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しおりを挟むリチャードは好意的ではあるが、まるで蜘蛛の糸の様にわたしを絡め取り、
逃げ道を塞いでしまう…
怖くなってきたわたしは、焦りもあり、礼儀など投げ出し、
「すみません」と強引に切り上げようとした。
だが、そこに、リチャードの友達なのか、三人の同じ年頃の男性がやって来た。
「リチャード、振られた様だな!」
「それなら、俺はどう?」
「おい、俺が先だぞ!」
わたしは、自分よりも遙かに大きな彼らに囲まれ、恐怖を感じ、
逃げ出そうと足を踏み出した。だが、焦っていた所為か、靴を引っ掛けてしまった___
「きゃ!!」
わたしは成す術も無く転倒し、持っていたシャンパングラスは手から離れ、音を立て飛び散った。
わたしは打ち付けた膝や腕の痛みよりも、この大惨事に、目の前が真っ暗になった。
だが、それだけでは終わらなかった。
「うわ!悲惨!!」
「やだ!みっともない…」
「何処の田舎者だよ!」
周囲の心無い声に、家族の顔を潰してしまったと、涙が込み上げた。
今直ぐ、消えてしまいたい___!!
気力を掻き集め、立ち上がろうとした時だ、
「大丈夫かい?怪我は無い?」
わたしの前に膝を付き、声を掛けてくれる人がいた。
助けを求め目を上げると、そこにあったのは、夢に見た人の顔で、
わたしは思わず「はっ」と息を飲んでいた。
金色の髪、それに白い肌は変らないだろうか?
オリーブ色の目は幾分鋭くなり、輪郭の丸みは消え、あどけなさは見えないが、
変わらず、端正な顔立ち___
あの少年が成長したら、きっとこんな風だろうと、想像していた通りだ。
いや、想像よりも逞しく、そして立派に見えた。
リアムだわ!
目を見開き見つめるわたしに、彼は気付かなかったのか、表情は変らず、
「立てるかい?」と手を貸してくれ、立たせてくれた。
わたしは彼を煩わせてはいけないと、しっかりと立とうとしたが、足首に激痛が走った。
「痛っ!!」
しゃがみ込みそうになったが、彼の腕が支えてくれた。
その腕の固さや力強さに、わたしは驚いた。
「無理しない方がいい、失礼…」
彼はわたしを抱き上げた、軽々と…!
わたしも驚いたが、周囲はそれ以上に騒然とし、「キャー!」と声を上げる者もいた。
だが、彼は構わずに、わたしを抱えたまま、歩き出す。
「早く帰って、足を診て貰った方がいい、馬車は何処?」
「いえ、馬車までは…兄と来ていますので、兄を呼んで貰います」
「お兄さんの名は?」
「ルメール伯爵子息、フィリップです」
彼は広間を出た回廊に置かれた、クッション付きのベンチの上にわたしを下ろし、
館の使用人に兄の名を告げ、呼ぶように頼んでくれた。
「あの…ありがとうございました…」
「気にする事は無いよ、足はどう?靴を脱いで、休ませるといい」
「はい…」
羞恥心に襲われ、もじもじとしていると、彼は気付いたのか、わたしに背を向けた。
スッとした、姿勢の良い、その後姿に見惚れつつ、わたしはドレスのスカートを手繰り寄せた。
その時になり、靴は何処かで脱げ、落としてしまっていた事を知った。
足首はじんじんと痛んだが、わたしはそれよりも、彼にどう話し掛けようか…
その事の方に意識を奪われていた。
だが、わたしがそれを思い付く前に、広間の扉から、フィリップとソフィが走り出て来た。
「シュゼット!!一体何が…」
フィリップは状況が掴めず、わたしと彼を交互に見た。
「お兄様、わたし転んでしまって…この方に、助けて頂きました」
「転んだ!?何て事だ!大丈夫かい、シュゼット!」
フィリップが青くなり慌て出したので、「大丈夫です、少し痛むだけで…」と、
わたしは安心させようとした。だが、彼が遮った。
「挫いているかもしれない、早く帰って診てあげて下さい」
「ああ、はい、そうします…妹を助けて下さり、有難うございました」
フィリップは礼儀を思い出したのか、彼に向かい礼を言った。
「それでは、僕は失礼します」
彼はスッと踵を返し、去って行った。
声を掛け、呼び止める暇も与えずに…
わたしは名残惜しく、遠くなる背中を見つめてしまっていたが、
フィリップはそれ処では無かった。
「シュゼット、直ぐに帰ろう!足を怪我するなんて…大変だ!」
わたしたちは予定よりも早く帰る事になった。
フィリップは御者に馬車を飛ばす様に言い、ソフィはわたしの怪我を診てくれた。
打ち付けた膝と肘は紫色に変色し、足首は赤く腫れてきていた。
「酷いわね…早く冷やさないと…」
館に戻ると、今度はドミニクが大騒ぎを始めた。
主治医が直ぐに駆け付け、足を診てくれた。
幸い、骨に異常は無く、冷やし、薬を塗り、数日は安静にする様にと言われた。
「フィリップ!おまえが付いていながら!シュゼットに怪我をさせるなど…!」
ドミニクは酷く怒り、フィリップを叱り付けた。
フィリップは弁解せず、「すみません、僕の所為です」と謝っていたが、悪いのはわたしだ。
胸が痛んだ。
「お兄様の所為ではありません!お兄様を叱らないで下さい、
それより、わたしの方こそ、お父様とお兄様に恥を掻かせてしまって…
申し訳ありません…」
皆がわたしを笑っていた…
家族への申し訳無さに、わたしは涙が込み上げ、唇を噛んだ。
「おまえが謝る事など、何も無いんだよ、シュゼット、
転んだ位で恥にはならない、大丈夫だよ、安心しなさい」
ドミニクは途端に優しい口調になり、慰めてくれた。
「でも…皆、わたしを笑っていたわ…!わたし、お父様とお兄様に申し訳無くて!」
「笑う方が礼儀知らずなんだ!そんな意地の悪い者たちなんて、気にする事は無いよ」
「フィリップの言う通りだよ、本物の貴族ならば、笑ったりはしない」
「そういえば、おまえを助けてくれた人が居たじゃないか!シュゼット」
フィリップがそれを口にし、わたしの悲しみや怯えは一気に吹き飛んだ。
代わりに、恥ずかしい様な、何処か後ろめたい気持ちに襲われた。
「ほう、誰だね?」と、ドミニクがフィリップに聞く。
「あれは、確か、フォーレ伯爵の子息、リアムです」
やっぱり!リアムだったのね!
わたしはその名にドキリとし、無意識に胸を押さえていた。
「フォーレ伯爵の子息か…覚えておこう」
ドミニクは何度か頷いた。
わたしは、メイドに支えられ、自分の部屋に戻ると、夜着に着替え、
ベッドにうつ伏した。
「リアムだった…」
胸がまだ、ドキドキとしていた。
目を閉じ、今日会った彼を思い出す。
記憶の少年ではなく、すっかり大人になっていた。
十年経つのだ、それも当たり前だろう。
これまで、成長した姿を想像し、何枚も絵を描いた。
「だけど、想像もしていなかったわ…」
背の高さ、広い背中、そして、強い腕…
彼はわたしを軽々と抱き上げてしまった。
「あんな風に、逞しくなるものなのね…」
立派な大人で、紳士だった。
余所余所しさはあったが、彼は親切だった。
優しい所は変わっていない。
「また、会えるかしら…」
彼に会う方法は、舞踏会に行く事しか思い付かない。
舞踏会という場が苦手だとか、社交が苦手だとか、確かに問題はあったが…
男たちに囲まれた時の恐怖や、皆から笑われた時の恥ずかしさも、
『彼に会いたい』という気持ちには勝てなかった。
「きっと、会えるわ…」
一目で、《彼》だと分かった。
間近で彼を見た時、《運命》だと思った。
もう二度と、交り合う事など無いと思っていた。
だけど、再び、巡り会えたのだ。
「ああ、どうか、彼がわたしの運命の人でありますように___」
◇
翌日、侯爵家より、わたし宛てに箱が届いた。
中身は、舞踏会で失くした靴の片方だった。
「侯爵が送って下さったのか、礼状を書いておこう___」
ドミニクは直ぐに礼状を認め、使用人に預けていた。
だが、わたしには、リアムが送ってくれた様に思えた。
転んだわたしを助けてくれたのは彼だけだ。
侯爵家の者は、令嬢が一人転倒し怪我をした事など知らないだろう。
「送って下さるなんて、親切で、優しい方…変わっていないわ…」
わたしは、傷の付いた靴を愛おしく撫でる。
もう片方の靴と合わせ、大切に箱に入れると、クローゼットの奥に仕舞った。
この靴は、宝物だ。
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