるような気がしたのだ。
雑誌も素敵だった。流行の洋服を、驚くほどスタイルの良い少女たちがセンス良く着こなしている。
ミニスカートもロングブーツも、ほどよく染めた髪も、どれも本当に素敵だった。
夢中で読み進め、しばらくして我に返ったように雑誌を閉じる。広告の入った裏表紙を見る眼差しは、ひどく暗かった。
千早は、自分の衣類を選んだことが無かった。
全て父親が家政婦に命じて用意させていた。それに疑問を持つことはなかった。明に色々な書籍を見せてもらうまで、衣類の種類すらよく知らなかったからだ。
『ただ今から、1階児童文化コーナーにて絵本の読み聞かせを行います。どなたでもお聞きいただけますので、興味のある方はぜひお越しください』
館内に流れた放送が、千早を現実に引き戻した。
絵本の読み聞かせと聞いて、千早はソファを立つ。明の住む洋館には、結構な数の絵本があった。詳しい事は教えてくれなかったが、昔、誰かが幼い明のために用意したものらしかった。
疲れた時、少し元気がない時、ソファに横になる千早に明は絵本を朗読して聞かせてくれた。
優しく綺麗な言葉が連なる文章を、明が抑えた声でゆっくりと読みあげてくれる。それを聞いていると、重かった気分が次第に晴れて、穏やかに眠りに就けたものだ。
あれがおそらく『絵本の読み聞かせ』なのだろうと想像した。明が優しく読んでくれた声を思い出し、聞いてみたいと思ったのだ。
けれど、読み聞かせの会場の手前で、千早の足が止まった。
絨毯敷きの会場には、幼児たちが集まっていた。
母親に抱かれ、手をつなぎ、いとけない声で何事かしゃべっている。
集まっていた十数組の親子たちの姿を見て、千早はその場からきびすを返した。速足でフロアを抜け、図書館を後にした。
図書館を出た後、昨日と同じ道順を辿り、市橋愛美の家の近くに来ていた。
でも、家の前には行かない。近くの公園のブランコに座り、遠目に市橋家を眺めていた。
家からは誰も出てこない。カーテンの閉められた洋風の住宅を、緩くブランコを揺らしながら、ずいぶん長い時間眺めていた。
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