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本編

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一夜明けると、《妖精の薬》に対し、少し前向きに考えられた。

「子供を産む時には必要だわ!」

無事に出産してあげたい。
この薬があれば、どれ程心強い事か!

「それから、結婚式の日ね…」

親族が集まる中、倒れる様な事があってはいけない。
そんな事になれば、フィリップが責められるかもしれない。
どうして、こんな娘を相手に選んだのか___と。

「それ以外では、絶対に飲まないわ!」

わたしはそれを固く心に決め、薬を入れた小瓶を引き出しに仕舞った。





ラウルがくれた薬が効いたのか、わたしの体調は随分回復していた。
だが、まだベッドから出る事を母が許さず、わたしはフィリップへの刺繍を始めた。

「シャーリー!お花が届いたわよ!」

その日の午後、また、牧師館に花が届けられた。
母が笑顔でそれを渡してくれた。

「きっと、会えなかった事のお詫びね、フィリップは良く気の付く子だわ!」

今日の花は、白い小さな花が沢山付いた房で、細い茎には、
細いピンク色のリボンが結ばれていた。

「素敵…心が安らぐわ…」

わたしは顔を近付け、息を吸い込んだ。
ほのかな花の匂いにも癒される。

「本当に、誰が贈って下さっているのかしら?」

カードには、やはり【シャーリーへ】とだけ書かれていた。

この頃、やはり、フィリップからではないかと思い始めていた。
これ程熱心に花を贈ってくれる相手など、フィリップ以外、心当たりが無かった。

「きっと、フィリップだわ…」

匿名で意中の者に花を贈る事が、町で流行っているのかもしれない。
大学生になった頃から、フィリップは流行に敏感になり、多く取り入れていた。

スザンヌから、他の女性の存在を聞き、不安になっていたが、
この花がフィリップからならば、まだ望みはある___
わたしはそれを願い、窓辺に飾った。


◇◇


週末、思い掛けなく、フィリップが牧師館を訪ねて来た。
こんな事は滅多に無く、わたしは驚いた。

「この週末は家に帰ったから寄ってみたんだよ、シャーリー、元気だった?」
「ええ、フィリップ、あなたも元気だった?」
「ああ、僕はいつも元気さ!これは、この間のお詫びだよ」

フィリップはわたしに花束をくれた。
立派な赤い薔薇の花が十本程束ねられ、大きなリボンが結ばれている。
それを見て、わたしは少し気落ちした。

あの花は、フィリップからでは無いのかしら…

この豪華な花とは違い過ぎる。
同じ人が贈ったものとはとても思えない。

「どうしたの?気に入らなかった?」
「いいえ!とってもうれしいわ!素晴らしい薔薇ね…」
「隣町の花屋に頼んだんだ、君は知らないだろうけど、人気の店なんだよ!」

フィリップが得意気に言う。
フィリップは男爵子息だからか、有名な店や高価な物を好む傾向がある。

「ええ、あなたは良くご存じなのね、フィリップ。さぁ、どうぞ入って…」

わたしはフィリップを居間に通し、ソファに促した。

「待っていてね、直ぐに紅茶を淹れるわ」
「ああ、シャーリー、僕はコーヒーにして」
「ええ、分かったわ」

フィリップは今まで紅茶しか飲まなかったが、好のみが変わったのだろうか?
だが、変わったのは、食の好のみだけでは無いかもしれない…
フィリップは、以前よりも明るく、そして堂々として見えた。
大学生になり、自信を付けたのかもしれないわ…

ジェシカも隣町の仕立て屋で働き始め、身形が垢抜けたし…
大きな町に住むと、きっと皆、変わるものなのだろう。
置いて行かれる気がし、寂しさはあったが、自分がそう出来るかと考えると疑問だった。

わたしは台所に向かい、花束をテーブルに置くと、二人分のコーヒーを淹れた。
お菓子は何があっただろうか?棚を見ていて、ビスケットがあるのを思い出した。
レナやラウルにあげる為に、いつも多く用意してある。

「フィリップも好きかしら?」

わたしは小さく笑い、それを皿に盛った。

コーヒーを運び、それから、フィリップに貰った薔薇の花を花瓶に挿し、テーブルに運んだ。
質素な居間に飾ると、そこだけ浮いて見え、申し訳無く思えた。

「素敵なお花をありがとう、フィリップ」
「君が喜んでくれてうれしいよ、シャーリー」

フィリップが白い歯を見せ笑う。
良い感じだ、これなら、結婚の話も出来るかもしれない…
わたしは微笑み、コーヒーを飲んだ。
飲みなれないので、味は良く分からなかった。

「シャーリー、先週は折角来てくれたのに、会えなくてごめんよ」
「いいのよ、忙しかったんでしょう?」

スザンヌの話を思い出したが、わたしはそれを奥へと押し遣った。
だが、当のフィリップの方が持ち出してきた。

「そういえば、君、スザンヌに会ったんだろう?スザンヌから聞いたよ」

フィリップはスザンヌとも会っているの?
意外だったが、わたしは驚きを隠し、返事をした。

「ええ、町で偶然に、声を掛けられて…」
「スザンヌが言ってたけど、君、車で来たんだって?」

フィリップに探る様に聞かれ、わたしは驚いた。
一体、何時からスザンヌに見られていたのか…

「ええ、そうだけど…スザンヌが居たのには気付かなかったわ…
その時に声を掛けてくれたら良かったのに…」

「良く言うよ!スザンヌは、君が他の男と仲睦まじくしている姿を見て、
とても声が掛けられなかったと言っていたよ!」

フィリップが声を上げ、わたしは更に驚いた。

「誤解よ、フィリップ、車で送って頂いただけよ。
あの方…ラウル先生は、ヴィクトル先生の孫で、今、診療所を手伝っている医師なの。
往診を任されていて、わたしも何度か診て貰っているわ。
あの日は、ラウル先生も隣町に用事があるというので、乗せて来て下さったのよ」

わたしは説明したが、フィリップは不機嫌そうに顔を顰めていた。
彼がこんな風に感情を露わにする事は珍しい。
男爵子息の彼は、礼儀正しく躾られていたからだ。

「スザンヌが言うには、随分、若いそうじゃないか」
「28歳よ、若いかしら?」

年寄りとは言えないが、20歳になろうとしているフィリップからしたら、
かなり大人だろう。

「そいつさ、君に気があるんじゃないのかい?」

フィリップに聞かれ、わたしは「まさか!」と声を上げていた。

「そんな事を言っては、ラウル先生に失礼だわ、彼は大人よ?
それに、帰りはわたし独りで、汽車で帰ったわ」

「なんだ、そうか…スザンヌが意味深に言うから、心配したよ…
そうだよね、君は僕の婚約者なんだ、僕を裏切ったりはしないさ!」

フィリップは納得してくれた様で、明るく笑った。

フィリップは、スザンヌの言葉を鵜呑みにし、わたしを疑っていたのだろうか?
少し気を悪くしたが、わたしも、オデットの存在に不安になったと思い出す。
きっと、それも誤解ね!それに、愛しているからこそ、不安になるんだわ!
嫉妬して貰えているんですもの、わたしは愛されている!

わたしは明るく考え、「ええ、勿論よ」と、フィリップに笑って見せた。

【婚約者】という言葉が出たので、話すなら今だと思い、
わたしはコーヒーを一口飲み、喉を潤した。

「フィリップ、わたしたち婚約して、三年になるかしら?」
「ああ、そうだね」
「それでね…あなたは、その…結婚の時期は、いつ頃にしたいと考えている?」

ああ!とうとう、聞いてしまった!
カッと顔が熱くなる。
わたしはドキドキし、コーヒーカップで顔を隠し、答えを待った。
だが、フィリップの口から出た言葉は…

「結婚だって?」

フィリップが素っ頓狂な声を上げ、驚いた目をしたので、わたしの心は折れそうになった。

「君だって分かっているだろう?今は僕にとって大事な時期なんだよ、大学で忙しいし、
結婚なんてまだ考えられないよ!」

フィリップが捲し立てるのを、わたしは愕然とし聞いていた。

だが、元々、わたしも、フィリップが大学を出るまでは、結婚は無いと考えていた。
わたしは『当然の事だ』と、自分に言い聞かせた。
だけど、そうなれば、わたしは結婚出来ないし、子供を産むことも出来ない___
わたしは気力を搔き集め、食い下がった。

「フィリップ、わたしは直ぐにでも結婚したいと思っているの…
早く子供を持ちたいし…この事、考えてみて貰えないかしら?」

「そんな事を言い出すなんて、今日の君はどうかしているよ、シャーリー!
もしかして、君もスザンヌに変な事を吹き込まれたんじゃないのかい?
馬鹿だな、シャーリー!僕は君以外の女性に惹かれたりしないよ!」

フィリップは笑い、「そういえば、大学でね…」と話を反らした。

話を交わされた…
フィリップには、直ぐに結婚をする意思は無いのだ!

わたしはすっかり消沈していたが、何とか微笑み、フィリップの話に相槌を打った。

フィリップはコーヒーを飲み終えると、ビスケットには目もくれずに席を立った。
ここへ来てから、一時間も経ってはいないというのに…

「もう、帰るの?」
「悪いけど、これから家に客が来るから、帰らなきゃいけないんだ」
「待って、ビスケットを包むから…」
「いいよ、ビスケットなんて、子供の食べ物じゃないか」

わたしはビスケットの皿を手にしていたが、フィリップの言葉でそれを戻した。

「フィリップは何が好きなの?次の時には用意しておくわ」
「無理しなくていいよ、ここでは贅沢は悪だろう?」

わたしでは、フィリップの口に合うものは用意出来ないという事かしら…
確かに、男爵家と牧師の家とでは、生活も違うし、格差も大きい。
フィリップは何故、わたしを選んだのかしら?
釣り合いなんて取れていないのに…

「フィリップ、本当に、わたしと結婚したいと思っている?」

フィリップは青色の目を丸くした。

「当たり前だろ!そうじゃなきゃ、婚約なんて申し込まないよ!」

フィリップの言葉や表情からは、嘘は見えなかった。

「わたしを、愛してくれている?」

「勿論さ、愛してるよ、シャーリー」

フィリップは白い歯を見せ、明るく笑うと、わたしに触れるだけのキスをした。
わたしはそれを受け、玄関から出て行くフィリップを見送った。

フィリップは、わたしを愛してくれている…

結婚は、今は出来ないだけ…

だが、フィリップが卒業するには、後一年は掛かるだろう。
それから結婚となると、結婚生活は短い。
子供など、とても望めない___!


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