アルジュナクラ

５章 太歳公主

5-5.

　アルジュが率いるのは人間の兵士が六百人、首無し騎士が一騎、ハッケンベルクの命令でいつでも顕現できる邪妖精が五百名という混成部隊だ。
　レリクスが使役する屍兵部隊は足が遅くて長距離移動には不向きなため、今回の侵攻作戦には組み込まれていない。いざというときの防衛用戦力として、グプタ領内の街道沿いに埋伏させてある。つまり、ただの埋葬された死体に戻ってもらっていた。

　また、人間兵士の指揮は総大将でもあるアルジュが直接執っていた。
　ナクラは留守番役として、グプタ領に残った。アルジュでなくては魔物を指揮できない以上、アルジュの従軍は決定事項であり、そうなると誰かが領主名代として留守番を務めなければいけなくなる。そして、その適任者はナクラをおいて他にいなかった――少なくともアルジュには、他に考えられなかった。

「後を頼む」
　出発の際、アルジュがナクラに告げたのはその一言だけだった。二人の間に、それ以上の言葉は要らなかった。
　……それ以上の言葉を交わすことが、二人ともただ、怖かっただけなのかもしれない。

　いまは話を戻そう。
　グプタ軍は、マガーダ軍が立て籠もっている支城を取り囲んで攻め立てた。
　城攻めは守る側より三倍の兵力が要るという言葉があるが、グプタ軍の兵力は人間、魔物を合わせて千百。首無し騎士を千として数えても、二千百。対するマガーダ軍は、三割強が脱走したとはいえ、まだ千以上を残している。
　贔屓目に見積もってもグプタ軍の兵力はマガーダ軍の二倍がいいところで、三倍には達していなかった。

　グプタ軍がこれまでマガーダ軍を相手に快勝を重ねてきたのは、魔物の力が十二分に発揮されてきたからだが、攻城戦ではその強さがまったく活かされていなかった。
　邪妖精の弓から放たれる狼の群れは、林野ならば自慢の脚と爪牙にものを言わせることができたが、堅固な城壁の前にしては遠吠えすることくらいしか能がなくなる。そうして、壁の周りをうろつくことしかできなくなった狼は、城壁上から射掛けられる矢の雨を浴びて血みどろの針鼠になっていく。
　首無し騎士の黒い全身鎧は降ってくる矢にびくともしないが、固く閉ざされた城門もまた、長大な矛で打ち据えられても怯えたように軋むくらいだった。
　矛は刃物であり、人を斬り裂くものであって壁を叩き壊すためのものではない――つまり、城門のような巨大構造物に対しては打点が合わないのだ。
　もし、首無し騎士が矛を作り出したように鎚を作ることができていたら、話は違っていたかもしれない。しかし実際には、首無し騎士は矛を叩きつけるばかりで、城門を破壊する前に撤退を余儀なくさせられた。城壁上から射掛けられる矢は刺さらなくとも、石や瓦礫の雨が降ってくるようになると、さしもの首無し騎士も城門前に居座っていられなくなったのだった。
　付け加えるなら、レリクスは今回、最初から戦力外だ。屍兵を連れてきていなくて、さらにはアルジュから味方の兵を屍兵化させることが禁じられていては、何もできようはずがなかった。

　グプタ軍の強さそのものである魔物の力が通用しないとなると、それ以上の有効な攻め手をアルジュは思いつけなかった。

　　　　　　　　●　　　　　　　　●　　　　　　　　●

「魔物は確かに恐ろしいが、しょせんは獣の類か」
　マガーダ軍の総大将ハルシャは城壁上からグプタ軍の異様な軍勢を見下ろし、鼻を鳴らしてせせら笑った。
　狼の群れも、それを放ったドレス姿の邪妖精も、矢の雨を前にして右往左往するばかりだ。首無し騎士も投石を嫌って、矛を頭上で振りまわしている。この場面で有効な攻撃できるのは人間兵士の弓矢だけだが、それも決定的に数が足りていない。そんな光景を見下ろしている籠城側の大将が、笑いを堪えられようはずがなかった。

　ハルシャは皺の寄った口元に、さらに深い嘲笑を浮かべながら独りごちる。

「そもそも、だ。奴らはこんな城など無視すればよかったのだ。こちらは、奴らがこちらを無視して進もうとすれば、それを無視することはできなかったのだからな」
　もしもグプタ軍がハルシャの言った通りの行動を――支城に籠もったマガーダ軍を無視して侯都への進軍を続けようとしていたなら、ハルシャにはそれを阻む手立てが思いつかなかった。
　定石で言えば、無視して進軍するグプタ軍の尻に食らいついてやればいいのだが、同数の兵力では背後から奇襲をかけたところでグプタ軍に勝てると思えない。できて精々、グプタ軍の背後を付かず離れずで追いかけて消耗させるくらいだが、狼の機動力を前にしては逆に翻弄され、一蹴されかねない。だがそれでも、足止めという任務を全うするためには、支城を無視して進まれていたら追いかけないわけにはいかない――。

　だからハルシャは、支城に籠もった味方にこれ見よがしの鯨波を上げさせてグプタ軍を挑発するという窮余の策に出たりもしたのが、

「まさか本当に釣れるとは、な」
　――なのだった。
　窮策が図に当たったわけで、宿将ハルシャの口元が緩んでしまうのも仕方のないことだった。

　野戦では勝ち目がまったく見つからなかったが、籠城戦でなら話は変わる。
　喧しい笑い声の女たちは城壁の前でうろつくことしかできない狼を繰り出すだけだし、人間の兵士が射掛けてくる弓箭も、どうということはない。そもそも、攻城兵器のひとつも出してこない相手の何を恐れろというのか。
　唯一、首無し騎士の突破力には侮れないものがあるが、たった一騎が相手ならば集中的に石を投げつけることで阻害できる。少なくとも、援軍が調うまで城門を保たせることはできるだろう。
　付け加えるなら、首無し騎士の奮闘を完全に無力化できていないことも、この際、美味しい。粘れば城門を破壊できそうだと思うからこそ、グプタ軍はこの支城の攻略に見切りを付けることができなくなって、もう一日、あと一日、と自分から足止め策に嵌まってくれるのだ。

「厄介払いのような部隊を押しつけられて、時間稼ぎという役目を果たすのだ。魔王の兵力をほとんど削れなくとも、文句は言われまいて……ああ、いや、言われるか。なぜ死んでこなかったのか、だとかな」
　ハルシャはここにいない相手からの嫌味を想像して、顰めっ面になる。
　ブリハルドとて、手勢に事欠くこの状況でむざむざと兵力を損なうことはしたくなかろう。だが、ブリハルドに仕えている者全員がそう考えているわけではない。

　主人を鞍替えしたばかりの新参者が功績を立てて生還したら、
「死んで足止めになれ、という意味で送り出したのに、のこのこ生きて帰ってきやがって！」

　……というふうに、古参の従者はさぞ苦々しく思うことだろう。
　それを思うと、ハルシャの顔の右半分は憎悪に歪み、左半分は目を見開いて高笑いするのだった。

「籠城策が上手くいったせいで欲が出てきた。こうなれば必ず生きて帰って、奴らの不満顔を拝んでやるわ……くっくっ、はははっ！」


　何日でも続きそうだった攻城戦は、開始から四日後の昼、唐突に終わる。
　天から降ってきた燃え盛る巨大な隕石が城を壊滅させたのだった。