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ラザール=ル・ブラン男爵子息が、グリエ伯爵家を訪ねて来た時、
丁度、両親も兄夫婦も旅行に出掛けた所で、不在だった。
わたしは皆に代わり、ラザールをパーラーに迎え、持て成した。

「ラザール、せっかく来て下さったのに、兄とダイアナは旅行に出た所なの。
戻って来るのは三週間後になります」

「それは残念だな、だけど構わないよ、僕は君に知らせたい事があって来たんだからね」

彼の姉であり、わたしの兄嫁のダイアナを訪ねて来たのだと思っていたが、
違っていた様だ。

「わたしに知らせたい事、というのは…?」

いつも陽気なラザールが、その表情に陰を落としている事から、
わたしの胸に不安の靄が立ち込めてきた。
ラザールは指を組み合わせ、重々しい息を吐いた。

「君に話して、信じて貰えるかどうか…
それに、知ったら、君は酷くショックを受けるだろうな…
話すべきか、正直迷っているんだ…だけど、このままにもしておけないし…」

ラザールは独り言を漏らしている。
耳に入ってしまえば、聞かずにいる事など出来ない。
きっと、気になって眠れないだろう___
わたしは意を決し、ラザールに話す様、促した。

「ラザール、何があったか、お話して頂けますか?」

「君がそこまで言うなら話すけど…落ち着いて聞いてくれよ」

ラザールは渋々、それを話し出した。
それは、わたしの予想を遥かに超えたもので、
わたしは聞いてしまった事を後悔せずにいられなかった。
だが、今聞かずに、後から知らされたなら、それこそ酷いショックを受けていただろう。

わたしの婚約者であるガエルが、他の女性と恋に落ち、
わたしとの婚約破棄をしようとしているなんて___!


「彼女の名は、アデール=バーナード男爵令嬢。
金髪碧眼で、美しい女性だよ、年は二十歳。
アデールの父親が、デュトワ伯爵の叔父に当たる人でね、
家族同士、昔から仲が良かったらしいよ___」

ガエルと婚約し、一年が経つが、叔父や親戚の話は聞いた事が無かった。
それ以前に、あれ以来、ガエルが自分の事を話す事は無かった。

叔父が居たのね…
それに、美しい従妹も…

ガエルが話してくれなかったのは、
アデールに対し、何らかの感情を持っていたからだろうか?

「アデールは一年半前に結婚したんだけど、
三月前、夫が事故で亡くなって、家に戻って来たんだ。
デュトワ伯爵が訪ねて来て、二人は親しくなったらしい___」

ガエルも両親と兄を馬車事故で亡くしている。
二人が心を通わせても不思議では無い気がした。
それに、アデールが結婚した一年半前…それは、わたしとガエルが出会った頃だ。
アデールが結婚した事で、ガエルは自棄になっていたのではないか…?

「デュトワ伯爵は、すっかりアデールに心を奪われているらしいよ。
毎週、花や宝石の贈り物をして…この間は、二人でパーティにも来ていたよ。
婚約者の君を差し置いてね!」

ガエルは倹約家で、美術品や宝石にも興味が無く、買う事は無い。
記念日や特別な日には、花を贈ってくれている。

ガエルが、女性に贈り物をするなんて…

わたしの胸に、嫉妬の火が灯り、嫌な感情が渦巻いた。
その間にも、ラザールの話は進んでいた。

「…二人がベランダに出て行くから、変に思って、こっそり後を付けたんだ。
驚いたよ、二人が抱き合って、キスを始めたからね!」

「っ!!」

わたしは思わず息を飲み、耳を塞いでいた。

「ああ、ごめんよ、シュゼット…
でも、本当なんだ、それから、二人は話していたよ、どれだけお互いを愛しているか。
デュトワ伯爵は、婚約したのは間違いで、君を邪魔だと言っていた」

わたしは震え出し、自分の体を抱いた。

「婚約を解消したいけど、自分たちに悪評が付くのは避けたいから、
君とグリエ伯爵家を陥れると言っていたよ。
ガエルの話していた計画はね___」

「もう、止めて!」

わたしは聞いていられず、ラザールの話を遮っていた。

「わたし、ガエルに会います。
彼と話し、彼が婚約破棄を望むなら…
わたしの方から、婚約破棄を申し出ます」

それなら、ガエルとアデールに悪評は付かないだろう。
彼も恐ろしい事をしなくて良いのだ。

だが、ラザールは反対した。

「デュトワ伯爵に会うなんて、危険だよ!
君は本当の彼を知らないんだ!
彼は爵位欲しさに家族を殺し、伯爵になった男なんだよ!」

「そんな!」

あまりの事に、わたしは悲鳴の様な声を上げていた。

「違うわ!ガエルはそんな事をする人じゃありません!」

「皆、そう言ってる、噂になるって事は、そういう事だよ。
彼を信じ過ぎない方がいい、疑って掛かる位で丁度いいんだ!
そうじゃなきゃ、君なんて簡単に騙されて、殺されちゃうよ、シュゼット」

わたしは頻りに頭を振った。

「ねぇ、シュゼット、僕に君を守らせて欲しいんだ、君は僕の大切な人だから…」

ラザールは義兄の妹であるわたしを、家族として『大切』と言ってくれているのだと思った。

「ありがとうございます、ラザール、だけど…」

「お願いだよ、シュゼット!僕を信じて欲しい!
君はとても危険な状況にいて、君には助けが必要なんだ、僕が必ず君を守るから!」

ラザールはいつの間にか、わたしの足元に跪き、わたしの手を強く握っていた。
その目は熱く見つめてくる…
何か奇妙な感じがし、わたしは困惑しつつ、「ありがとう」と手を引き抜いた。
ラザールも我に返ったのか、「ああ、ごめん」と立ち上がったが、
席には戻らず、わたしの隣のソファ椅子に座った。

「シュゼット、君は暫く身を隠した方がいい。
その間に、僕が説得してみるから___」

ラザールの言い分では、こういう話は、当人同士がするよりも、
仲介人がした方が冷静に話せるというものだった。
わたしは直接話したかったが、自分が上手く話せる自信も無く、
結局は、手紙を書き、ラザールから渡して貰う事にした。

「デュトワ伯爵が押しかけて来るかもしれないから、僕の別邸に身を隠すといいよ。
二日もあれば出発出来るよね?ああ、こういう事は、早い方がいいよ、
相手は直ぐにでも行動しそうだったからね___」

わたしは気付くと、ラザールの計画に乗せられ、
二日後にグリエ伯爵家を立ち、
ル・ブラン男爵所有の別邸に行く事を、約束させられていた。

「安心して、シュゼット。
グリエ伯爵夫妻、義兄と姉が帰って来る頃には、全て丸く収まっているさ!」

ラザールは調子良く言い、笑顔で館を出て行った。
だが、わたしは既に、後悔し始めていた。

一度もガエルと会わず、婚約破棄を決めてしまって良かったのだろうか?
今、会わなければ、もう二度と、ガエルに会う事は叶わないだろう___

胸にぽっかりと穴が開いた気がした。
大切な物を失ったみたいに…


『お互いを知る必要がある』

ガエルは言っていたが、彼自身は掴み処の無い人だった。
第一印象から変わらず、立派な人だが、無口で無愛想で、
婚約者に対しても無関心に見えた。

だが、わたしは皆が知らないだろう彼を、一つだけ、知り得たと思っていた。

婚約式の際、初めてデュトワ伯爵の館を訪れた時だ。
ガエルは白く毛の長い大きな犬を従えていた。

「シュクルだ」

ガエルは短く紹介し、愛おし気に犬の頭を撫でた。
注がれた目は優しく、表情もいつもより解けて見えた。

「私にとって、一番はシュクルだ、君は二番目だ」

婚約したものの、《二番目》などとは思ってもみず、驚いた。

「ありがとうございます、二番目と言って頂けるなんて…」

ガエルは奇妙な顔をし、それから頭を傾げた。

「二番というのは、うれしいものか?」

「わたしは、名を挙げて頂けるだけで、うれしいです」

「それなら、私は何番だ?」

「これから、きっと、一番になります、シュクルと一緒に___」

わたしは照れ隠しに、シュクルに話し掛けた。


ガエルに恋をしていたかどうかは、分からない。

だけど、わたしは彼が好きだった。

シュクルに見せる優しい表情からは、彼が愛情深い人だと分かった。
わたしが体調を崩した時には、見舞いの花を贈ってくれた。

普段、冷たく見せているのは、自身を守る為、《鎧》だ。
家族から愛情を受けられず、人間の醜い面を見過ぎてしまったから…

わたしの前でも、いつか、その鎧を脱いで貰えたらいい。
そうなる様に、わたしは彼に尽くすつもりでいた。

だが、ガエルの方が、離れてしまったのだ。

「愛する人が、いたのね…」

アデールこそ、ガエルの《一番》なのだろう___


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