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5章
73. 星娘フォーティービリオン ロイド
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冬が近くまで来ている――そう感じられるくらい、風が涼しくなってきた。
日差しはまだまだ暖かいのだけど、気がつけば夏は終わり、秋も半ばに入っている。
盛夏の頃にやって来たルピスも、ゴブリンたちや女性陣とも大分打ち解けたようで、皆と一緒に冬への備えで忙しくしている。
山村育ちのシャーリー、アンや、ときに野営もすることもあったラヴィニエとも違って、上げ膳据え膳だった元・王女様だ。力仕事の役には立たなかったけれど、集めた物資の管理では大いに貢献してくれた。どの品目がどれだけあって、一日あたりどれだけの消費で抑えるべきかだとかを計算できる人材が、これまではラヴィニエと俺に神官くらいだったから、ルピスが経理担当に加わってくれて本当に助かった。力仕事なら戦士どもに任せれば事足りるのだから、シャーリーとアンにはもっと算数の勉強を頑張ってもらうべきかね。
なお、有瓜はそこらへんの仕事をしない。身重だから当然なのだけど、去年もとくに冬支度の手伝いをしていた記憶がないのは……まあ、去年のことだ。今更どうでもいいか。それに今年は、母親二人が忙しくしている間の赤ん坊二人の面倒を見るという立派な仕事をやっているのだし。
「今年もお祭り、やるんですかね?」
昼飯後の食休み中に、有瓜がふと口にした。
「お祭り……あっ、あれか。なんだっけ、神様の蹴鞠みたいなのだよな」
「“日送り”と“日迎え”ですよ、義兄さん」
「あっ、それだ。蹴鞠じゃなくて、ボーリングだ。春夏秋冬を司る神々が太陽でボーリングをするんだったな」
「……でしたっけ? というか、春夏秋冬の神様なんて話、ありましたっけ?」
「あれ、なかったっけ?」
首を傾げる有瓜から視線をずらして、その隣に座っていたシャーリーとアンの姉妹を見る。
「ん……神様ってのは、お日様のことだろ。お日様以外の神様っていねぇよな、アン」
「そうだね。わたしとお姉ちゃんが村で教えられたのは、お日様だけだね」
姉のシャーリーに対する妹アンの返答は、少しばかり含みのあるものだった。それに気づいたことで、俺も芋蔓式にそれらのことを思い出した。
「あ、紙芝居だ。それで色んな神様の話を聞いたから、俺、勘違いしたのか」
この辺りの山村(実のところ村というほどの規模はなく、少集落がそこそこの距離をおいて散らばっている)では、太陽を「お日様」と呼んで敬っているだけだが、もっと人口の集まっている平地のほうでは他にも色々な事象が神格化されていた。
――というより、王家を始めとした巫覡家は神々に巫術を与えられた貴き家系である、という権威作りのために多くの神々が創作されたのだろうと俺は思う。
行商人が持ってきた紙芝居はだいたい、以下の流れになる。
まず、人々が困っている。すると、空から人々を見守っている父なる太陽神がそれに気づいて、妻である月の女神に相談する。女神は「それなら、あの子を遣わしましょう」と、適当な子神を派遣する。そうして派遣された子神は、困っている人々の中から適当な人をピックして巫術を授ける。その巫術によって人々は救済され、巫覡と神々に感謝を捧げるのだった――というテンプレだ。
紙芝居の中では「太陽神と月女神の子供である子神が、自身の権能に沿った巫術を巫覡家に与えた」となっているけれど、二十一世紀の日本で教育を受けた身としては、実際はその逆だと考える。
つまり、「自分たちの巫術に権威付けするために、神から賜ったものだということにしたい。そのため、自分たちの巫術と関連する神を創作した」「太陽神の子としたのは、王統の権威付けと、その威を借りるため」という考えだ。
……もっとも、ここは実際に魔術もあればゴブリンもドラゴンもいる異世界だ。本当に神様がいて、選ばれた血統に巫術を授けたのかもしれない。でも、現役の巫覡であるラヴィニエや、巫術は使えないけれど王統であるルピスからも話を聞けたことで、巷に流布されている神話や教義といったものが人工的だという印象は最早、俺の中では確定的だった。
この世界には魔術があり、巫術がある。ゴブリンもいればドラゴンもいる。だけど、神はいない。少なくとも、人間に見える形で干渉するような存在ではない。だからこそ、為政者が自由に神を語るのだ。
「確かに紙芝居には季節の神様が出てくるお話もありましたけど……太陽はお日様で、一番偉い神様ですよ。そのお日様を鞠にして蹴るなんて発想、他の人には言わないほうがいいと思いますよ」
心配そうに眉を曇らせたアンに窘められてしまった。
まあ、あくまでも俺個人の所感だ。真実がどうだろうと、「神様なんて嘘っぱちだ」と言って回るつもりはない。信仰心は理屈じゃないのだろうからな。
「分かってるって。でも、他所でうっかり、太陽を蹴ったり投げたりしたい、なんて言わないように気をつけるよ」
「はい、そうしてくださいね」
にっこり微笑んだアンに一瞬、おまえは俺の母ちゃんか、とでも言い返してやろうかと思ったけれど……なんだか藪蛇になりそうな気がして、止めた。その代わりに、もうひとつ浮かんできた疑問を口にする。
「アンは……あ、シャーリーもさ、神様についてはどう思っているんだ?」
「え?」
「はぁ?」
姉妹は揃って口をぽかんと開けると、探るような目つきで俺を見てきた。それから二人は互いを見交わすと、代表してシャーリーが口を開いた。
「神様ってのはお日様のことだろ? あたいらを見守ってくれてる、偉い、偉い……神様だろ」
「なるほど。じゃあ、他の神様については?」
「他の? ……あぁ、紙芝居のやつな。まあ、偉いんじゃないのか? まあ、あたいらにはあんまり関係ねぇもんだな、ってふうには思ったけれどよ」
「うん、なるほど。じゃあ、アンはどう思ってる?」
「わたしは……」
シャーリーの答えに頷いた後、続いてアンにも話を振ったのだが、アンは言葉を濁しながら視線を横へと流す。その目が向けられた先には、一緒に昼食を囲んでいたラヴィニエとルピスが座っていた。
「私たちなら気にしなくて構わないぞ」
「そうね。素直に答えればいいわ」
ラヴィニエは鷹揚に頷き、ルピスは慇懃に微笑む。それを受けて、アンも小さく息を吸い込み、続きを話し始めた。
「わたしは、神様がいるとはあんまり思ってないです。きっと、王様とか、そういう偉い人が、“もっと偉い人が言ったりやったりしたことだから正しいんだ”って、わたしたちに納得させるために作った偽物……空想なのかもしれないって思ってます。大人が子供に“悪いことするとゴブリンに食べられちゃうぞ”って言うのと同じような。……あの頃、村の近くにゴブリンなんていなかったのに、よくそう言われました。それと同じですよね? 悪い子を食べに来るゴブリンも、困っている人を助けてくれる神様も、本当にいるかどうかなんて知りもしないくせに、自分より身分や立場が低いひとたち言うことを聞かせるのに便利だから言っているだけ……」
そう言って、ふっと冷笑したアンの表情は艶っぽいというか婀娜っぽいというか……ついつい見つめてしまうだけの引力が秘められていた。
だけど、その引力はふっと掻き消える。後に残ったのは、ひとつまみの皮肉を塗した苦笑だ。
「……ごめんなさい。これじゃ、ロイドさんのことを言えないですね。ラヴィニエさん、ルピスさん、不信心なことを言ってしまって、すいませんでした」
謝られた二人は、揃って頭を振る。
「いや、先程も言ったが、本当に気にしなくていいんだ」
「そうね、本当に」
王女と騎士という違いはあれども同じく貴種の出自である二人は互いを見交わし、揃って苦笑した。それは、とある公然の秘密が、巫覡という身分であれば国が違えども共有されているのだと確認し合ったことを意味する笑みだった。
――要するに、「私たちは神から巫術を賜った巫覡の血脈である」と言い張っている巫覡家の者自身が、その主張を信じていなかったのだ。
「私の家系は星の子神から巫術を授かったと言っているが……実はどの星神から授かったのかが失伝しているんだ。だから、もう何代も前から、たぶん違った星神に感謝の祈りを捧げているのだよ」
ラヴィニエは恥ずかしげに、だけど愉快げに肩を竦めながら、そう告白した。
星の子神あるいは星神とか呼ばれている子神は、母である月女神の形質を色濃く受け継いだ娘神たちで、その数はそれこそ星の数ほどいるとされているのだとか。
紙芝居では代表的な星娘たちの話が語られていたけれど、そのときに行商人が述べた口上によれば、「星娘は千人から始まってから今尚増え続け、今やその数は二千の二千万倍。彼女たちはその中で誰が一等輝いているのかを、今宵もまた競い合っているのです」だそうだ。その口上を聞いたときは、どこのアイドルグループかよ、と思ったものだ。
ちなみに、ラヴィニエの実家であるアーメイ家に巫術を授けたとされるのは、星娘ランキングの中の下の中くらいに位置する娘だとか。名前は教えてくれなかった。
「名前を言っても誰も分かりませんから。なにせ、我が家の先々代あたりの当主が思いつきで付けた名なので」
ラヴィニエはそう言って、からからと笑った。
それからもう少し聞いたところによると、星娘は二つ目の月と並んで演劇や民話で、トリックスターとして重宝されるガジェットのようだ。適当な名前を付けられたランキング下位の薄暗い星娘が人々にちょっとした悪戯や意地悪をして、最終的にはランキング一桁台の誰でも知っている超有名星娘に露見してお仕置きされる――というのは典型のひとつらしい。
さらに余談だけど、規則的に満ち欠けする月は多くの神話において「太陽神の正妻、子神たちの母」という固定された立場で描かれるけれど、本当に不規則な二つ目の月は「太陽神の第二夫人、愛人、妾、奔放な妹あるいは姉」だとかの色々な立場で描かれる。作中での扱いも様々で、正妻である一つ目の月に諌められたり、誰からも尊敬される太陽神をやり込められる唯一の存在だったりと、話によって全く異なる扱いをされているのだそうだ。
二つ目の月は良くも悪くも逸脱した存在として描かれるトリックスターだが、ランキング下位の星娘は往々にして根暗、陰湿、後ろ向きといったネガティブ担当キャラとして描かれる――そういう違いがあるようだ。
ランキング下位の星娘はトリックスターにすら、なれないらしい。世知辛い話だ。
「厄介事はだいたい、二つ目の月か、星娘たちのランキング下位の誰かのせいにしてしまえば角が立たない――昔からそういうふうに便利使いされてきたのよ」
ルピスもそう言って、くすくすと笑った。
為政者に属していた側からの「自分たちは意図して神様に汚れ役を押し付けてきました」という告白は、純朴な村人だった姉妹にとっては相応に衝撃的なことのようだった。
「そんな……!」
「あぁ……」
……訂正。
姉のほうは素直に驚愕してくれていたけれど、妹のほうは合点が行ったというふうに感嘆していた。
「そっか、そうなんだ。やっぱり、そうなんだ。偉い人はそうだって知ってて……でも……だから……そっか、そっか……」
アンの瞳はどこを見るでもなく、けれども炯々と意志を湛えている。譫言のように紡がれる途切れがちの言葉には、目的語が含まれない。自分自身の思考を見つめ、自分自身と語らっている。アンはきっと、周りで姉や俺たちが困惑しているのにも気づいていないだろう。
「――騙してたんだ」
声をかけていいものか分からずに見守っていた俺の耳に、その言葉はぽつんと、水滴が跳ねるようにはっきり響いた。
誰が、誰を、何を――それらを示す語句は聞き取れなかった。聞き返すこともできなかった。でも、そう呟いたときのアンの顔ははっきりと見た。
笑っていた。
微笑みと言うには口角が上がりすぎていて、大笑いと呼ぶには静かすぎる表情――俺は咄嗟に、能面のようだ、と思った。
アンはこの能面の下に、どんな感情を隠したのだろうか? 気になったけれど、俺にそれを暴く度胸はなかった。
日差しはまだまだ暖かいのだけど、気がつけば夏は終わり、秋も半ばに入っている。
盛夏の頃にやって来たルピスも、ゴブリンたちや女性陣とも大分打ち解けたようで、皆と一緒に冬への備えで忙しくしている。
山村育ちのシャーリー、アンや、ときに野営もすることもあったラヴィニエとも違って、上げ膳据え膳だった元・王女様だ。力仕事の役には立たなかったけれど、集めた物資の管理では大いに貢献してくれた。どの品目がどれだけあって、一日あたりどれだけの消費で抑えるべきかだとかを計算できる人材が、これまではラヴィニエと俺に神官くらいだったから、ルピスが経理担当に加わってくれて本当に助かった。力仕事なら戦士どもに任せれば事足りるのだから、シャーリーとアンにはもっと算数の勉強を頑張ってもらうべきかね。
なお、有瓜はそこらへんの仕事をしない。身重だから当然なのだけど、去年もとくに冬支度の手伝いをしていた記憶がないのは……まあ、去年のことだ。今更どうでもいいか。それに今年は、母親二人が忙しくしている間の赤ん坊二人の面倒を見るという立派な仕事をやっているのだし。
「今年もお祭り、やるんですかね?」
昼飯後の食休み中に、有瓜がふと口にした。
「お祭り……あっ、あれか。なんだっけ、神様の蹴鞠みたいなのだよな」
「“日送り”と“日迎え”ですよ、義兄さん」
「あっ、それだ。蹴鞠じゃなくて、ボーリングだ。春夏秋冬を司る神々が太陽でボーリングをするんだったな」
「……でしたっけ? というか、春夏秋冬の神様なんて話、ありましたっけ?」
「あれ、なかったっけ?」
首を傾げる有瓜から視線をずらして、その隣に座っていたシャーリーとアンの姉妹を見る。
「ん……神様ってのは、お日様のことだろ。お日様以外の神様っていねぇよな、アン」
「そうだね。わたしとお姉ちゃんが村で教えられたのは、お日様だけだね」
姉のシャーリーに対する妹アンの返答は、少しばかり含みのあるものだった。それに気づいたことで、俺も芋蔓式にそれらのことを思い出した。
「あ、紙芝居だ。それで色んな神様の話を聞いたから、俺、勘違いしたのか」
この辺りの山村(実のところ村というほどの規模はなく、少集落がそこそこの距離をおいて散らばっている)では、太陽を「お日様」と呼んで敬っているだけだが、もっと人口の集まっている平地のほうでは他にも色々な事象が神格化されていた。
――というより、王家を始めとした巫覡家は神々に巫術を与えられた貴き家系である、という権威作りのために多くの神々が創作されたのだろうと俺は思う。
行商人が持ってきた紙芝居はだいたい、以下の流れになる。
まず、人々が困っている。すると、空から人々を見守っている父なる太陽神がそれに気づいて、妻である月の女神に相談する。女神は「それなら、あの子を遣わしましょう」と、適当な子神を派遣する。そうして派遣された子神は、困っている人々の中から適当な人をピックして巫術を授ける。その巫術によって人々は救済され、巫覡と神々に感謝を捧げるのだった――というテンプレだ。
紙芝居の中では「太陽神と月女神の子供である子神が、自身の権能に沿った巫術を巫覡家に与えた」となっているけれど、二十一世紀の日本で教育を受けた身としては、実際はその逆だと考える。
つまり、「自分たちの巫術に権威付けするために、神から賜ったものだということにしたい。そのため、自分たちの巫術と関連する神を創作した」「太陽神の子としたのは、王統の権威付けと、その威を借りるため」という考えだ。
……もっとも、ここは実際に魔術もあればゴブリンもドラゴンもいる異世界だ。本当に神様がいて、選ばれた血統に巫術を授けたのかもしれない。でも、現役の巫覡であるラヴィニエや、巫術は使えないけれど王統であるルピスからも話を聞けたことで、巷に流布されている神話や教義といったものが人工的だという印象は最早、俺の中では確定的だった。
この世界には魔術があり、巫術がある。ゴブリンもいればドラゴンもいる。だけど、神はいない。少なくとも、人間に見える形で干渉するような存在ではない。だからこそ、為政者が自由に神を語るのだ。
「確かに紙芝居には季節の神様が出てくるお話もありましたけど……太陽はお日様で、一番偉い神様ですよ。そのお日様を鞠にして蹴るなんて発想、他の人には言わないほうがいいと思いますよ」
心配そうに眉を曇らせたアンに窘められてしまった。
まあ、あくまでも俺個人の所感だ。真実がどうだろうと、「神様なんて嘘っぱちだ」と言って回るつもりはない。信仰心は理屈じゃないのだろうからな。
「分かってるって。でも、他所でうっかり、太陽を蹴ったり投げたりしたい、なんて言わないように気をつけるよ」
「はい、そうしてくださいね」
にっこり微笑んだアンに一瞬、おまえは俺の母ちゃんか、とでも言い返してやろうかと思ったけれど……なんだか藪蛇になりそうな気がして、止めた。その代わりに、もうひとつ浮かんできた疑問を口にする。
「アンは……あ、シャーリーもさ、神様についてはどう思っているんだ?」
「え?」
「はぁ?」
姉妹は揃って口をぽかんと開けると、探るような目つきで俺を見てきた。それから二人は互いを見交わすと、代表してシャーリーが口を開いた。
「神様ってのはお日様のことだろ? あたいらを見守ってくれてる、偉い、偉い……神様だろ」
「なるほど。じゃあ、他の神様については?」
「他の? ……あぁ、紙芝居のやつな。まあ、偉いんじゃないのか? まあ、あたいらにはあんまり関係ねぇもんだな、ってふうには思ったけれどよ」
「うん、なるほど。じゃあ、アンはどう思ってる?」
「わたしは……」
シャーリーの答えに頷いた後、続いてアンにも話を振ったのだが、アンは言葉を濁しながら視線を横へと流す。その目が向けられた先には、一緒に昼食を囲んでいたラヴィニエとルピスが座っていた。
「私たちなら気にしなくて構わないぞ」
「そうね。素直に答えればいいわ」
ラヴィニエは鷹揚に頷き、ルピスは慇懃に微笑む。それを受けて、アンも小さく息を吸い込み、続きを話し始めた。
「わたしは、神様がいるとはあんまり思ってないです。きっと、王様とか、そういう偉い人が、“もっと偉い人が言ったりやったりしたことだから正しいんだ”って、わたしたちに納得させるために作った偽物……空想なのかもしれないって思ってます。大人が子供に“悪いことするとゴブリンに食べられちゃうぞ”って言うのと同じような。……あの頃、村の近くにゴブリンなんていなかったのに、よくそう言われました。それと同じですよね? 悪い子を食べに来るゴブリンも、困っている人を助けてくれる神様も、本当にいるかどうかなんて知りもしないくせに、自分より身分や立場が低いひとたち言うことを聞かせるのに便利だから言っているだけ……」
そう言って、ふっと冷笑したアンの表情は艶っぽいというか婀娜っぽいというか……ついつい見つめてしまうだけの引力が秘められていた。
だけど、その引力はふっと掻き消える。後に残ったのは、ひとつまみの皮肉を塗した苦笑だ。
「……ごめんなさい。これじゃ、ロイドさんのことを言えないですね。ラヴィニエさん、ルピスさん、不信心なことを言ってしまって、すいませんでした」
謝られた二人は、揃って頭を振る。
「いや、先程も言ったが、本当に気にしなくていいんだ」
「そうね、本当に」
王女と騎士という違いはあれども同じく貴種の出自である二人は互いを見交わし、揃って苦笑した。それは、とある公然の秘密が、巫覡という身分であれば国が違えども共有されているのだと確認し合ったことを意味する笑みだった。
――要するに、「私たちは神から巫術を賜った巫覡の血脈である」と言い張っている巫覡家の者自身が、その主張を信じていなかったのだ。
「私の家系は星の子神から巫術を授かったと言っているが……実はどの星神から授かったのかが失伝しているんだ。だから、もう何代も前から、たぶん違った星神に感謝の祈りを捧げているのだよ」
ラヴィニエは恥ずかしげに、だけど愉快げに肩を竦めながら、そう告白した。
星の子神あるいは星神とか呼ばれている子神は、母である月女神の形質を色濃く受け継いだ娘神たちで、その数はそれこそ星の数ほどいるとされているのだとか。
紙芝居では代表的な星娘たちの話が語られていたけれど、そのときに行商人が述べた口上によれば、「星娘は千人から始まってから今尚増え続け、今やその数は二千の二千万倍。彼女たちはその中で誰が一等輝いているのかを、今宵もまた競い合っているのです」だそうだ。その口上を聞いたときは、どこのアイドルグループかよ、と思ったものだ。
ちなみに、ラヴィニエの実家であるアーメイ家に巫術を授けたとされるのは、星娘ランキングの中の下の中くらいに位置する娘だとか。名前は教えてくれなかった。
「名前を言っても誰も分かりませんから。なにせ、我が家の先々代あたりの当主が思いつきで付けた名なので」
ラヴィニエはそう言って、からからと笑った。
それからもう少し聞いたところによると、星娘は二つ目の月と並んで演劇や民話で、トリックスターとして重宝されるガジェットのようだ。適当な名前を付けられたランキング下位の薄暗い星娘が人々にちょっとした悪戯や意地悪をして、最終的にはランキング一桁台の誰でも知っている超有名星娘に露見してお仕置きされる――というのは典型のひとつらしい。
さらに余談だけど、規則的に満ち欠けする月は多くの神話において「太陽神の正妻、子神たちの母」という固定された立場で描かれるけれど、本当に不規則な二つ目の月は「太陽神の第二夫人、愛人、妾、奔放な妹あるいは姉」だとかの色々な立場で描かれる。作中での扱いも様々で、正妻である一つ目の月に諌められたり、誰からも尊敬される太陽神をやり込められる唯一の存在だったりと、話によって全く異なる扱いをされているのだそうだ。
二つ目の月は良くも悪くも逸脱した存在として描かれるトリックスターだが、ランキング下位の星娘は往々にして根暗、陰湿、後ろ向きといったネガティブ担当キャラとして描かれる――そういう違いがあるようだ。
ランキング下位の星娘はトリックスターにすら、なれないらしい。世知辛い話だ。
「厄介事はだいたい、二つ目の月か、星娘たちのランキング下位の誰かのせいにしてしまえば角が立たない――昔からそういうふうに便利使いされてきたのよ」
ルピスもそう言って、くすくすと笑った。
為政者に属していた側からの「自分たちは意図して神様に汚れ役を押し付けてきました」という告白は、純朴な村人だった姉妹にとっては相応に衝撃的なことのようだった。
「そんな……!」
「あぁ……」
……訂正。
姉のほうは素直に驚愕してくれていたけれど、妹のほうは合点が行ったというふうに感嘆していた。
「そっか、そうなんだ。やっぱり、そうなんだ。偉い人はそうだって知ってて……でも……だから……そっか、そっか……」
アンの瞳はどこを見るでもなく、けれども炯々と意志を湛えている。譫言のように紡がれる途切れがちの言葉には、目的語が含まれない。自分自身の思考を見つめ、自分自身と語らっている。アンはきっと、周りで姉や俺たちが困惑しているのにも気づいていないだろう。
「――騙してたんだ」
声をかけていいものか分からずに見守っていた俺の耳に、その言葉はぽつんと、水滴が跳ねるようにはっきり響いた。
誰が、誰を、何を――それらを示す語句は聞き取れなかった。聞き返すこともできなかった。でも、そう呟いたときのアンの顔ははっきりと見た。
笑っていた。
微笑みと言うには口角が上がりすぎていて、大笑いと呼ぶには静かすぎる表情――俺は咄嗟に、能面のようだ、と思った。
アンはこの能面の下に、どんな感情を隠したのだろうか? 気になったけれど、俺にそれを暴く度胸はなかった。
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