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アドリーヌ=ベルトラン。

リアムが結婚したかったのは、あの魅力的で美しい女性だ。
婚約破棄したと聞いたが、それは本人たちの望んだ事ではなく、
ベルトラン男爵の件で、無理矢理引き離されたのだろう。
本人たちの納得の上ではなく___

リアムはきっと、今も彼女を想っているんだわ…

愛した人を、簡単に断ち切れる筈がない。
リアムはそんな人ではない。
優しく、愛情の深い人だ。

「彼は、わたしとの結婚を望んだ訳じゃない…」

もし、結婚したのが彼女だったら、リアムは花嫁を放置したりはしなかっただろう。
生気無く、幽霊の様に過ごしていなかっただろう。
彼女と二人、笑い合い、幸せの中に居ただろう。
彼女となら___

つい、そんな風に考えてしまう。
わたしは溢れ出てくる涙を、唇を噛んで耐えた。

「彼女が羨ましい…」





晩餐に出席する為、わたしは早くから準備を始めた。
顔の腫れも落ち着き、見苦しくはないだろう。
鏡を覗き込み、わたしは安堵の息を吐いた。

アドリーヌを真似ても、彼女の様にはなれない。
それでも、少しは美しくなりたいと、髪を丁寧に梳かし、メイドに意見を聞き、
髪を結って貰った。

「少し、派手な化粧をしてみようと思うのですが…」

思いきって言ってみたが、メイドに頭を振られた。

「シュゼット様には似合いませんよ、それに、旦那様と奥様は良く思われないでしょう。
そういった事は、奥様に習うとよろしいですよ、奥様は侯爵家の令嬢でしたから、
間違いありませんよ___」

ベアトリスが侯爵家から嫁いでいた事は知らなかった。
確かに、ベアトリスは上品で、一見大人しそうに見えるが、オーラのある貴夫人だった。

でも、リアムの好のみとは違うのでは…

葛藤はあったが、わたしはその考えを飲み込み、笑顔で頷いた。

「はい、そうします」

リアムの好のみで無くても、オベールとベアトリスの好のみであるなら、
それはリアムの望む所でもあるだろう。
彼が望むのは、恐らくそういった事だ。
フォーレ家に溶け込み、オベールとベアトリスを安心させなくては…


リアムは、『晩餐にはなるべく出る様に』と言った。

理由は、両親の為、体裁の上かもしれない。
冷たく、一欠片の思いやりもない…
わたしを断頭台に引っ張り上げようとしている様に思え、辛かった。

それでも、彼に望まれた事だ。
それは、わたしに、リアムの妻でいる事を、許してくれている様にも思える。

「そうだといいけど…」

僅かな望みにも縋りたい気分だった。

わたしがここに居る為にも、《妻の役割》を果たさなくては…
例え、《夫婦》にはなれなくても…
《リアムの妻》は、《わたし》なのだから___





晩餐の席で、わたしはオベールとベアトリスに謝罪した。

「昨日は体調が優れず、晩餐の席に着けず、申し訳ありませんでした」
「気にするな、結婚したばかりだ、慣れない内は良くある事だ」
「そうですよ、無理は良くありません」
「それに、私たちに気を遣う必要はない、家族になったのだからな」
「ええ、そうですよ、シュゼット」

オベールとベアトリスの温かさに、わたしの目は潤む。
リアムに嫌われ、自分に味方など居ないと思えていた。その孤独が祓われる…
わたしは息を詰め、それをやり過ごした。

「ありがとうございます…」
「大袈裟なヤツだな、それより、前に泊まった時の部屋を、おまえのアトリエにと考えている」
「アトリエ?」
「絵を描く部屋が必要だろう、あそこは景色も良いし、そのままにしている、好きに使え」

オベールの好意に驚き、それから慌てて断った。

「いえ、絵を描くつもりはありません…それよりも大事な務めがあるかと…」
「うむ、良い心掛けだ、だが、前に約束した絵がまだ届いておらんぞ?」

シュシュの絵を描くと約束していたのを思い出す。
描き上がってはいたが、結婚の準備等もあり、落ち着かず、
結婚した後で、渡すつもりでいた。

「そちらでしたら、仕上がっております。
お渡しするのが遅れてしまい、申し訳ありませんでした」

「そうか!では、食事の後で見せて貰おう」

オベールとベアトリスのうれしそうな顔に、わたしは笑顔を返した。
隣のリアムは、二コリともせず、一人黙々と食事を進めていたが、
それは考えない様にした。


晩餐の後、わたしは部屋に戻り、シュシュの絵を持ち、パーラーへ向かった。
パーラーでは、オベールとベアトリスが長ソファに座り、寛いでいたが、
リアムの姿は見えなかった。

「お待たせ致しました、こちらです…」

わたしがそれを差し出すと、オベールのオリーブ色の目が大きくなり、輝きを見せた。
ベアトリスも顔を綻ばせた。

「おお!シュシュだ!なんと、愛らしい!ベアトリス、これを見ろ!」
「ええ、素晴らしいですわ!シュシュのこの表情、私も好きですよ」
「広間の目立つ所に飾って、自慢してやろう!」
「まぁ!おほほほ」

喜んで貰え、わたしは胸を撫で下ろした。

「シュゼット、おまえには、ベアトリスに付いて、色々と覚えて貰いたい」
「はい」
「だが、絵も辞めて欲しく無いのだ、これ程の才があって、描かないなど…あってはならん。
その内、画家を呼んでやるから、絵の勉強もすると良い」

思ってもみない事で、わたしは驚いた。
こんな風に言って貰える事はうれしかったし、厚意も有難かった。
だが、これで良いのだろうか?そんな疑問もあった。
リアムはそれを望むだろうか…

「ありがとうございます、御厚意に感謝致します…ですが、それはまだ先で構いません。
絵はいつでも描けますので」

今しか出来ない事を疎かにしては、取り零してしまいそうで怖かった。
わたしが今、しなければいけない事は、リアムの良き妻となる事だ。

リアムの望みを叶えたら…
わたしを認めてくれるだろうか…
少しでも、わたしを見てくれるだろうか…


◇◇


わたしはベアトリスに付き、女主人や伯爵夫人の在り方、その務めを習う事になった。

ベアトリスは、館の中を案内するのと一緒に、使用人たちにわたしを紹介してくれた。
館の使用人たちは、わたしに対して好意的で、嫌な顔をせず受け入れてくれた。
どうやら、以前泊まった時に、お礼として渡した素描を気に入ってくれた様で、
お礼を言われる事もあった。

「上手で驚きましたよ!立派なもんだ!」
「男前に描いてくれて、ありがとうございます」
「今度、孫の絵も描いてくれんかね?」

何人かに肖像画を頼まれ、問う様にベアトリスを見ると、彼女は優しく微笑み頷いた。
わたしは「水彩画でしたら、時間も掛かりませんので…」と受けてしまっていた。


希望者の名前がズラリと並んだ事で、
数日間、アトリエを解放し、望む者には休み時間に来て貰う事にした。
向かい合い椅子に座って貰い、素描をし、水彩絵の具で簡単に色を付ける。
乾かし、翌日、取りに来て貰う。


「彼に渡したいので、出来るだけ、美人に描いて頂けますか?」

若いメイドたちは、意中の男性にあげるらしい。
わたしは彼女たちが魅力的に見える表情を探し、絵にした。
そして、花や赤いリボン等の絵を添える。

「素敵!ありがとうございます!シュゼット様は天才ね!」
「ああ!自分で持っておきたいわ!」
「シュゼット様!ありがとう!」

明るい笑い声を上げて喜ぶ彼女たちに、わたしは笑顔で手を振った。

「こんなのは、恥ずかしいわね…柄じゃないのよ…」

中年の女性の使用人は恥ずかしいのか、落ち着かない様子だった。

「どなたかに差し上げるのですか?」
「ええ、毎月娘に手紙を書いているから…」
「お母さんの元気な姿を見たら喜びますね」

わたしは照れ臭そうに笑う彼女の表情を素描し、明るい色調の色を付けた。

孫を連れて来た老年の男性も居た。
わたしは仲の良さそうな二人を素描した。

「おお!そっくりだよ!ありがとう!」
「お祖父ちゃん、見せて!」
「ああ、家に飾ろうな!」

絵を描いている時は、集中している所為か、
わたしの内に蔓延るモヤモヤを、忘れる事が出来た。
そして、使用人たちとのやり取りも、心を和ませてくれた。

晩餐の時に、ベアトリスが嬉々としてオベールに話していた。

「___皆、シュゼットの肖像画を喜んでいますよ」

ベアトリスもオベールも満足そうだったが、わたしは内心、ヒヤリとしていた。
リアムに、遊んでいたと思われたくなかった。
リアムはいつもと同様に、無表情で黙々と食事を進めている。
わたしは聞こえていない事を願った。

「そうか、皆も喜んでいるか!
だが、シュゼット、大変ではないか?無理はしてはいかんぞ」

「ありがとうございます、大丈夫です。
慣れていますし、集中しているので、疲れは感じません。
それに、顔と名を覚える事が出来るので、助かっています」

肖像を描き、名前を教えて貰い、少し会話を交わす…
わたしは自然と、使用人たちの顔と名前を覚える事が出来ていた。
そして、少しの会話から、どういう人か、どんな仕事をしているかも分かった。
逆も然りで、使用人たちの方も、わたしの事を覚えてくれた様で、
会うと気さくに挨拶をしてくれた。

「成程、では、ポールには会ったかな?」
「はい、若い料理人の方ですね」
「マリーはどうだ?」
「洗濯場の方です」
「トマはどうだ?」
「庭師ですわ、愛らしいお孫さんがいらっしゃいます」
「大したものだな!」

オベールが感心し、わたしは安堵した。

「肖像画が終わり次第、務めに戻りますので…」

「そう焦る事もあるまい、本来ならば旅行にでも行かせてやりたい所だが…
リアムの仕事が忙しくて手が放せんのだ、すまんな」

「いえ!そんな、お気遣い無く…」

わたしはチラリと隣のリアムを見る。
だが、自分の名が出たというのに、何の反応も見せていなかった。
本当に、聞こえていないのかもしれない…
心を閉ざしている…そんな気がした。

「おまえは教養もあり、礼義も十分に身に着けている。
使用人たちとも上手くやれそうで安心している。
他の事はゆっくり覚えていけば良い」

「はい…」


昼間、どれ程楽しく過ごし、心が癒されても、
夜、寝室へ向かう時になると、途端に緊張と怯えがわたしを襲ってきた。

キュっと喉の奥が締まる感覚に、わたしは遠い昔を思い出した。
父を亡くし、声を出す事が出来無くなった時だ。
あの時のわたしは、恐怖と孤独の中にいた。

だが、リアムは優しかった…

わたしはそれを思い出し、温もりを求め、目を閉じた。


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