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最終話
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父はカサンドラから、母が旅の一座の男と不貞を働いていると聞き、
母を厳しく問い詰めた。
身に覚えが無いと素っ気無くする母に、父は激しく憤った。
揉み合いとなり、母は足を滑らせ、階段から落ち、頭を打ち、
そのまま命を落とした。
我に返った父は「大変な事をしてしまった」と恐ろしくなり、友人に相談した。
友人は、母の遺体を袋に入れ、「川に捨てればいい」と運んで行った。
疑われ無い様、周囲には「家を出て行った」と話した。
それに尾鰭が付き、「一座の男と不貞していた、その男について行った」という噂が広まった。
その『友人』というのは、今回『ベラミー侯爵』と名乗り、男たちを雇い、
わたしを始末しようとした者だった。
悪い商売もその友人から誘われたという。
母は良く酒を飲み、昼間からフラフラしている時も多く、
足を滑らせてもおかしくは無かった。
計画的に殺した訳でもない、父が罪に問われる事は無かっただろう。
だが、動揺していた事、そして当時継いだばかりの『伯爵』に傷が付くのを恐れ、
隠蔽を謀ったのだった。
アドルフは、騙し盗られた金と短剣の返済は求めないとし、
父を訴えない代わりに、様々な条件を付けた。
それにより、父は爵位を従弟に譲り、隠居の身となった。
悪い商売から手を引かせ、デシャン家を再建する為だ。
暫くはデシャン家に監視を入れるらしい。
カサンドラは離縁させられ、娘二人を連れ、デシャンの館から出て行った。
親戚の館に身を寄せる事となった。
コレットと名乗り婚約をしていたクリスティナは、先方から婚約破棄をされた。
『名を偽る者など信用出来ない』と。
カサンドラは、新たな再婚相手や娘の相手を探そうと、社交に懸命だが、
何処へ行っても、『嘘を吐き、妻から夫を奪った悪女』と噂され、相手にされなかった。
◇◇
この日、アドルフがリリーを連れ、ランメルトと共に塔を訪れた。
わたしは塔を出て行かなければいけない立ち場だが、
アドルフはわたしの父親代わりをしてくれる気なのか、
「行き先が決まるまで塔に居ろ」と言ってくれている。
リリーが入って来ると、ボヌールは「キャンキャン」と鳴き、
尻尾を振り歓迎し、飛び付いて行った。
リリーは穏やかな犬で、ボヌールのしたい様にさせている。
ボヌールとリリーは仲が良く、塔を出る事になれば、寂しい思いをするかもしれない。
それならば、ボヌールをここに預けて行った方が良いかもしれないと考えていた。
この先、どんな暮らしになるか分からないのだから…
わたしが紅茶とクッキーを出すと、アドルフがその後の事を聞かせてくれた。
「お金と短剣の返済を求めないなど…よろしいのですか?」
それでは、アドルフが損をするだけで終わってしまう。
わたしは懸念したが、アドルフは笑っていた。
「ああ、あの男を隠居に追い遣ったしな、新たなデシャン伯爵も、
一生俺に頭が上がらんだろう、デシャン家を俺の好きにしてやって、
気が済んだ!」
「そんな事でよろしいのですか?」
「いや、つまりだ、俺はおまえに借りがある、それを返したかったのだ。
おまえのお陰で、俺も自分を取り戻す事が出来た…家族を取り戻す事もだ…
おまえには酷い事をしたな、これで、許せ」
わたしは頭を振った。
「十分ですわ、あなたはわたしの母の名誉を回復して下さいました…
これで母も救われます…何とお礼を言ったら良いか…」
「それは、俺ではなくこいつに言え、俺はパーティで噂を流す事位しか出来んが、
罪を暴いたのはランメルトだ、魔術師もたまには役に立つ」
アドルフがニヤリと笑う。
アドルフにも分かったのだ、幽霊の正体が___
「元々、俺が結婚したのは、クリスティナであり、コレットではない。
クリスティナとは一度も顔を合わせていないしな、結婚の無効も認められた。
晴れて、俺もおまえも自由の身だ!」
アドルフは明るく宣言すると、立ち上がった。
「チビ、リリーと遊びたいなら、付いて来い!遊び場を作ってやったぞ」
アドルフがリリーとボヌールを引き連れ、塔を出て行った。
ランメルトと二人になり、わたしは急に落ち着かなくなった。
「母の名誉を回復して下さり、ありがとうございました…」
「しかし、亡くなっていたと知り、ショックだったのではないですか?」
「最初はショックでしたが、落ち着くと、これで良かったと思えました。
母の無念を少しは晴らす事も出来たでしょうし…母を弔う事も出来ます」
真実を知らなければ、出来なかった。
いつまでも、何処かで生きていると、母を探し続けただろう。
「今まで、ずっと、母に捨てられたのだと思ってきました…」
わたしが生まれた事で、わたしの父と母は結婚した。
その事でいつも言い争い、憎悪はわたしに向けられた。
とうとう、わたしの顔を見るのが嫌になったのだと…
わたしは自分が生まれて来た事を、自分で責めていた。
「だけど、違いました、母はわたしたちを捨てたのでは無かった…」
ランメルトは優しい微笑を持ち、頷いてくれた。
これからは、もっと優しい心で、母を想う事が出来る。
わたしの胸は晴れていた。
救ってくれたのは、アドルフ、そして、ランメルトだ___
「幽霊は、あなただったんですね?」
わたしがそれを聞くと、ランメルトは頷いた。
「僕は、母を愛していましたが、同時に憎んでもいました。
母が見ているのは父だけで、いつの頃か、母は僕を【父の代わり】としか見なくなった。
母は僕を【アドルフ】と呼び、抱きしめ、キスをし…体を求める様になった」
わたしは息を飲む。
「父がそれを知り、母を塔に閉じ込めた。僕には近付かせなかった。
その後、幾らもしない内に…母は塔から身を投げ、死んだんです」
「僕は、母との事が、父に知られれば良いと思っていました。
その通りになり、母は塔に閉じ込められ、僕は安堵していた。
だけど、母が身を投げ死んだと聞いた時、僕の所為だと思った…」
「そんな!デルフィネ様は病でしたし、あなたは子供ですわ!」
子供だったランメルトの所為である筈が無い。
彼は助けを求めたに過ぎない。それ程辛かったのだ…
だが、ランメルトは受け付けず、頭を振った。
「自信が無いんです、あの時、僕はわざと父に気付かせたのかもしれない…
父が気付かなければ、母は閉じ込められる事は無かった。
身を投げる事も無かった、母を死に追い遣ったのは、僕だと…
その事に耐えられず、全てを父の所為にし、責めていたんです…」
アドルフは恐らく、その事に気付いていた。
憎まれ役を買う事で、アドルフもまた、罪を償おうとしていたのではないか…
「母の死後、僕は父が館に連れて来る女たちを許さなかった。
それは、僕に出来る、唯一の、母への償いだと思った。
この館でだけは、父を母だけのものにしようと、僕は幽霊を見せた。
女たちは母の霊だと思い込み、恐れ、悲鳴を上げ、
次第に噂となり、父に下心を持つ者は、誰も寄りつかなくなった」
「それが、まさか、父が再婚するとは、夢にも思いませんでしたよ」
ランメルトが笑う。
「事務官という仕事柄、再婚の申請がされた事に、直ぐに気付きました。
再婚など、絶対に許せなかった。
それで、あの夜、僕はあなたに幽霊を見せた」
あの夜…
わたしが館に来た日だ。
わたしは、結婚が嘘だったと知り、孤独と絶望に自暴自棄になっていた。
「あなたを怖がらせ、出て行かせるつもりだった。
いや、それだけでは生温い、父が二度と再婚など考えられない様にしてやる!
母がどんな想いで身を投げたか、思い知らせてやる!
それを知っても、おまえはここに居られるのか?と、僕は怒りに取り憑かれていた。
だが、あなたは恐れなかった、それ処か、母が見たであろう景色を見せると、
簡単に身を投げてしまった___」
やはり、あれは夢では無かったのね!
わたしは手で口を覆った。
「あなたが抱えているものは分からなかったが、
僕はあなたが、母と同じに見えた。
もし、あなたを救う事が出来れば、母を救う事になるのでは…と」
それで、ランメルトはわたしに優しくしてくれたのだ…
新しく出来た義母への親切とばかり思っていた。
「あなたを幸せにしてあげたいと、手を尽くしましたが、
あなたに喜んで貰えた贈り物は、ボヌールだけだった」
ランメルトが肩を竦め、小さく笑った。
わたしは頭を振る。
「いいえ、あなたが訪ねて来て下さる事が、わたしにとって一番の喜びでした。
わたしは、父に疎まれ、カサンドラや義姉妹からも嫌われ、
家では居場所がありませんでした。ここへ来て、自分が厄介払いされたのだと知り、
アドルフにも夫婦になる意志は無いと知って、全ての望みが断ち消えたのです…
わたしに優しくして下さったのは、あなただけでした…
それが、どれ程救いになったか…」
例え、それが同情だったとしても、母への償いのつもりだったとしても、
わたしには救いだった。
そして、わたしは、恋をしてしまった___
「最初、僕はあなたを母と思い、接していましたが、長くは続きませんでした。
あなたは、若く、美しく、可愛らしい…
母にしていた事を思い出し、同じ様に髪を梳きましたが、
鏡の中のあなたは、とても母には見えなかった。
ボヌールを抱くあなたを見て、僕は抱きしめたくなった。
僕の摘んで来た花に喜ぶ姿を見て、毎日摘んであげたいと思った…
それは、母に対する感情では無く、純粋に、一人の女性を想う気持ちだった」
わたしの胸は期待に膨らんだ。
ランメルトはわたしの気持ちを知っている。
幽霊が彼なら、わたしの返事を読んだ筈だ。
そうだ、《愛している?》と聞いてきたのは、彼の方だ___!
わたしはそれに気付き、息を飲み、瞬きする。
「父が選んだのが、あなたの様な人で、喜びたいのに、喜べない…
それ処か僕は、父に嫉妬し、父からあなたを奪いたいとさえ思った…
今まで誰かに、これ程強い感情を持った事はなく、それが恐ろしく思えた。
あなたに会わない方が良いと思う一方で、いつも足は塔に向かってしまう…
あなたへの想いを断ち切ろうと、他の女性に目を向けてみましたが、
上手くはいかなかった…」
わたしはスザンヌの事を思い出した。
彼女とはどうなっているのか…わたしは不安になった。
「傍に居る女性よりも、父と二人で居るあなたの方が気になり、
部屋まで行き、そこから離れられなかった。
あなたと父は夫婦で…父があなたを抱かないなど、あの時は考えもしなかった。
部屋から追い出される様に出て来たあなたを見て、僕は酷い想像しか出来ず、
父に酷く憤った。あなたを酷く扱う父が許せなかった。
夫というだけで、平気であなたを傷付ける!そして、そんな夫に、
あなたは文句も言わずに従い、夫を庇う…」
「それは、誤解です!あの方は演技をしていらしたのです…」
わたしが慌てて否定すると、「ええ、今なら分かります」と、ランメルトは苦笑し、
黒い髪をくしゃりとした。
「この結婚には何か裏があると思いながらも、僕には全く見えていなかった…
冷静じゃなかったんです…そして、僕は臆病だった、自分が情けない…
幽霊を使い、あなたの気持ちを聞き出すなんて___」
わたしの頬は赤くなっているだろう。
両手で頬を押さえた。
「姑息な真似をした事を謝ります、僕はやはり、騎士にはなれない男ですね」
わたしは頭を何度も振り、否定した。
わたしにとって、ランメルトはいつでも騎士だったのだから。
「あなたの気持ちを知った時、漸く、僕に希望が見えました」
輝く瞳と微笑みに、わたしは息を飲む。
彼はわたしの左手を取ると、目を合わせた。
「コレット、君を愛している、心から」
ああ!わたしもです!
どれだけ愛してきたか、愛しているか…
わたしは愛を持ち、その深い青色の目をみつめた。
彼は小さく頷くと、それを告げた。
「僕と結婚して欲しい」
驚きに目を見張る。
胸は震え、それは喜びとなり、わたしの内に広がっていく。
わたしは溢れる笑みと共に、答えていた。
「はい…よろこんで!わたしも、あなたを愛しています!」
ランメルトは、わたしの指に金色の指輪を嵌め、
そして、甘い口付けをくれた。
窓の外では、アドルフが、リリーとボヌールにボールを投げてやっている。
テーブルの紅茶は、すっかり冷めているだろう。
わたしたちは笑い合い、そして、もう一度キスをした
《完》
母を厳しく問い詰めた。
身に覚えが無いと素っ気無くする母に、父は激しく憤った。
揉み合いとなり、母は足を滑らせ、階段から落ち、頭を打ち、
そのまま命を落とした。
我に返った父は「大変な事をしてしまった」と恐ろしくなり、友人に相談した。
友人は、母の遺体を袋に入れ、「川に捨てればいい」と運んで行った。
疑われ無い様、周囲には「家を出て行った」と話した。
それに尾鰭が付き、「一座の男と不貞していた、その男について行った」という噂が広まった。
その『友人』というのは、今回『ベラミー侯爵』と名乗り、男たちを雇い、
わたしを始末しようとした者だった。
悪い商売もその友人から誘われたという。
母は良く酒を飲み、昼間からフラフラしている時も多く、
足を滑らせてもおかしくは無かった。
計画的に殺した訳でもない、父が罪に問われる事は無かっただろう。
だが、動揺していた事、そして当時継いだばかりの『伯爵』に傷が付くのを恐れ、
隠蔽を謀ったのだった。
アドルフは、騙し盗られた金と短剣の返済は求めないとし、
父を訴えない代わりに、様々な条件を付けた。
それにより、父は爵位を従弟に譲り、隠居の身となった。
悪い商売から手を引かせ、デシャン家を再建する為だ。
暫くはデシャン家に監視を入れるらしい。
カサンドラは離縁させられ、娘二人を連れ、デシャンの館から出て行った。
親戚の館に身を寄せる事となった。
コレットと名乗り婚約をしていたクリスティナは、先方から婚約破棄をされた。
『名を偽る者など信用出来ない』と。
カサンドラは、新たな再婚相手や娘の相手を探そうと、社交に懸命だが、
何処へ行っても、『嘘を吐き、妻から夫を奪った悪女』と噂され、相手にされなかった。
◇◇
この日、アドルフがリリーを連れ、ランメルトと共に塔を訪れた。
わたしは塔を出て行かなければいけない立ち場だが、
アドルフはわたしの父親代わりをしてくれる気なのか、
「行き先が決まるまで塔に居ろ」と言ってくれている。
リリーが入って来ると、ボヌールは「キャンキャン」と鳴き、
尻尾を振り歓迎し、飛び付いて行った。
リリーは穏やかな犬で、ボヌールのしたい様にさせている。
ボヌールとリリーは仲が良く、塔を出る事になれば、寂しい思いをするかもしれない。
それならば、ボヌールをここに預けて行った方が良いかもしれないと考えていた。
この先、どんな暮らしになるか分からないのだから…
わたしが紅茶とクッキーを出すと、アドルフがその後の事を聞かせてくれた。
「お金と短剣の返済を求めないなど…よろしいのですか?」
それでは、アドルフが損をするだけで終わってしまう。
わたしは懸念したが、アドルフは笑っていた。
「ああ、あの男を隠居に追い遣ったしな、新たなデシャン伯爵も、
一生俺に頭が上がらんだろう、デシャン家を俺の好きにしてやって、
気が済んだ!」
「そんな事でよろしいのですか?」
「いや、つまりだ、俺はおまえに借りがある、それを返したかったのだ。
おまえのお陰で、俺も自分を取り戻す事が出来た…家族を取り戻す事もだ…
おまえには酷い事をしたな、これで、許せ」
わたしは頭を振った。
「十分ですわ、あなたはわたしの母の名誉を回復して下さいました…
これで母も救われます…何とお礼を言ったら良いか…」
「それは、俺ではなくこいつに言え、俺はパーティで噂を流す事位しか出来んが、
罪を暴いたのはランメルトだ、魔術師もたまには役に立つ」
アドルフがニヤリと笑う。
アドルフにも分かったのだ、幽霊の正体が___
「元々、俺が結婚したのは、クリスティナであり、コレットではない。
クリスティナとは一度も顔を合わせていないしな、結婚の無効も認められた。
晴れて、俺もおまえも自由の身だ!」
アドルフは明るく宣言すると、立ち上がった。
「チビ、リリーと遊びたいなら、付いて来い!遊び場を作ってやったぞ」
アドルフがリリーとボヌールを引き連れ、塔を出て行った。
ランメルトと二人になり、わたしは急に落ち着かなくなった。
「母の名誉を回復して下さり、ありがとうございました…」
「しかし、亡くなっていたと知り、ショックだったのではないですか?」
「最初はショックでしたが、落ち着くと、これで良かったと思えました。
母の無念を少しは晴らす事も出来たでしょうし…母を弔う事も出来ます」
真実を知らなければ、出来なかった。
いつまでも、何処かで生きていると、母を探し続けただろう。
「今まで、ずっと、母に捨てられたのだと思ってきました…」
わたしが生まれた事で、わたしの父と母は結婚した。
その事でいつも言い争い、憎悪はわたしに向けられた。
とうとう、わたしの顔を見るのが嫌になったのだと…
わたしは自分が生まれて来た事を、自分で責めていた。
「だけど、違いました、母はわたしたちを捨てたのでは無かった…」
ランメルトは優しい微笑を持ち、頷いてくれた。
これからは、もっと優しい心で、母を想う事が出来る。
わたしの胸は晴れていた。
救ってくれたのは、アドルフ、そして、ランメルトだ___
「幽霊は、あなただったんですね?」
わたしがそれを聞くと、ランメルトは頷いた。
「僕は、母を愛していましたが、同時に憎んでもいました。
母が見ているのは父だけで、いつの頃か、母は僕を【父の代わり】としか見なくなった。
母は僕を【アドルフ】と呼び、抱きしめ、キスをし…体を求める様になった」
わたしは息を飲む。
「父がそれを知り、母を塔に閉じ込めた。僕には近付かせなかった。
その後、幾らもしない内に…母は塔から身を投げ、死んだんです」
「僕は、母との事が、父に知られれば良いと思っていました。
その通りになり、母は塔に閉じ込められ、僕は安堵していた。
だけど、母が身を投げ死んだと聞いた時、僕の所為だと思った…」
「そんな!デルフィネ様は病でしたし、あなたは子供ですわ!」
子供だったランメルトの所為である筈が無い。
彼は助けを求めたに過ぎない。それ程辛かったのだ…
だが、ランメルトは受け付けず、頭を振った。
「自信が無いんです、あの時、僕はわざと父に気付かせたのかもしれない…
父が気付かなければ、母は閉じ込められる事は無かった。
身を投げる事も無かった、母を死に追い遣ったのは、僕だと…
その事に耐えられず、全てを父の所為にし、責めていたんです…」
アドルフは恐らく、その事に気付いていた。
憎まれ役を買う事で、アドルフもまた、罪を償おうとしていたのではないか…
「母の死後、僕は父が館に連れて来る女たちを許さなかった。
それは、僕に出来る、唯一の、母への償いだと思った。
この館でだけは、父を母だけのものにしようと、僕は幽霊を見せた。
女たちは母の霊だと思い込み、恐れ、悲鳴を上げ、
次第に噂となり、父に下心を持つ者は、誰も寄りつかなくなった」
「それが、まさか、父が再婚するとは、夢にも思いませんでしたよ」
ランメルトが笑う。
「事務官という仕事柄、再婚の申請がされた事に、直ぐに気付きました。
再婚など、絶対に許せなかった。
それで、あの夜、僕はあなたに幽霊を見せた」
あの夜…
わたしが館に来た日だ。
わたしは、結婚が嘘だったと知り、孤独と絶望に自暴自棄になっていた。
「あなたを怖がらせ、出て行かせるつもりだった。
いや、それだけでは生温い、父が二度と再婚など考えられない様にしてやる!
母がどんな想いで身を投げたか、思い知らせてやる!
それを知っても、おまえはここに居られるのか?と、僕は怒りに取り憑かれていた。
だが、あなたは恐れなかった、それ処か、母が見たであろう景色を見せると、
簡単に身を投げてしまった___」
やはり、あれは夢では無かったのね!
わたしは手で口を覆った。
「あなたが抱えているものは分からなかったが、
僕はあなたが、母と同じに見えた。
もし、あなたを救う事が出来れば、母を救う事になるのでは…と」
それで、ランメルトはわたしに優しくしてくれたのだ…
新しく出来た義母への親切とばかり思っていた。
「あなたを幸せにしてあげたいと、手を尽くしましたが、
あなたに喜んで貰えた贈り物は、ボヌールだけだった」
ランメルトが肩を竦め、小さく笑った。
わたしは頭を振る。
「いいえ、あなたが訪ねて来て下さる事が、わたしにとって一番の喜びでした。
わたしは、父に疎まれ、カサンドラや義姉妹からも嫌われ、
家では居場所がありませんでした。ここへ来て、自分が厄介払いされたのだと知り、
アドルフにも夫婦になる意志は無いと知って、全ての望みが断ち消えたのです…
わたしに優しくして下さったのは、あなただけでした…
それが、どれ程救いになったか…」
例え、それが同情だったとしても、母への償いのつもりだったとしても、
わたしには救いだった。
そして、わたしは、恋をしてしまった___
「最初、僕はあなたを母と思い、接していましたが、長くは続きませんでした。
あなたは、若く、美しく、可愛らしい…
母にしていた事を思い出し、同じ様に髪を梳きましたが、
鏡の中のあなたは、とても母には見えなかった。
ボヌールを抱くあなたを見て、僕は抱きしめたくなった。
僕の摘んで来た花に喜ぶ姿を見て、毎日摘んであげたいと思った…
それは、母に対する感情では無く、純粋に、一人の女性を想う気持ちだった」
わたしの胸は期待に膨らんだ。
ランメルトはわたしの気持ちを知っている。
幽霊が彼なら、わたしの返事を読んだ筈だ。
そうだ、《愛している?》と聞いてきたのは、彼の方だ___!
わたしはそれに気付き、息を飲み、瞬きする。
「父が選んだのが、あなたの様な人で、喜びたいのに、喜べない…
それ処か僕は、父に嫉妬し、父からあなたを奪いたいとさえ思った…
今まで誰かに、これ程強い感情を持った事はなく、それが恐ろしく思えた。
あなたに会わない方が良いと思う一方で、いつも足は塔に向かってしまう…
あなたへの想いを断ち切ろうと、他の女性に目を向けてみましたが、
上手くはいかなかった…」
わたしはスザンヌの事を思い出した。
彼女とはどうなっているのか…わたしは不安になった。
「傍に居る女性よりも、父と二人で居るあなたの方が気になり、
部屋まで行き、そこから離れられなかった。
あなたと父は夫婦で…父があなたを抱かないなど、あの時は考えもしなかった。
部屋から追い出される様に出て来たあなたを見て、僕は酷い想像しか出来ず、
父に酷く憤った。あなたを酷く扱う父が許せなかった。
夫というだけで、平気であなたを傷付ける!そして、そんな夫に、
あなたは文句も言わずに従い、夫を庇う…」
「それは、誤解です!あの方は演技をしていらしたのです…」
わたしが慌てて否定すると、「ええ、今なら分かります」と、ランメルトは苦笑し、
黒い髪をくしゃりとした。
「この結婚には何か裏があると思いながらも、僕には全く見えていなかった…
冷静じゃなかったんです…そして、僕は臆病だった、自分が情けない…
幽霊を使い、あなたの気持ちを聞き出すなんて___」
わたしの頬は赤くなっているだろう。
両手で頬を押さえた。
「姑息な真似をした事を謝ります、僕はやはり、騎士にはなれない男ですね」
わたしは頭を何度も振り、否定した。
わたしにとって、ランメルトはいつでも騎士だったのだから。
「あなたの気持ちを知った時、漸く、僕に希望が見えました」
輝く瞳と微笑みに、わたしは息を飲む。
彼はわたしの左手を取ると、目を合わせた。
「コレット、君を愛している、心から」
ああ!わたしもです!
どれだけ愛してきたか、愛しているか…
わたしは愛を持ち、その深い青色の目をみつめた。
彼は小さく頷くと、それを告げた。
「僕と結婚して欲しい」
驚きに目を見張る。
胸は震え、それは喜びとなり、わたしの内に広がっていく。
わたしは溢れる笑みと共に、答えていた。
「はい…よろこんで!わたしも、あなたを愛しています!」
ランメルトは、わたしの指に金色の指輪を嵌め、
そして、甘い口付けをくれた。
窓の外では、アドルフが、リリーとボヌールにボールを投げてやっている。
テーブルの紅茶は、すっかり冷めているだろう。
わたしたちは笑い合い、そして、もう一度キスをした
《完》
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戦勝国の国王は好色王としても有名で王女を差し出せと通達があったが王女は逃げた所を衛兵に斬り殺されてしまう。仕方なく高位貴族の令嬢があてがわれる事になったが次々に純潔を婚約者や、急遽婚約者を立ててしまう他の貴族たち。選ばれてしまったセレティアは貢物として隣国へ送られた。
奴隷のような扱いを受けるのだろうと思っていたが、豪華な部屋に通され、好色王と言われた王には一途に愛する王妃がいた。
セレティアは武功を挙げた将兵に下賜されるために呼ばれたのだった。
そしてその将兵は‥‥。
※作品の都合上、うわぁと思うような残酷なシーンがございます。
※作者都合のご都合主義です。
※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。
※架空のお話です。現実世界の話ではありません。
※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります)
※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。
※頑張って更新します。
国王陛下、私のことは忘れて幸せになって下さい。
ひかり芽衣
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