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9章 あの日本一の誠実系ナンパ師、子凛が逮捕!?

9-10 ブタ箱生活

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「まあさ様専用の『まあさのわさび皿』をお持ちしました」
「来た来た、おおきに」
 目の前には、わさびがタワー型に盛られていた。
「まあさ、ワイからのプレゼントや。遠慮なくどうぞ」
「ガリさん、何の罰ゲームですか! 自分、そこまでガリさんの逆鱗に触れることやりました!?」
「ま、ええからええから。今日は全部食べるまで帰さんで」
「総長! 死んでしまいますよ!」
「冗談や冗談。ガリ栽培の本わさびや。味は確かやで。グリーンもどうぞ」
 タコの握りにわさびをのせて口の中に放り込んだ。ガリ栽培のわさびは、辛味と甘味と酸味の調和が絶妙で、味わえば味わうほど旨味が出てくる不思議なわさびだった。お茶を飲んで一息つくと、ほろ酔い加減の頭に思い浮かんだことを訊いてみた。
「末吉さん、留置場ってどんな感じでした?」
「留置場ですか。建物は古かったけど、清潔感はあったかも」
「6時30分 起床、布団の片付け、洗面。
 7時 朝食、清掃。
 8時 運動(平日のみ)、髭剃りや爪切り。
 9時~ 取調べがなければ居室で過ごす。官本(留置場で貸りられる本)を借りて読むことができる。風呂(五日に一度)。
 12時 昼食(ラジオが流れる)。
 13時~ 取調べがなければ居室で過ごす。
 17時 夕食、自由時間。
 19時 部屋の点検、就寝準備、洗面。
 20時45分 本の回収。
 21時 就寝。
 タイムテーブルを端的に言うとこんな感じや。暇だわな」
「さすがガリさん。その通りだし、それだけ詳細に語られると忘れていたこととか思い出しちゃうじゃないですかぁ。飯は朝食以外は弁当でしたけど悪くはなかったです。臭い飯なんて言葉があるけど自分はそうは思わなかったなぁ。三人房だったのだけど、一人は校長先生、もう一人は詐欺罪で捕まった人でした。詐欺罪の人は『前に入ってた留置場はうまかったけど、ここのはまずくて食えたもんじゃねぇ』と言って、自弁を食べていましたけど」
「留置場は、その警察署によって規則やタイムテーブルや食事など微妙にちゃうねん。食事は基本、外部に委託していて、その業者の質によって食事のレベルが変わるんや」
「ところで、自弁って何ですか?」
「留置場で出される『官弁』という食事以外に、自分のお金で購入できる食事を『自弁』というねん。警察署によるのだが、弁当やお菓子や飲み物、他にカツ丼やそばなど出前を注文できるところもあるんやで」
「その通りです。鉄格子の扉を開けると、六畳ほどの部屋にトイレと洗面台、そっけない部屋で時計もなく、当然スマホもなく……、自由を奪われ、猛省と耐えることだけを求められる留置場生活は苦しかったです」
「三人房ってトイレも一つなんですか?」
「もちろん。そんな環境だったのでオナニーは一度もしませんでした……。でも、留置場よりも検察庁の方が嫌でしたね。特にベンチが」
「ベンチですか?」
「はい。身柄を送検されたので、手錠をかけられ腰縄を付けられた状態で午前九時に検察庁に向かいました。着くと、薄暗く息苦しい狭い部屋の檻の中にブチ込まれます。一つの檻に十人前後の容疑者が入れられるのですが、目つきのイっちゃってる奴もいてヤベェ空気が漂ってました。そこで、検察官との面接を待ちます。そこに硬い木のベンチが並んでいるのですが、両手錠したまま座って自分の順番を待つんです。確か……、朝行って夕方頃まで座っていたと思います。あれは、キツかったです」
「検察庁の拷問ベンチといわれとる。有名な話や」
「まさに拷問でした。だから、検察庁に比べれば、まだ留置場の方が良かったね。新聞や漫画が読めたから気を紛らすことができたんですよ。でも、タバコが吸えなかったのは辛かったです」
 そう言うとガリさんは我慢できなくなったのか、すぐさまタバコを唇で挟みジッポーを取り出し火をつけると、目を瞑りながら美味しそうに肺の奥に煙を吸い込んだ。それを見ていた末吉が続けて言葉を発した。
「出所した時の一服はほんとうまかったなぁ」
 と言うと、視線をくうに浮かした。
「昔は運動の際に二本吸えたんやけどな。2013年4月から全面禁煙になってんねん」
 まあさは、赤貝にたっぷりワサビをつけて頷いている。
「自分、恥ずかしいんですけど、取調室で緊張のあまり唇の震えが止まらなくなってしまったんですよ。それを見兼ねたのか、警察官からそっとジャスミンティーを差し入れされました」
「お洒落なエピソードやな」
「見た目はヤクザと変わらなかったんですけどね」
「ま、それは罪を認めてるからや。否認してりゃそうはいかへん」
「そうですね……。十日間でしたが、絶望の淵を彷徨さまよう毎日でした。護送車で運ばれるときに普通に生活してる人を見て、自由に動き回れることを心の底から羨ましく思ったし……、朝の運動時間に壁の隙間から見えるほんのわずかな外の世界を血眼で覗き、なぜだかそれがとても美しく見えてしまい、バカみたいにべろを突き出しては空気を吸いまくり、それがたまらなく美味しく感じました」
「えらく精神的に追い込まれたみたいやな」
「檻に入れられた生活は精神的に追い詰められて苦しかったです。留置場を出れば、手錠や腰縄による拘束によって、屈辱感が自分の心を押し潰しました。とにかく、様々なことを考えました。いや、逆かもしれない。考えさせられたのかもしれません」
 と末吉が言うと、その言葉や感情、それらが合わさった空気感によって考えさせられている自分に気づいたが、その考えはまとまることがなく、再び唇が動いたので黙ってそちらに視線を向けた。
「留置場のボールペンは芯がちょっとしか出ず、しかもカバーで覆われていたんです。暇を持て余していたので、読書に飽きるといつまでも日記を書いていました」
「凶器や自傷行為に使用されたらアカンからそういう作りになってんねん。留置場で殺人や自殺が起きれば大問題やからな」
 末吉は瞬きするだけで何も返答しなかった。
「末吉さん、お風呂ってどうでした?」
「え? あ、はいはい。さっきガリさんが言った通り、五日に一度(約二十分)なので、臭いし痒いし大変でした。古株から入る留置場でして、自分は後の方だったんですよ。浴槽を見たら、体毛やあかや何だかよくわからないものも浮いているし、色も濁っていたので汚くて嫌だったのですが我慢して入りました」
 そこまで言うと、とっくりからお猪口ちょこに注いだ日本酒を勢いよく一気飲みした。頬は先ほどより赤味が増している。
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