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7 ジェレミア

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◇◇ ジェレミア ◇◇

縁談の話を聞いてより一週間が経つ。
ジェレミアは、ハートフォード侯爵の別邸に来ていた。
勿論、喜んで来た訳ではなく、両親に強制的に連れてこられたのだ。

縁談なんて、上手くいく筈が無いよ…
新学期、学院で何を言われるか…
ああ、最悪だよ…

ジェレミアは、第二のベリンダが誕生するのではないかと、恐々としていた。
そんなジェレミアの心中など介さない両親は、嬉々として客を迎える準備をしていた。

そして、とうとう、その時はやって来た。

「ジェレミア様、旦那様がお呼びです___」

ジェレミアは覚悟を決め、パーラーへ向かった。
微かに聞こえてくるピアノの音に気付き、足を止め、耳を澄ませた。

誰がピアノを?

ピアノが弾けるのは、母とジェレミアだけだ。

縁談の相手だろうか?

ピアノを弾くのか…と、ジェレミアの心は少し上向いた。
だが、その扉を開け、耳に届いたのは、けたたましいピアノの音だった。
押し寄せる様な、迫力のある音に、ジェレミアは圧倒された。

これは、演奏会で弾く様な曲だ___

しかも、それを見事な技巧で弾きこなしているのは、ブルネットの長い髪の年若い娘である。
ジェレミアが茫然としていると、父が手招きした。
ジェレミアは表情を引き締め、ソファへ向かった。
ソファに着く際、前に座る見知らぬ夫人が、ジェレミアを見て、笑みを見せた。
感じの良い人だ。
それに、自分を見ても、顔を顰めたりはしなかった。

曲はクライマックスを迎え、そして、静寂が訪れた。
小鳥の囀り、明るい太陽が昇る…
綺麗な音に誘われるように、意識が引き摺られた。

大きく拍手の音が聴こえてきて、ジェレミアは意識を戻した。
いつの間にか、曲は終わっていた。

「素晴らしい!」
「ええ、感動しましたわ、とてもお上手なのね!」

両親が拍手と称賛を送っている。
彼女は椅子を立ち、得意気な顔で、「ありがとうございます」とカーテシーを返した。
ふと、その目がジェレミアを見つけた。
それは驚いた様に見開かれる。

だが、ジェレミアの方も、それに気付いた。

彼女は、確か…

オードリー・ブルック伯爵令嬢___

『お相手の令嬢は、つい数週間前まで、他の者と婚約していたのだ。
だが、婚約者の裏切りより、手痛く婚約破棄をされてしまった。
可哀想に、さぞ傷心しているだろう…』

父が言っていた事が思い出された。
彼女ならば、納得だと、ジェレミアは思った。

ジェレミアは正に、彼女が手痛く婚約破棄される現場を、見ていたのだから。

先のピアノにも納得がいった。
彼女の中に渦巻く激しい感情をぶつけていたのだ。

あの時、彼女は裏切った婚約者を罵倒する事もなく、
泣き崩れるでもなく、ただ、じっと、立ち尽くしていた。

そういう者は、心の内を、誰にも何も話さないだろう___

ジェレミアは、ふと、オードリーがこちらを見ているのに気付き、視線を反らした。
ジェレミアにとって、女性は脅威だった。
それに、きっと彼女は手痛く自分を振るだろう___
ジェレミアは気を引き締めた。

「オードリー、紹介しよう、私の息子、次男のジェレミアだ。
ジェレミアも音楽が好きでね、オードリーのピアノはどうだったかね?」

両親は自分を持ち上げたいのだろうが、ジェレミアには茶番に思えた。
両親は甘く考え過ぎなのだ。
この縁談は上手くいかない。幾ら相手に困っていると言っても、
彼女の様な立派な女性は、自分を選んだりはしない___
ジェレミアは苛々とし、感じ悪く答えた。

「はい、ご令嬢という事であれば、十分な腕前かと。
あなたは、こういった曲がお好きなのですか?」

「はい、壮大でドラマチックで、それに元気が出ますわ」

「僕はもっと穏やかな曲が好きです」

好みの違いは、結婚を考える上では、大きな障害だ。
彼女とは好みも合わないだろう___
ただ、それだけの事だったが、そのオリーブグリーンの瞳がキラリと光った。

「わたくしには、穏やかな曲は、いささか薄っぺらく思えますが、
ジェレミア様は、きっと、夢やロマンがお好きなのですね」

それは、ジェレミアの本質を突いていて、ジェレミアは胸を抉られた気がした。
穏やかな曲が好きだ。
現実が辛いから、せめて、優しい曲に包まれたい。
それが悪いというのか___
婚約破棄をされたとはいえ、所詮、彼女は《恵まれた者》だ。
自分の気持ちなど、理解出来ない___

「オードリー、ジェレミアは三年生の最終成績で、法学部首席だったそうよ」

「本当に?法学部の首席なの?」

自分に誇れるものは、成績位だと思うと、自分がつまらない人間に思えてきて、
つい、素っ気なくなった。

「毎回誰かが一番になる、それが僕だっただけだよ」

「あなた、天才なの?」

「いや…」

「だったら、もっと、努力した自分を誇ればいいのに」

オードリーは当然の権利だという風に言った。
それは、ジェレミアに強い衝撃を与えた。

他の学院生たちは、婚約者や恋人との付き合い、人付き合い、
運動や趣味にも時間を使うので、勉強に割く時間はその分減る事になる。
だが、ジェレミアには勉強しかない。
『勉強ばかりしているんだから、首位を取って当たり前』と、周囲は言う。
ジェレミアにとっても、他に何もしていない事が、引け目だった。
喜んだり、誇ったりなど、する権利も無い気がしていた。

根底を覆してくるオードリーに、ジェレミアは驚いていた。
自分よりも、二歳も年下の令嬢だというのに…


「ジェレミア、オードリーに庭園を案内してあげてはどうかね?」

父に勧められ、ジェレミアとオードリーは連れ立って、庭に出た。
庭園の案内など、口実で、仲良くなれというのだろうが、
ジェレミアはこれ以上の茶番は御免だと、意を決し、足を止めた。

「単刀直入に言いますが、この件は、あなたの方から断って下さい」

言葉を選ぶジェレミアに、オードリーは察しが悪いのか、
「この件?」とオリーブグリーンの目を丸くした。
ジェレミアは少し苛立った。

「顔合わせですよ、このままでは、僕たちは婚約させられる」

「婚約!?」

素っ頓狂な声に、ジェレミアは眉を寄せた。
まさか…と、疑念が浮かぶ。

「知らなかったんですか?
僕の両親はその気ですし、どうやら、あなたを気に入ったらしい…」

思ってもみない事態に、ジェレミアも焦ったが、

「そんな!困るわ!」

彼女が声を上げ、ジェレミアの焦りは消えた。
代わりに、重い物がドスンと胸に落ちた。

馬鹿だ…
分かっていた事なのに…
僕は、何を期待したんだろう?

ジェレミアは自嘲した。

「分かっています、僕と結婚したがる女性はいない。
いや、極少数、居るには居るけど、財産目当てだからね…」

「そうとも限らないんじゃない?あなたが思うより、世の中は広いわよ」

正しく、他人事だ。
他人事なら、何とでも言える___

「ありきたりな慰めをありがとう」

「憂いている暇があれば、痩せる努力をすればいいじゃない」

それは、更にジェレミアの胸を突いた。

「首席を取れるんだもの、勉強に当てる時間の三分の一、運動に当てれば、
きっと直ぐに痩せるわ!ああ、勿論、食事の量は減らすのよ?」

「僕の事に、口を出さないでくれないか」

何も知らない癖に!
苛立ちのあまり、ジェレミアは冷たく言っていた。
だが、彼女の表情が曇った事に気付き、我に返り後悔した。

「そうね、わたしには関係無かったわ。
あなたが好きで太っているなら、それは自由だもの。
でも、辛そうだったから、口を出してしまったわ、ごめんなさい」

辛そう…

その通りだ。

祖父や祖母の為と言いながら、ずっと、辛かった。
祖父や祖母が好きなのに、時々、憎んでしまう。
そんな自分は嫌で仕方がない___


◇◇


縁談は恐るべき早さで纏まり、婚約が決まった。
オードリーは意見していたが、ジェレミアなど、口を挟む間も無かった。
両親は館に帰ると直ぐに、ベッドで過ごす祖母に伝え、喜ばせた。

「ああ、ジェレミア、婚約おめでとう、良かったね…」

祖母が皺だらけの顔をくしゃくしゃにして、笑う。
その痩せた手に左手を握られ、ジェレミアは右手を重ねた。

「ありがとう、お祖母ちゃん」

「カリーナから聞いたよ、良さそうな娘さんだってね、
今度、連れておいで、私も会いたいよ、おまえの奥さんになる人だ…」

「でも、学院生だから、夏にならないとね…」

オードリーが来てくれるとは思えず、ジェレミアは言葉を濁した。

「そうかい、それじゃ、これを持っておいき、引き出しの…そう、箱があるだろう?」

祖母はジェレミアに引き出しを開けさせ、小さな宝石箱を取らせた。
開けてみると、そこには、古い銀細工の指輪があった。

「私が、エドワードから貰った、婚約指輪だよ…
おまえの奥さんになる人に、あげるつもりだったんだ…」

「ありがとう、きっと喜ぶよ…」

ジェレミアは指輪を握り締め、祖母の頬にキスをした。

祖母の気持ちはうれしく、ジェレミアの胸を熱くした。
だが、一方で、ジェレミアは、本当に彼女と自分が結婚するとは、思えなかった。

婚約が破綻した時、祖母はどれ程落胆するだろう…

それを考えると、到底、オードリーを祖母に会わせる気にはなれない。
勿論、祖母の指輪を渡すなど、論外だ___

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