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第1部 仮初めの婚約者

トスカの耳打ち

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「新しい皇太子の就任を心からお祝い致します。それでは皆様方、グラスをお持ちください」

 そう考えを巡らせていると、宰相の声を合図に皆一斉にグラスを手に持ち始めたので、慌ててクレアも立ち上がりグラスを手に持った。

「乾杯!」

 たちまち周囲に拍手が響き渡る。

 そしてそれが鳴り止むと、会場内の張り詰めていた空気が少しだけ和らいだ。

(美味しい飲み物。これは果実水ね)

 このような機会でもなければ、滅多に口にすることができない飲み物を一口ずつ丁寧に慈しむように口に含む。

 普段は水しか口にすることが許されていないので、口内が久方ぶりの水では無い水分に驚いているようだ。

(でも……美味しい……)

 このような享受に心から感謝をしたいと無意識に両手を合わせていると、水を差すように隣に座るトスカがクレアにそっと耳打ちしてきた。
 あくまで穏やかな雰囲気を纏わせているが、その声は冷やかだった。

「そのドレス、どういうことか説明してくれない」

 やはりきたかと、内心ヒヤリとしたが、クレアはできるだけ表情を変えないように努めた。
 その実、心臓が激しく打ち付けて内心は全く穏やかではなかった。

「……はい。明日必ず説明をします」
「明日では遅い。晩餐が始まればダンスが始まるまで自由に行動することができるから、晩餐が始まったらわたくしについて来なさい」

 途端に恐ろしさからか身体が小刻みに震えてくる。一体どこに連れて行かれるというのだろうか。
 だが、考えてみるとまだパーティーの途中であるし、万が一クレアに何かがあったとしたら流石に騒動になるだろうから、今トスカがクレアに危害を加える可能性は低いのではないだろうか。

 そして、命の保証がされているのであれば、あの二人の身の安全を約束してもらうチャンスなのかもしれない。
 そう思うと、クレアは決意をするように口をギュッと結んだ。
 
(なんとしても、リリーさんとアンナさんを守らなければならないわ。気を引き締めなければ)

「承知しました」

 何とか笑顔で答えたものの、給仕が目前に見目麗しく美味しそうな料理を次々と運ぶのを見届けると、席を立とうとする足に力が入らない。

 それに、これから起こるであろうことを予測するとやはり絶望が胸に湧き出てくるが、クレアはいつか乳母が「自分には希望がある」と言ってくれた言葉を思い出し、自分自身を奮い立たせたのだった。
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