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本編

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恐らくは、あの時から変化は始まっていたのだろう。
それまで健康だったわたしは、体調を崩したり、熱を出す事が増えた。
尤も、最初は軽いもので、変に思う事も無く、気にしたりもしなかった。

十五歳の年、寄宿学校から帰省していたフィリップから「君が好きだよ」と告白された。
それまでも、周囲から「フィリップはシャーリーが好きだ」と言われていたので、
わたしに驚きは無く、ただ、告白された事を喜んでいた。
フィリップはいつも自分に優しくしてくれた。
それに、男爵子息なので、周囲の男子たちとは違い、礼儀正しく、物腰も柔らかく、
真面目で…そういった処も、安心出来た。
わたしは「ありがとう、わたしもよ」と、良い返事をした。

だが、フィリップが直ぐに親に許可を取り、婚約を決めてしまった事には驚いた。
この夏が終われば、わたしは寄宿学校に入る事が決まっていたからだ。

「婚約までする事は無いのよ?」

「婚約せずに付き合うなんて、僕をいい加減な男にしないで欲しいな、シャーリー。
それに、これから君は町を出て広い世界を知るんだから、約束しておきたいんだ。
君を僕以外の男に触らせたくないからね___」

フィリップは男爵子息だから、両親も厳しいのだろう。
わたしが行くのは女学校なので、『無用な心配だ』と思いながらも、彼に合わせた。

お互いの両親の許しもあり、その夏、わたしたちの婚約が成立した。
秋になり、フィリップは寄宿学校に戻り、わたしは女学校の寄宿舎に入った。
離れている事もあり、手紙のやり取りを始めたが、お互いに忙しく、
それは月に一通程だった。

一年目は、寒さや暑さで体調を崩す事はあったが、なんとか授業に付いていけていた。
だが、二年目の冬、寒さで体調を崩し、一月は碌に授業を受けられなかった。
春になり、暖かくなると体調は良くなったが、試験前に無理にした事もあり、
熱で試験を受ける事が出来なかった。
そんな事情もあり、わたしは帰省に合わせ、休学し、実家に戻る事になった。

学校の医師からは、寮生活が合わない、環境が悪いのだろうと言われた。
馴染んだ環境で生活すれば、直ぐに健康になるだろうと。
教師たちからも、「元気になってから通うといいわ」と諭された。

だが、牧師館に戻ってからも、頻繁に体調を崩した。
良くなっている様にはとても思えなかった。
何が悪いのか、何処が悪いのか、分からずに不安だった。
《アエレ》の唯一の医師であるヴィクトルも頭を捻り、検査を受ける様に勧められた。
わたしは自分の病を知りたかったし、治したいと思った。
だが、母が検査を嫌がった。

「少し、体が弱いだけよ、病なんかじゃないわ!
家で療養すれば、元の健康なあなたに戻るわ、シャーリー」

母はわたしを励ましてくれた。
一生懸命な母に、わたしは自分の考えを言う事は出来なかった。

だが、ある夜、両親が話しているのを聞いてしまった。

「やはり、一度、検査をして貰った方がいいんじゃないか?」
「何を言うの!施設に入れられたら、あの子は結婚出来なくなるわ!」
「心配し過ぎだよ、彼女の様にはならないよ…」

《彼女》というのは、母の子供時代の親友、マリエットの事だ。
マリエットの家と母の実家は近所で、家同士、古くから付き合いがあった。
マリエットは、二十歳の時に精神的な病がみつかり、施設に入れられ、
治療を受ける事になった。だが、良くなる事はなく悪化していった。
婚約者は直ぐに婚約を解消し、彼女を見捨てたという。
三年後、施設で病に感染し、そのまま亡くなった___

わたしが生まれた頃の話だ。
母は結婚して以降、疎遠になっていて、手紙のやり取りしかしていなかった。
実家からの知らせで、それを聞かされた時には、酷くショックを受け、苦しんだ。
その事があり、病には特に神経質だった。

「お願い!シャーリーを何処にも行かせないで!」

そんな母の姿を見てしまうと、わたしは何も言えなくなった。

ただ、少しでも状況が良くなる様、神に祈る事しか出来なかった。


だが、それも無駄だった。
わたしは《病》では無かったのだから。

《シャーリーとやら、おまえの命を貰う事にしよう》
《これより、おまえの命は、少しずつ衰えていく》
《それは、おまえの二十歳の誕生日に、完全に尽きるであろう》

妖精の女王との契約だったのだ___





「シャーリー、先生が来て下さったわよ」

すっかり思い出し、頭の中で何とか整理しようとしていた時だ、
部屋の扉が開き、母が医師を通した。

わたしは気持ちが付いていかないながら、寝具からのろのろと重い体を起こした。
老年のヴィクトル先生だとばかり思っていたが、入って来たのは、もっと若く…
見知らぬ男性で、わたしは先の事も忘れ、ギョッとした。

三十歳位だろうか、銀色の髪をきちんと撫でつけ、涼やかな青灰色の目、
整った顔立ちだが愛想は無い。
シンプルだが、仕立てが良いと分かるスーツ、長身でスタイルも良い。
洗練された雰囲気があり、気後れしそうだ。

こんな人、この町にはいない筈だと、はっきり言える。
だが、初対面だというのに、何処か既視感がある…
不思議な感覚に、わたしはつい警戒を見せてしまっていた。

「驚かせて悪かったね、
僕はラウル=アラード、医師で、ヴィクトル先生の手伝いをしています」

無表情で何処か怖そうに見えるが、その声は深く落ち着いたもので、
耳心地も良く、すっと胸に落ちた。

ヴィクトル先生の、手伝い…?

ジェシカはお喋りなので、大抵の事は話してくれていたが、
診療所に手伝いの人が来ているという話は、聞いた事が無かった。
尤も、ジェシカとは、ここ二週間程会っていない。
ジェシカは去年から、隣の大きな町の仕立て屋で、住み込みで働いていて、
時々しか帰って来ないのだ。

「シャーリーです…」

「シャーリー、君は数日熱を出していたそうだね、昨夜はかなり高熱だった___」

彼の話から、昨夜来てくれた事が分かった。
いつもなら、ヴィクトル先生が来てくれるのだが…

「あの、ヴィクトル先生は、何処かお悪いのですか?」

心配になり聞くと、ラウルはすんなりと頷いた。

「ああ、ヴィクトル先生は老年だから、何処かしら悪い所もあるだろう。
昨夜は遅かったから、僕が来させて貰った。
ついでに言っておくと、今ヴィクトル先生は診療所で、外回りは僕が受け持っている」

「そうですか、余計な事を訊いてしまって、すみません…
ヴィクトル先生に何かあったのかと、心配になって…」

「いや、心配事があるのは良くない、聞いてくれていい。
君が心配してくれたと知れば、ヴィクトル先生も喜ぶだろう、少し診よう」

ラウルがその大きな手をわたしの額に当てたので、反射的に、ギクリとした。

「熱は下がったな…少し触るよ」

その手が、わたしの首筋や顔に触れる。
それはヴィクトル先生と似ていて、次第に緊張も解け、落ち着いた。

「異状は無い様だ、痛い処はある?何か気になる症状は?」
「いえ、ありません…」
「頻繁に体調を崩す事があるそうだね、一度検査を受けてみてはどうかと思うんだが…」

ラウルの言葉に、わたしは過敏に反応してしまった。

「必要ありません!」
「病の原因が分かれば、治療法もみつかるかもしれない、
君は若いし、今なら治療にも十分に耐えられるだろう…」
「わたしの事は放っておいて!」

わたしは彼に背を向けた。

何処が悪いのか、何が原因なのか、わたしが一番良く知っている。
そして、決して、良くなる事が無い事も___

今のわたしは、絶望に打ちひしがれ、失礼な態度を取っている事も気にならなかった。

「それでは、良く食べて、もう少し太りなさい。
それから、体調の良い時には少し運動する様に、陽に当たるのもいい、
だけど、無理はしない様に。何かあれば、遠慮なく相談して欲しい___」

ラウルは静かに部屋を出て行った。

わたしは膝を抱き、声を殺して泣いた。


◇◇


二十歳の誕生日に、わたしの命は尽きる。

どんな治療を受けても、どんな薬を飲んでも、その運命は変わらない。
検査など無意味だ___


わたしは部屋に閉じ籠り、独り、絶望の淵にいた。
やって来るその日を思い、怯えた。
そして、色々な事が頭に浮かんでは、わたしを苛んだ。

両親、弟。
親友、友達…

そして、婚約者___



あれから、三日が経っただろうか…
牧師館に一輪の花が届けられた。

わたし宛だと書かれた物は何も無かった。
だが、わたしが閉じ籠っていた所為か、両親は喜ばせようと、わたしにそれを持って来た。

「シャーリー、あなたにお花が届いているわよ!きっとフィリップからね」

フィリップは記念日には、沢山の花束を贈ってくれる。
だが、一輪だけというのは、初めてだ。
それに、メッセージも無い。
だが、それを言うと両親を困らせると思い、わたしは笑みを作り受け取った。

それは、目にも鮮やかなオレンジ色の大輪の花で、茎に薄いピンクのリボンが結ばれていた。

「素敵…フィリップにお礼の手紙を書くわ」
「それがいいわ、でも、熱が出た事は言っては駄目よ、心配させるでしょうからね」
「はい、お母様」

母が部屋を出て行き、わたしはクローゼットを漁り、奥から小さな一輪挿しの花瓶を取り出した。
だが、少しだけ逡巡し、それは奥に戻した。
わたしは使っていないカップに水を入れ、リボンを解くと、花を挿し、窓際に置いた。

あの日、レナから貰った花を思い出したからだ。

窓際に飾ると、家が分かると言っていた。
これは花畑の花ではないが、飾っていると、レナが来てくれるのではないかと思えた。

レナと話したい。
この事を話せる相手は、レナしかいない___

だが、レナを困らせるだけだろうか…

レナはあの時、わたしを止めてくれた。
それを聞かずに、女王と契約したのは、わたしだ___


「受け入れるのよ、シャーリー」

自分の運命を。
恐ろしかったが、そうするより他なかった。

「二十歳までの、残された時間を、大事にするの…」


わたしは鏡の中の自分を見つめ、言い聞かせた。

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