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しおりを挟む館に戻り、塔の部屋へ戻ったわたしとランメルトは、どちらからともなく、
お互い顔を見合わせ、『しっ』と、指を立てた。
気持ちが通じていて、吹き出しそうになる。
ランメルトもニヤリと笑い、わたしの背を押し、階段へと促した。
二人で足音を忍ばせ階段を上がっていく…
そして、そっと二階の扉を開いた。
駆け寄って来る気配は無い、どうやらボヌールはずっと眠っていた様だ。
わたしは「ほっ」と息を吐くと、ランメルトの手を引き、静かにそちらに向かった。
籠を覗き込むと、ボヌールは丸くなり、気持ち良さそうに眠っていた。
「良く眠っていますわ!」
「そろそろ起こしてあげますか?」
「はい、ボヌール、ただいま帰りましたよ」
わたしは指でボヌールをくすぐった。
すると、ボヌールはもぞもぞと動き、顔を上げた。
わたしたちを見ると、直ぐに飛び起き、籠を蹴って飛び付いて来た。
「ボヌール、いい子で留守番してたわね、あなたにお土産があるのよ!」
ランメルトが縄の人形を振って見せると、ボヌールは興味を持ったのか、
激しく尻尾を振った。そして、無邪気に人形に噛みつき、振り回し始めた。
「気に入ったみたいですね」
「はい!これで、ボヌールも楽しく過ごせますわ!ありがとうございます、ランメルト」
「いいんですよ、ボヌールも家族ですから」
ランメルトが笑みを見せる。
『家族』
今まで、その言葉に幸せを感じた事は無かった。
だが、ここへ来て、嘘の結婚だとしても…
こうして、義理の息子が居てくれて、ボヌールがいてくれる。
これが、今のわたしの『家族』___
そう思うと、喜びが胸に溢れた。
ああ、本当の家族になれたら、どんなに良いだろう___
ランメルトは暫くボヌールと遊んだ後、
「この辺で失礼します、
明日の午後、寄らせて頂きます、お義母さんの家庭教師をしましょう」
冗談混じりに言い、笑って部屋を出て行った。
明日も、ランメルトに会える!
それを考えると胸が沸き立った。
「本が読めないと打ち明けて良かったわ!」
ランメルトは魔法学校を出ていて、事務官をしていると言っていた。
本が読めないなど、呆れられてもおかしくは無い。
だが、彼は呆れも、軽蔑もしていなかった。
「ランメルトは、本当に優しい方ね…」
わたしが洩らすと、ボヌールが賛成したかの様に、わたしの膝に乗り、
顔を舐めてきた。その首には、ランメルトと選んだ青い首輪が嵌められている。
それを見ると、楽しい思い出が蘇るのだった。
◇
翌日、ランメルトが家庭教師に来てくれるというので、
わたしは少ない材料でも出来る、ビスケットを焼き、用意していた。
午後、約束通りに現れた彼は、わたしに挨拶の抱擁をすると、
「いい匂いがしますね」と言った。
「ビスケットを焼きました、紅茶を淹れますね」
わたしたちは食事用のテーブルを使い、ビスケットと紅茶を脇に、本読みをした。
二階の机よりも、食事用のテーブルの方が広く便利なのだ。
「学生の頃を思い出します、あの頃は寮に入っていたので、
よく、こうして、お茶や菓子を置き、勉強したものです___」
ランメルトは思い出したのか、楽しそうに話してくれた。
次の週末も、ランメルトは来てくれた。
わたしがペンを持っていない事に気付いたのか、それを贈ってくれた。
羽根付きのペンとインク壺、メモ書きの出来る紙束。
「ありがとうございます…」
恥ずかしい気持ちになったが、ランメルトは気にしていない様だった。
「あると便利ですからね、使って下さい」
わたしたちは本読みをし、それから、気分転換にと、ボヌールを連れて、泉へ行った。
今日はリード付きだ。
わたしはボヌールに引っ張られながら走った。
「散歩が楽になるなど、嘘ですわ!」
「どちらが犬か分かりませんね!」
走り回されたわたしを、ランメルトは笑っていた。
泉ではリードを外し、ランメルトとボヌール、そしてわたしとで、ボールで遊んだ。
ボヌールは見事な身体能力を見せ、ボールをその口でキャッチしていた。
ランメルトも体が軽いし、良く動く。事務官が運動出来るなど、思ってもみなかった。
日頃、運動などしないわたしだけ、役立たずだった。
「お願いです!強く投げないで下さい!取れませんわ!」
わたしはランメルトに頼み込み、緩い球を投げて貰った。
ランメルトは投げるのも上手なので、それはちゃんとわたしの手元に落ちて来て、
わたしは取る事が出来た。
だが、投げ返すとなると、やはり難しい。
「い、いきますね…えい!!」
真っ直ぐ投げようと思うのだが、何故か脇に逸れてしまう。
わたしが見当違いの方へ飛ばしたボールは、ボヌールが駆けて行き、取って来てくれた。
ランメルトは「お義母さん、目は開けておいて下さい!」と、笑っていた。
「楽しかったです、こんなに笑ったのは久しぶりだ」
ランメルトは爽やかに言い、白い歯を見せた。
わたしはそれに見惚れながら、頷いた。
「わたしもです、沢山笑って、沢山運動しましたわ、十年分は動いた気分です!」
「それなら、お義母さんはもっと運動すべきですね」
だが、塔の中では無理な話だ___
そんなわたしの心中を覗いたかの様に、ランメルトは言った。
「僕がお誘いしますよ」
「ありがとうございます…」
「次はもっと速い球を投げます」
「それは無理です!!」
「ははは」と声を上げ笑ったランメルトは、わたしの髪に手で触れた。
「髪が乱れてしまいましたね…いっそ、下ろしてしまいましょう」
ピンを抜き、手で解してくれた。
ランメルトは仕上がりに納得したのか、頷いた。
「お義母さんは…こうしていると、少女に見えますね…」
深い青色の目でじっとみつめられ、わたしは顔が熱くなった。
「子供っぽいでしょうか…」
「いえ、なんというか…可憐で、父の周囲には居ないタイプです」
「そ、そうですか…」
アラード卿はわたしよりも、三十歳は上だ。
アラード卿の周囲にいるのは、きっと成熟し、洗練された女性たちだろう。
ふと、それでは、ランメルトの周囲にはどの様な女性たちがいるのか…
そんな考えが浮かんだ。
同年代の若く綺麗な女性達が浮かぶ。
それこそ、クリスティナの様な令嬢たちだろうか…
何か胸にもやもやとしたものを感じ、そっと擦った。
ランメルトはそれを誤解したのだろう…
「父は、あなたにしかない、純粋さに惹かれたのでしょう…」
そんな風に言い、彼は目を逸らした。
わたしは何も答える事が出来なかった。
アラード卿は、微塵もわたしに惹かれてはいないのだから。
そして、彼もまた、同じだ…
◇
翌週、町の仕立て屋が、ドレスを持ち、塔を訪ねて来た。
ランメルトが選び、買ってくれたドレスが出来上がったのだ。
「試着してみて下さい、直しがあれ直しますので」
わたしは仕立て屋に促され、ドレスに着替えた。
それは、深い緑色の艶のある生地のドレスで、襟元は大きく開き、袖は無い。
リボンなどは無く、フリルも少ない、その代わりに、金色の刺繍が映える…
大人で上品なデザインの夜会服だった。
わたしは鏡に映った自分の姿に、思わず息を飲み、目を見張った。
「なんて、素敵なドレスかしら…」
「とてもお似合いですわ!奥様は舞踏会の華になりますわ!」と、
仕立て屋は絶賛していた。
尤も、舞踏会などに行く予定は無い。
ランメルトに言われるままにドレスを作って貰ったが、一体、いつ着るというのだろう?
ふと、それに思い当たり、わたしは茫然となった。
この様に素敵なドレスを作って貰ったというのに…
ランメルトに悪い気がしたが、今更どうしようも無い。
直す部分は無く、わたしは内心の複雑な思いは押しやり、それを受け取った。
そして、蓋をする様に、クローゼットに仕舞った。
「さぁ、ボヌール、下へ行って遊びましょう」
ボヌールに声を掛けると、待ちくたびれていたのか、飛び起き豊かな尻尾を振った。
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