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5章 太歳公主
5-3.
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又甥の少年から領主の座を奪うために魔物を貸してくれ――そう頼み込んできたカンヴァに、アルジュは冷笑を浴びせる。
「魔物は貴方の父の仇ですよ」
違う、父ではない。兄だ。アルジュの勘違いは継続している。
「知っております」
即答だった。
「親の仇の力を借りてまで、領主の椅子に座りたいのですか」
「そうです。悪いですか?」
これもまた即答だった。
「何度も言いますが――アルジュ様、私が領主になりたいのは、私の野心のためではありません。領民のためです。ブリハルドでは才気が勝ちすぎる。十年後には奴でも良いかもしれないが、いま必要なのは私です。人並みであることの苦悩と喜びを知る私こそが、いまのマガーダに必要な領主なのです。そのためになら、私は兄上の仇に助力を請うことも、魔物を用いることも厭いません。私にはそれだけの覚悟あるのです!」
カンヴァは長広舌を振るっている間、一度たりともアルジュから視線を外さなかった。そして、さり気なく、兄上の仇と口にしてアルジュを牽制しようとしたが、残念なことにアルジュは気がつかなかったようだ。
「――カンヴァ殿にひとつ訊ねるが、貴方に魔物を貸すとして、私はどのような見返りをいただけるのか?」
「私が領主になった暁には、マガーダはグプタ軍の進駐を受け入れるとお約束いたしましょう」
「……ほう?」
興味を示したアルジュに、カンヴァは得意げな顔で語った。
「私がマガーダの領主になったら、領内の守備はグプタ候の裁量にお任せしようと思っております。そして勿論、グプタ候に軍を派遣していただく代わりとして、駐屯に際して必要な費用や物資、駐屯地の確保など一切の雑事は、こちらが負担させていただきます」
カンヴァはそこで言葉を切ったが、アルジュはすぐには発言しないで、考えをまとめるようにゆっくりと口を開いた。
「……なるほど。カンヴァ殿は私の助けを借りて領主の地位を簒奪した後は、あれは前領主が約束したことだから自分は与り知らぬ――とでも言って、周辺三国との条約を反故にするおつもりか」
「領主同士の契約は王の承認がなくては効力を認められぬものです。よって、件の条約はそもそも成っておりません」
カンヴァは四角張った顔で言ってのけた。それを見て、アルジュは眉を顰める。
「なるほど、理屈だな。しかし、王の承認が下りるのを待っていては万事が滞るから、事後の追認をもって最初から承認が下りていたものとする、というのが慣例だ」
「慣例は慣例。方便であって法でなし」
真面目腐った顔と大仰な言いまわし。その芝居がかった口上は、カンヴァ自身が自分の言葉を詭弁だと思っていることの証だ。
アルジュの目つきが鋭くなる。
「貴方が領主になったとして、条約は成立していないなどと言い出せば、三国の軍は当然、激怒して貴領に攻め入ってくることだろう。だが、それに独力で対処するだけの余裕が、いまのマガーダにはない。だから、貴方が条約を無視して周辺三国と敵対するつもりなら、私に援軍を請うしかなくなる。それなのに貴方は、“私の爵位簒奪に手を貸してくれたら、お礼に、その後の危機にも援軍を出させてあげましょう。さらに、長期に渡って我が領を守らせてもあげましょう”と言ってきた――酒の席での冗談にしても、ふざけた話だ」
アルジュは顰めっ面でカンヴァを睨むが、カンヴァに怯えた様子はない。むしろ、その反応を待ってましたとばかりの得意顔をする。
「いいえ、ふざけてなどおりません。私は至って本気です」
「本気だというのなら、なお悪い。いますぐ謝れば、冗談ということで聞き流してやったものを」
アルジュは珍しいほど苛立ちを露わにしている。
噂通りの魔王を演じてカンヴァを威圧しようとしている――というよりも、カンヴァの芝居がかった態度に引き摺られているようだった。
「聞き流されては困りますな、アルジュ様。なにせ、これは感謝していただくべき提案なのですから」
「感謝しろ、だと? それは、こんな茶番に付き合ってやってい私がされるべきものだ」
「いいえ、アルジュ様が私に感謝する、で正しいのです」
「……その意図を言ってみろ」
「はい」
カンヴァは頷き、不敵な笑みを浮かべる。
「失礼を承知で言わせていただきますが、アルジュ様は、ご自分が魔王と呼ばれておられることをご存じでいらっしゃいますか?」
「ああ、知っている。致し方ないとことだ」
アルジュは苦々しげに頷いた。レリクスを従えたときから覚悟していたこととはいえ、けして気持ちの良いものではなかった。
そんなアルジュとは対照的に、カンヴァはその答えに満足げな顔をする。
「魔王と呼ばれることは気持ちいいですか? ――ああいや、これは失言。言い過ぎでした。ご容赦を。私が言いたいのは、貴方ご自身が魔王の呼称を甘んじて受け入れているとしても、それだけでは済まされない問題が多くあるでしょう、ということです――例えば、小麦ですとか」
最後に付け足された一言に、アルジュの眉が動いた。カンヴァはそれを見逃さなかった。
「去年の冬は、我が領地を一部接収したおかげで乗り切れたようですが、さて今年はどうでしょうかね。干魃大水、天災はいつやって来るか分かったものではありません。そうなったとき、餓死者を出さずに冬を乗りきるためには、他所との取り引きが必要不可欠。だがしかし、一体どこの領主が、げに恐ろしい魔王と取り引きしましょうや?」
「巷の噂では、私は恐ろしい魔物をいくつも従えた、恐ろしい魔王なのだろう? だったら、私の怒りを買うことを恐れて取り引きする領主はいくらでもいるのではないか? いや、恐ろしさのあまり、金でも作物でも向こうから献上してくるかもしれないな」
アルジュはくっくっと口元を歪めて笑う。魔王らしさを演出したかったようだが、カンヴァは無視して頭を振った。
「それはないでしょう。魔王に阿るなんてことをすれば、周辺諸侯に侵略の大義名分を与えるようなものですからな」
「……」
「それにそもそもの話、貴領と境を接しているのは我が領地マガーダのみ。魔王討伐を唱える三国が実効支配している現状、我が領が貴領に向かう商人を通すことはないでしょうが……さて、それでも献上しにくるほど勤勉な臆病者に、アルジュ様は心当たりがおありになるので?」
「……」
「貴領にとって穀物輸入は命綱だ。その命綱を切ると宣言している相手を隣人にして、貴領の方々は安らかに暮らせるのですかな?」
「……自分ならば良き隣人になれる、か」
「私が領主でいるかぎり、そう在ることを誓いましょう」
カンヴァは席を立つと、床に片膝をついて跪き、恭しく頭を垂れた。
「……」
アルジュは最初の一瞬こそ面食らったものの、すぐに無表情を取り戻すと、レリクスが注いだ酒にちびりちびりと口をつけながら黙考を始める。カンヴァも拝礼の姿勢を取ったまま、無言でアルジュの答えを待つ。レリクスはずっと物音ひとつ立てていない。
沈黙の中、アルジュは頭の中でカンヴァの提案を受け入れた際の利益と損失を秤にかけていた。
カンヴァの提案を容れれば、マガーダ領を事実上、支配下に置くことができるようになる。そうなれば他領は警戒を強くするだろうが、そんなのは今更だ。
逆に彼の提案を蹴って、カンヴァを現マガーダ候のブリハルドに引き渡したとしよう。
ブリハルドはともかく、その背後で糸を引いている三領は、そのことを借りだと思ったりはしないだろう。むしろ、カンヴァを即日処刑した上で、ブリハルドにこう宣言させるはずだ。
「カンヴァ殿は魔王に洗脳されていたため、斬らざるを得なかった。だが、事切れる間際に、カンヴァ殿は伝えてくれた。カンヴァ殿とシュンガ殿が乱心したのは、魔王が画策したことだった。悪いのは全て魔王アルジュだ!」
そうしてマガーダは――というより、その背後に控える周辺三領はグプタへの食糧封鎖を本格的に実行し、弱ったところでグプタに攻め込む算段を立てるだろう。だから結局、グプタはそうなる前にマガーダに攻め込むことになろう。
最悪の魔物レリクスを封じた塚を守ることから始まったグプタ領は、地勢的にも地政的にも歪なのだ。
穀物は常に不足しているし、ただひとつの隣領マガーダに流通経路を握られていて、とても一個の独立した領地だとは言えない。
グプタが自主独立を得るには、マガーダが必須なのだ。マガーダが邪魔なのだ。事ここに至っては、攻め込むことは確定的で、後は“いつ”、“どのような名分で”を決めるだけなのだ。
ならば、「領主一族を洗脳した侵略者」としではなく「三国支配からの脱却を目指す解放者の協力者」として侵攻するほうが幾らかましだろう――アルジュはそう決断した。
「……いいだろう。貴方の思惑に乗ってあげよう」
けして短くなかった黙考の末に、アルジュは鷹揚に頷いてみせた。
「御聖断、感謝いたします」
カンヴァは目を細めて、再び深々と頭を垂れた。
それは謝意を示すための仕草でもあったけれど、目論見通りになっていまにも大笑いしそうになっている顔をアルジュの目から隠すためでもあった。
● ● ●
かくして、カンヴァは魔物の軍勢を引き連れて、一度は這々の体で逃げ出した故郷の地へと戻る。
歴史学者の中には、このような説を唱える者もいる。
「カンヴァは最初から魔王の手を借りるつもりだった。最初にアガン侯と結んだのも、いきなり魔王と結んだのではカーシー軍とコーサラー軍を結託させてしまうと思ったからだ。アガン、カーシー、コーサラーを三つ巴で消耗させたところで、満を持して魔王と手を結び、魔物の軍勢をもって内外の敵を薙ぎ払う――最初からそういう心算だったのだ」
この説はさすがに、カンヴァという男を過大に評価しすぎていよう。
カンヴァの逸話には、彼が予言者か、予言者のごとき深謀遠慮の男として語られているものが多いけれど、それらの大半は間違いか誇大表現だ。
あの男は頭も舌もよく回るが、目が悪い。近くしか見ていない。未来を予測して行動できるような男ではない。いつだってその場凌ぎで渡ってきた男だ。ただ、周りにそれを気づかせないどころか後世の学者をも惑わせてしまうほど、カンヴァはその場凌ぎの達人なのだった。
季節はまさに盛夏。
生い茂る木々の緑は暑い風にざわめき、真っ青な空には白い雲が流れている。魔王が率いる異形の軍勢は、街道に刻まれた馬車の轍を踏み消して進む。
後にマガーダ継承戦争と呼ばれることになる一連の戦闘の、第二幕にして最終幕の始まりだった。
「魔物は貴方の父の仇ですよ」
違う、父ではない。兄だ。アルジュの勘違いは継続している。
「知っております」
即答だった。
「親の仇の力を借りてまで、領主の椅子に座りたいのですか」
「そうです。悪いですか?」
これもまた即答だった。
「何度も言いますが――アルジュ様、私が領主になりたいのは、私の野心のためではありません。領民のためです。ブリハルドでは才気が勝ちすぎる。十年後には奴でも良いかもしれないが、いま必要なのは私です。人並みであることの苦悩と喜びを知る私こそが、いまのマガーダに必要な領主なのです。そのためになら、私は兄上の仇に助力を請うことも、魔物を用いることも厭いません。私にはそれだけの覚悟あるのです!」
カンヴァは長広舌を振るっている間、一度たりともアルジュから視線を外さなかった。そして、さり気なく、兄上の仇と口にしてアルジュを牽制しようとしたが、残念なことにアルジュは気がつかなかったようだ。
「――カンヴァ殿にひとつ訊ねるが、貴方に魔物を貸すとして、私はどのような見返りをいただけるのか?」
「私が領主になった暁には、マガーダはグプタ軍の進駐を受け入れるとお約束いたしましょう」
「……ほう?」
興味を示したアルジュに、カンヴァは得意げな顔で語った。
「私がマガーダの領主になったら、領内の守備はグプタ候の裁量にお任せしようと思っております。そして勿論、グプタ候に軍を派遣していただく代わりとして、駐屯に際して必要な費用や物資、駐屯地の確保など一切の雑事は、こちらが負担させていただきます」
カンヴァはそこで言葉を切ったが、アルジュはすぐには発言しないで、考えをまとめるようにゆっくりと口を開いた。
「……なるほど。カンヴァ殿は私の助けを借りて領主の地位を簒奪した後は、あれは前領主が約束したことだから自分は与り知らぬ――とでも言って、周辺三国との条約を反故にするおつもりか」
「領主同士の契約は王の承認がなくては効力を認められぬものです。よって、件の条約はそもそも成っておりません」
カンヴァは四角張った顔で言ってのけた。それを見て、アルジュは眉を顰める。
「なるほど、理屈だな。しかし、王の承認が下りるのを待っていては万事が滞るから、事後の追認をもって最初から承認が下りていたものとする、というのが慣例だ」
「慣例は慣例。方便であって法でなし」
真面目腐った顔と大仰な言いまわし。その芝居がかった口上は、カンヴァ自身が自分の言葉を詭弁だと思っていることの証だ。
アルジュの目つきが鋭くなる。
「貴方が領主になったとして、条約は成立していないなどと言い出せば、三国の軍は当然、激怒して貴領に攻め入ってくることだろう。だが、それに独力で対処するだけの余裕が、いまのマガーダにはない。だから、貴方が条約を無視して周辺三国と敵対するつもりなら、私に援軍を請うしかなくなる。それなのに貴方は、“私の爵位簒奪に手を貸してくれたら、お礼に、その後の危機にも援軍を出させてあげましょう。さらに、長期に渡って我が領を守らせてもあげましょう”と言ってきた――酒の席での冗談にしても、ふざけた話だ」
アルジュは顰めっ面でカンヴァを睨むが、カンヴァに怯えた様子はない。むしろ、その反応を待ってましたとばかりの得意顔をする。
「いいえ、ふざけてなどおりません。私は至って本気です」
「本気だというのなら、なお悪い。いますぐ謝れば、冗談ということで聞き流してやったものを」
アルジュは珍しいほど苛立ちを露わにしている。
噂通りの魔王を演じてカンヴァを威圧しようとしている――というよりも、カンヴァの芝居がかった態度に引き摺られているようだった。
「聞き流されては困りますな、アルジュ様。なにせ、これは感謝していただくべき提案なのですから」
「感謝しろ、だと? それは、こんな茶番に付き合ってやってい私がされるべきものだ」
「いいえ、アルジュ様が私に感謝する、で正しいのです」
「……その意図を言ってみろ」
「はい」
カンヴァは頷き、不敵な笑みを浮かべる。
「失礼を承知で言わせていただきますが、アルジュ様は、ご自分が魔王と呼ばれておられることをご存じでいらっしゃいますか?」
「ああ、知っている。致し方ないとことだ」
アルジュは苦々しげに頷いた。レリクスを従えたときから覚悟していたこととはいえ、けして気持ちの良いものではなかった。
そんなアルジュとは対照的に、カンヴァはその答えに満足げな顔をする。
「魔王と呼ばれることは気持ちいいですか? ――ああいや、これは失言。言い過ぎでした。ご容赦を。私が言いたいのは、貴方ご自身が魔王の呼称を甘んじて受け入れているとしても、それだけでは済まされない問題が多くあるでしょう、ということです――例えば、小麦ですとか」
最後に付け足された一言に、アルジュの眉が動いた。カンヴァはそれを見逃さなかった。
「去年の冬は、我が領地を一部接収したおかげで乗り切れたようですが、さて今年はどうでしょうかね。干魃大水、天災はいつやって来るか分かったものではありません。そうなったとき、餓死者を出さずに冬を乗りきるためには、他所との取り引きが必要不可欠。だがしかし、一体どこの領主が、げに恐ろしい魔王と取り引きしましょうや?」
「巷の噂では、私は恐ろしい魔物をいくつも従えた、恐ろしい魔王なのだろう? だったら、私の怒りを買うことを恐れて取り引きする領主はいくらでもいるのではないか? いや、恐ろしさのあまり、金でも作物でも向こうから献上してくるかもしれないな」
アルジュはくっくっと口元を歪めて笑う。魔王らしさを演出したかったようだが、カンヴァは無視して頭を振った。
「それはないでしょう。魔王に阿るなんてことをすれば、周辺諸侯に侵略の大義名分を与えるようなものですからな」
「……」
「それにそもそもの話、貴領と境を接しているのは我が領地マガーダのみ。魔王討伐を唱える三国が実効支配している現状、我が領が貴領に向かう商人を通すことはないでしょうが……さて、それでも献上しにくるほど勤勉な臆病者に、アルジュ様は心当たりがおありになるので?」
「……」
「貴領にとって穀物輸入は命綱だ。その命綱を切ると宣言している相手を隣人にして、貴領の方々は安らかに暮らせるのですかな?」
「……自分ならば良き隣人になれる、か」
「私が領主でいるかぎり、そう在ることを誓いましょう」
カンヴァは席を立つと、床に片膝をついて跪き、恭しく頭を垂れた。
「……」
アルジュは最初の一瞬こそ面食らったものの、すぐに無表情を取り戻すと、レリクスが注いだ酒にちびりちびりと口をつけながら黙考を始める。カンヴァも拝礼の姿勢を取ったまま、無言でアルジュの答えを待つ。レリクスはずっと物音ひとつ立てていない。
沈黙の中、アルジュは頭の中でカンヴァの提案を受け入れた際の利益と損失を秤にかけていた。
カンヴァの提案を容れれば、マガーダ領を事実上、支配下に置くことができるようになる。そうなれば他領は警戒を強くするだろうが、そんなのは今更だ。
逆に彼の提案を蹴って、カンヴァを現マガーダ候のブリハルドに引き渡したとしよう。
ブリハルドはともかく、その背後で糸を引いている三領は、そのことを借りだと思ったりはしないだろう。むしろ、カンヴァを即日処刑した上で、ブリハルドにこう宣言させるはずだ。
「カンヴァ殿は魔王に洗脳されていたため、斬らざるを得なかった。だが、事切れる間際に、カンヴァ殿は伝えてくれた。カンヴァ殿とシュンガ殿が乱心したのは、魔王が画策したことだった。悪いのは全て魔王アルジュだ!」
そうしてマガーダは――というより、その背後に控える周辺三領はグプタへの食糧封鎖を本格的に実行し、弱ったところでグプタに攻め込む算段を立てるだろう。だから結局、グプタはそうなる前にマガーダに攻め込むことになろう。
最悪の魔物レリクスを封じた塚を守ることから始まったグプタ領は、地勢的にも地政的にも歪なのだ。
穀物は常に不足しているし、ただひとつの隣領マガーダに流通経路を握られていて、とても一個の独立した領地だとは言えない。
グプタが自主独立を得るには、マガーダが必須なのだ。マガーダが邪魔なのだ。事ここに至っては、攻め込むことは確定的で、後は“いつ”、“どのような名分で”を決めるだけなのだ。
ならば、「領主一族を洗脳した侵略者」としではなく「三国支配からの脱却を目指す解放者の協力者」として侵攻するほうが幾らかましだろう――アルジュはそう決断した。
「……いいだろう。貴方の思惑に乗ってあげよう」
けして短くなかった黙考の末に、アルジュは鷹揚に頷いてみせた。
「御聖断、感謝いたします」
カンヴァは目を細めて、再び深々と頭を垂れた。
それは謝意を示すための仕草でもあったけれど、目論見通りになっていまにも大笑いしそうになっている顔をアルジュの目から隠すためでもあった。
● ● ●
かくして、カンヴァは魔物の軍勢を引き連れて、一度は這々の体で逃げ出した故郷の地へと戻る。
歴史学者の中には、このような説を唱える者もいる。
「カンヴァは最初から魔王の手を借りるつもりだった。最初にアガン侯と結んだのも、いきなり魔王と結んだのではカーシー軍とコーサラー軍を結託させてしまうと思ったからだ。アガン、カーシー、コーサラーを三つ巴で消耗させたところで、満を持して魔王と手を結び、魔物の軍勢をもって内外の敵を薙ぎ払う――最初からそういう心算だったのだ」
この説はさすがに、カンヴァという男を過大に評価しすぎていよう。
カンヴァの逸話には、彼が予言者か、予言者のごとき深謀遠慮の男として語られているものが多いけれど、それらの大半は間違いか誇大表現だ。
あの男は頭も舌もよく回るが、目が悪い。近くしか見ていない。未来を予測して行動できるような男ではない。いつだってその場凌ぎで渡ってきた男だ。ただ、周りにそれを気づかせないどころか後世の学者をも惑わせてしまうほど、カンヴァはその場凌ぎの達人なのだった。
季節はまさに盛夏。
生い茂る木々の緑は暑い風にざわめき、真っ青な空には白い雲が流れている。魔王が率いる異形の軍勢は、街道に刻まれた馬車の轍を踏み消して進む。
後にマガーダ継承戦争と呼ばれることになる一連の戦闘の、第二幕にして最終幕の始まりだった。
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