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第3部 幸せのために

トスカとイザベラ

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 皇宮の敷地内の隅に建てられた塔に幽閉されているトスカは、自分はまるで長い夢を見ていたようだと思った。

 伝染病にかかり、何日も死の淵を彷徨っていたと医者から聞いた時には何処か現実味がなかったが、起きあがろうとしても脱力して身体が思うように動かないので、自分は病にかかっていたのだと実感する。
 何故、伝染病にかかったのかと聞けば曖昧な返事しか返ってこなかったが、どうやら塔に出仕している下女が感染していたらしく、塔内はしばらく閉鎖されていたとのことだ。
 
 また、病に伏せる前から頻繁にイザベラは塔に通ってきていた。

「わたくし、あなたが居なくなって心にポッカリと穴が空いたようなのですのよ」
「お姉様……」

 そう言ってあまり多くのことを語らず帰っていくイザベラの姿を、いつもトスカはなんとも言えない気持ちで見送っていた。
 そもそも、クレアの婚約式の衣装を侍女長に命じて切り裂かせたのはイザベラだった。

 それなのに、婚約式の際イリス公女に『クレア様がお召しのドレス、とてもお似合いですわよね。それにとてもお美しいですわ。ですが、あなた様のような方にはきっと一生似合うことはないでしょうけれど』と言われてカッとなったのがいけなかった。
 今覚えば、あれはきっとトスカを挑発していたのだろう。

 だが、それにしてもとトスカは納得がいかなかった。
 何故、計画・実行に移したイザベラは咎められず平穏な毎日を謳歌しているのに、自分はこんな目に遭わなければならないのだろう。理不尽だ。
 そう思いただただ毎日をやり過ごしていたら伝染病にかかり、意識を取り戻して数週間後、塔の閉鎖が解除されるとすぐにイザベラがトスカの元へと訪ねて来た。
 
「さぞかし充実した毎日を送っているのでしょうね」と毒をついてやろうと思っていたが、イザベラの様子はトスカの予想とは反していた。

「トスカ……、本当によかったですわ……」

 目を真っ赤にして泣き腫らしたイザベラがいた。
 いつも飄々としていて泣いているところなんて見せたことがなかったイザベラが泣いている……。
 だからか、気がついたら聞いていた。

「何故、泣いているのですか?」

 イザベラは涙をハンカチで押し当てると、首を小さく横に振った。

「あなたに、もしものことがあったらと思ったら、わたくし……」

 やつれていた。
 トスカが病に伏せてから二週間近くが経つが、ずっとそれ以前からやつれていたように感じる。

「わたくしがいなくて、寂しかったですか?」

 まさか姉に限ってそんなことはあるはずがない。それなのに返ってきたのは予想外の言葉だった。

「もちろんですわ。わたくしのせいであなたが幽閉されてしまって、寝ても覚めても後悔が押し寄せてくる日々だった。……だからわたくし、決めましたのよ」

 何を決めたのだろうと、トスカは首を傾げた。

「先の件は、わたくしが計画しモーラに実行させたと正直にお父様に打ち明けるつもりですわ。あなたを解放していただき、代わりにわたくしがここに入ります」
「お姉様……」

 先ほどまではなんて姉だと怨恨を抱いていたのに、謝罪の旨を伝えられるとどう受け答えをしてよいのかがわからなくなる。

「それに、あいつが……クレアがいなくなって、ようやくお母様が常日頃から言っていた言葉の意味が理解できたように感じるの」
「お母様……」
「皇女として恥ずかしくない立ち振る舞いをなさい。弱い立場の者を決して排することのないように。お父様からは全く反対のことを言われていたので打ち消されてたけれど、今思えばお母様は全てご存知でわたくしたちのことを憂いていたのかもしれないわ」
「お姉様……」

 月に二、三度顔を合わせればよいほどの母親は、いつも姉妹に対して冷たい視線を向けていた。それは自分たちのことに関心がないからだとばかり思っていたのだが、実際のところは違うのかもしれない。

 そう考えを巡らせるが、ふとあることが気にかかった。

「ところで、お姉様。クレアはどうしているのでしょうか。……皇太子の婚約者として、それはもう自由を謳歌して贅沢を尽くしているのでしょうね」
 
 そうだとしたら非常に腹立たしいが、同時にどこか安堵をしている自分もいた。
 だが、イザベラの反応は全く予想と反したものだった。

「それが……、探らせた侍女によると、どうもそうではないらしいの」
「そうではない?」
「ええ。……ドレスは元々用意されたものしか身につけないし、これまでほとんどドレスを仕立てたこともないのですって」
「まあ」
「それに、なんでもよく街へと降りているそうよ」
「街にですか?」
「ええ。皇太子も同伴することもあるようなのだけれど、買い物や劇場に行っているわけではないそうよ」
「左様ですか……」

 その言葉にどこか引っかかりを覚えた。同時に、目覚める前のあの温かい感覚と、クレアが放っていた空気が一致するように感じる。

「まあ、もうあの娘にはちょっかいを出さないに限りますわね。お母様は謝罪しなさいと仰られていたけれど」

 トスカの血の気が引いた。

「謝罪ですか? どうして……」

 そうは言ったが、その言葉で腑に落ちた。
 クレアは何かが特別なのだ。その特別とは何かは見当もつかないが、ただ皇后である母親が謝罪を求めていることは強くのしかかってくる。

「わたくしたちは随分あの子を虐げてきましたから。罪を自覚した上で誠心誠意謝りなさいと」
「そんな……」

 呟くが、心の中ではそれは嫌なことではなかった。むしろ謝らないといけないと思った。

「わたくし目覚めてから変なのです」
「それは、どういったところがかしら」
「ずっと、心が温かいと言いますか……、これまで感じていた漠然とした不安がなくなっていると言いますか……」

 トスカは皇女として生まれてきてからこれまで、ずっと重責のようなものを感じていた。
 何故かいつも婚約話は白紙になってしまうのでまだ婚約者はいないが、いずれ自分も国のためになる相手と結婚して皇宮からは離れなければならない。

 そう思うと不安が押し寄せてきた。
 加えて日々の皇族としての教養を身につける講義の難しさが追い討ちをかけてくる。それは姉のイザベラも同じように感じていたのではないかと思う。

 そうした中、隣国ユーリ王国の王女で人質であるクレアが皇女宮へと住まいを移した。
 最初は何の興味もなかったが、クレアが自分たちが受ける講義をなんの問題もなくこなしていく様子を見ていると段々と暗い感情が心中に渦巻いてきた。

 初めはほんの些細な嫌がらせのつもりだった。それはイザベラも同じだろう。
 だが立場上決して言い返すことのできないクレアを虐げることは気が付いたら思いの他心の拠り所になってしまったようだ。

 だが、今はその行為は心から愚かだと認識することができた。
 そうか。きっと胸の中に温かさがそう思わせるのだろうとも思う。

 だからトスカは、気がついたらある提案をイザベラにしていたのだった。
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