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2章 屍の白い姫、首無しの黒い騎士
2-6.
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ぴしり、と鳴った音の出所は、血文字の描かれた祭壇の上面だった。
アルジュはそこに一筋の亀裂が走っているを見つけた。それはつい先ほどまで、確かになかったものだ。
ぴしり、ぴしり――。
亀裂はアルジュが見ている前でみるみる広がっていき、祭壇である立方体の石造物は、ばらばらに砕け散った。
「うおっ……!」
アルジュは驚きの声を漏らす。
砕けた祭壇から舞い上がった粉塵が渦を巻く。その光景を目の当たりにしてから、アルジュはその異常さに気がついた。
息苦しさは感じないので、この地下室にも空気の流れはあるだろう。けれども、粉塵を舞い上がらせるほどはっきりとした風は吹いていない。それなのに、粉塵はまるで自らの意思でうごめくかのように宙を泳ぎ、渦を巻いているのだ。そして、渦を巻くたびに膨張していっているのだ。
アルジュは息をするのも忘れて見入っていた。
渦巻く粉塵の塊は脈打ちながら質量を増していって、気がつけば見上げるほど巨大な人形になっていた。
黒い全身鎧に身を包んだ、大柄な騎士の似姿だ。
全身をくまなく鎧で覆っていたが、兜だけは被っていなかった。なぜならば、その騎士には首から上が――頭部が存在しなかったからだ。
「首無し騎士……」
アルジュは呟きながら、我知らずのうちに後退りしていた。
妹の死、魔物との邂逅、敵兵が蹂躙される光景の俯瞰という経験を経て成長したはずのアルジュでも、首のない偉丈夫と突然向き合うことになった恐怖には勝てなかったようだ。いや――後退りするだけで済んだのだから、大した胆力だと褒めるべきだったのか。
とまれ、首無し騎士だ。
それはその異様なる威容を現した後、しばらくは置物のように静止してたが、ほどなくしてアルジュをのほうに向き直り、石床に片膝をついて背中を丸めた――跪いたのだ。もしも首があったなら、深々と頭を垂れていたことだろう。
言葉はひとつもなかったけれど、それはアルジュに臣従の意を示したのだった。
その畏まった姿を見下ろすアルジュが思ったことは、鎧の本来なら兜が乗っかるべき首下の空洞から見えるのが塗り潰したような暗闇で良かった、だった。
「では、戻ろう」
そう言ったレリクスはすでに踵を返し、階段のほうへと向かう。
「あ、ああ……」
アルジュは頷いたものの、戸惑いの顔で、跪いたままの首無し騎士に振り返る。
背中を向けたままでもそれが見えていたのか、レリクスが言った。
「ついてこいと命令しろ」
「え? ……あ、うむ」
アルジュは一度ごくりと唾を飲み込み、首無し騎士に命じた。
「立ち上がれ。私についてこい」
「――」
首無し騎士は当然ながら頷きも返事もしなかったが、がしゃりがしゃりと物々しい金属音をさせて立ち上がった。
「おお……」
アルジュが少年のような感嘆を漏らす。金属鎧の魁偉が己の言葉に従ったことに、何やら感じ入るものがあったようだ。
それは、レリクスにはまったく理解できない感情で、彼女はさっさと地上に戻ろうとする。
「待った。戻る前にひとつ教えてくれ」
アルジュがレリクスを呼び止めた。
「なんだ?」
「こいつの名前、なんと言うんだ?」
「……ない」
「ない? 魔物にも個々の名前があるのではなかったのか?」
「何事にも例外はある。そいつは元人間だったが、人としての名を捨てて魔性に変じた。故に、名はない。強いて言うなら――首無し騎士だ」
「それは、私がさっき呻いた言葉ではないか……」
「だが、主人たるおまえが臣たるこいつに贈った最初の言葉だ。こいつは、それが己の呼び名だと定めたろうよ」
「……冗談は止せ」
「冗談かどうかは、おまえたちで決めろ。我は行く」
「あ、おい――」
レリクスは今度こそ、階段を上っていった。
アルジュと首無し騎士も、すぐにその後を追った。
二人の間でどのような会話があったのか定かではないが、首無し騎士は最後まで首無し騎士と呼ばれるままだった。
アルジュがあれに確たる名を与えなかった理由は、いまとなっては知る由もないが――あるいは、かつて人だったこの騎士に魔物としての名を与えることが躊躇われたからなのかもしれない。
アルジュはそこに一筋の亀裂が走っているを見つけた。それはつい先ほどまで、確かになかったものだ。
ぴしり、ぴしり――。
亀裂はアルジュが見ている前でみるみる広がっていき、祭壇である立方体の石造物は、ばらばらに砕け散った。
「うおっ……!」
アルジュは驚きの声を漏らす。
砕けた祭壇から舞い上がった粉塵が渦を巻く。その光景を目の当たりにしてから、アルジュはその異常さに気がついた。
息苦しさは感じないので、この地下室にも空気の流れはあるだろう。けれども、粉塵を舞い上がらせるほどはっきりとした風は吹いていない。それなのに、粉塵はまるで自らの意思でうごめくかのように宙を泳ぎ、渦を巻いているのだ。そして、渦を巻くたびに膨張していっているのだ。
アルジュは息をするのも忘れて見入っていた。
渦巻く粉塵の塊は脈打ちながら質量を増していって、気がつけば見上げるほど巨大な人形になっていた。
黒い全身鎧に身を包んだ、大柄な騎士の似姿だ。
全身をくまなく鎧で覆っていたが、兜だけは被っていなかった。なぜならば、その騎士には首から上が――頭部が存在しなかったからだ。
「首無し騎士……」
アルジュは呟きながら、我知らずのうちに後退りしていた。
妹の死、魔物との邂逅、敵兵が蹂躙される光景の俯瞰という経験を経て成長したはずのアルジュでも、首のない偉丈夫と突然向き合うことになった恐怖には勝てなかったようだ。いや――後退りするだけで済んだのだから、大した胆力だと褒めるべきだったのか。
とまれ、首無し騎士だ。
それはその異様なる威容を現した後、しばらくは置物のように静止してたが、ほどなくしてアルジュをのほうに向き直り、石床に片膝をついて背中を丸めた――跪いたのだ。もしも首があったなら、深々と頭を垂れていたことだろう。
言葉はひとつもなかったけれど、それはアルジュに臣従の意を示したのだった。
その畏まった姿を見下ろすアルジュが思ったことは、鎧の本来なら兜が乗っかるべき首下の空洞から見えるのが塗り潰したような暗闇で良かった、だった。
「では、戻ろう」
そう言ったレリクスはすでに踵を返し、階段のほうへと向かう。
「あ、ああ……」
アルジュは頷いたものの、戸惑いの顔で、跪いたままの首無し騎士に振り返る。
背中を向けたままでもそれが見えていたのか、レリクスが言った。
「ついてこいと命令しろ」
「え? ……あ、うむ」
アルジュは一度ごくりと唾を飲み込み、首無し騎士に命じた。
「立ち上がれ。私についてこい」
「――」
首無し騎士は当然ながら頷きも返事もしなかったが、がしゃりがしゃりと物々しい金属音をさせて立ち上がった。
「おお……」
アルジュが少年のような感嘆を漏らす。金属鎧の魁偉が己の言葉に従ったことに、何やら感じ入るものがあったようだ。
それは、レリクスにはまったく理解できない感情で、彼女はさっさと地上に戻ろうとする。
「待った。戻る前にひとつ教えてくれ」
アルジュがレリクスを呼び止めた。
「なんだ?」
「こいつの名前、なんと言うんだ?」
「……ない」
「ない? 魔物にも個々の名前があるのではなかったのか?」
「何事にも例外はある。そいつは元人間だったが、人としての名を捨てて魔性に変じた。故に、名はない。強いて言うなら――首無し騎士だ」
「それは、私がさっき呻いた言葉ではないか……」
「だが、主人たるおまえが臣たるこいつに贈った最初の言葉だ。こいつは、それが己の呼び名だと定めたろうよ」
「……冗談は止せ」
「冗談かどうかは、おまえたちで決めろ。我は行く」
「あ、おい――」
レリクスは今度こそ、階段を上っていった。
アルジュと首無し騎士も、すぐにその後を追った。
二人の間でどのような会話があったのか定かではないが、首無し騎士は最後まで首無し騎士と呼ばれるままだった。
アルジュがあれに確たる名を与えなかった理由は、いまとなっては知る由もないが――あるいは、かつて人だったこの騎士に魔物としての名を与えることが躊躇われたからなのかもしれない。
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