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肖像画を描き終わったわたしは、オベールの計らいで、
数日を、ベアトリスと二人、別邸で過ごす事になった。
リアムとオベールは仕事で忙しくしているので、
二人でゆっくり過ごすようにとの事だった。

辺境にある小さな町で、夏に良く行く避暑地だと聞いた。

馬車で向かいながら、わたしは何処か懐かしい気持ちになっていた。
長閑な田舎の風景は、良くある景色だろう。
だけど、昔、リアムに会った時、彼は「夏だけ来ている」と言っていた。

あの町かもしれない___

父と過ごした、父が亡くなった、そして、リアムと出会った町…
近付く程に、わたしの胸は期待に膨らんだ。

「小さな町ですが、良い所ですよ、教会や学校、孤児院もあります…
調度、教会が見えますよ」

わたしは窓の外を食い入る様に見つめた。
流れていく景色の中、その建物が目に映った。

「!!」

あの教会だわ!!

鮮明に記憶している訳では無い。
だが、何故か、あの教会だと思った。


教会を過ぎた頃から、家も無くなり、一本の道が緩やかに上がっていく…
それは森の方へと続き、木立が囲む開けた場所に、別邸は建っていた。

それ程大きくは無いが、古く趣があり、自然と調和した美しい館だ。
館の離れには、館を管理している老夫婦が住んでいた。
夫婦は笑顔でわたしたちを出迎えてくれた。

「お帰りなさいませ、奥様、若奥様」
「ただいま、シュゼット、こちらはミュラー夫妻です、館を管理してくれています」

ベアトリスが紹介してくれ、わたしは挨拶を交わした。

「シュゼットです、数日お世話になります」
「これからは、お好きな時にお泊まり下さい、若奥様」
「リアム様も先月頃まで、よく来られていましたよ」

リアムが、この町に…
わたしは無意識に息を飲んでいた。

「シュゼット、部屋に案内しましょう」

ベアトリスの声で、わたしは我に返り、慌てて彼女に従った。

わたしに用意された部屋は、二階の見晴らしの良い部屋だった。
鏡台やチェスト、クローゼット、ベッド…必要な物が揃っている。
カーテンは可愛らしくチェックの柄で、ベッドカッバーも可愛らしく、
フリルとリボンが沢山使われている。床には花柄の織物が敷かれ、
丸テーブルには小さな花瓶が置かれ、花が飾られていた。

「まぁ!可愛らしいお部屋ですね!素敵です」

「ふふ…気に入って貰えて良かったわ。
リアムが一緒の時は別の部屋を用意しますが、一人の時はこの部屋を使うと良いでしょう。
私もそうしています、私達も時には羽根を伸ばさなくてはね」

ベアトリスが「ふふふ」と笑う。
わたしは笑みを返したが、リアムと一緒に来る姿は想像出来なかった。

「今日は着いたばかりなので、ゆっくりと体を休め、
明日、町を見て周りましょう、ここに来ると、いつもそうしています」

明日、あの教会に行く___!!
わたしの胸は否応なく、逸った。
だが、『我慢しなくては』と自分を諌めた。
ベアトリスに変に思われてはいけない。

「はい、荷物を片付けます」

わたしは答え、部屋を出て行くベアトリスを見送った。
独りになると、窓に向かった。
教会の方向に目をやると、小さく鐘の塔、礼拝堂が見えた。

あそこが、教会___

今直ぐにでも飛んで行けたらいいのに…
わたしは羨望の眼差しで見つめた。



荷物を片付け、階下に降りると、
ミュラー夫妻と料理長が、晩食の準備に取り掛かっていた。

「お部屋にお花がありましたが、どなたが?」

声を掛けると、ミュラー夫人が抱えていた野菜の籠を置き、
笑顔で振り返った。

「私です、ここの敷地には沢山咲いてますよ」
「綺麗な花に心が和みました、素敵なお部屋を用意して下さり、ありがとうございます」
「礼なんてよろしいんですよ」

ミュラー夫人は照れ臭そうに笑い、芋の皮を剥き始めた。
それは大量にある。わたしたちの分、他にも護衛が三名、メイドが三名…
食事は十名程になるだろうか?

「何か、お手伝い出来る事はありますか?」
「若奥様にこの様な事はさせられませんよ、
お着きになったばかりでしょう、ゆっくりお休みになって下さい」
「いいじゃないか、若奥様、芋の皮を剥いた事はありますか?」
「はい」
「あれま!それじゃ、手伝って頂けますか?でも、怪我はなさらないで下さいね」
「はい、気を付けます」

わたしはミュラー夫人の隣に並び、芋とナイフを手に取った。

「あら、上手!手慣れていらっしゃいますね」
「以前、料理人の手伝いをした事があり、教わりました」

ルメールの家に引き取られてからの数年と、アザレが病気になり郊外の別邸へ移り住んだ時、
料理人は一人で、メイドたちが料理を手伝っていた。
わたしは時間の空いた時に手伝っていた程度ではあるが、野菜の下拵えならば難無く出来る。
料理人からも「器用だ」と言われた。

「リアム様は…小さい頃、こちらへ来られる事はあったのでしょうか?」

わたしは芋の皮を剥きながら、それを聞いてみた。
不自然に聞こえませんように!と内心で祈った。
ミュラー夫人は快く話してくれた。

「ええ、小さい頃から、今もですが、毎年いらしていますよ。
リアム様は小さい頃から利発でいらっしゃいましたよ、
ベアトリス様と一緒に、町を見て周っては、奉仕活動を手伝っておられて、
困っている人がいれば助けてあげる、優しい子でしたよ」

出会った時のリアムを思い出し、わたしは頷いた。

「本を読むのがお好きで、賢くて勉強も良く出来ましてね、
ですが、家に閉じこもって研究ばかりしている、大人しいタイプではありませんよ?
釣りや乗馬も得意で、活発で、行動力がおありなんです」

わたしは感嘆の息を吐いた。

「そんな事、若奥様の方が良く知ってるさ!」
「そうでしょうけど、小さい頃のリアム様はご存じないだろう?」
「確かにそうだな、それじゃ、リアム様の子供の頃の武勇伝を話してあげよう」
「この人の話は長くなるよ!」

ミュラー夫人の忠告に、わたしは笑う。

「うれしいですわ、沢山聞かせて下さい」

ミュラー夫妻は我先にと競い合い、小さい頃のリアムの話をしてくれた。
わたしは小さい頃のリアムの姿を思い浮かべ、想像を膨らませたのだった。


ベアトリスは晩食まで部屋におり、休んでいた様だ。
わたしが手伝いをしていた話をミュラー夫人から聞くと、驚いていた。

「まぁ!シュゼット、旅で疲れてはいませんか?」
「はい、大丈夫です、お義母様」
「若いのね、羨ましいわ…それにしても、器用ですね、ナイフを使えるなんて」
「はい、以前、母の療養で郊外の別邸に移った時、料理人は一人でしたので、
手伝いをする事がありました、大した事は出来ませんが…」
「十分ですよ、料理人もミュラー夫妻も驚いていましたよ、私も感心しています」

ベアトリスは頷き、わたしに微笑んだ。

「あなたは多才なだけでなく、それを人の為に惜しみなく使える…
誰にでも出来る事ではありません、立派ですよ、シュゼット」

わたしは、こんな事で褒められるとは思ってもみず、恐縮した。
きっと、義母は大袈裟に言ってくれたのだと。
わたしには他に褒める所が無いから…

「悲しそうな顔ですね、シュゼット」

つい、暗い方へ考えてしまったわたしに、ベアトリスが気付く。
普段、こういった事を、ベアトリスは指摘したりはしない。
今は、自分たち二人だけだからだろうか___
それが、わたしの背を押した。

「お義母様…美しくなるには、どうしたら良いでしょうか?」

アドリーヌの様に…

ベアトリスは青い目でじっとわたしを見て、それを言い当てた。

「リアムに気に入られたいのですね?」

わたしはカッと顔が赤くなるのが分かった。
今まで、リアムを愛している事は隠してきた。
知られるのは恥ずかしかったし、下心があると思われたくなかったからだ。
だけど、わたしはリアムと結婚した。
今のわたしは、リアムの妻だ、気持ちを隠す必要は無い___
だが、やはり、答える声は小さくなってしまった。

「はい…わたしは、リアム様の婚約者だった方を見た事があります…
わたしは、彼女の足元にも及ばず…リアム様は残念に思われるのではないかと…」

「それは違いますよ、シュゼット。
リアムは、あの方の見た目の美しさに惹かれたのではありません。
あの方はリアムには無いものを持っていました、リアムにはそれが《自分に足りないもの》と映り、
それを手に入れようとしたのです」

見た目の美しさも及ばないのに…
わたしは絶望した。

「それでは…わたしは、どうしたら良いのでしょうか…」

リアムに気に入って貰える日は来ないのではないか…
わたしがリアムの妻になるなど、不可能な事だったのではないか…

「あなたは、あなたのままで良いのですよ、シュゼット。
人は自分と違う存在に憧れ、それを追う時があります。
勿論、上手くいく者たちもいます、ですが、破滅に向かう場合もあります。
必ずしも、自分と違う者を追わなければいけないという事はありません。
私とオベールもそうです、違うから惹かれたのではありません、
お互いに、理解出来、尊敬し合える、それでいいのですよ。
あなたは、あなたなりに、リアムとの愛を築けば良いのです___」

ベアトリスはわたしの手を取り、その手の中に包んだ。
温かく、力強い。

だが、義母は知らないのだ、
リアムの内に、わたしへの愛など一欠片も存在しない事を…
一方的な愛だけでは、夫婦の関係を築く事など出来ない…

わたしが悲しく目を落とすと、ベアトリスはわたしの頭を優しく撫でた。

「それでは、一つ、良い事を教えましょう。
香水を選ぶ時は気を付けて、リアムは強い臭いを好みませんよ、
あの子が好きなのは、自然な香りです、考えてみると良いでしょう」

香水…

思い掛け無い事を言われ、わたしの意識はそちらに向かった。
わたしも強い臭いは苦手で、普段から控え目だ。
だけど、結婚してからは、それではいけないと…それに、特に夜は…
ソフィの助言もあり、強めに付けていたのを思い出す。

「!!お義母様、ありがとうございます!考えてみます!」

聞かなければ、リアムに嫌な思いをさせ続ける事になっていた。
わたしを拒否する理由はそれだけでは無いだろう。
だけど、少しでも、嫌な部分は無くしていかなければ…
特に、夜など、一日の疲れを癒さなくてはいけないのに、
逆に負担になる場であってはいけない…

微笑みを浮かべ、満足そうに見つめるベアトリスに、わたしが気付く事は無かった。

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