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本編

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「魔王様は忙しいの?昼間はお仕事をされているの?」

フードの者の言葉は分からなかったが、他に聞く者もいないので、わたしは聞いてみた。
一日中、部屋の中で本を読むにも、限界がある。
城の中を見学させて貰うか、魔界の見学をさせて貰うか…
何もしない事に慣れておらず、じっとしていると落ち着かない。

フードの者たちが話し合い、それから『キキ!』とわたしの手を引き、
何処かは知らないが、案内してくれた。

『キキ!キキキ!』
「屈むの?」

わたしは分からないなりに、彼らの動作からそれを読み取る。
彼らに言われるまま、わたしはテラスの手摺の下に身を屈めた。

『キュイ!』

フードの者が指す方に目を向けると、庭から大量の黒い物を抱え、
城へ戻って来るエクレールの姿があった。
何処かうれしそうだが…

「何がそんなに楽しいのかしら?」

黒いゴミの様な物を抱えて…
不思議に見ていると、それは見る見る、色彩を帯び、鮮やかに色付いた。
そこで初めて、それが花だという事に気付いた。

「花だわ…」
『キキ!』

フードの者が《静かに》という様に、指を立てたので、わたしは口を手で覆った。
エクレールはフードの者を呼び止め、指示していた。

「これをソフィの部屋に、毎日では花が溢れるだと?
それならそれで良い、ソフィは花が好きだ、喜ぶだろう、どんな顔をするか見たい…」

何故、わたしが花を好きだと知っているのだろう?
それとも、魔法で分かるのだろうか?

「紅茶は運んでやったか?人間たちは、この時間には茶を嗜むらしいからな。
菓子か?そうだな、晩餐と一緒に買って来よう、分かっている、おまえたちの分もだな…」

食事はエクレールが買って来てくれていたのね…
それに、皆の分も買って来てあげているなんて…
臣下?思いだし、慕われていて…良い王様みたい。

だけど、良い人だという事は、あまり知りたく無いわ…

わたしは、何とかしてここを出て、元の世界に戻ろうとしている身だ。
どうせならば、相手は極悪非道な者の方が、後味も悪く無い気がする。

良くして貰うと、恩を感じない訳にいかない。
絆されそうになっていたが、わたしは《それ》に気付いた。

「いいえ!わたしは騙されないわよ!
そもそも、勝手に勘違いして、攫って来たのは彼の方だわ!
わたしがもてなされるのも、好きに出て行くのも、当然の権利だわ!」

強気を取り戻し、わたしは部屋へ戻った。
丁度、フードの者たちが、沢山の花を部屋に飾っている処だった。
花瓶はいっぱいだし、飾るのに困ったのか、ベッドやソファにも飾っている。
少女の頃に夢見た世界に、思わず笑みが零れてしまった。

「ふふ、凄いわ、こんなの、やろうと思っても、絶対に無理ね…」

大人になった今では、貧乏性が勝ってしまう。

「でも、お花はもういいわ、こんなに沢山は必要ないし、
花を貰うのは、特別な時だけでいいの。
特別に貰うから、うれしいのよ、毎日では感動も薄れちゃうもの」

わたしは暗に断りを伝えた。

『キキ!キキ…』

フードの者たちが残念そうに肩を落としたので、少し悪い気持ちになった。
その分、お茶と菓子は喜んで受け取った。


わたしがゆったりと紅茶を飲み、マドレーヌを食べていると、
バン!と、扉が勢い良く開き、肩を怒らせたエクレールが現れた。
赤い目を光らせ、眉を吊り上げ、口をへの字に曲げている…
その表情からも、相当機嫌は悪そうだ。
さっき、花を抱えていた時とは別人だ。
尤も、それを呑気に考えている暇は無かった。
エクレールはわたしの側へ来ると、腰に手を当て、わたしを見下ろした。

「花は気に入らなかったか?それとも、私からだから気に入らぬのか?」

わたしは手にしていたマドレーヌを置き、手を払った。

「失礼を申したのであれば、謝ります…」
「そんな事は言っていない、質問に答えろ、ソフィ」

堅い口調に、わたしは内心で嘆息し、答えた。

「お花はとても素敵ですが、毎日ですと、見慣れてしまいます」
「良いではないか」

先にフードの者に言った事も本当だが、もう一つ理由がある。
元の世界では、花を飾る事は難しい。
クリスティナの部屋で萎れかけた花を貰い、飾る位だ。
この様に、ロマンチックで豪華で贅沢な暮らしに慣れてしまうのが怖い。
人には分相応というものがある。
だが、この様な城に住み、贅沢に何不自由なく暮らしている彼には、理解出来ないだろう…

「エクレール様、想像してみて下さい、幾ら好物でも、毎日は食べられないものです。
毎日食べては飽きてしまいます。それよりも、誕生日だったり、お祝いの日だけ、
記念日だけの方が喜びも大きく、わくわくもします」

わたしが説明すると、エクレールは黙って聞いていたが、顎に綺麗な指をあて、
「ふん…そういうものか?」と首を傾げた。

理解して貰えない事は残念だったが、気にはならなかった。
何といっても、わたしの近くには、いつも、あのクリスティナが居たからだ。
クリスティナと比べれば、どの様な者でも幾らかマシに思えるものだ。

それに、エクレールは理解出来ないまでも、わたしの意思を尊重してくれた。

「それでは、誕生日と記念日と祝いの日を教えろ」

《魔王》だというのに、意外と寛大な所があり、驚かされる。
だが、その所為で、今度はわたしが窮地に立たされた。
わたしを《自分のソフィ》だと誤解している人に、誕生日を教えるのは良くない。
祝いの日や記念日など、論外だ___

「エクレール様、それは、結婚なさる方にして差し上げて下さい。
わたしは元の世界に帰りますので…」

「何故、それ程、元の世界に拘るのだ?おまえは酷い事をされたのだろう?」

エクレールがわたしの向かいの席に、腰を下ろした。
怒りは鎮まった様だが、不機嫌そうなのは変わらない。
わたしはエクレールの言葉で、自分が生贄にされた事を思い出した。
部屋に押し入り、拘束された時には、確かに恐ろしく、怖かった。
司教が狂気の表情で短剣を振り回していた時、どれだけ、自分の不幸を嘆き、呪った事か…

だが、わたしには、レイモンがいる…
わたしが初めて愛した人だ…

「彼がいるからです…どんなに酷い事をされても、酷い状況でも、
愛した人と共に生きたいと願うものではないですか?」

わたしは真剣だったが、エクレールは鼻で笑った。

「フン、そんなものは最初だけだ、結婚し、一月も経てば変わる。
そして、三月も経てば、一緒の部屋に居る事さえ苦痛になり、
殺し合う前に別れたくなり、半年後には完全に愛は消え失せる___」

わたしは唖然としていた。
とても正気の者が言っているとは思えない…

「悲観的だわ、あなたは、愛を信じていないのね?」

エクレールはフードの者が置いた紅茶のカップを手に取り、優雅に飲むと、
目を眇め、答えた。

「私は1000年以上生きている、その間に、当然結婚もした、300回だ」

三百回!??
初婚だと思い込んでいたが、全く違っていた様だ。
随分大人だとは思っていたが…それなら、経験豊富であって当然だ。

「人間の花嫁を迎えた事も数度ある」

人間の花嫁も初めてじゃないの!?
驚きはしたが、色々と寛容だったり、部屋を特別に用意してくれたりと、
配慮をしてくれたのは、経験上なのかもしれない。

「最初は皆、愛の言葉を囁いてくれた。
だが、皆、半年後には私の元から去って行った___」

それは、乾き虚しく聞こえる声で…初めて聞く声だった。

ああ…なんて可哀想なの…

きっと、エクレールの方は未練があったのだ。
結婚しておいて、どうして、彼を捨てて出て行ったのかしら?

「原因は、何だったのですか?」
「価値観の差か、性格の不一致だろう、性生活もあるが…おまえには分かるまい」

そこは聞かないでおいた方が良いだろう。
性欲が強そうだもの…
わたしは赤くならない内に、話題を反らした。

「結婚前に分からなかったんですか?
でも、いつも強引に攫って来て、結婚なさっているなら、仕方ありませんわ」

「運命を感じたなら、結婚したいと思うのは当然だ。
相手を観察し、精査するなど、利己的で興醒めではないか。
それに、愛する者と結婚もせずに付き合うのは感心しない」

わたしを襲い掛けた人の言う事かしら?
それにしても、《魔王》だというのに、ロマンチストなのね…
ある意味、彼の方が愛を信じていると言えるだろう。
残念ながら、少しズレているのよね…

「運命など、まやかしですわ。
運命を感じたのであれば、知り合うべきです、
そして、それが本物の運命なのか、確かめるのです。
これは観察や精査とは違います、
相手を知りたいと思う気持ちは、愛から起こるものですもの___」

300回も結婚し、全て失敗している人には、これ位言ってあげるべきだと思った。
どうせ、一目惚れして、強引に結婚を迫ったんだわ!
そんな事だから、クリスティナなどに惑わされるのだ___

「フン、一度も結婚した事の無い者が、分かった風な事を言うではないか」

それを言われると、途端に説得力が無くなってしまう。
でも、間違ってはいないと思うのよね…

「それでは、おまえが愛していると言ったその者の事を、おまえは知っている、
理解しているというのだな?
おまえたちの間には、本物の運命、本物の愛があり、固く結ばれていると___」

レイモンと出会い、二月程だろうか…
挨拶を交わし、言葉を少し交わすだけの関係だが、一度デートをした。
それで愛しているなど…エクレールとあまり違いは無いだろうか?
だが、わたしはその二月の間に、幾度となく、レイモンからの好意を感じた。
わたしを想ってくれていると…

「それはまだ…今は彼を知る段階です…でも、わたしは彼を愛しています!」

「ふん、生温い、私と似た様なものではないか」

鼻で笑われ、わたしはカッとなった。

「あなたがわたしを攫っていなければ、違っていたわ!」

「ならば、おまえに機会をやろう」

機会?

「おまえを少しの間、人間界に戻してやる。
その間に、その者がおまえにとって、本当に運命の相手か、愛を捧げるに値する者か、確かめろ。
おまえがその者を選んだ時には、私は潔く、おまえを諦めよう」

エクレールの提案に、わたしは喜びというよりも、戸惑いが大きかった。
もし、わたしが嘘を吐いたらどうするのだろう?
勿論、嘘を吐く必要は無いが、『レイモン様を愛している』と言えば、解放してくれるというのだ。
ここまでしておいて、彼にしては甘過ぎる…
これは、罠なのかしら?
それとも、わたしに飽きたのかしら?
困惑し、慎重に伺っていると、エクレールは続けた。

「だが、おまえがその者と三月以内に結婚しなかった場合、
結婚し一年以内に別れる事になった場合は、潔く、私の花嫁になって貰う」

ほら!やっぱり!!
エクレールは、わたしとレイモンが運命で結ばれているなど、思っていないのだ!
そして、結婚しても一年以内に別れると思っている!

だが、元の世界に戻る方法は、これしかない。
そして、わたしがレイモンと結ばれれば、
エクレールは《ソフィ》を花嫁にする事を諦めてくれるのだ___

本当の《ソフィ》がクリスティナだという事は、彼に知られてはいけない。
クリスティナは結婚しているし、王妃なのだから。
それに、クリスティナとエクレールが結婚して、上手くいくとはとても思えない。
彼女は贅沢を好むし、酷く我儘だ。
そうなっては、エクレールやフードの者たちが気の毒だし、
悪くすれば、それこそ、魔王エクレールの怒りを買うだろう。

「約束…守って下さいますか?」

その赤い目がギラリと光る。
そして、その形の良い唇は、ニヤリと挑戦的な笑みを見せた。

「私を誰だと思っている、約束は守る、我が名に賭けて___
おまえにも守らせるぞ、ソフィ」


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