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老執事は表情を変える事なく、「少々お待ち下さい」と言い、扉の奥に消えた。
幾らかして、再び扉が開かれ、「どうぞ、こちらに」とパーラーに案内された。

パーラーも広く、豪華だ。
全体的に古めかしくはあるが、それが一層、格調高く見せている。

「随分、裕福なのね…」

程なくして、紅茶と菓子が運ばれて来た。
わたしは遠慮なく、薫り高い上質の紅茶を楽しんだ。

「ああ、落ち着くわ…」

だが、それは騒然たる音と共に破られた。

バン!!!

大きく開かれた扉から入って来たのは、厳めしい顔つきの、身形の良い背の高い男。
デュランド伯爵だ___
彼はズカズカと大股でこちらに向かって来たかと思うと、捲し立てて来た。

「私は邪魔をするなと言った筈だ!こんな所にのこのこやって来るとは、どんな了見だ!」

挨拶をする間もなく、威圧的に言われ、わたしは用意していた愛想を放り出した。

「あなたからのお手紙に、『裏付けを取れ』とありましたので、
まずは、あなたがセヴラン=デュランド伯爵ご本人なのか、見極めに参りました」

「フン、これで裏は取れただろう?分かったらさっさと館に戻り、大人しくしていろ!」

「いいえ、まだ不十分です。
あなたが嘘吐きではないという証言は、どなたからも貰っていませんから」

ツンと澄まして返す。
伯爵は灰色の目で冷たくわたしを見た。

「屁理屈を言うのは止めろ、私は子供を相手にする程暇ではない。
用件を言わないなら、放り出すぞ」

わたしは嘆息し、姿勢を正した。

「わたしは、婚約者ジュール=ボワレー男爵を信じています。
彼の身の潔白を証明するつもりですが、それには、あなたが持つ情報が必要です。
あなたが知り得た全てを、わたしに教えて頂けないでしょうか」

「フン、図々しい小娘だな!
君からの手紙には、前の結婚の事しか書かれていなかったが、不貞の事は聞いたのか?」

わたしは、たった今、聞かれるまで忘れていた事に驚いた。
そういえば、伯爵は最初にそんな事を言っていた。
だが、ジュールが以前結婚していた事、前妻の転落死に関わったと疑われていると知り、その事で頭がいっぱいだった。
ジュールが不貞なんてするとは思えないし…

「いいえ…」

「フン!それで、よくも『信じている』などと言えるものだ」

この人は、どうあっても、わたしを馬鹿にしたいのかしら?
わたしは「ムッ」として、伯爵を睨み見た。

「あなたは実際に、奥様がジュール様と不貞を働いている所をご覧になられたのですか?
わたしは、自分の目で見た事しか信じないわ!
だから、それまでは、ジュール様は無罪です!」

「それなら、自分で確かめるんだな、早ければ早い方がいい、結婚した後では遅いぞ」

伯爵は結婚した後で、不貞をされたのよね?
お気の毒様!

「言われなくても、分かっています」

「だが、君に変に嗅ぎ回られては、邪魔だ」

邪魔?
幾ら伯爵だからって、わたしの事、邪魔、邪魔、言い過ぎじゃない??
わたしは唇を尖らせ、不満を表したが、伯爵は殊更冷たい目で見て来た。

「突然館に押し掛けて来て、もし、妻がいたらどうするつもりだったんだ?
妻はジュールから君の事を聞いているだろうから、自然、関係が君に露見したと考え、手を変えるだろう。
二人が警戒すれば、探るのが難しくなる。
下手をすれば、逃亡される___」

「奥様に出て行かれたら困るのね…」

わたしは少し同情したのだが、伯爵は鼻で笑った。

「ああ、報復する前に逃がしたとなれば、とんだ笑い者だ」

伯爵を笑う人がいるかしら?
笑った以上に、踏み付けられそうだもの!

「君に下手に動いて貰っては困る。
だが、君は自分の目で見ない内は信じないんだな?」

「ええ、そうよ」

「それなら、面倒だが、君を監視するしかない」

ええ!?監視!??どうして!??

「面倒なら、監視なんて止めた方がいいですわ!」

「監視が嫌なら、君には私の言う通りに動いて貰う」

何か、不穏なものを感じるわ…

わたしは乗り気では無かった。
ジュールに騙される前に、この男に騙される気がする。

「私の言う通りにすれば、君に真実を見せてやれるぞ」

わたしの頭に、ジュールの姿が浮かぶ。
わたしはジュールを信じているが、このままでは、疑いが残ってしまう。
わたしは、真っ白な心で、彼と結婚したい___

わたしは顔を上げ、彼を真直ぐに見た。

「お話をお聞かせ下さい、伯爵」


◇◇


セヴラン=デュランド伯爵の口車に乗ったわたしが、その後、どうなったかというと…

一度、ブーランジェ伯爵家に戻り、友人のステファニーとリリアンに口裏合わせを頼み、再び旅立った。

そして、今、赤毛の髪を二本のおさげに結い、野暮ったい黒縁の丸眼鏡を掛け、
目元に黒子、鼻の上にソバカスを描き、質素な町娘の服姿で、とある館の玄関に立っている。

「こちらでメイドをお探しだと聞きました。
ゲーリン伯爵夫人からの紹介状です___」

中年のメイドは、冷たい目で、わたしを上から下まで見ると、
紹介状を受け取り、「お待ちなさい」と扉を閉めた。


『私の言う通りにすれば、君に真実を見せてやれるぞ』

その真意は、デュランド伯爵夫人ナターシャとジュールが密会に使っているという、
ナターシャ所有の館に、わたしがメイドに扮して潜入する___というものだった。

デュランド伯爵セヴラン曰く、ナターシャは結婚当初より、旅だの買い物だのと伯爵の館を空ける事が多かったが、
今では「療養が必要な身」という事を盾にして、ほとんどの時間をその館で過ごし、
伯爵の館には滅多に帰って来ていないという。

「もしかして、夫婦仲が悪いのではありませんか?」

不躾ではあるが、何故か、目の前の男には気を遣う気になれず…
聞いてみると、「もしかせずとも、良かった時はない」と堂々と返ってきた。
全く、呆れてしまうわ…

「性格の不一致ですか?それとも、価値観の違い?
それなら、奥様に家を空けられても仕方ありませんね、きっと、顔を合わせるだけで苦痛なんですよ。
でも、どうして離縁なさらないのですか?」

「君はズケズケ言うな、流石、小娘だ」

わたしがズケズケ言うのは、何も小娘だからではない、彼がそうさせてしまうのだ。
わたしだって、普段は令嬢の中の令嬢、淑女だもの!

「彼女が離縁を申し出ないのは、私が裕福だからだろう。
彼女は散財が趣味でね、勿論、私は好きにさせていないが、
子もいないのだから、何れ私が死ねば、遺産は全て妻のものだ。
私が死ぬのを待っているのさ、ただ、大人しく待ってはいないだろうが…」

「まさか、命を狙われてるの!?」

わたしは初めて、この男に同情した。
だが、セヴランは、妻に命を狙われて心を病む様な、小者では無かった。

「半年前に、馬車に細工をされた。
一月前には、飲み物に毒を盛られた」

「ええ!?どうして生きているの!?」

思わず目を見張ったが、セヴランは「彼女も君と同じ様な顔をしていた」とニヤリと笑った。

「馬車の細工はお粗末でね、走り出すと車輪が外れる仕組みだったらしいが、
走り出す前に外れた。御者も驚いていたよ。
毒の方は、パーティの席上で、飲み物に入れられたんだが、
私が料理を取っている間に、食い意地の張った親戚の者が口にし、泡を吹いた」

「悪運が強いのね…
でも、どうして、奥様を犯人だと思うの?」

「館の使用人の何人かは、妻が雇った者たちだ。
事故の前に馬車に近付いた者、飲み物を配った者、どちらも妻の使用人だった。
当然、捕らえる気でいたが、その前に忽然と姿を消した。
妻に聞いても、身元はデタラメで、何一つ分からなかったが、
先日、私の雇った密偵が、彼等が妻所有の館にいるのを見た」

確かに怪しい…
馬車に細工したり、飲み物に毒を盛ったなど、疑われている者を雇う理由はない。
自分がされるかもしれないじゃない!
だけど、決定的とはいえないわ…

「馬車に近付いた事や、飲み物を配った事は事実でも、
細工をしたり毒を盛ったりはしていないのかも…」

「君は楽観主義者らしいな。
明日、私が池に浮いていても、事故か病気だと言うんだろう?」

「そうだと思うわ。
でも、だったら、どうして、あなたの方から離縁なさらないの?」

馬車の細工、毒を盛った等は立証出来ないまでも、
ほぼ別居状態なのだから、離縁する位は出来るだろう。

「はっ!離縁するに決まっているだろう!
だが、ここまで小馬鹿にされたんだ、あの女が如何に性悪かを世に知らしめない内は、離縁など出来るか!
私を虚仮にした事を後悔させてやる___」

虎視眈々とその機会を狙っている…という感じだろうか?

「執念深いのね、あなたの奥様には同情するわ」

「フン、愛しの婚約者を奪われたというのに、お優しい事だな!」

「奪われたなんて決めつけないで!わたしはまだ認めてないわ!
わたしと彼は愛し合っているんですから、あなたがおっしゃった様な事は、絶対にありません!」

わたしは胸を張り、堂々と言い切った。
セヴランは薄く笑う。
実に不気味だ…

「それなら、賭けをしようじゃないか、アリス=ブーランジェ伯爵令嬢」

「賭け?」

「私の言う通り、私の妻と君の婚約者が愛人関係にあった場合、
一月の間、毎日、私に謝罪の手紙を書いて貰う」

謝罪の手紙?
一度でも大変なのに、毎日、一月の間なんて、地獄だ___
思わず顔を顰めると、「自信が無いのか?」とニヤリと笑われた。
くうう!!絶対に許さないんだから!!

「万が一だが、私の間違いだった場合、君は何を望む?」

「もし、わたしの言う通り、二人が不貞をしていなかった場合は…」

裕福なデュランド伯爵には、何が一番、打撃になるだろう?
素早く頭を巡らせたわたしは、それを思い付き、ニンマリと笑った。

「一月の間、あなたには、わたしの召使になって貰うわ!」


そんな訳で、セヴランの立案、ステファニーとリリアンの協力により、
わたしはここ、デュランド伯爵夫人ナターシャ所有の館に来ている。
セヴランやジュールとの接点に気付かれてはいけないので、変装は必須だし、名も偽っている。

ポム=コットン、これがわたしの偽名だ。

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