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◇◇ リアム ◇◇


「うわ!悲惨!!」
「やだ!みっともない…」
「何処の田舎者だよ!」

リアムが駆け付けた先には、一人の令嬢が蹲っていた。
白金色の流れる様な長い髪、淡い水色のドレスのスカートは、柔らかく大きく広がり…
まるで踊り子の様だと、こんな場面ではあるが、リアムは思った。

それにしても、助ける者が居ない処か、周囲は心無い言葉を浴びせている。

これだから、貴族は___

リアムは内心で舌打ちし、進み出ると蹲った令嬢の前で、片膝を着いた。

「大丈夫かい?怪我は無い?」

誤解させない様、なるべく感情を込めずに声を掛ける。
本来のリアムは、親切心が厚く、思いやりを持っていたが、
そこに付け入ろうとする令嬢も多く、トラブルになった事もあり…
こうした所作を社交界で身に付けた。

蹲り、震えていた令嬢は顔を上げた。
薄い水色の瞳は潤み、顔は白いのを通り越し、青く見えた。
彼女は怯え、必死で助けを求めていたが、
リアムの顔を見た瞬間、それは驚きと喜びに変わった。
それを目にし、リアムの内にあった気の毒に思う気持ちは、スッと冷めてしまっていた。

自分を罠に掛けようとしているのか?
若しくは、誰かが引っ掛かるのを待っていたのか?
あどけない、少女にも見える、こんな娘までが…
そう思うと、つくづく貴族社会が嫌になった。

早く離れた方がいいと思うも、悪い事に、彼女は足を怪我した様だった。
立たせたかと思うと、「痛っ!!」と声を上げ、倒れ込みそうになったので、
リアムは咄嗟に腕を出し、体を支えていた。

その体は驚く程華奢で、リアムには衝撃だった。
壊れてしまうのでは無いかと思った程だ。

令嬢という生き物は、一体何を食べて生きてるのか…

リアムは令嬢たちの食の細さを嫌っていた。
昨年嫁いだ、三歳下の妹エリザベスも、体型やドレスの事ばかりを言い、
食事を抜いたり、野菜しか食べない時期もあった。

孤児院の子供や、貧民層の者は、食べたくても食べる物が無いというのに…
五体満足に生れ、わざわざ不健康に育って何になるのか?
リアムには理解し難い事だった。

その点、アドリーヌは…
リアムは婚約者の姿を思い浮かべた。
アドリーヌも人前ではあまり食べないが、血色が良く豊満で、リアムには健康的に見えた。
皆、アドリーヌを見習うべきだ、と。

「無理しない方がいい、失礼…」

早く連れ出そうと、リアムが抱え上げると、周囲が「キャー!」と色めき立った。
それに辟易としつつ、リアムは歩き出す。
当の彼女は荷物の様に大人しい。それに、変に体を強張らせている。
男慣れしていないのは、リアムにも直ぐに分かった。

男を引っ掛けるつもりでは無いのか…
それとも、親に男を捕まえて来る様に言われたか?
あまり食べさせて貰えてないのではないか?
日頃から、孤児院や下層階級の者たちと接している所為か、
リアムの思考は良く無い方へ向かった。

「早く帰って、足を診て貰った方がいい、馬車は何処?」
「いえ、馬車までは…兄と来ていますので、兄を呼んで貰います」
「お兄さんの名は?」
「ルメール伯爵子息、フィリップです」

リアムには馴染みの無い名だった。

広間を出た回廊脇に置かれた、クッション付きのベンチの上に、
注意深く彼女を下ろすと、館の使用人を呼び、彼女の兄の名を告げ、呼ぶように頼んだ。

「あの…ありがとうございました…」

緊張しているのか、普段からなのかは分からないが、その声は綺麗だが、か細く震えていた。
今の彼女の表情には戸惑いが見え、リアムの内に同情心が戻って来た。

「気にする事は無いよ、足はどう?靴を脱いで、休ませるといい」

「はい…」

答えるも、彼女は俯き、ドレスのスカートを指で弄っている。
何をしているのかと、リアムは目を眇め見たが、それに気付き、さっと背を向けた。

婚約者のアドリーヌは、大人で恥じらう様なタイプではない。
妹のエリザベスも、兄の前では特に気取る事は無かった。
そして、この目の前の相手は、小柄な上に華奢で、顔立ちにもまだ幼さが残り、
それは少女の様で、リアムの目には『女性』とは映っていなかった。
だが、礼儀に反していたのは事実で、リアムは自分の失態を恥じた。

変に気まずい空気に包まれていた処、
広間の扉から、リアムと同じ年頃の男女が走り出て来た。

「シュゼット!!一体何が…」

彼女の兄だろう、フィリップは見るからに動揺していた。
事故に遭ったとでも聞かされたのだろうか?
リアムが唖然としていると、シュゼットが宥めに入った。

「お兄様、わたし転んでしまって…この方に、助けて頂きました」
「転んだ!?何て事だ!大丈夫かい、シュゼット!」
「大丈夫です、少し痛むだけで…」

少し?と、リアムはシュゼットを見る。
かなり痛がっていた筈だ、何故、兄に気を遣うのだろう?
エリザベスが自分に気を遣った事などあっただろうか?
変に思いながらも、フィリップのこの慌てぶりでは仕方ないかもしれないと納得した。

「挫いているかもしれない、早く帰って診てあげて下さい」
「ああ、はい、そうします…妹を助けて下さり、有難うございました」
「それでは、僕は失礼します」

リアムは直ぐにその場を後にした。
彼らがどうこうという訳ではなく、親しく無い者とは変に関わらない様にしていた。
だが、テラスに戻ると、それが目に入った。

明るい水色の靴。

リアムの頭に、柔らかい、水色のドレスのスカートが浮かんだ。
片方だけ転がっている事もあり、考えるまでもなく、彼女の物だろう。
関わってしまった手前、放り出す事は出来無い、リアムはそれを拾った。

「やはり、小さいな…」

子供の靴とまでは言わないが、リアムには玩具の様に見えた。

「一体、何歳なんだ?」

過保護過ぎる兄を思い出し、苦笑する。
だが、怯えた顔や、涙に濡れた水色の瞳を思い出した時…
何故か、それを何処かで見た気がした。

「いや、聞いた事も無い名だ…」

きっと、気の所為だろう…
リアムは頭を振り、その考えを追い出した。

「リアム!ここに居たのね、探したのよ」

アドリーヌの声に、リアムは振り返った。
アドリーヌが魅力的な笑みを浮かべ、リアムの腕に自分の腕を絡ませた。

「婚約者を放っておくなんて、悪い人ね!」
「ああ、すまない、ちょっとしたトラブルがあってね…君!」

リアムは館の使用人を呼び止めた。

「今日の客が落として行った物だ、届けてやってくれ、
名はルメール伯爵令嬢、シュゼット___」

使用人に靴を渡し、リアムは漸く役目が終わったと、安堵の息を吐いた。





あの舞踏会の翌週、パーティで、リアムはフィリップに声を掛けられた。

「リアム!この間は、妹が世話になったね、ありがとう!」
「ルメール伯爵の…フィリップだったかな?礼など必要無いよ」
「いや、君は妹の窮地を救ってくれた恩人だ!何か助けが必要な時は遠慮無く言ってくれよ!」
「そんなつもりではなかったんだが、覚えておくよ、フィリップ」

あまりに馴れ馴れしく気さくで、最初は何か企みがあるのかと疑ったが、
直ぐにフィリップが貴族にしては善良な者だと分かり、リアムは彼に好感を持った。

「妹君の足はどうだい?」
「ああ、酷いものさ…可哀想に…」
「折れていたのか!?」
「いや、捻ったんだ」

『捻っただけか』と、リアムは拍子抜けしたが、目の前のフィリップは真剣だった。

「赤く腫れて、凄く痛そうなんだよ!僕も父も見て居られなくてね…
暫くベッドから出無い様に言い付けてあるんだ…」

「少し過保護過ぎやしないか?」

リアムにも妹がいるが、捻った位で大騒ぎはしない。
それでは、構われる方が逆に息が詰まるだろう…
半ば呆れるリアムに、フィリップは視線を落とし、嘆息した。

「きっと、そうだろうね…」

その様子から、何か事情があるのが見て取れ、
リアムは安易に『過保護』と言ってしまった自分を恥じた。

「すまない、余計な事を言った…」
「いや、本当の事さ、なんたって、シュゼットは僕たちと造りが違うからね!
つい、過保護になってしまうのさ、君も直ぐに分かるよ!」

フィリップは顔を上げ、明るく冗談にした。
そんな所も、リアムは好感が持てた。


それからだ、リアムとフィリップは、お互い見掛けると挨拶をし、軽く話す仲になっていた。

一度、舞踏会にシュゼットが来ていて、リアムは礼を言われたが、
それ以降は見掛けなくなった。

大人しく、壁際でぼんやりとしていた姿を思い出し、
きっと馴染めなかったのだろうと、リアムは片付けた。
シュゼットは如何にも純粋無垢な少女で、社交界などに染まらない方が良いと思えた。

だが、それ以降、フィリップにも会わなくなったのは残念だった。


状況が一変したのは、それから一月が経つ頃だった。


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