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◇◇ ルネ ◇◇

「ルネ、どうやら、オピュロン王国がソラネル王国に攻め入った様だよ…」

早馬で届いた書状を読んだフィリップは嘆息した。
ルネは書状を受け取り、目を通す。

「愚かな事を…!」

ルネは顔を顰めた。

オピュロン王国とソラネル王国は隣り合っている。
これまでも何度か争いになっていたが、全て国境付近で留まっていた。
互いに牽制し合う仲だったのだ。
だが、今回、オピュロン王国は侵略の意図を持ち、攻め込んだ。
元々、オピュロン王国の聖地だった場所を取り返すのだと、正義を掲げて…

だが、上手くはいかなかった。
反撃を受け、逆に不利な立場に立たされているらしく…

「援軍を送れと言って来たが、どうするかね?」
「お断り下さい、父上、我がヴァンボエム王国は中立国です、援軍を出す気はありませんと」
「だが、後々、問題にならないかね?」

援軍の要請を無視すれば、オピュロン王国が勝っても負けても、問題になるだろう。

「問題になったとしても、大事な民を戦地には送れません」
「そうだね、それに、我が国は小国だ、向こうも本気では頼っていないだろう」
「返事はなるべく引き延ばした方が良いですね」
「ああ、おまえに任せるよ、ルネ」

ルネは礼をし、王の間を出た。
そこに、側近のエミールが駆けつけて来た。

「ルネ殿下!分かりました!」
「何が分かったの?」
「あのアベラール一家が何者かが、ですよ!」

アベラール一家…
ルネの婚約者とその母、妹の事だ。

「ヴァレリー様は、元々、オピュロン王国の王太子、アンドレの婚約者だった者です!」

それを聞いてもルネは驚いてはいなかった。
最初、彼女たちがこの城へやって来た時…
《ヴァレリー=アベラール》という名を聞いた時、いや、彼女を一目見た瞬間、
それと気づいたからだ___


彼女の存在を知ったのは、留学時代だ。

アンドレに婚約者が居る事、そして、その婚約が特殊なものである事も、
学園では有名で、知らぬ者はいなかった。
百年周期の花嫁、竜の物語…
他人の事に興味の無いルネも、その話には惹かれた。
そして、アンドレを羨ましいとさえ思ったのだった。

一度だけ、力を見せつける為に呼ばれた会食の席で、
ルネは彼女を見た事があった。
漆黒の長い髪に金色の瞳が印象的な、美しく利発そうな少女だった。

あれが、竜の血を引く令嬢…
何と凛とし、美しいのか…

だが、彼女は会食であるにも関わらず、あまり食べなかった。
一口、二口食べると直ぐに皿は下げられた。
彼女は真っすぐ前を向き…何も目に入っていない様だった。
人形の様に、座らされている…
ルネにはそんな印象だった。

胸になにかもやもやしたものを抱きつつも、ルネに出来る事は何も無かった。
王太子の婚約者だ、近づく事も話し掛ける事も許されない。
遠くから、ただ、彼女を眺めるしかない…ルネは自分の無力さに気付かされた。

学園でのアンドレは、自分の婚約者について、いつも現実とは違う、虚像を口にしていた。
彼女は公式の場に出る事が無く、誰も本当の姿を知らないのだ。
アンドレはそれを利用し、言いたい放題に虚言を吐いた。
男の様な体型をしていて、体臭が酷く、暴力的で野蛮、頭も悪く、人の言葉を理解出来ない…
その様な者と結婚させられる自分は憐れだ…と、女子生徒たちの同情を引くのだ。
女子生徒たちはこぞって、アンドレを慰めようとし、身を投げ出した。

その様な現場を何度か目撃したルネは、アンドレを酷く軽蔑し、そして、避けた。
そうする位しか、自分の怒りをコントロールする術はなかった。

《怒り》だけでなく、《嫉妬》もあったと、今は分かる___


「お二人の結婚式の当日、ヴァレリー様に《滅びの星》が宿ったと、
彼女を妻にすれば国が亡ぶとお告げがあったのです!
結婚は即刻取り止めとなり、アンドレ王太子は別の令嬢と結婚しています。
ヴァレリー様の居る処、国が亡ぶと言われ、
アベラール一家は財産を没収され、追放されています!」

エミールが捲し立てるのを聞きながら、ルネは「成程」と納得していた。
ヴァレリーがアンドレの婚約者であった事は知っていたが、
こうなった経緯までは流石に知らなかった。
尤も、相手はあのアンドレだ、知った処で碌でもない事だろうとは思っていた。

「オピュロン王国がヴァレリー様を花嫁に送って来た意図は、
友好などではありません!我が国を亡ぼす為です!
ルネ様!彼女と結婚なさってはいけません!即刻我が国から一家を追い出すべきです!」

エミールの言葉に、ルネは反射的に胡乱の目を向けていた。
いつも柔和な笑みを浮かべているルネが、今は一ミリも笑っていない。
その事に、エミールは気付いていなかった。

「そんな話を真に受けるのは、5歳の子供までだよ、エミール」
「ルネ様!私を信じないのですか!?」

エミールが愕然とする。

「情報自体は信じるけどね、それはヴァレリーを陥れる為の策なんだよ」
「女性一人を陥れて何になりましょう!?」

それを説明するには、アンドレがどの様な人物か説明しなくてはならない。
ルネは嘆息した。
煮え切らないルネに、エミールの苛立ちは増した。

「お告げが真実であるからこそ、この国に押し付けたのです!
それ以外、理由は無いではありませんか!!」

「実はね、僕はアンドレ王太子に嫌われているんだよ」と、ルネは言ってみたが、
やはりエミールからは厳しく、「今は冗談を言われている時ではありません!」と返ってきた。

「ルネ様!即刻、手を打ちましょう!我が国が亡びる前に!」
「我が国は亡びないよ、少なくとも、ヴァレリーの所為では亡びないから」

ルネは冷静さを見せ断言したが、エミールの顔色は悪かった。

「駄目です、ルネ様!ルネ様はあの女に操られているのです!正気に戻って下さい!」

『正気に戻れ』と言っているエミールの方が、錯乱している様に見える。
国を案じる故だろうが、側近がこうでは困る…
ルネは落ち着いた声で言った。

「エミール、この事は他の者には言ってはいけないよ、皆が不安に思うかもしれないからね」
「どうして!?ルネ様にとって、国よりもあの女の方が大事なのですか!?」
「比べる事ではないけど、僕にとっては同じだよ、どちらも失う事は出来ない」
「そんな…!!」

エミールは余程ショックだったのか、走り去った。
思い詰めた様子の彼に、ルネは嘆息した。

「困ったね…」

聖女やら、神のお告げというのは厄介だった。
嘘だと証明するのが難しいからだ。
古来には、疑いを掛けられた者は、それだけで罰せられた。

ヴァレリーをそんな目に遭わせる事は出来ない。

アンドレの婚約者だった時には、ただ、見ているしかなかった。
だが、今の彼女は、ルネの婚約者だ。

「もう、ヴァレリーに辛い思いはさせない」

彼女は僕が守る___!


◇◇◇◇


一族の直系の娘は、百年に一度は、オピュロン王国の王子と結婚してきた。
母も一族の者とはいえ、父と結婚し、子供を産んでいる。

だから、わたしも、自分が普通の女性と変わらないと思いたい。

自信が持てないのは、アンドレに《女》扱いされなかったから…
周囲もわたしを《女》には見ていなかったから…

それでも、今まで《恐れ》が無かったのは、
アンドレに対して、怒りと義務しか無かったからだろう。

今、《怖い》と思うのは、少なからずルネに対し、好意を持ってしまっているからだ___

二月一緒に居ても、ルネは変わらない。
変わらずに、わたしを女性として扱い、そして、優しい目で見つめ、微笑む。
そうすると、わたしの胸は変にどぎまぎし、顔が熱くなる…

恥ずかしくなり、もぞもぞしてくる。
心拍数が上がり、息が荒くなる。
自分自身が変になってしまう___

「これが、《恋》というものなのかしら…」

こ、こ、恋!!??

「ああ!《恋》なんて!いけないわ!!」

《恋》などというものは、ある種の呪い!錯覚の筈!!
古来より、早く目覚めなければ『正気を失ったまま身を滅ぼす』と言われている!
結婚に必要なのは、恋などではなく、相互理解、価値観、友情…きっと、そんなものよ!!
兎に角、恋などしては困るわ!!

「どうか、わたしの頭から消え去って下さい!ルネ様!!」
「いえ!嘘です!!消えて欲しいなどとは…」
「ああ!でも___!!」

大混乱だ!!

「い、いけないわ!こんな時は、ソフィ婆さんの事を考えるのよ!!」

ソフィ婆さんからの挑戦を思い起こし、闘志を燃やすのだ!!

わたしは《それ》で何とか邪念を振り祓い、織機を動かす事が出来たのだった。





「ヴァレリー、今日は城の裏手…森林へ行きましょう」

早朝に塔へやって来たルネから誘われた時には舞い上がったが、
その理由を聞いた時には拍子抜けした。

「森で収穫した物を町の広場で配るという風習があるのです」
「風習って、織物だけでは無かったんですね…」

一体、いつ結婚出来るのかしら??
別に、わたしは急いで無いけど…
ルネは急いでるのよね?子孫を残したいと言っていたし…

ん??

子孫!??
子孫って、子供じゃない!!
良く考えたら、子作りって事よね!??
えええええ!??子作り!??わたしとルネがぁああ??

!!!

わたしは一人赤面してしまった。
ルネは気付いていないらしく、いつも通り、穏やかに説明してくれた。

「そうなんです、僕は王太子なので、特別にしなければならない事もあり…
今日の事ですが、収穫した物が僕たちの象徴とされ、金貨に刻まれます。
金貨は結婚式の日に記念硬貨としてお披露目となりますので、急ぐ必要があり…」

つまり、これから、金貨をデザインし、作るというのだ。
それでは職人も大変だ。

「実は、織物が思いの他早く仕上がりそうなので、金貨を急がねばならないと催促が来ました」

もしかして、ソフィ婆さんが来たのは、進みを見る為の偵察だったのかしら?
わたしはそれを思い出した。
でも、二月二十五日と発破を掛けたのも、ソフィ婆さんだ!
金貨造りの職人には悪いけど、全力で織らせて貰うわ!!!ふっふっふっ!!

「はい、承知致しました、ルネ様、早速参りましょう!」

いざ!森林へ!!

ルネは「くすくす」と笑い、「それでは、歩き易い服装に着替えて頂けますか?」と促した。
わたしは動きやすい衣類など持ち合わせが無く、ルネに借りる事も考えたが、当然サイズが合わず…
結局、自由の利く修道士服を借りてきて貰った。
ズボンだし、生地が丈夫で軽いのだ。おまけに、フードも付いている。

「完璧ね!」

着替えを済ませ、わたしは鏡で確認し、満足した。
髪は後ろで一本の三つ編みにした。

「ルネ様、お待たせ致しました、参りましょう」
「修道士の服も、あなたが着ると可愛らしく見えますね」

さらりと言われ、わたしは一瞬きょとんとしたが、頭がそれを理解すると、真っ赤になった。

「か、か、可愛らしいなど!嘘ですわ!」
「いえ、本当に、可愛らしいですよ」
「こんなの!凛々しい男性の様では無いですか!」

身長も幅もある。
修道士の中で、これ程大柄な者はいないだろう。
わたしは両腕を広げアピールしたが…

「凛々しくはありますが、男性と女性では根本的なものが違います。
あなたはどう見ても、美しい女性ですよ、ヴァレリー」

ルネがニコリと笑う。

この人は、ペテン師か、感性が狂っているかだわ!
だから、信じてしまうのが怖い。
だけど、やはり、胸はどきどきし、うれしい気持ちは止められない___

ああ、どうか、ペテン師ではありませんように…

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