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第3部 幸せのために
皇帝のとの対峙
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転移魔法は確かに発動し、それはクレアとアーサーを第二宮の中庭へと転移させるように術式が組まれていた。
だが、クレアだけは戻れなかった。
いや、正確には彼女も転移をしたのだが、別の場所へと飛ばされたのだ。
「……来たか」
光が収まったと認識した瞬間、クレアの目前には玉座に座する皇帝がいた。
周囲には何故か護衛の騎士らはおらず、謁見の間と思しき広間にはただ皇帝とクレアのみが存在していた。
皇帝は、青みがかったブロンドを指ですいて、階段の下に佇むクレアを鋭い眼光で見下ろす。
「朕は、もうそなたは必要ないのだがな」
拒絶の眼差し。
クレアは自分の身に一体何が起きたのかを理解しようとするが、皇帝の視線がそれを苛む。
「そなたは創造の力を失った、ただの弱小国の第三王女に過ぎぬ。政略結婚させる利点もないような小娘のそなたを、皇太子妃にするわけにはいかぬのだ」
低い威圧的で否定的な声音にクレアの身体は、恐ろしさからガタガタと震えてきた。
(……今の私は、創造の力が戻っている可能性が高いわ。けれど……)
このタイミングで、皇帝に対してクレアの力が戻った事実を告げてもよいものなのだろうか。
それに、力があるからアーサーと結婚できるという考えはクレアは少し違うのではないかと思う。
だから、渾身の勇気をかき集めて皇帝の瞳を真っ直ぐ見た。
「お言葉ですが陛下。私たちはただ国のために結婚をするのではなく、お互いに……」
「黙れ。戯言の発言は一切許可しない。……権力を伴う者の結婚とは、利害関係があってこそのものだ」
皇帝の言は決してぶれず、一切譲らないという気概が感じられた。
普段だったら恐ろしさからとても言い返すことなどできはしないと思うが、今のクレアの心中は不思議と穏やかだった。
「アーサー様からは、ノア嬢とは婚約をなさらないとお伺いしております」
「ガータ侯爵家とは、婚姻によって縁を結ばせる。あの家門は武器の製造に関わる家門だ。国内の貴族との結びつきを強めたくはない」
そう言った皇帝の眼差しが、少し陰を帯びたように感じた。
加えて、よく見ると顔面は非常に蒼白で、身体も以前に会った時よりも細く見えた。
クレアの脳裏にはブルーノとアーサーが握ったという「皇帝のある秘密」が過る。
「まさか、あなた様は……」
クレアは悟った。
皇帝は、何か得体の知れない病に侵されている。もう長くはないのかもしれない。
「だから、ご自分がいなくなったあとのこと考えて……」
皇帝の病が、一体いつからのものだったのかは分からない。
だが考えてみると、彼がこれまで行ってきたことはどれも自分がいなくなった時に、円滑にこの国を持続できるようにするものだったのではないだろうか。
──クレアの創造の力を排除しようとしたように。
ならば。とクレアは思った。
(このまま皇帝が亡くなるようなことがあれば、私たちの仲を引き裂く人はいなくなるのかもしれない。でも、それは違うわ)
国を持続させるということは、きっとクレアには計り知れない苦労があるのだろう。
「朕は、常に最善を尽くすだけだ。……だが、少々疲れたな」
玉座に力なく座した皇帝を目の当たりにして、クレアは胸の奥から熱い力が溢れてくるように感じた。
目前の困っている人を助けたい。それが、たとえ皇帝であってもスラムの人々であっても変わらないだろう。
そう強く思うと、突然眩い光が発した。
光が収まると、皇帝の手元に一輪の薔薇が握られていた。
その薔薇は、中庭で育てている魔法薬の原料となっている、あの薔薇と同種のように見える。
「この薔薇は、マルガリータが好きだった薔薇だ」
「左様ですか」
「ああ。思えば、皇后とはそういった他愛のない会話すらほとんどしてこなかったな」
無表情でポツリと溢した皇帝に、思わずクレアの目の奥がツンと熱くなった。
「……ですが、皇后陛下がお好きだった薔薇をご存知だということは、ご関心はあるいうことに繋がるかと思います」
「……朕は、この国のいく末を考えねばならない。周囲の言葉に左右されてはならんのだ」
皇帝はしばらく薔薇を眺めて、ポツリと呟いた。
「そなたは、皇太子にスラム街の改善を訴えているようだな」
「はい」
「だがな。国の暗部は下手に手を出したら飲み込まれる。それらを管轄し、利益を得ている貴族や商人共もいるのだ。……だが、そなたは率先して立ち向かった。その姿勢は評価しなくもない」
皇帝は目を伏せたが、何かを思い立ったのかクレアの瞳に真っ直ぐ視線を向けた。
「だが、やはりそなたは危うい。国を混乱させる火種になり得るかもしれん」
威圧的な言葉ではなく、静かにそう言われると納得し反する言葉を思いつくことができない。
むしろ、反対にそうなのかもしれないという考えがクレアの脳裏に過った瞬間、背後からよく通った声が響いた。
「私がそばにいます」
「アーサー様!」
クレアは無意識に、姿を確認する前に声の主の方に駆け寄っていた。声だけで彼だと分かったから。
胸に飛び込んだクレアを、アーサーは両腕で抱きしめた。
「君を一人にして、すまなかった」
「いいえ、来てくださって嬉しいです」
思わず涙が込み上げてきたので、アーサーの服を汚すまいと慌てて離れようとするが、彼はやんわりと包み込んだのでそのままアーサーの強い鼓動を感じていた。
アーサーは第二宮へと転移したはずだが、緊急時の際にとクレアの居場所を示すことができる「魔道具のコンパス」を彼女が身につけていたために居場所を知ることができたのだろう。
「陛下。クレアには私がおります。彼女の力を悪用されないように自衛は怠らないつもりです」
「そのようなこと、口ではいくらでも言える。具体的な案はあるのか」
アーサーはそっとクレアを立たせて、彼女の瞳を覗き込んだ。
(この時が来たのね)
クレアは真っ直ぐにアーサーの瞳を見て、強く頷いた。
「クレアの力を、帝国民に公表します」
「……なんだと」
アーサーはクレアの創造の力が再び戻ったことを説明すると、皇帝は先ほどのやり取りで察していたのか頷いた。
「強力な力は、必ずいつか漏洩してしまうでしょう。それならば、一層公開した上で帝国はこの力を決して悪用しないと宣言するのです」
「この娘を神格化するものが絶対に出てくるぞ。それを教会は決して許しはしないだろう」
「反対に教会を利用するのです。熱心な信者であったクレアに神の力が授かったと」
「陛下。わたくしはこの力を、できるだけ多くの民のために正しく使いたいと思っております」
「すでに教皇には話は通しております」
アーサーとクレアは先日国境に立ち寄る前に、ルート教の大聖堂があるケリーの都に立ち寄り話を通したのだった。
クレアの力が戻ったことは予想外の出来事であったが、アーサーはリリーから遥以前にユーリ王国の前身であるカサブランカ王国の王族が創造の力を発動した際にはそのようにしていたと聞いたらしい。
尤も、その時はその力を持つ女性を「聖女」として崇めていたというが。
「強力な力は必ず身を滅ぼす。……だが、そもそも発動した以上国に返すわけにもいかんな。……よいだろう。ただし条件がある」
「はい」
皇帝は玉座から立ち上がり、ゆっくりと二人に近寄った。
「朕はこの国の皇帝である。朕がそなたを、……クレア王女を庇護しよう」
アーサーとクレアは、互いに目を見合わせた。
「陛下、ですが」
「腹黒いことを考えるのがうまいのが教会の輩だ。朕と同じでな。圧力をかける必要があろう」
(ああ、この方は……)
クレアは、皇帝は身を挺してこの国を守れることができる部類の人間なのだと思った。
そうしているうちに、感情の起伏や心が痛みを感じる部分が随分と鈍くなってしまったのかもしれない。
「皇帝陛下」
クレアはそっと皇帝の手に自身の手を重ねた。瞬間、眩い光が周囲を巻き込んでいく。
皇帝の手には月美草が握られていた。
「先ほどの薔薇と月美草できっと陛下の心配事も減るかと思います」
「……そうか」
皇帝の表情は少し和らいだように感じた。
そうして、皇帝との話し合いは無事に終わり、クレアは再びアーサーの婚約者として迎え入れられたのだった。
だが、クレアだけは戻れなかった。
いや、正確には彼女も転移をしたのだが、別の場所へと飛ばされたのだ。
「……来たか」
光が収まったと認識した瞬間、クレアの目前には玉座に座する皇帝がいた。
周囲には何故か護衛の騎士らはおらず、謁見の間と思しき広間にはただ皇帝とクレアのみが存在していた。
皇帝は、青みがかったブロンドを指ですいて、階段の下に佇むクレアを鋭い眼光で見下ろす。
「朕は、もうそなたは必要ないのだがな」
拒絶の眼差し。
クレアは自分の身に一体何が起きたのかを理解しようとするが、皇帝の視線がそれを苛む。
「そなたは創造の力を失った、ただの弱小国の第三王女に過ぎぬ。政略結婚させる利点もないような小娘のそなたを、皇太子妃にするわけにはいかぬのだ」
低い威圧的で否定的な声音にクレアの身体は、恐ろしさからガタガタと震えてきた。
(……今の私は、創造の力が戻っている可能性が高いわ。けれど……)
このタイミングで、皇帝に対してクレアの力が戻った事実を告げてもよいものなのだろうか。
それに、力があるからアーサーと結婚できるという考えはクレアは少し違うのではないかと思う。
だから、渾身の勇気をかき集めて皇帝の瞳を真っ直ぐ見た。
「お言葉ですが陛下。私たちはただ国のために結婚をするのではなく、お互いに……」
「黙れ。戯言の発言は一切許可しない。……権力を伴う者の結婚とは、利害関係があってこそのものだ」
皇帝の言は決してぶれず、一切譲らないという気概が感じられた。
普段だったら恐ろしさからとても言い返すことなどできはしないと思うが、今のクレアの心中は不思議と穏やかだった。
「アーサー様からは、ノア嬢とは婚約をなさらないとお伺いしております」
「ガータ侯爵家とは、婚姻によって縁を結ばせる。あの家門は武器の製造に関わる家門だ。国内の貴族との結びつきを強めたくはない」
そう言った皇帝の眼差しが、少し陰を帯びたように感じた。
加えて、よく見ると顔面は非常に蒼白で、身体も以前に会った時よりも細く見えた。
クレアの脳裏にはブルーノとアーサーが握ったという「皇帝のある秘密」が過る。
「まさか、あなた様は……」
クレアは悟った。
皇帝は、何か得体の知れない病に侵されている。もう長くはないのかもしれない。
「だから、ご自分がいなくなったあとのこと考えて……」
皇帝の病が、一体いつからのものだったのかは分からない。
だが考えてみると、彼がこれまで行ってきたことはどれも自分がいなくなった時に、円滑にこの国を持続できるようにするものだったのではないだろうか。
──クレアの創造の力を排除しようとしたように。
ならば。とクレアは思った。
(このまま皇帝が亡くなるようなことがあれば、私たちの仲を引き裂く人はいなくなるのかもしれない。でも、それは違うわ)
国を持続させるということは、きっとクレアには計り知れない苦労があるのだろう。
「朕は、常に最善を尽くすだけだ。……だが、少々疲れたな」
玉座に力なく座した皇帝を目の当たりにして、クレアは胸の奥から熱い力が溢れてくるように感じた。
目前の困っている人を助けたい。それが、たとえ皇帝であってもスラムの人々であっても変わらないだろう。
そう強く思うと、突然眩い光が発した。
光が収まると、皇帝の手元に一輪の薔薇が握られていた。
その薔薇は、中庭で育てている魔法薬の原料となっている、あの薔薇と同種のように見える。
「この薔薇は、マルガリータが好きだった薔薇だ」
「左様ですか」
「ああ。思えば、皇后とはそういった他愛のない会話すらほとんどしてこなかったな」
無表情でポツリと溢した皇帝に、思わずクレアの目の奥がツンと熱くなった。
「……ですが、皇后陛下がお好きだった薔薇をご存知だということは、ご関心はあるいうことに繋がるかと思います」
「……朕は、この国のいく末を考えねばならない。周囲の言葉に左右されてはならんのだ」
皇帝はしばらく薔薇を眺めて、ポツリと呟いた。
「そなたは、皇太子にスラム街の改善を訴えているようだな」
「はい」
「だがな。国の暗部は下手に手を出したら飲み込まれる。それらを管轄し、利益を得ている貴族や商人共もいるのだ。……だが、そなたは率先して立ち向かった。その姿勢は評価しなくもない」
皇帝は目を伏せたが、何かを思い立ったのかクレアの瞳に真っ直ぐ視線を向けた。
「だが、やはりそなたは危うい。国を混乱させる火種になり得るかもしれん」
威圧的な言葉ではなく、静かにそう言われると納得し反する言葉を思いつくことができない。
むしろ、反対にそうなのかもしれないという考えがクレアの脳裏に過った瞬間、背後からよく通った声が響いた。
「私がそばにいます」
「アーサー様!」
クレアは無意識に、姿を確認する前に声の主の方に駆け寄っていた。声だけで彼だと分かったから。
胸に飛び込んだクレアを、アーサーは両腕で抱きしめた。
「君を一人にして、すまなかった」
「いいえ、来てくださって嬉しいです」
思わず涙が込み上げてきたので、アーサーの服を汚すまいと慌てて離れようとするが、彼はやんわりと包み込んだのでそのままアーサーの強い鼓動を感じていた。
アーサーは第二宮へと転移したはずだが、緊急時の際にとクレアの居場所を示すことができる「魔道具のコンパス」を彼女が身につけていたために居場所を知ることができたのだろう。
「陛下。クレアには私がおります。彼女の力を悪用されないように自衛は怠らないつもりです」
「そのようなこと、口ではいくらでも言える。具体的な案はあるのか」
アーサーはそっとクレアを立たせて、彼女の瞳を覗き込んだ。
(この時が来たのね)
クレアは真っ直ぐにアーサーの瞳を見て、強く頷いた。
「クレアの力を、帝国民に公表します」
「……なんだと」
アーサーはクレアの創造の力が再び戻ったことを説明すると、皇帝は先ほどのやり取りで察していたのか頷いた。
「強力な力は、必ずいつか漏洩してしまうでしょう。それならば、一層公開した上で帝国はこの力を決して悪用しないと宣言するのです」
「この娘を神格化するものが絶対に出てくるぞ。それを教会は決して許しはしないだろう」
「反対に教会を利用するのです。熱心な信者であったクレアに神の力が授かったと」
「陛下。わたくしはこの力を、できるだけ多くの民のために正しく使いたいと思っております」
「すでに教皇には話は通しております」
アーサーとクレアは先日国境に立ち寄る前に、ルート教の大聖堂があるケリーの都に立ち寄り話を通したのだった。
クレアの力が戻ったことは予想外の出来事であったが、アーサーはリリーから遥以前にユーリ王国の前身であるカサブランカ王国の王族が創造の力を発動した際にはそのようにしていたと聞いたらしい。
尤も、その時はその力を持つ女性を「聖女」として崇めていたというが。
「強力な力は必ず身を滅ぼす。……だが、そもそも発動した以上国に返すわけにもいかんな。……よいだろう。ただし条件がある」
「はい」
皇帝は玉座から立ち上がり、ゆっくりと二人に近寄った。
「朕はこの国の皇帝である。朕がそなたを、……クレア王女を庇護しよう」
アーサーとクレアは、互いに目を見合わせた。
「陛下、ですが」
「腹黒いことを考えるのがうまいのが教会の輩だ。朕と同じでな。圧力をかける必要があろう」
(ああ、この方は……)
クレアは、皇帝は身を挺してこの国を守れることができる部類の人間なのだと思った。
そうしているうちに、感情の起伏や心が痛みを感じる部分が随分と鈍くなってしまったのかもしれない。
「皇帝陛下」
クレアはそっと皇帝の手に自身の手を重ねた。瞬間、眩い光が周囲を巻き込んでいく。
皇帝の手には月美草が握られていた。
「先ほどの薔薇と月美草できっと陛下の心配事も減るかと思います」
「……そうか」
皇帝の表情は少し和らいだように感じた。
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