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『オベール様も左目に傷を持っているでしょう、同情せずにはいられないわよね。
でも、それが良い事だとは、私には思えないのよ。
同情して傷を舐め合っているばかりじゃ、何も変わらないでしょう?
あなたがいると、オベール様は前を向けないわ、彼を弱い男にしないであげて、ミア』

ジョアンヌの言葉が、胸を突く。
その通りで、わたしはオベールや伯爵、ディアーヌの同情に甘えていた。
フェイスベールで顔を隠し、着替えも一人でしているし、人の目を気にしてコソコソとしている。
そして、何かあれば、オベールに頼ってしまう…
わたしは十四歳の時から、何も変わっていない。

オベールは結婚するのだ___

もう、誰も頼る事は出来ない。
いや、頼りたくない。

もっと、強くなりたい。

わたしは独りで生きていかなくてはいけないのだから。

「分かりました、ジョアンヌ様、お話を進めて頂けますか?」

「あなたなら、そう言ってくれると思っていたわ、ミア!
週明けに迎えの馬車を呼ぶから、準備をしておいてね___」

それからジョアンヌは、詳しい話をしてくれた。

わたしは強い決心をしていたが、
ジョアンヌが帰り、一人になると、何処からともなく不安が湧いてきた。

独りで大丈夫だろうか?

「弱気になっては駄目!決めた事だもの!」

わたしは頭を大きく振った。





ジョアンヌからの提案を、まずはディアーヌに話した。

「ジョアンヌ様が、働ける家を紹介して下さいました。
修道院へ行く事を考えていましたが、それよりは良い気がして…
このお話を受けようと思うのですが、よろしいでしょうか?」

ディアーヌは喜んでくれるだろうと思っていたが、
実際は、あまり良い顔をしなかった。

「まぁ、それは有難い事ですけどね…
どんな家か分からないし、あなたをやるのは不安だわ。
これまで通り、ここにいた方がいいんじゃないかしら、私は助かっているし、そうしましょうよ!」

心配して貰える事も、引き止めて貰えた事もうれしかったが、
ここで折れる訳にはいかなかった。

「伯爵、ディアーヌ様、オベール様には大変良くして頂き、感謝しています。
ですが、いつまでもお世話になる事は出来ません。
それに、とても良いお話なので…」

わたしが熱心に頼むと、ディアーヌは条件付ではあるが、了承してくれた。

「そう…それなら、行ってみて、変な所なら直ぐに帰って来なさい。
手紙も書いて頂戴ね___」

伯爵にはディアーヌから伝えて貰う事にし、オベールには晩餐の後で話す事にした。


晩餐にはオベールの姿もあり、安堵した。
だが、思い掛けず、伯爵が晩餐の話題にしてしまった。

「ミア、ディアーヌから話を聞いたが、本当に行ってしまうのかい?」

オベールは聞いていないのだろう、彼は鋭い目でわたしを刺した。
わたしは居心地の悪さにもぞもぞとしつつ、返事をした。

「はい、伯爵、ディアーヌ様、オベール様には大変お世話になり、感謝しています…」

「一体、何の話だ?」

オベールが鋭い声で遮り、わたしは身を竦めた。

「ああ、おまえは聞いていなかったか、ミアは他の館に行く事になった。
男爵家で、住み込みの世話人を探しているそうだ」

「勝手な事をしないで下さい!」

「私ではない、話を持って来たのはジョアンヌで、ミアが決めた事だ。
おまえに口を挟む権利は無いだろう、オベール」

オベールは伯爵を睨み、それから不承不承、食事に戻った。
殺気を放ちながら食事を進める様子に、彼の不機嫌さが伺え、胸が痛んだ。

こんなに怒るなんて…最初にお話しするべきだったかしら?
でも、お部屋に行く事は出来ないし…
オベールと会う機会は、晩餐の後しか無いので、仕方がない。

機嫌を直してくれるといいけど…

わたしは祈りながら、パンを千切り、フェイスベールの下から口に入れた。


パーラーに移ると、いつもの様にディアーヌはピアノに向かい、伯爵はワインを手に寄り添った。
オベールとわたしがソファの椅子に座ると、コーヒーが運ばれて来た。
メイドが去り、二人になると、オベールが早速聞いてきた。

「どういう事か、詳しく話してくれ」

その表情と声は固く、まだ不機嫌そうだ。

「ジョアンヌ様の知人で、モロー男爵夫人という方が、住み込みの世話係を探していて、
話を聞いて、わたしの事を思い出し、推薦して下さったんです。
ジョアンヌ様はお優しい方ですね…」

オベールはそれには答えずに、矢継ぎ早に質問を始めた。

「モロー男爵夫人というのは何歳だ、体を悪くしているのか?何処に住んでいるんだ?
給金や休みの話はしたのか?」

わたしは必死にそれに答える。

「六十五歳です、昨年夫を亡くされ、春に階段から落ち、足を悪くされたそうです。
歩けない程ではないそうですが、人の手を必要としています。
館はロッシーニです、ここからだと、馬車で一日程度だとか…
給金や休みの話はしていませんが、ジョアンヌ様が交渉して下さると約束して下さいました」

オベールは低く唸り、コーヒーを飲んだ。
そして、カップを置くと、鋭い目を向けた。

「だが、出て行く事は無いだろう、せめて事が片付くまではここに居るべきだ、
君は殺され掛けたんだぞ?」

「ルグラン伯爵家の皆様には感謝しております、
ですが、いつまでもここにいる訳にはいきませんし、良いお話はそうはありません。
行く当てが無ければ、修道院に行くより外はありませんので…」

「修道院か…」と、オベールが溜息と共に漏らした。

「君はまだ若い、フォーレ卿との離縁が成立すれば、結婚という手もあるだろう」

その言葉に、わたしは思わず笑いそうになった。
奥歯を噛み、何とか止める。

「結婚をするつもりはありません、この姿を受け入れられる方はいないでしょうし、
何より、子が生まれ、その子に痣があったらと考えると、怖いんです。
痣がなくても、同じ病に掛かるかもしれません…
そんな事になれば、きっと、生まれてきた事を後悔するでしょう…」

わたしは自分の運命を受け入れていた。
そして、諦めていた。
だが、オベールは違った。

「そんな事になるとは限らないだろう、万が一、受け継いだとしても、
君はその子を愛せる筈だ。
愛してくれる者がいれば、生まれてきた事を後悔したりはしないものだ」

オベールの言葉が心に染み入る。
頑なだった心が解かれていくのを感じた。
そう、せめて、両親がわたしを愛してくれていたら…わたしは不幸では無かっただろう。
痛みを知っているからこそ、自分の子に同じ思いはさせない、絶対に___

「ありがとうございます、オベール様のお陰で、少し希望が持てました」

「少しか、それで、考えは変わったか?」

「いいえ、良いお話ですから、変えようがありません」

「君は案外、頑固者だな!」

思わず笑いが零れた。
いつの間にか、重い空気も消えていて、わたしは気が緩んでいた。

「君は笑っていた方がいい」

不意に言われ、ドキリとした。
深い青色の目が、熱っぽく見え、更に煽られた。

「で、でも、顔は見えないでしょう?」

フェイスベールを着けていのだから、分からない筈だ。

「ああ、だが、想像はつく」

「それは、幻です」

実際のわたしには、頬から胸に掛け、醜い病痕があるのだから…

「でも、うれしいです…」

オベールに病痕を見られる事無く、別れる事が出来る。
彼の頭の中でだけでも、綺麗な娘でいたい…

不意に、大きな手がわたしの右手を包んだ。

「君に、この館にいて欲しい、考えが変わった時にはいつでも言ってくれ___」

しっかりと強く握り、そして、離れて行った。
それは、これ以上ない程に、甘く強い誘惑だった。
わたしは崩壊しそうになり、気力を搔き集め、抱きしめた。

うれしい…

だけど、行かなくては…
このまま、彼の傍にいる事の方が怖いもの…

オベール様には、ジョアンヌ様がいる…

きっと、わたしの事なんて、直ぐに忘れるわ…

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