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わたしは、シュゼット=グリエ。
由緒ある、グリエ伯爵家に生まれた。

幼い頃は体が弱く、よく熱を出し、寝込む事も珍しくはなかった。
主治医からも、「十歳まで生きられたら良い方でしょう」と言われていた為、
両親は何とかしてわたしを生かそうと尽力した。

滋養に良いと聞いたものは、何でも取り寄せた。
それは、果実や豆類等、見た目に分かる物なら良い方で、
多くの物は、《何か》は聞かされず、擦り潰されたのか…
奇妙な風味と色味のスープとなり、出されるのだった。
生理的に受け付けず、幼い頃は泣いて嫌がっていたが、
成長する内に状況も分かってくるもので、両親に対し申し訳ない気持ちもあり、
出された物は黙って食べる様になっていた。

薬も、その時々で変わり、苦く飲み難い薬だったものが、
ある時から、怪しい匂いを放つ様になり、毒々しい色のもの、粘り気を帯びたもの…
恐ろしく、口に入れる事さえ難しい時もあった。

五歳年上の兄は、《滋養に良い物》の正体を知っていたらしく、
わたしを気の毒に思っていた様だ。
それでか、兄は両親が幾らわたしに構おうとも、妬いたりはしなかった。

両親のお陰もあり、わたしは無事に十歳を超える事が出来た。
それから、徐々に体は丈夫になっていった。
十六歳になる頃には、熱が出る事も少なくなり、ベッドで過ごす事も無くなっていた。
庭園を散歩する事が日課となり、お気に入りの場所にベンチを置いた。
ピアノも、これまでは疲れるので長時間弾く事は出来なかったが、
一時間は弾けるまでになった。
美術館や資料館、図書館等へ連れて行って貰えるようにもなった。
わたしはすっかり、他の子たちと同じになれたつもりでいたが、
両親にとってはまだまだ心配の様で、わたしが何をしていても、良い顔はしなかった。

そんな両親が変わったのは、わたしが十八歳を迎えた時だ。

「シュゼット、おまえにパーティの誘いが来ている。
おまえも十八歳だ、行ってみなさい___」

貴族のパーティは、名家の者たちが交流する場だが、
未婚の男女にとっては、結婚相手を探す場でもある。
これまで、両親がわたしに結婚の話をした事は無かったので、驚いた。
「もう大人だ」と言われている様で、うれしい気持ちと突然手を離される寂しさとで、
綯い交ぜになったが、両親をガッカリさせてはいけないと、わたしはなるべく自然に
「はい」と頷いた。
思った通り、父は安堵の表情を見せ、母は嬉々として自分の計画を話した。

わたしはこれまで、親族が集まるささやかなパーティにしか、出た事が無い。
それも、年に一度、出席出来れば良い方だ。
わたしが恥を掻かない様、母は教育係を付けてくれた。
それから、母の好みをふんだんに盛り込んだ、華やかなドレスが作られた。


二月後、わたしは真新しいドレスに身を包み、エスコート役の兄に連れられ、
初めてのパーティに赴いた。

侯爵家のパーティともあり、会場となった館の大ホールは、豪華絢爛で、
人が大勢集まり、賑やかで華やいでいた。
まるで別世界だわ___
不安と緊張で喉元が締め付けられ、お呼び腰になったが、
兄のジェイドは平然と足を進め、わたしを中に連れて行った。

侯爵に挨拶に行き、兄がわたしを紹介していた時も、わたしは圧倒され、
ぼんやりしていた。
足元がフワフワしている。
そんな様子に、兄も気付いた様だ。

「シュゼット、大丈夫か?挨拶もしたし、向こうで少し休もう…」

兄はわたしを壁際の椅子へ促すと、「水を取って来るよ」と行ってしまった。
わたしは椅子に座り、漸く一息吐く。

慣れていないだけ、慣れれば大丈夫…

自分に言い聞かせていた時だ、一人のふくよかな初老の婦人が
おぼつかない足取りで歩いて来たかと思うと、隣の椅子に倒れ込む様に、ドスンと座った。
息が荒く、酷く疲れた様子だ。

「どこかお悪いのではありませんか?人をお呼びしましょうか?」
「少し、動いたら、動悸が酷くてね…休めば大丈夫よ」

赤い顔で汗を流している様子から、とても平気とは思えなかった。
人を呼ぼうと周囲を見ていると、兄がグラスを手に戻って来た。

「ああ、お兄様!良かった…」

わたしは立ち上がり、グラスを受け取ると、婦人の口に近付けた。

「お水です、飲めば気分が良くなるかもしれません」
「ありがとう…」

婦人は少し口を付けた。
わたしはハンカチを取り出し、婦人の額に当てた。
それから、目で兄に合図する。
兄は直ぐに人を呼び、婦人を別室に運ぶのにも手を貸していた。
直ぐに医師も駆けつけ、お付きの人も来た為、わたしと兄は会場に戻った。

わたしは婦人の事が気になり、パーティに集中出来ずにいたが、
代わりに、緊張や不安からは解き放たれた。
最初は兄が踊ってくれ、その後は何人か知らない男性と踊ったが、記憶はぼんやりとしている。
兄嫁ダイアナの弟、ラザールに誘われ、踊った事は覚えている。

「シュゼット、僕を覚えているかい?」

明るい茶色の目が、からかう様にわたしを見る。
ラザールとは、前年の結婚式の際に会っていて、その時も良く話し掛けてくれた。
わたしとは年も近く、明るく社交的で感じも良かった。

「はい、ラザールでしょう、この様な所でお会いするなんて、驚きました」

「僕もだよ!覚えてくれていて、うれしいな!
義兄と来たの?今度からは僕がエスコートしてあげるよ」

ラザールが調子良く言うのを、わたしは社交辞令だろうと流していた。
誰が好き好んで、お荷物を引き受けたがるだろう?
ジェイドも兄だから、エスコート役をしてくれたのだ___


◇◇


初めてのパーティから一月後、あの初老の婦人が、グリエ伯爵家を訪ねて来た。

彼女は、ライサ=フォンテーヌ卿夫人。
立派な馬車に乗って来た事、お付きの人や、その上等な装いからも、
名のある人だという事が分かった。

ライサはパーティの時とは違い、肌は血色が良く、張りと艶があり、
その灰色の目には光があった。

「あなた方のお陰で、命拾いをしましたよ、シュゼット、ジェイド、感謝します」

ライサはふくよかな顔に、優しい笑みを浮かべた。
人を安心させる笑みだ。
わたしもすっかり心を許し、お喋りとお茶を楽しんだ。

「あなたはとても良い娘ね、シュゼット。
あなたに紹介したい人がいるのだけど、会って貰えるかしら?」

天気の話をするかの様に、自然だった為、
わたしは何も考えずに、「はい、喜んで」と答えていた。
ライサはにこやかな笑みを残し、帰って行った。


それから二週間後、ライサからわたし宛に、招待状が送られてきた。
それは、ライサの別邸に、一週間招くというものだった。

ライサを助けたのは兄も同じなのに、わたしだけが招かれて良いものかと気が引けたが、
両親は乗り気だった。
どうやら、両親宛には別の手紙が届いていた様だ。

「ジェイドは忙しいから、遊んではいられないさ、気にせずに行って来なさい」
「良かったわね!きっと、良い出会いがあるわよ、シュゼット!」

両親の後押しもあり、程なく、わたしは気心の知れた侍女マノンを連れ、
ライサの別邸へと旅立った。
マノンはわたしと年も近く、「旅行が出来る!」と無邪気に喜んでいた。


馬車で三日旅をし、湖畔に建つ別邸に辿り着いた。
湖は美しく、光を受けて水面がキラキラと輝いていた。
遠くにはうっすらと青み掛かった山脈が続き、緑の濃い森林も見える。
長閑な景観に、わたしは深く息を吸った。
ひんやりとした空気が肺に入り、浄化していく。

「素敵な所ね、まるで絵画みたい…」
「ええ!町とは全然、違いますね!」

別邸は然程大きくはない、暗色の石造りで、窓辺に置かれた彩豊な花たちが映える。
前庭も花が多く、咲き乱れていた。

「夢の家だわ…」

うっとりとしていると、執事が迎えに現れた。

「どうぞ、こちらです」

通されたパーラーには、ライサの姿があった。
ソファの椅子に、体を埋める様に座っていた彼女は、
わたしに気付くと立ち上がり、にこやかに迎えてくれた。

「良く来てくれましたね、シュゼット」
「お招き下さり、ありがとうございます、ライサ夫人」
「自分の家と思って、寛いでね、後で案内しますけど、まずは、お茶にしましょう___」


わたしは広い敷地を散策し、花の世話や果実の収穫を手伝い過ごした。
別邸にはピアノもあり、弾かせて貰った。
ライサは手放しで褒めてくれた。
それから、一緒に編み物をした。

「シュゼットは編み物も上手なのね、感心だわ」

「わたしは幼い頃、体が弱く、ベッドで過ごす事が多かったので、
本を読んだり、編み物をする事しか出来なくて…」

「本を読む事も、編み物も大事な事よ、本当に手慣れているわ」

ライサは穏やかで、わたしを肯定してくれる。
何処か祖母を思い出させ、わたしは居心地の良さを感じていた。

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