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1章 永遠の別れと運命の始まり
1-8.
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慈母のようにも童女のようにも、そして奸婦のようにも見えてしまうリシュナの横顔。
知らない顔をする妹に、アルジュは束の間、息を呑む。その一瞬の思考停止が呼び水になったのか、脳裏に天啓が閃いた。
「リシュナ……まさか、おまえが、その……鍵なのか? 鍵だから、苦しくならないのか?」
その言葉に、リシュナは満足そうに笑窪を作って頷いた。
「正確には、聖者の血を引いた女が、ね。つまり、いまこのとき、封印を解くことができるのは、わたしだけ」
リシュナは誇らしげに胸を張って、歌い上げるように告げた。
「おまえ……そんなことの何がそんなに嬉しいんだ!?」
アルジュは詰るような声をぶつけた。彼には先ほどから、ずっと一緒に育ってきた妹のことが、同じ似姿と話し方をした別人に思えてならなかった。
妹が何を考えているのか分からない。妹が怖い。でも、何とかしなくてはいけない。取り返しのつかないことになってしまう前に――!
思考は千々に乱れて、顔色は真っ青だ。しかしそれでも、アルジュは妹を止めなければ、という危機感に駆られて声を振り絞った。
「おまえが封印を解く鍵だって? そんな話、いきなり言われて信じられるものか! 百歩譲って、おまえの言う通りだったとして、それが何だ!? どうでもいいだろう!?」
自分でもどうしてこんなに必死で叫んでいるのか、分からない。ただとにかく、いま妹を止めなければ何かもが最悪なことになる――予感などという甘いものではない、もっとはっきりとした確信がアルジュを突き動かしていた。
脚に力が入るなら、いますぐにでもリシュナのところまで行って、抵抗するなら叩いてでも、地上に連れ帰っていたところだ。
「リシュナ、おまえはおまえだ。私の妹で、けして身体が丈夫じゃないくせに元気だけは人一倍で、頭が良くて、何でも知っていて……私のただ一人の血を分けた家族だ」
アルジュは必死に呼びかけながら、両膝を床につけたまま両手で床を這って、リシュナに少しでも追い縋ろうとする。
「なあ、リシュナ。もういいだろ……おまえはすごいよ。屋敷の地下にこんな場所があることは、父上も……いいや、代々の当主もずっと忘れていたに違いない。そんな場所を見つけて、魔物退治の伝承が真実だったことを証明してみせたんだ。おまえは本当にすごいよ。だから、なあ? もうこれ以上は、いいだろう? なあ?」
アルジュは自分でも言葉が支離滅裂になっていると自覚していたが、それでも声をかけ続けずにはいられなかった。
声を途切れさせたら、リシュナが本当に遠いところへ行ってしまう――アルジュは目の縁に熱いものが溜まっていくのを止められないまま、とにかく声をかけ続けた。
「リシュナ、帰ろう。なあ、リシュナ……リシュナ!」
アルジュは声の限りに、何度も何度も妹の名を呼んだ。だけど、その声は妹の耳まで届いていない。
ああ、悲しいかな――アルジュは分かっていなかった。
自分がどれほど妹を大切だと思っているのかを伝えれば伝えるほど、リシュナの中に最後まで残っていた迷いが消えていくのだということに。
リシュナはとうとう、彼女自身が祭壇、あるいは寝台と呼んだ直方体の石造物まで来てしまう。
「リシュナ!」
アルジュの悲痛な声が響くなか、リシュナは足下にランタンを置くと、石造物によじ登って仰向けに寝そべった。
「リシュ――」
妹の名を呼ぼうとしたアルジュの声が、途中でふいに途切れた。
見てしまったからだ――リシュナの手にいつの間にか、一振りの短剣が握られているのを。
「お……おい……」
その短剣はどうしたんだ? ずっと懐に忍ばせていたのか? それとも、ここに置いてあったのか? ――妹に問い質したいことはいまの一瞬で山ほど生まれたが、問うている暇はない。
「リシュナ……その、それを……手から、離すんだ……」
優しく諭すように声をかける――いや、アルジュはそうしたつもりだったが、実際には震えと掠れで、まともな言葉になっていなかった。もっとも、仮にまともな言葉になっていたとしても結果は変わらない。リシュナに声は届かなかっただろう。
リシュナは寝そべったまま、逆手に握った短剣を胸の上に持ち上げていく。そこに左手も重ねて、さながら祈りを捧げるかのようだ。
「リシュナ、止めるんだ……止めろ!」
地下室の淀んだ空気に、制止の声が空しく響く。
「――お兄様、大丈夫よ」
リシュナの声はけして大きくない、むしろ囁くようなものだったにも関わらず、アルジュの耳には焼き付くくらいはっきりと聞こえた。
「大丈夫。これでいいの。これで、ようやく――お兄様の力になれるの」
リシュナは夢見心地で呟くと、両手で握った短剣を自分の胸に突き立てた。
知らない顔をする妹に、アルジュは束の間、息を呑む。その一瞬の思考停止が呼び水になったのか、脳裏に天啓が閃いた。
「リシュナ……まさか、おまえが、その……鍵なのか? 鍵だから、苦しくならないのか?」
その言葉に、リシュナは満足そうに笑窪を作って頷いた。
「正確には、聖者の血を引いた女が、ね。つまり、いまこのとき、封印を解くことができるのは、わたしだけ」
リシュナは誇らしげに胸を張って、歌い上げるように告げた。
「おまえ……そんなことの何がそんなに嬉しいんだ!?」
アルジュは詰るような声をぶつけた。彼には先ほどから、ずっと一緒に育ってきた妹のことが、同じ似姿と話し方をした別人に思えてならなかった。
妹が何を考えているのか分からない。妹が怖い。でも、何とかしなくてはいけない。取り返しのつかないことになってしまう前に――!
思考は千々に乱れて、顔色は真っ青だ。しかしそれでも、アルジュは妹を止めなければ、という危機感に駆られて声を振り絞った。
「おまえが封印を解く鍵だって? そんな話、いきなり言われて信じられるものか! 百歩譲って、おまえの言う通りだったとして、それが何だ!? どうでもいいだろう!?」
自分でもどうしてこんなに必死で叫んでいるのか、分からない。ただとにかく、いま妹を止めなければ何かもが最悪なことになる――予感などという甘いものではない、もっとはっきりとした確信がアルジュを突き動かしていた。
脚に力が入るなら、いますぐにでもリシュナのところまで行って、抵抗するなら叩いてでも、地上に連れ帰っていたところだ。
「リシュナ、おまえはおまえだ。私の妹で、けして身体が丈夫じゃないくせに元気だけは人一倍で、頭が良くて、何でも知っていて……私のただ一人の血を分けた家族だ」
アルジュは必死に呼びかけながら、両膝を床につけたまま両手で床を這って、リシュナに少しでも追い縋ろうとする。
「なあ、リシュナ。もういいだろ……おまえはすごいよ。屋敷の地下にこんな場所があることは、父上も……いいや、代々の当主もずっと忘れていたに違いない。そんな場所を見つけて、魔物退治の伝承が真実だったことを証明してみせたんだ。おまえは本当にすごいよ。だから、なあ? もうこれ以上は、いいだろう? なあ?」
アルジュは自分でも言葉が支離滅裂になっていると自覚していたが、それでも声をかけ続けずにはいられなかった。
声を途切れさせたら、リシュナが本当に遠いところへ行ってしまう――アルジュは目の縁に熱いものが溜まっていくのを止められないまま、とにかく声をかけ続けた。
「リシュナ、帰ろう。なあ、リシュナ……リシュナ!」
アルジュは声の限りに、何度も何度も妹の名を呼んだ。だけど、その声は妹の耳まで届いていない。
ああ、悲しいかな――アルジュは分かっていなかった。
自分がどれほど妹を大切だと思っているのかを伝えれば伝えるほど、リシュナの中に最後まで残っていた迷いが消えていくのだということに。
リシュナはとうとう、彼女自身が祭壇、あるいは寝台と呼んだ直方体の石造物まで来てしまう。
「リシュナ!」
アルジュの悲痛な声が響くなか、リシュナは足下にランタンを置くと、石造物によじ登って仰向けに寝そべった。
「リシュ――」
妹の名を呼ぼうとしたアルジュの声が、途中でふいに途切れた。
見てしまったからだ――リシュナの手にいつの間にか、一振りの短剣が握られているのを。
「お……おい……」
その短剣はどうしたんだ? ずっと懐に忍ばせていたのか? それとも、ここに置いてあったのか? ――妹に問い質したいことはいまの一瞬で山ほど生まれたが、問うている暇はない。
「リシュナ……その、それを……手から、離すんだ……」
優しく諭すように声をかける――いや、アルジュはそうしたつもりだったが、実際には震えと掠れで、まともな言葉になっていなかった。もっとも、仮にまともな言葉になっていたとしても結果は変わらない。リシュナに声は届かなかっただろう。
リシュナは寝そべったまま、逆手に握った短剣を胸の上に持ち上げていく。そこに左手も重ねて、さながら祈りを捧げるかのようだ。
「リシュナ、止めるんだ……止めろ!」
地下室の淀んだ空気に、制止の声が空しく響く。
「――お兄様、大丈夫よ」
リシュナの声はけして大きくない、むしろ囁くようなものだったにも関わらず、アルジュの耳には焼き付くくらいはっきりと聞こえた。
「大丈夫。これでいいの。これで、ようやく――お兄様の力になれるの」
リシュナは夢見心地で呟くと、両手で握った短剣を自分の胸に突き立てた。
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