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第三章 十三夜の月の下で
十三夜の月の下で(3)
しおりを挟む昇りはじめた十三夜が、墨汁のような池に映り込んでいる。
それは世間で『月の道』と呼ばれるものだ。黒々とした水面に伸びる月の光は、池が波立つたびに細かくきらめき、空に昇る月よりも輝いて見える。
冷えた夜気にきらめきも増し、この世のものとは思えないほど美しい月明りの道を通り、この世の者でない何かが姿を見せ始めていた。
絶句する術者たちの中で、輝明はよどみなく神刀・火雷を抜刀する。巌のように落ち着いた父の姿に倣い、輝も平静を装いながら神刀・天輪を抜刀する。
広々した池の水面が、巨大な体躯に占領されていく。月の道から抜け出てきた、八つの巨大な首は、闇夜に赤い目を光らせ池端に集まる術師たちを見やる。
八岐大蛇―――神話にしか出てこないはずの魔物が、月の道を通り宗家屋敷に出現した。
こんな巨大な魔物など、誰も見たことはなかった。話に聞いたこともない。どう戦うかすら見当がつかない。
本能で腰が引け始めた術者たちを、八つの首、十六の眼は見ていた。ゆるりと動き始めた巨大な魔物の横に、闇から染み出すように魔の美丈夫が現れる。
怖気の立つ、魔の風が吹き始める。凍る冬の夜気は、さらに禍々しい気配に毒され、耐えがたい大気となる。
寒く禍々しく、まるでこの場が地獄のようだと輝は思った。年末も近い極寒の夜、背中に流れるほど汗をかきながら輝は天輪を構え、徐々に近づいて来る伝説上の怪物と、元は人間だった魔物の首魁を見据える。
輝、と名を呼ばれ目だけで傍らの父を見る。辺りの術師たちが動揺を隠しきれていない中、落ち着き凛と構える宗主は、良い意味で周囲から浮いていた。
「私が織哉の相手をする。お前は皆と協力して、あの化け物を叩け」
動揺を隠しきれず顔に出てしまった息子へ、輝明は小声で指示を出す。
「天輪とより深く同調し、森羅万象の力を引き出すんだ。そうすれば今以上の身体能力、雷の力を使いこなせる。お前ならできる」
「そんな、父さん……」
さすがにためらう様子を見せる輝の頭に、突然輝明が左手を置いた。
「!」
ぽん、と柔らかくはたく。眼を見開いておどろく息子に、大きな傷の走る顔をゆがめわずかに笑んで見せる。
「万が一の時は父さんが助けに入る。一族の皆を守るのが、宗家、そして神刀の使い手の役目だ。まずは全力を尽くせ。全力を尽くせば皆も付いて来る」
頭を撫でられるなど、ほんの幼い頃以来だ。あぜんとしている息子の髪から手を離し、輝明は右手に下げた火雷の柄を鳴らし、握り直した。
術師たちが声を上げるほど、火雷は赤く燃え上がった。充満していた瘴気を燃やすように、清らな炎は赤く高く燃え上がる。
炎を旗印に掲げ、輝明が声を張り上げる。
「皆、輝と共に巨体の魔物を滅ぼせ。巨体と言えど所詮は魔物。神格の力には敵わない。正統なる森羅万象の力を持ってして、魔の存在を討ち滅ぼせ」
池端のごく近い場所に渦が巻き、池の水を巻き上げる。
上がった水竜巻を突き破り、黒装束の魔物・御乙神織哉が火雷の炎めがけ疾風のように斬り込んでくる。
迎撃の赤い炎と白い雷光が池端に炸裂する。それを切り刻む様に瘴気を含んだ魔の風が縦横無尽に荒れ狂った。
切り結ぶ合間に見える、美しい白い顔は夜の闇、黒の水面、そして魔物の黒装束から浮かび上がり、遠目にもはっきりと見える。
御乙神織哉の凄絶なまでに美しい顔をきつく睨み、輝は岸へ向かってくる小山の様な魔物へと相対する。
暗闇の中、まばゆい雷光に引かれたように八つの首は輝に向かって来る。池の水が大きく波打ち、岸で飛沫を上げる。
少しでも魔物の動きを止めようと、術師たちは縛魔の術を敷き始める。
貴き力による縛魔の網が張り巡らされた池端に、八つの首が向かって来る。肉体か霊感か、どちらが感じたか分からない猛烈な臭気が波のように押し寄せる。
逃げまいと、負けまいと思う気合が雷光となってほとばしる輝が、向かって来る魔物に天輪を振るう。
破壊される池端の歩道。吹き飛ぶ外灯や篝火。縛魔の網に掛かり巨大な首がひとつ、激しく暴れている。
雄叫びを上げ、輝は猛然と網に掛かった首を落としにかかる。
怖気立つ風が巻き、清らな炎が燃え上がり、次々と池端が破壊され、激しい雷光が闇夜を裂く。
端正な日本庭園は、秩序の無い乱戦場と成り果てていた。
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