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第三章 緋の宴席
緋の宴席(11)
しおりを挟む壮絶な傷跡が走る顔が露わになり、そして輝明は左目を閉じる。
数秒もせず、頭上から破壊音がして、天井を突き破り赤い何かが桜の間に降ってきた。
天井の残骸が舞う中、赤く燃える日本刀は畳に突き立った。
圧倒的な威圧を放つその刀を、輝明は無造作に引き抜いた。
鍔を鳴らし、右手一本で燃える日本刀を掲げる。
すると日本刀にまとわる赤い炎は右手を伝い輝明の全身を包み込む。
息をのんでその様子を見守る六人の前で、炎は輝明の身体に染み込む様に消えていった。
左目を開いた輝明は、今までとは違うしなやかな動きで、向かってきた魔物の一体を切り伏せた。
燃え上がる魔物を前に、輝明は鋭く言う。
「早く行け!千早の反閇を成功させろ」
「お前……今まで火雷を、手放していたのか……」
今までの不自由な体が嘘のように火雷を振るう輝明を、飛竜健信は訝し気に見る。
神刀は森羅万象に繋がる不可思議な刀だ。
縁を結んだ使い手と森羅万象を繋ぎ、使い手に絶大な力を与える。
今まで輝明は、何らかの理由で縁を結ぶ神刀・火雷を手放し、その力の恩恵を受けていなかった。
火雷の力を受けていれば、不自由になっていた身体はもっと早くに回復していたのだろう。
なのになぜ、敢えて火雷を手放していたのか。
問いただしたい事は山の様だが、今はそれを追求している余裕はなかった。
飛竜健信は輝明の指示通り、七家の四人と共に千早を連れ、椿の間へと向かった。
昼夜は連動する結界の中で、明は洋館の裏庭に居た。
綺麗に手入れされた花壇のような一画に、高さ三〇センチほどの自然石がひとつ鎮座していた。
苔など付いていない様子から、この石も普段から手入れされているのが分かる。
洋館からの明かりだけが照らす中で、明は石の前に片膝を着き、目を閉じて手を合わせた。
まぶたの裏に浮かぶ姿は、変わらず若く美しいままだ。
「明」と名を呼んでくれた声は、絶対に忘れていないと思うけれど、実際は記憶の補正が入っているだろう。
何せもう十三年が過ぎて、あの時、明はまだ五歳になるかならないかの幼子だったから。
『お母さんも、明のこと大好きよ。愛してる』
大きな腕に包まれて、温かく柔らかい胸に身体を埋めて、ふんわりと香る良い匂いをかぎながら、自分は抱きしめられ甘えていた。
見上げる顔はいつも優しく微笑んでいて、白い肌に茶色味の強い金髪がとても良く似合っていた。
ある時自分の髪が母と違う色なのが不満で、拗て泣いてしまった事を覚えている。
何とも自分勝手な言い分だが、それでも母は泣いた理由を優しく聞いて、なだめてくれた。
『明の髪は、お父さんと同じ色だから、お母さんは好きよ』
そんな一言で機嫌を直した当時の自分も、本当に可愛らしいものだった。
子猫のように膝の上で甘えて、髪をなでられ抱きしめられ、そしていつも額にキスをしてくれた。
覚えているのは、思い出すのは、降るように惜しみなく愛情を注いでくれた事ばかりだ。
一つくらい嫌なことも怒られたこともあったはずなのに、そんなことは何も思い出せず、母の記憶は、甘く優しく、美しいものばかりだった。
まぶたを上げた明の目が、不意に細められ鋭くなる。
甘く優しい母の記憶に結び付く、もう一種類の記憶が、明の表情を凝り固まった怨恨に塗りつぶす。
『この子は絶対に渡さない。死んでも渡さない。やるなら先に私を殺しなさい!』
『お願いやめて!お願いだからこの子を殺さないで!お願い!お願いだから!』
今でも脳裏に蘇る悲痛な叫びは、当時味わった恐怖や絶望まで呼び起こす。
それは医学用語でフラッシュバックと言われるものだ。
子供の頃は強いフラッシュバックが頻繁に起こり、明を苦しめた。
思い出すその度に固まったり大声をあげたりと発作の様に奇行を起こし、随分と三奈を心配させたものだ。
しんしんと冷えていく晩秋の闇の中、明は母の墓石に語りかける。
「一族の連中は、相変わらず自己中心で力に溺れた奴ばかりだ。
誰が何と言おうと俺は絶対に許さない。必ず、必ず御乙神一族を全滅させてみせる」
暗く凝った眼で質素な墓石を見つめ、明は合わせた手の向こうから積もり積もった恨みを吐く。
「何の罪も無いあなたを手に掛けたあいつらを、俺は絶対に許さない。
誰が何と言おうと、どれだけ謝罪されても、絶対に許さない。絶対に、滅亡の未来を成就させる」
音も無く、明の背後に黒猫が近寄っていた。黄色い目で明の背中を見つめている。
その存在に気づいているが、明は構うことなく墓石に誓う。
「必ず……父さんと共に、御乙神一族を殲滅させる。母さんの仇を討つよ」
その時だった。不意に明が立ち上がり、何も見えない空を見上げた。
黒猫も同じく、小さな頭を空に向け、まるで人間の様に辺りを見回す。
何の前触れもなく周囲の空間が崩れ始めた。
それは霊能の感覚で感じるものだが、肉眼の目視では周囲の景色がみるまに変わっていき、見覚えのある森が浮かび上がってくる。
「!」
結界を作り上げていた力が急速に崩れ、洋館のとある一画へと集結していく。
あっという間に洋館を封印していた結界は消滅し、普通の建物として道脇の広場へ姿を現した。
洋館から破壊音がした。
突き破った灰色の屋根を赤く照らしながら、一振りの燃える日本刀が夜空に浮いていた。
そして愕然とする明を赤く照らし、神刀・火雷は黒い夜空に赤い軌跡を描きながら飛翔していった。
顔に感情が出にくい明がひどく驚いた顔をしてある方向を見やる。
それは母屋、宗家屋敷のある方向で、特に広大な池の方角から、この場所にあってはならない気配を感じ取ったのだ。
絶大な威力を誇る神刀の力をつぎ込み造り上げた結界に、今の今まで護られていて外界の異変に気付けなかったのだ。
「何で、こんな場所に、異界の扉が開くんだ?」
『主。宗家屋敷の破魔結界が破られ、母屋に多数の魔物が集まっている。宗主が神刀を取り戻さねばならぬほど苦戦してるのだろう』
黒猫姿の黒龍が、珍しく口をきいてくる。
『少し前に姫が屋敷に到着していたぞ』
「は?あいつ、また何でこんな時に……!」
『輝が宴席があると言っていたではないか。ならば三奈も母屋に居るはずだ』
見た目にはただ暗い森を、明は目を見開いて見つめる。
無意識に、両手を強く握る。黒龍は、地面から背の高い明を見上げた。
『主。良い機会ではないか。自ら手を下さずとも魔物が奴らを滅ぼしてくれる。
例え殲滅まではいかなくとも、これで確実に数は減る』
淡々と事実を語る黒龍の声を聞きながら、明の拳は白くなるほど握られていた。
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