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その7 もやもやした日のたこ焼きご飯
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最近、秋くんの様子が少しおかしい。
なんというか……ちょっと度が過ぎるくらい、わたしにべたべたしたがるのだ。
「あ、秋くん……」
「なんですか、桜さん?」
「こ、こういうのは、そ、その、毎日しなくてもいいんじゃないかなって……んあっ」
「毎日したほうがいいですよ。身体のためにも……ほら、こんなに硬くなってます」
「あっ、ちょ、揉んじゃ……あぁ♡ 秋くん、なんでこんなに揉むの上手なのぉ……!」
「それはもう、学校でも友達相手に経験積んでますから」
「友達相手に、って……秋くん、その言い方なんか卑猥……っひん♡」
「あ、大丈夫ですよ。あいつらのことは練習台にしか思ってません。僕が気持よくさせたいのは桜さんだけですから」
「うあうぁ……らっ、らめぇッ♡」
……一応言っておくと、マッサージのことだ。
今までだって、秋くんは頼めばマッサージしてくれていた。でも、最近は秋くんのほうから「桜さん、揉ませてください」と迫ってくるのだ。
もちろん、いかがわしいマッサージではない。秋くんが揉んでくるのは、頭とか肩とか腕とか背中とか足とか……要するに、いかがわしいことになってしまう箇所以外の全部だ。秋くんは純粋に、わたしの疲れを解そうとしてくれているのだった。
その気持ちはとっても嬉しい。でも、毎日毎日マッサージ漬けにされるのはちょっとどうかな、と思う。最近、マッサージ疲れを感じているほどだし。
でも……
「秋くん、マッサージは本当に大丈夫だから」
そう言って断ろうとすると、秋くんは雨に濡れた仔犬みたいな表情になるのだ。そんな表情をされたら、断れるわけがない。
「……本当はちょっと凝ってたんだ。せっかくだからお願いしようかな」
「はい、任せてください!」
こうして今日も今日とて、わたしは全身の支配圏を秋くんに明け渡すという、嬉しくも恥ずかしく、そしてある意味で悶絶するほど狂おしい一時を過ごすのだ。
秋くんのマッサージ推しが始まった最初の頃は、薄手ながらも長袖のトレーナーと膝丈のハーフパンツという格好で寝そべっていたのが、いつしか半袖のTシャツと太ももが見えるショートパンツになり、そして今日は肩出しキャミと太ももの付け根まで見えるホットパンツになっている。
いくら部屋着といえど、ちょっと色々見せすぎじゃないの、と自分で思うけど、止められないんだもん!
「マッサージだし、肌が見えるほうが秋くんもやりやすいよね……?」
「そうですね」
いや、そうだけど、そこは自然体で流さないでほしいな!
秋くん、目の前に「こっ、これはマッサージだから仕方なく薄着なんだからね!」って言い訳付きで露出している彼女がいるんだよー。彼氏として、もうちょっと照れたり挙動不審になったりしてもいいところだよー。
……というか、わたし一人だけ日に日に薄着になっていくのって、冷静になってしまうとすごく……浅ましい、はしたない、ふしだら、必死すぎ……。
でも実際問題、秋くんはもっと真面目に汲み取るべきだと思う。毎日毎日、彼氏に健全なマッサージを入念に施される彼女の気持ちを! 好きな男の子から健全なところしか触ってもらえない生殺しの日々を過ごす年頃女性の切ない気持ちを!
いやもう本当、これ以上は心の奥の獣が解き放たれてしまう。そうなる前に、秋くんのマッサージしたい欲求をどうにかしないといけない。そのためには、その欲求がどこから来るのかを知らなくてはならない。
「あ……秋くん……も、ありがと。今日はもう、すっかり解れたから……マッサージはいいから……」
「そうですか? でも、もう少し――」
「ううん、もう本当にいいから……!」
今夜もまた、理性の糸が切れる手前で身動ぎして、秋くんの手を根性で振り払いながら身体を起こす。
腰に力が入らなくて、両手の力だけで生まれたての子鹿みたいにぷるぷる震えながらだったけれど、どうにか上体を起こす。
「そっ、それよりも聞きたいの。秋くん、ここ最近どうして急にマッサージしたがるようになったの?」
「……」
「マッサージのことだけじゃなくて、全体的にスキンシップ過多だよね。どうして、急にそうなったの……?」
「……」
秋くんは答えず、目を伏せてしまう。
「秋く――」
「あっ、そうだ。桜さん、シャンプーしましょう!」
「……ん?」
「身体を気持よくしたら、次は髪ですよね」
「んん?」
「任せて、桜さん。髪の先まで気持よくしてあげますからねっ」
「えっと、いまそういう流れじゃなかったよね?」
「さ、お風呂場に行きますよ。桜さん」
「あっ、待って待って。いま腰が抜けてるから――あっ、わひゃ!?」
秋くんがわたしをお姫様だっこした!!
「大丈夫、これでもそこそこ鍛えてますんで」
「そういうことじゃなくぅ!」
わたしは必死に訴えたけれど、力の入らない身体ではどうすることもできず――むしろ、暴れて落ちたら怖いので、自分から秋くんの首にひっしとしがみついて浴室へと運ばれていった。
お風呂場の秋くんは、シャンプーだけではなく「身体も洗ってあげますね」なんて朗らかな笑顔で言ってきたけれど、そこはさすがに死守した。身体にバスタオルを巻いてシャンプーされる以上のことを許したら、わたしの理性は死にます。
どうにか死なずに自室まで戻ってベッドへ倒れ込むことができたとき、思わず安堵の溜め息が長く長く、それはもう長く溢れた。
「ふああぁ……これもう、本当どうにかしないと……わたし、どうにかなっちゃう……!」
放っておかれるよりは百倍嬉しいことなんだけど、構われすぎも困りもの。極端はいけない。何事もバランスが肝心ということだ。
「これまでバランス完璧だったのに、どうして急に……なんだろう?」
そう、問題はそれだ。秋くんが急にべたべたしてくるようになった理由なのだ。
秋くんに何度か問い質してみているのだけど、その度に上手いことはぐらかされてしまっていた。
「わたしには知られたくない理由……知らせたくないこと、知らせられないこと……うーん……あっ、思春期的な何か?」
秋くんは大人びているけど、それでも立派に年頃男子だ。自分でも抑えきれない青春の迸りを、過剰なスキンシップという形でわたしにぶつけてきているのだろうか?
「……もしそうだとしたら、思春期が終わるまで、ずっとこのまま?」
それはちょっと困ることかもしれない……。
もしもそれが理由なら、秋くんのためにも、わたしのためにも、物理的に距離を置かないといけなくなってしまう……のだけれども、離れるなんてきっとできないだろうから、開き直って普通に一線越えちゃいそうだ。むしろ、「仕方ないなら我慢しなくていいよね♡」となっちゃいそうだ。なにそれ、楽しそう。
「いやいや、楽しそうとかじゃなく。駄目だよ、駄目。仕方なくないし、我慢は大事!」
ベッドで横になったまま、自分の頬をびたびた叩く。
「うん、とにかくあれだ。理由を訊こう。明日こそ、ちゃんと! よし!」
頑張れ、明日のわたし。今日のわたしはここまでだ!
部屋の灯りを消して目を瞑ったとき、わたしはふと思い出す。
あ、頑張れ明日のわたしって台詞、昨日も言ったじゃない――と。
●
『朗報! 今日はいま帰り!』
わたしは駅のホームで帰りの電車が来るのを待ちながら、秋くんにそうメッセを送る。するとすぐに返信が来た。
『迎えに行きますね』
「……えっ」
スマホを見ながら、思わず声を漏らしてしまった。ちらっと周りを見たけれど、誰も気にしていない。ほっとしつつ、素早く返信を打つ。
『いいよ、べつに。ちゃんと帰るって』
『いいなら行きますね。何時にこっち着きます?』
『いや、いいってそういうイイじゃなくー……あっ、ご飯はいいの?』
わたしはなにも秋くんを飯炊き係の義務を押しつけているわけではない。ただ、秋くんが家事全般に誇りを持っていることを知っているから、驚いて尋ねたのだ。
だから、やや間があってから表示された返事には驚かされた。
『今夜は外食にしましょう』
「えっ!?」
さっきよりも大きな声を上げてしまった。今度は隣に並んでいたひとから、ちらっと見られた。わたしは、なんでもないですよ、という顔をしながら、ささっと返信を……打てなかった。
だって、秋くんがご飯作りを止めてまで迎えに来ようとしているのには違和感があるけれど、『今日はご飯の用意しないんだね』とも言えない。そんなの、ご飯作りを強要しているみたいではないか。
しばらく迷った末、わたしは返事を送る。
『分かった。改札出たところで待ってるね』
電車の到着時刻を添えて、そう告げるしかなかった。
「桜さん!」
改札を出たところで、秋くんが駆け寄ってくる。犬だったら、尻尾がぶんぶん振りたくられているところだ。
「ただいま、秋くん」
「おかえりなさい、桜さん……いいですね、こういうの」
秋くんが嬉しさいっぱいという顔で言う。
「ただいまとおかえり? いつも家でしてるじゃない」
「少しでも早く言えるのがいいんです。――明日からも迎えに来ようかな」
「……明日の帰りは、たぶんいつもの時間だから」
「あ、そうか」
残念です、と哀しげに頬笑む。
わたしが秋くんにそんな顔をさせてしまった事実に、胸がぎゅっと掴まれる。でも、わたしが何か言うより先に、秋くんは思案の顔で呟く。
「夕飯の準備を早めて、食べるときに温め直せばいいようにしておけば……」
……あっ。秋くんは明日からも迎えに来るつもりだ。
そこまで考えてくれるのは嬉しいけれど、負担にはなりたくない。
「秋くん、秋くん。そこまでしなくていいよ。心配しなくても、一人でもちゃんと帰れるんだから。わたし、大人よ?」
「……僕は子供ですか?」
「え……?」
秋くんの口から返ってきたのは、予想もしていなかった言葉だった。
「僕が桜さんと同い年だったら、迎えに来なくていい、とは言いませんでしたよね」
「そんなことないよ」
わたしは本心からそう言ったのだけど、秋くんは撥ね除けるように頭を振った。
「そんなことあります。子供だと思っていなかったら、一緒に帰れたら安心する、と言っていたはずですから」
「え……なんで、そうなるの?」
わたしが違うと言っているのに、それでも子供扱いされている、と言い立てる秋くんに少しムッとしたことも認めるけれど、これは純粋な疑問だった。
秋くんが言った、一緒に帰れたら安心する、という言葉が妙に引っかかった。
上手く言葉にできないのだけど、なんというか……前後の脈絡がないように思えた。
秋くんが年下ではなかったら、わたしは安心する? つまり、秋くんは大人に見られたい? でもそれだと、ここ最近のスキンシップ過多が理屈に合わなくなる。あれは、気持ちよさは別として、子供っぽく甘えているように感じられた。
子供っぽく付きまといたいのか、大人として頼られたいのか――これでは、秋くんの言動がちぐはぐになってしまう。
わたしはどこかで考え違いをしているのか――
「――あ」
そっか。
ちぐはぐなんだ。
「秋くんは大人じゃない」
「……!」
わたしが言うと、秋くんは悔しげに顔を歪ませる。
「でも、秋くんは子供でもない」
「慰められても嬉しく――」
何かつまらないことを言おうとしていたみたいだけど、言わせなかった。
正面から思いっきり抱きついた。肺の空気が全部出ていってしまうくらい強烈なハグをお見舞いしてやった。
「えっ……っ……」
秋くんが口をぱくぱくさせている。金魚みたいだ。
いい気味だ。ここしばらく、ずっとわたしを困惑させてきたんだから、このくらいのお返しはして当然、されて当然だ。
「あっ、さ、桜、さん……ひ、ひとが見てます……!」
「そうだね。見られてるね。知ってるひとがいたら困っちゃうね」
「分かっているなら、早く――」
「でもね、究極的な話、べつにいいの。誰かに見られても、知られても、いいの」
「でもそれじゃ――」
「それでどうなるかなんて知らないし、どうでもいい――どうでもいいの」
「桜さん……」
「――秋くん。わたしにはね、秋くんがいればいいの。大人だから子供だからじゃない。秋くんか、秋くんじゃないか、なの」
「……」
もう言葉は要らなかった。
駅から出てきて、それぞれの家路へと流れていく人々の影がいくつも通り過ぎていく。
思いの外、誰も足を止めない。
見ていくけれど、それだけだ。見たからといって、何かをするほどのこともない。
だって、他人は他人だから。
「わたしにとって、秋くんは秋くん。他の誰でもない、秋くんなの」
「――はい」
「ごめんね、不安にさせていたみたいで」
「いえ、僕こそ……ごめんなさい」
秋くんの両手が、そっとわたしの肩を押す。撫でるような手つきに、わたしも抱擁を解いて、ゆっくりと離れた。
影が重なるくらいのハグもいいけど、普段は顔が向き合う距離がいい。だから離れたのは、不安が終わって普段に戻ったことの合図だ。
ぐぐぅ――。
これは合図ではない。わたしの腹の音だ。
「……」
「桜さん……」
秋くんの呆れた視線が痛くて、わたしはさっと目を逸らす。
「違うの。これは意地汚いんじゃない。秋くんが落ち着いてくれて、お腹が安心したの」
「ぷふっ!」
「えっ、そんな吹き出すほど!?」
「だって、桜さん、お腹が安心って……ふっ、ふふ!」
「若い子の感性、分からんわー」
秋くんは口元を押さえ、肩を震わせて大笑いするのを堪えている。とても演技には見えない姿に、わたしは憤慨よりも安堵を覚えた。
「んっ……じゃあ、心配かけてしまった桜さんのお腹のためにも、そこで買い食いしていきますか」
笑いの発作をどうにか飲み込んだ秋くんが、たこ焼き屋の看板を目顔で指す。
「たこ焼き……美味しそうだけど、いまから夕飯を食べるんじゃないの? それとも、たこ焼きが夕飯?」
「たこ焼きは家に帰るまでのつなぎです……ああでも、夕飯のおかずにするのもいいですね。夕飯の用意をしてきていないので、何かしら買って帰る必要はありますし」
「どっちにしろ、外食は止めにするんだ?」
「はい。今夜は桜さんのお腹、他の人のご飯で膨らませたくなくなったので」
わたしが笑い混じりに問うと、秋くんは迷うことなくそう答えた。
秋くん……その言い方は色々と問題があるよ……。
「桜さん――何か?」
「……いいえ、なんでもっ」
秋くんがわざとそういう言い方をしたのは、その顔を見れば一目瞭然だった。
顔を赤らめたわたしを見て、くすくすと頬笑んでいる秋くん。
秋くん……お願いだから、急がないでね。
――そうそう。
秋くんが急に過剰なスキンシップをしてくるようになった原因は、わたしがこの前、「電車で痴漢に遭った」や「帰り道でナンパされた」と愚痴ったことだった。
「独占欲が刺激されちゃったみたいで……ご迷惑おかけしました」
「んー、このご飯で許す」
「桜さん、お手軽すぎじゃないです?」
「だって、これ美味しいんだもん。また作ってね」
「カロリー気にしないのなら、いつでも作りますよ」
「秋くん、セクハラ!」
「ふふっ」
秋くんは意地悪く笑うけど、秋くんの作ってくれたたこ焼き丼は食べ心地ふわふわで……食べているうちに、わたしの顰めっ面もふんわり緩んでしまうのでした。
● ● ●
■ たこ焼き丼
買ってきたたこ焼きを、常備菜の鶏レバーの甘辛煮と、出汁で煮た玉葱スライスと一緒に玉子で綴じる。
それをご飯に載せたら、浅葱を散らし、七味を振って完成。
薬味は青海苔、削り節でも良し。
――だそうです。
お出汁を吸ったたこ焼きが、ふわふわとろり。柔らかなレバーとの相性も良し。
仙台麩で作るお麩丼も好きだけど、たこ焼きだともっとパワフル。
元気が出るねっ☆( `ゝω・´)
なんというか……ちょっと度が過ぎるくらい、わたしにべたべたしたがるのだ。
「あ、秋くん……」
「なんですか、桜さん?」
「こ、こういうのは、そ、その、毎日しなくてもいいんじゃないかなって……んあっ」
「毎日したほうがいいですよ。身体のためにも……ほら、こんなに硬くなってます」
「あっ、ちょ、揉んじゃ……あぁ♡ 秋くん、なんでこんなに揉むの上手なのぉ……!」
「それはもう、学校でも友達相手に経験積んでますから」
「友達相手に、って……秋くん、その言い方なんか卑猥……っひん♡」
「あ、大丈夫ですよ。あいつらのことは練習台にしか思ってません。僕が気持よくさせたいのは桜さんだけですから」
「うあうぁ……らっ、らめぇッ♡」
……一応言っておくと、マッサージのことだ。
今までだって、秋くんは頼めばマッサージしてくれていた。でも、最近は秋くんのほうから「桜さん、揉ませてください」と迫ってくるのだ。
もちろん、いかがわしいマッサージではない。秋くんが揉んでくるのは、頭とか肩とか腕とか背中とか足とか……要するに、いかがわしいことになってしまう箇所以外の全部だ。秋くんは純粋に、わたしの疲れを解そうとしてくれているのだった。
その気持ちはとっても嬉しい。でも、毎日毎日マッサージ漬けにされるのはちょっとどうかな、と思う。最近、マッサージ疲れを感じているほどだし。
でも……
「秋くん、マッサージは本当に大丈夫だから」
そう言って断ろうとすると、秋くんは雨に濡れた仔犬みたいな表情になるのだ。そんな表情をされたら、断れるわけがない。
「……本当はちょっと凝ってたんだ。せっかくだからお願いしようかな」
「はい、任せてください!」
こうして今日も今日とて、わたしは全身の支配圏を秋くんに明け渡すという、嬉しくも恥ずかしく、そしてある意味で悶絶するほど狂おしい一時を過ごすのだ。
秋くんのマッサージ推しが始まった最初の頃は、薄手ながらも長袖のトレーナーと膝丈のハーフパンツという格好で寝そべっていたのが、いつしか半袖のTシャツと太ももが見えるショートパンツになり、そして今日は肩出しキャミと太ももの付け根まで見えるホットパンツになっている。
いくら部屋着といえど、ちょっと色々見せすぎじゃないの、と自分で思うけど、止められないんだもん!
「マッサージだし、肌が見えるほうが秋くんもやりやすいよね……?」
「そうですね」
いや、そうだけど、そこは自然体で流さないでほしいな!
秋くん、目の前に「こっ、これはマッサージだから仕方なく薄着なんだからね!」って言い訳付きで露出している彼女がいるんだよー。彼氏として、もうちょっと照れたり挙動不審になったりしてもいいところだよー。
……というか、わたし一人だけ日に日に薄着になっていくのって、冷静になってしまうとすごく……浅ましい、はしたない、ふしだら、必死すぎ……。
でも実際問題、秋くんはもっと真面目に汲み取るべきだと思う。毎日毎日、彼氏に健全なマッサージを入念に施される彼女の気持ちを! 好きな男の子から健全なところしか触ってもらえない生殺しの日々を過ごす年頃女性の切ない気持ちを!
いやもう本当、これ以上は心の奥の獣が解き放たれてしまう。そうなる前に、秋くんのマッサージしたい欲求をどうにかしないといけない。そのためには、その欲求がどこから来るのかを知らなくてはならない。
「あ……秋くん……も、ありがと。今日はもう、すっかり解れたから……マッサージはいいから……」
「そうですか? でも、もう少し――」
「ううん、もう本当にいいから……!」
今夜もまた、理性の糸が切れる手前で身動ぎして、秋くんの手を根性で振り払いながら身体を起こす。
腰に力が入らなくて、両手の力だけで生まれたての子鹿みたいにぷるぷる震えながらだったけれど、どうにか上体を起こす。
「そっ、それよりも聞きたいの。秋くん、ここ最近どうして急にマッサージしたがるようになったの?」
「……」
「マッサージのことだけじゃなくて、全体的にスキンシップ過多だよね。どうして、急にそうなったの……?」
「……」
秋くんは答えず、目を伏せてしまう。
「秋く――」
「あっ、そうだ。桜さん、シャンプーしましょう!」
「……ん?」
「身体を気持よくしたら、次は髪ですよね」
「んん?」
「任せて、桜さん。髪の先まで気持よくしてあげますからねっ」
「えっと、いまそういう流れじゃなかったよね?」
「さ、お風呂場に行きますよ。桜さん」
「あっ、待って待って。いま腰が抜けてるから――あっ、わひゃ!?」
秋くんがわたしをお姫様だっこした!!
「大丈夫、これでもそこそこ鍛えてますんで」
「そういうことじゃなくぅ!」
わたしは必死に訴えたけれど、力の入らない身体ではどうすることもできず――むしろ、暴れて落ちたら怖いので、自分から秋くんの首にひっしとしがみついて浴室へと運ばれていった。
お風呂場の秋くんは、シャンプーだけではなく「身体も洗ってあげますね」なんて朗らかな笑顔で言ってきたけれど、そこはさすがに死守した。身体にバスタオルを巻いてシャンプーされる以上のことを許したら、わたしの理性は死にます。
どうにか死なずに自室まで戻ってベッドへ倒れ込むことができたとき、思わず安堵の溜め息が長く長く、それはもう長く溢れた。
「ふああぁ……これもう、本当どうにかしないと……わたし、どうにかなっちゃう……!」
放っておかれるよりは百倍嬉しいことなんだけど、構われすぎも困りもの。極端はいけない。何事もバランスが肝心ということだ。
「これまでバランス完璧だったのに、どうして急に……なんだろう?」
そう、問題はそれだ。秋くんが急にべたべたしてくるようになった理由なのだ。
秋くんに何度か問い質してみているのだけど、その度に上手いことはぐらかされてしまっていた。
「わたしには知られたくない理由……知らせたくないこと、知らせられないこと……うーん……あっ、思春期的な何か?」
秋くんは大人びているけど、それでも立派に年頃男子だ。自分でも抑えきれない青春の迸りを、過剰なスキンシップという形でわたしにぶつけてきているのだろうか?
「……もしそうだとしたら、思春期が終わるまで、ずっとこのまま?」
それはちょっと困ることかもしれない……。
もしもそれが理由なら、秋くんのためにも、わたしのためにも、物理的に距離を置かないといけなくなってしまう……のだけれども、離れるなんてきっとできないだろうから、開き直って普通に一線越えちゃいそうだ。むしろ、「仕方ないなら我慢しなくていいよね♡」となっちゃいそうだ。なにそれ、楽しそう。
「いやいや、楽しそうとかじゃなく。駄目だよ、駄目。仕方なくないし、我慢は大事!」
ベッドで横になったまま、自分の頬をびたびた叩く。
「うん、とにかくあれだ。理由を訊こう。明日こそ、ちゃんと! よし!」
頑張れ、明日のわたし。今日のわたしはここまでだ!
部屋の灯りを消して目を瞑ったとき、わたしはふと思い出す。
あ、頑張れ明日のわたしって台詞、昨日も言ったじゃない――と。
●
『朗報! 今日はいま帰り!』
わたしは駅のホームで帰りの電車が来るのを待ちながら、秋くんにそうメッセを送る。するとすぐに返信が来た。
『迎えに行きますね』
「……えっ」
スマホを見ながら、思わず声を漏らしてしまった。ちらっと周りを見たけれど、誰も気にしていない。ほっとしつつ、素早く返信を打つ。
『いいよ、べつに。ちゃんと帰るって』
『いいなら行きますね。何時にこっち着きます?』
『いや、いいってそういうイイじゃなくー……あっ、ご飯はいいの?』
わたしはなにも秋くんを飯炊き係の義務を押しつけているわけではない。ただ、秋くんが家事全般に誇りを持っていることを知っているから、驚いて尋ねたのだ。
だから、やや間があってから表示された返事には驚かされた。
『今夜は外食にしましょう』
「えっ!?」
さっきよりも大きな声を上げてしまった。今度は隣に並んでいたひとから、ちらっと見られた。わたしは、なんでもないですよ、という顔をしながら、ささっと返信を……打てなかった。
だって、秋くんがご飯作りを止めてまで迎えに来ようとしているのには違和感があるけれど、『今日はご飯の用意しないんだね』とも言えない。そんなの、ご飯作りを強要しているみたいではないか。
しばらく迷った末、わたしは返事を送る。
『分かった。改札出たところで待ってるね』
電車の到着時刻を添えて、そう告げるしかなかった。
「桜さん!」
改札を出たところで、秋くんが駆け寄ってくる。犬だったら、尻尾がぶんぶん振りたくられているところだ。
「ただいま、秋くん」
「おかえりなさい、桜さん……いいですね、こういうの」
秋くんが嬉しさいっぱいという顔で言う。
「ただいまとおかえり? いつも家でしてるじゃない」
「少しでも早く言えるのがいいんです。――明日からも迎えに来ようかな」
「……明日の帰りは、たぶんいつもの時間だから」
「あ、そうか」
残念です、と哀しげに頬笑む。
わたしが秋くんにそんな顔をさせてしまった事実に、胸がぎゅっと掴まれる。でも、わたしが何か言うより先に、秋くんは思案の顔で呟く。
「夕飯の準備を早めて、食べるときに温め直せばいいようにしておけば……」
……あっ。秋くんは明日からも迎えに来るつもりだ。
そこまで考えてくれるのは嬉しいけれど、負担にはなりたくない。
「秋くん、秋くん。そこまでしなくていいよ。心配しなくても、一人でもちゃんと帰れるんだから。わたし、大人よ?」
「……僕は子供ですか?」
「え……?」
秋くんの口から返ってきたのは、予想もしていなかった言葉だった。
「僕が桜さんと同い年だったら、迎えに来なくていい、とは言いませんでしたよね」
「そんなことないよ」
わたしは本心からそう言ったのだけど、秋くんは撥ね除けるように頭を振った。
「そんなことあります。子供だと思っていなかったら、一緒に帰れたら安心する、と言っていたはずですから」
「え……なんで、そうなるの?」
わたしが違うと言っているのに、それでも子供扱いされている、と言い立てる秋くんに少しムッとしたことも認めるけれど、これは純粋な疑問だった。
秋くんが言った、一緒に帰れたら安心する、という言葉が妙に引っかかった。
上手く言葉にできないのだけど、なんというか……前後の脈絡がないように思えた。
秋くんが年下ではなかったら、わたしは安心する? つまり、秋くんは大人に見られたい? でもそれだと、ここ最近のスキンシップ過多が理屈に合わなくなる。あれは、気持ちよさは別として、子供っぽく甘えているように感じられた。
子供っぽく付きまといたいのか、大人として頼られたいのか――これでは、秋くんの言動がちぐはぐになってしまう。
わたしはどこかで考え違いをしているのか――
「――あ」
そっか。
ちぐはぐなんだ。
「秋くんは大人じゃない」
「……!」
わたしが言うと、秋くんは悔しげに顔を歪ませる。
「でも、秋くんは子供でもない」
「慰められても嬉しく――」
何かつまらないことを言おうとしていたみたいだけど、言わせなかった。
正面から思いっきり抱きついた。肺の空気が全部出ていってしまうくらい強烈なハグをお見舞いしてやった。
「えっ……っ……」
秋くんが口をぱくぱくさせている。金魚みたいだ。
いい気味だ。ここしばらく、ずっとわたしを困惑させてきたんだから、このくらいのお返しはして当然、されて当然だ。
「あっ、さ、桜、さん……ひ、ひとが見てます……!」
「そうだね。見られてるね。知ってるひとがいたら困っちゃうね」
「分かっているなら、早く――」
「でもね、究極的な話、べつにいいの。誰かに見られても、知られても、いいの」
「でもそれじゃ――」
「それでどうなるかなんて知らないし、どうでもいい――どうでもいいの」
「桜さん……」
「――秋くん。わたしにはね、秋くんがいればいいの。大人だから子供だからじゃない。秋くんか、秋くんじゃないか、なの」
「……」
もう言葉は要らなかった。
駅から出てきて、それぞれの家路へと流れていく人々の影がいくつも通り過ぎていく。
思いの外、誰も足を止めない。
見ていくけれど、それだけだ。見たからといって、何かをするほどのこともない。
だって、他人は他人だから。
「わたしにとって、秋くんは秋くん。他の誰でもない、秋くんなの」
「――はい」
「ごめんね、不安にさせていたみたいで」
「いえ、僕こそ……ごめんなさい」
秋くんの両手が、そっとわたしの肩を押す。撫でるような手つきに、わたしも抱擁を解いて、ゆっくりと離れた。
影が重なるくらいのハグもいいけど、普段は顔が向き合う距離がいい。だから離れたのは、不安が終わって普段に戻ったことの合図だ。
ぐぐぅ――。
これは合図ではない。わたしの腹の音だ。
「……」
「桜さん……」
秋くんの呆れた視線が痛くて、わたしはさっと目を逸らす。
「違うの。これは意地汚いんじゃない。秋くんが落ち着いてくれて、お腹が安心したの」
「ぷふっ!」
「えっ、そんな吹き出すほど!?」
「だって、桜さん、お腹が安心って……ふっ、ふふ!」
「若い子の感性、分からんわー」
秋くんは口元を押さえ、肩を震わせて大笑いするのを堪えている。とても演技には見えない姿に、わたしは憤慨よりも安堵を覚えた。
「んっ……じゃあ、心配かけてしまった桜さんのお腹のためにも、そこで買い食いしていきますか」
笑いの発作をどうにか飲み込んだ秋くんが、たこ焼き屋の看板を目顔で指す。
「たこ焼き……美味しそうだけど、いまから夕飯を食べるんじゃないの? それとも、たこ焼きが夕飯?」
「たこ焼きは家に帰るまでのつなぎです……ああでも、夕飯のおかずにするのもいいですね。夕飯の用意をしてきていないので、何かしら買って帰る必要はありますし」
「どっちにしろ、外食は止めにするんだ?」
「はい。今夜は桜さんのお腹、他の人のご飯で膨らませたくなくなったので」
わたしが笑い混じりに問うと、秋くんは迷うことなくそう答えた。
秋くん……その言い方は色々と問題があるよ……。
「桜さん――何か?」
「……いいえ、なんでもっ」
秋くんがわざとそういう言い方をしたのは、その顔を見れば一目瞭然だった。
顔を赤らめたわたしを見て、くすくすと頬笑んでいる秋くん。
秋くん……お願いだから、急がないでね。
――そうそう。
秋くんが急に過剰なスキンシップをしてくるようになった原因は、わたしがこの前、「電車で痴漢に遭った」や「帰り道でナンパされた」と愚痴ったことだった。
「独占欲が刺激されちゃったみたいで……ご迷惑おかけしました」
「んー、このご飯で許す」
「桜さん、お手軽すぎじゃないです?」
「だって、これ美味しいんだもん。また作ってね」
「カロリー気にしないのなら、いつでも作りますよ」
「秋くん、セクハラ!」
「ふふっ」
秋くんは意地悪く笑うけど、秋くんの作ってくれたたこ焼き丼は食べ心地ふわふわで……食べているうちに、わたしの顰めっ面もふんわり緩んでしまうのでした。
● ● ●
■ たこ焼き丼
買ってきたたこ焼きを、常備菜の鶏レバーの甘辛煮と、出汁で煮た玉葱スライスと一緒に玉子で綴じる。
それをご飯に載せたら、浅葱を散らし、七味を振って完成。
薬味は青海苔、削り節でも良し。
――だそうです。
お出汁を吸ったたこ焼きが、ふわふわとろり。柔らかなレバーとの相性も良し。
仙台麩で作るお麩丼も好きだけど、たこ焼きだともっとパワフル。
元気が出るねっ☆( `ゝω・´)
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私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
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