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『ロザリーン』

わたしを呼ぶ、優しい声。

『ロザリーン、私の大切な娘』

わたしを見つめる、優しい瞳。

『あなたは、私の宝物よ』

わたしを抱きしめる、その温かい胸に。

『この世で一番、愛しているわ___』

ここは、世界で一番、わたしの安心出来る場所___


わたしは、ロザリーン・スコット男爵令嬢。

母カリーナが生きていた頃は、幸せだった。
館には明るい笑い声が聞こえ、いつも喜びと幸せが側にあった。
わたしは《不幸》という言葉の意味すら、知らなかっただろう。

それが壊されたのは、わたしが十三歳の年だった。
母が流行り病に掛かり、回復する事無く、一月の間に逝ってしまい、
残された父とわたしは、悲しみの底に突き落とされた。

父は部屋に籠るか、出掛けているかで、姿を見る事も無くなった。
わたしも、ただただ、母を想って、泣いて暮らした。

一年が経った頃、父が館に美しく着飾った女性とその娘二人を連れて帰って来た。

「ドロレスだ、彼女と再婚した___」

父の言葉に愕然となった。

嘘よ…

嘘だと思いたかった。
だが、どんなに否定して欲しくても、父は化粧の濃い彼女の腰を抱き、
うっとりと彼女を見つめている。

酷いわ!
こんなの、お母様を裏切る行為よ!

わたしは批難したかったが、上手く言葉は出て来なかった。
それに、ドロレスの方が上手だった。
ドロレスは黒い睫毛の向こうの琥珀色の瞳を光らせ、
そのベッタリと赤い唇でわたしにニヤリと笑って見せると、急に父の首に抱き着き、訴えた。

「あなたの娘が睨んでいるわ!私が気に入らないみたい!私は母親になりたくて来たのに…」

すると、父は険しい顔で、わたしを睨み付けた。

「どういうつもりだ、ロザリーン!
妻に対し、そんな態度を取る事は許さんぞ!
ドロレスが気に入らないなら、部屋に行っていろ!
反省するまで部屋から出て来るんじゃないぞ!」

これまで、父がわたしに怒鳴った事は無かった。
わたしはショックで、部屋に逃げ帰り、一晩中泣いた。

「こんなの、酷いわ!許せない!」

勝手に再婚した父を恨んだ。
きっと、母も恨むに決まっている!
これは母に対しての裏切りなのだから___!

わたしは母の代わりに、怒っていた。
そして、絶対に、ドロレスたちを受け入れないと決めた。

だが、状況は悪くなる一方だった。

翌日、ドロレスの娘、イザベルとマチルダは、我が物顔でわたしの部屋に入って来ると、無遠慮に部屋中を見て周り…

「中々いいじゃない!決めたわ、あたしの部屋はここにする!」
「お姉様のお部屋なんだから、あんたは早く出て行きなさいよ!」

二人に捲し立てられ、わたしは怖かったが、従うのは嫌だった。

「嫌よ!ここは、わたしのお部屋だもの!」

二人は恐ろしい顔つきになり、「生意気!」とわたしを突き飛ばした。
わたしはこれまで、暴力など受けた事は無かったので、ショックと恐怖で固まっていた。
それに気付いたのだろう、彼女たちはニヤニヤと笑った。

「ふん、分かった?痛い目をみたくなかったら、あたしたちに逆らっちゃ駄目なの!」
「あたしたち、あんたをボコボコに出来るんだからね!」

そんなの、お父様が許さないわ!

父に言いつけて、叱って貰えばいい。
二人がこんな乱暴者だと知れば、追い出すに決まっている___!

わたしは期待したが、それはあっさりと裏切られた。

「なんだ、どうした」と入って来た父に、イザベルが大きな声で言った。

「お父様!あたし、この部屋が気に入ったの!
でも、ロザリーンが譲ってくれないの!あたしに意地悪するのよ!」

マチルダも同調した。

「そうよ!ロザリーンはとってもとっても、意地悪なの!あたしたち、姉妹なのに!」

父は床にしゃがみ込んでいるわたしを睨み付けた。

「全く、おまえには失望させられる!おまえの様な娘は、男爵家に相応しくない!
部屋はイザベルに渡すんだ!」

「嫌よ…ここは、わたしのお部屋なのに…」

母との思い出も沢山ある。
それなのに、どうして、わたしが出て行かなくてはいけないのか?

わたしはショックでしくしくと泣いた。
だが父は、わたしの想いを測ろうともしなかった。

「勘違いするんじゃないぞ、ロザリーン!
ここは私の家であり、全てが私の所有物だ!
それをどうするかは、私が決める事であり、おまえの意見など必要無い!
この部屋はイザベルの部屋だ、分かったらさっさと出て行け!」

これまで優しかった父の変貌に、わたしは父が恐ろしくなり、従うより他無かった。

「あたしたち、ロザリーンのお部屋を見つけておいたから、案内するわ!」
「姉妹思いの優しい娘たちだ、頼んだぞ、イザベル、マチルダ」

父は軽く二人を抱擁し、部屋を出て行った。
わたしが父から最後に抱擁を受けたのは、母が亡くなる前だ…
わたしは実の娘なのに…
父はどうして、わたしよりも義理の娘に優しくするの?

「ふふ、これで分かったでしょう?」
「あんたは、要らない子なの!」
「あたしたちに逆らっていたら、家からも追い出されるわよ!」

イザベルとマチルダが声を上げて笑う。
わたしはとても、言い返す事は出来なかった。
今はその通りだと思えたからだ___

「さぁ!行くわよ!早く立ちなさいよ!」
「ここの物は全部あたしの物だからね!」
「持ち出したら、盗人よ!」

わたしは二人に引っ張られ、部屋から出された。
そして、背中を突かれながら向かった先は、半地下にある、使用人たちの部屋の一つだった。
薄暗く寒く、狭い部屋に、質素なベッド、小さな机、椅子が一つ…
見た事もない質素な部屋に、わたしは愕然とした。
そんなわたしとは逆に、イザベルとマチルダは大はしゃぎだった。

「あんたにピッタリじゃない!」
「本当!汚くて、質素で、それに、変な臭い~!」
「お母様がメイドを首にしたから、部屋が空いたのよ」
「今日からあんたが、メイドの代わり!しっかり働くのよ!」
「サボったり、役に立たなかったら、追い出すからね!」

わたしに拒否権は無かった。
父はこれを知っても、怒る所か、「世間が分かれば、性根も治るだろう」と喜んだ位だ。

使用人たちは、わたしの立場を知っていて、最初こそ同情していたが、次第にそれも無くなった。
ドロレス、イザベル、マチルダは、傍若無人に振る舞い、使用人たちに辛く当たるので、
使用人たちはいつも不満を抱え、苛々とし、誰かを気遣う余裕など無くなっていたのだ。

「ローザ!早くしてくれ!ったく、役立たずが!手が回らないよ!」
「ローザ!奥様がお呼びだよ!行っておくれ!」
「ローザ!」
「ローザ!」

わたしに味方はいなかった。
わたしは全てに失望し、全てを諦めた。

ただ、叱られない様に、従順になっていた。

「はい、只今、申し訳ありません…」

わたしの心は死んでいた。

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