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◇◇ リアム ◇◇

リアムは先の件を話しに、アドリーヌの住む館を訪ねた。
オベールにアドリーヌとの密会を知られた事で、好きに訪ねられる分には良かった。

リアムは、アドリーヌが自分と一緒に異国へ行く事を望んだら、覚悟を決めるつもりでいた。
リアムは深呼吸をし、心を落ち着け、身形を正すと、玄関へ向かった。

玄関の扉を叩くと、いつも通りメイドが現れ、リアムを通した。
パーラーで待っていると、幾らかしてアドリーヌが現れた。

「リアム!驚いたわ!どうしたの、あなた、週末しか来られないと思っていたわ…」

アドリーヌは急いで来たのか、顔が上気している。
いつもより化粧が濃い…
リアムはふと、それに気付いた。
この生活になってからというもの、アドリーヌの化粧は薄くなっていた。

「ああ、援助の事を父に話したんだ。
それで、君にも聞いて貰った方が良いと思ってね…」

挨拶の抱擁を交わした時、いつもよりも香水が強い事にも気付いた。
リアムは強い匂いが苦手だったが、それを指摘した事は無かった。
アドリーヌが好きなのなら、受け入れるべきだと思っていたからだ。
リアムは咽そうになったが、何とかやり過ごした。

「それで、フォーレ伯爵は何ておっしゃったの?」

一緒に長ソファに座った。
アドリーヌは期待する様に、長く濃い睫毛に囲まれた紫色の目を大きくした。

「援助には、条件を付けられたよ…」

援助は一度きり。
リアムがアドリーヌとその家の者と手を切る事。
そして、オベールの選んだ者と結婚する事___

当然だが、アドリーヌは顔を顰めた。

「そんな…何て、酷い条件なの!」

「ああ…君との愛を貫くには、僕が家を出て一緒に異国へ行くしかない…
援助は受けられないが、何とかやっていく事は出来ると思うんだ。
僕は若いし、力仕事も出来るからね」

リアム自身、そう自分に言い聞かせ、前向きに考えていた。
だが、意外にも、アドリーヌが強く反対した。

「そんな!駄目よ!それは駄目!
折角援助して下さると言うんですもの…しかも、大金だわ…
一旦は、結婚する事にしてはどうかしら?」

「なんだって?」

リアムはアドリーヌの言葉が信じられず、眉を寄せた。

「本当に結婚する必要は無いわ、そうね…
婚約をする代わりに、援助をしろというのよ、援助を受けた後、婚約は破棄すればいいわ!」

アドリーヌは簡単に言ったが、リアムは頭が付いていかなかった。
援助をして貰う側だというのに、こちらが条件を出すのは、理に適わない。
それに…

「それでは、父を騙す事になる!そんな事は出来無い!」

気に入らない事があったとしても、オベールは尊敬する父親で、
リアムには大恩がある。とんでもない!と頭を振った。
そんなリアムに、アドリーヌはしな垂れ掛かり、甘く囁いた。

「大丈夫よ、伯爵にとっては端た金だもの、あなたが受け取って当然のお金でしょう?」

「それは思い違いだよ、アドリーヌ、金は伯爵家のもので、
領土や領土に住む者の為に、正しく使わなくてはいけないんだ。
伯爵というのは、それを任されている者の事なんだよ」

後継ぎとして、リアムは子供の頃から、こういった事を厳しく教えられてきた。
だが、それを聞いたアドリーヌは、恐ろしい目になり声を荒げた。

「こんな時に、綺麗事は止めてよ!
私は父を殺されたのよ!?財産も奪われ、こんな生活に落とされた!
その上、あなたの父親には、一方的に婚約破棄されたわ!
私がどれだけ惨めか、あなたに分かる!?
お願いよ、リアム、私を愛しているなら、私を助けて!」

アドリーヌがこんな風に感情を爆発させたのを見るのは、
リアムは初めてだった。

アドリーヌらしくない…

先の提案にしても、とてもアドリーヌの言葉とは思え無かった。
きっと、悲惨な状態にあり、気持ちが荒んでいるからだろう…
アドリーヌの父は罪人だが、彼女にとっては愛すべき父親だったのだ。
ショックでおかしくなっているんだ…可哀想に…

アドリーヌを可哀想に思い、助けたかったが、リアムにはどうしてやれば良いのか分からなかった。
アドリーヌの望む通りにしてやれば良いのか?
だが、その為に、オベールを裏切り、
関係の無いシュゼットを傷付ける事など、とても出来ない___

「アドリーヌ、僕と一緒に異国へ行く事を考えて欲しい…
贅沢な暮らしは出来無いが、愛のある暮らしは出来るだろう。
僕は君の為なら、全てを捨てられる、君を愛しているよ、アドリーヌ」

アドリーヌを助けたい一心だった。
だが、アドリーヌは紫色の目に影を落とした。

「リアム…少し時間を頂戴…
その間、あなたは父親の案に乗るフリをして、時間を稼いで、
その位は良いでしょう?」

アドリーヌに縋る様に見られ、リアムは断れ無かった。

「分かったよ」





アドリーヌには「分かった」と言ったが、リアムは気が進まなかった。
オベールが催促して来るまで、暫くはそっとしておく事にした。

そんな訳で、オベールと会うのを避けていたが、承知しているのか、
ベアトリスから声を掛けられた。

「リアム、額はどうなっていますか?シュゼットから、絵は完成したと聞きましたよ、
額が無ければ、折角描いて頂いた絵も、記念日に届きませんよ」

すっかり忘れていた。
言われなければ、思い出す事も無かっただろうと、リアムは感謝した。

「すみません、直ぐに用意します」
「シュゼットに意見を聞く様にと」
「分かっています、彼女はまだここに居るのですか?」

絵が完成したなら、家に帰るべきだろう。一体いつまで居るつもりなのか…
その思いが伝わったのか、ベアトリスが咎めた。

「リアム、そんな風に言ってはいけませんよ、
どの様な方であれ、礼を尽くして迎えなければなりません。
それに、シュゼットは、私たちの頼みで来てくれているのです」

ベアトリスは、物腰は柔らかいが、礼義に関しては煩かった。
ベアトリスは侯爵家の娘で、厳しく躾られていた。

「はい、失礼しました。
ですが、長くなれば、家の者が心配するのではないですか?
僕は彼女の兄を知っていますが、とても心配症の様でした」

「まぁ、あなた、シュゼットのお兄様を知っているの?」

この情報は知らなかった様だ。

「はい、何度か舞踏会で会い、話した事があります」
「そう、どの様な方でしたか?」
「気さくで人が良さそうでしたよ、妹を大事にしていました」
「そう、是非会ってみたいですね…」
「母さん、変な事は考えないで下さい、急ぎますので、失礼します___」

リアムとしては、これ以上悩みを増やして貰いたくは無かった。
リアムはさっさと切り上げ、メイドを呼び、シュゼットの部屋へ案内して貰った。

「シュゼット様、リアム様がお越しです」

メイドが扉を叩き、声を掛けると、中で何やらガタガタと物音がし、
暫くして「どうぞ」と声がした。

変に思いながらも、リアムは扉を開けた。
直ぐに、その臭いに気付いた。
絵具特有の臭いだ。
その臭いが、自分の住む館の一室でしているのだから、リアムは驚いた。
しかも、部屋の中は、まるで…工房だ。

床には大きな布が敷かれていて、画材が置かれ、水彩画が何枚か置かれている。
作業台には紙束。
そして、部屋の隅には、画架に乗せられた、大きなキャンバスがあり、布が被せられていた。

本当に、絵を描いていたのか…

疑っていた訳では無かったが、まさか、これ程本格的にやっているとは思わなかったのだ。
所詮、相手は令嬢だ、優雅に描いているものとばかり思っていた。
だが、目の前の彼女は、飾り気の無いワンピースに、作業用のエプロン姿だ。
とても伯爵令嬢には見えなかった。

「この様な恰好で、申し訳ありません…」

シュゼットが恥ずかしそうに、消えそうな声で言い、リアムは我に返った。

「いや、確か、絵は完成したと聞きましたが?」
「はい、肖像画の方が完成しましたので、他の物を少し描かせて頂いています」
「他に頼まれたものがあるのですか?」
「いえ、素晴らしい館ですから…滞在の記念にもなりますし…」

もじもじとし、小声で言い訳をしているが、要するに、描きたいから描いているらしい。
感心したら良いのか、呆れたら良いのか…
リアムはそれを飲み込み、厳しい顔を見せた。
シュゼットと慣れ合ってはいけない___

「肖像画の額を用意させて貰います、あなたの希望を言って下さい」

シュゼットの意見を聞く様に言われていたが、リアムはそれを隠し、高圧的な態度を見せた。
怖がるとばかり思っていたが、シュゼットは驚いた様に水色の目を丸くした。

「わたしが、希望を言ってもよろしいのですか?」
「ええ、あなたが描いたのでしょう?その権利はある」
「ですが、結婚記念日の贈り物ですし…ご子息のリアム様の方が、
お二人の好のみをお分かりかと…」

リアムは内心汗を流した。
二人の好のみなど、見当が付かない___

「いえ、額というのは、絵との調和が大事です、好のみは二の次です」

オベールが言っていた事を思い出し、リアムは尤もらしく言ってみせた。
ふと見ると、シュゼットが羨望の眼差しで自分をみつめていた。
まるで、神を崇めるかの様だ。

「リアム様はお詳しいのですね!その様に考えた事はありませんでした…
教えて下さり、ありがとうございます!」

余計な見栄を張った所為で、不味い事になってしまった…
リアムは更に汗を流した。

「それで、あなたの希望は?」

リアムが急いで聞くと、シュゼットは部屋の端へと歩いて行った。
そして、画架に置かれたキャンバスに向かい、その布を取った。

「!?」

その絵を見て、リアムに衝撃が走った。

なんだ、この絵は!?

美しく上品に微笑みを湛えているベアトリス。
その後で、ベアトリスの肩に手を置き、立つオベール…
オベールは鋭い視線で威厳を放ちながらも、口元に笑みを浮かべている。
堂々としたオベールの印象そのままだ___

それが、写実的に、細部まで細かく丁寧に描かれている。

「これを…君が描いたというのか?」

これは、令嬢が遊びで描くような絵ではない___!

普段、絵に興味の無いリアムでさえ、それが分かった。

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