義妹ビッチと異世界召喚

Merle

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4章

59-2. 小さな器 ロイド

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 それはアンに起こされて朝食を食べ終えた後、河原で一頻り運動や素振りをして汗を掻いたところでのことだった。
 俺はふと何の脈絡もなく閃いたのだ。

「あれ? 隣国……レーベンだっけ? そこが内戦しているのなら、それが終わるのを待つよりも、内戦で混乱しているいまのうちのほうが紛れ込みやすくないか?」

 俺はすぐそこで同じように足を崩して地べたに座っていたラヴィニエへと視線を投げる。
 残念ながら、ラヴィニエが返してきたのは否定の言葉だった。

「その意見にも一理あるかと存じますが、大前提がまだ足りておりません」
「大前提?」
「従者様の読解能力、一般常識および礼儀作法、それから金銭と戦闘経験です」
「それらが俺には足りていないと……って、読解能力?」
「はい。レーベンにはの文豪が遺した書物を収めた図書館なるものがあって、そこへは入館料さえ払えば誰でも入れるのだそうです」
「なるほど。その図書館で読書するのに、俺の読み書きレベルは足りていない、と」
は必要ないにしても、もう少々語彙を増やしていただかないと難しいかと。なにせ、史上最高の文豪と渾名あだなされる御方の遺した書物です。難解な言いまわしや、現在では使われなくなった言葉が使われていてもおかしくないでしょう」
「……そこは現物を読みながら学ぶのでいいだろ」
「図書館には入館料が掛かるそうです。無論、本の持ち出しは厳禁ですので、何ヶ月かは図書館通いしないといけないでしょうね」
「何ヶ月……!?」
「図書館に泊まり込むことは不可能でしょうから、宿も必要でしょう。宿泊費と入館料、それに食費も加わるのですから、まとまった資金がないことにはどうにもなりませんね」
「お金なんてないぞ……」

 あ、あれ? 俺、詰んでないか? これ、調べ物をするしない以前のレベルで駄目なんじゃないか? まずは金稼ぎから考えないといけないんじゃないのか……?

「むしろ、何もないということをご理解いただければと」
「せっ、戦闘経験はあるぞ!」
「山賊討伐に明け暮れてきたことは聞き及んでおります。ですが、山賊との戦闘は常にこちらからの奇襲であり、そのやり方も定型化していたようですが、相違が御座いますか?」
「……御座らないです」

 つまりラヴィニエは、俺は同じような相手を同じやり方で型に嵌めてきた経験がない、と言っているのだ。その経験は都市部で遭遇しうる荒事への対処には活かされないだろう、と言ってきているのだ。
 なるほど、一理あるな――とは思ったけれど、それ以上にカチンと矜持が刺激された。

「確かにラヴィニエの言う通り、俺の積んできた経験には偏りがあるかもしれない。でも、碌な経験を積んでいない、なんて言われるほど薄っぺらいものじゃないと思うんだよな」
「私は、そこまでは言っておりません――ですが、こういった場合、口で言ってもご納得いただけないのでしょうね」
「そうだね。身体に教えてもらおうか」

 俺とラヴィニエは同時に立ち上がり、周りで休んでいたゴブリンたちから少し離れたところまで歩くと、およそ十歩の距離で相対し、剣を構えた。

「手加減はしないぞ、ラヴィニエ」
「手加減してさしあげますよ、従者様」

 不敵に笑ったラヴィニエへの返答は、不意打ち気味の吶喊だった。
 腰溜めに構えた剣を、跳び込み様に突き出した。フェンシングで言うところのフレッシュ、剣道で言うところの飛び込み突きだ。たぶん。
 呼び方はともかく、ラヴィニエが俺たちに素振りさせているの中に、飛び込んで突くという動きはない。ということは、この突きはラヴィニエにとって多少なりとも想定外の動きであるはずだ。
 俺の正面で、ラヴィニエは剣を両手で握って、晴眼に構えている。だけど、俺がいきなり跳びかかってくると思っていなかったようで、両手両足に力が入っているように見えない。

 ――これはもう獲ったな!

 俺は勝ちを確信した。
 もちろん、ボロ負けした。

 ●

 言葉の応酬から、開始の合図を待たずしての飛び込み突き。
 だが、真っ直ぐに伸びていった俺の剣は、ラヴィニエが剣をそっと揺らしただけで簡単に受け流されてしまった。そして、逸らされた突きの勢いで前のめりに俺の首筋に、ラヴィニエの剣がぴたりと添えられたのだった。

「……ま、参った」

 刃を潰してあるとはいえ、首筋に剣が当たっている感触は冷や汗ものだ。背中と腋の下が一瞬で湿っぽくなった。

「申し訳ございません。手加減が足りませんでしたね」

 ラヴィニエはにこりと笑って、剣を戻した。

「い、いや、まだ一本目を取られただけだ。次は油断しないぞ!」

 俺の中の冷静な部分一割が、恥の上塗りをするのかよ、と呆れているけれど、残りの八割は無謀な再戦にいきり立っていた。なお、最後の一割は、格好つけて秒殺された恥ずかしさに、ただひたすら悶えている。

「そういえば、一本勝負とは決めておりませんでしたね。では、先に三勝したほうが勝ち、と致しましょうか」

 男らしさの欠片もない俺の要求を、ラヴィニエは笑顔を浮かべたまま呑んだ。

「――よし! 今度は簡単にいくと思うなよ!」

 俺は気合いを入れ直すと、再びラヴィニエに斬りかかった。
 今度は一番多く素振りをしてきた袈裟斬りだ。
 身体に馴染んだ動きは、突きよりも滑らかに宙を切り裂いた――のだけれども、ラヴィニエには当たらなかった。冷静に半歩下がって躱された、と思ったときには、またしても首筋に剣がぴたりと押しつけられていた。
 ラヴィニエがすっと剣を伸ばしてくるのが見えなかったわけではない。見えているのに反応できなかった。
 息を吸うタイミングで吐くことを強要されたときのように自分の身体が静止していて、その止まった時間の中でラヴィニエだけが動いているような錯覚を感じながら――首筋にとん、と剣を当てられたのだった。

「太刀筋は悪くありませんでしたが、呼吸はもっと小さくしませんと」
「……しょうがないだろ。剣の振り方は教えてもらってても、呼吸の仕方は習っちゃいないんだから」
「型と呼吸は不可分ですよ。それが分からないようでは稽古が足りていませんね。明日からはもう少し厳しく参りましょうか」
「それで頼む――ってことで、三本目だ」
「あ、まだやりますか」
「当たり前だ!」

 ラヴィニエの苦笑に鋭く言い返したけれど、それはたぶん、俺自身の弱腰に活を入れるためだった。
 打ち込んでも当たるビジョンが持てないまま、去勢だけで挑んだ三本目は、ラヴィニエに打ち込む好きを窺っているうちに――というか、打ち込む度胸を取り戻せずに屁っ放り腰で突っ立っているうちに、ラヴィニエに剣の腹で頭をすぽーんと叩かれて決着だった。
 なぜ真正面で向き合っているのに、すぽんすぽんと俺は斬られてしまうのか――?

「ですから、呼吸です。私はいま、従者様が息を吐いた瞬間に打ち込みました。やったことはそれだけです」
ですか……」

 出来る者と出来ざる者の溝は深いと知った。
 ふいにラヴィニエが苦笑した。

「――と偉そうに言っておりますが、以前に騎士団の調査隊として相対したときは形無しでしたからね」
「ああ……そんなこともあったっけな」

 あのときのラヴィニエは、真っ暗な洞窟の中で灯を消されてしまって、抵抗らしい抵抗もできずに捕まっていた。魔術を使おうとするも、神官に封殺されていたようだったし。

「結局のところ、剣術が活きる場面など、いまのように正面から斬り合うようなときくらいのものです。狭いところ、暗いところ、足場の悪いところに誘引されたら、剣があってもどうにもなりません――実際、なりませんでしたし」
「……なら、俺たちに剣の稽古をつけているのは、どうしてだ? 意味はないんだろ?」
「意味がないとは言っていません」

 禅問答のようなことを言ったラヴィニエは、そこでいったん言葉を切ると、得意げに口角を上げた。

「剣が活きる状況なら絶対に負けない――その自負と技量を身につけることは、騎士にとって最も重要なことだからです」
「俺たち、騎士じゃないんだが――というのは揚げ足取りか?」

 我ながら、モテない男の言いそうなことだよな、と思いながら口にした皮肉に、けれどもラヴィニエは笑って首を横に振った。

「いいえ、ここにいる皆様は全員、騎士ですよ」

 ラヴィニエは頭を巡らせて見やったのは、そこらで思い思いに休んだり、剣を振ったりしているゴブリンたちだ。
 あいつらが騎士って……あ、いや、言われてみれば騎士か。

「有瓜に絶対的な忠誠を誓っているもんな」
「ええ。見上げたものです」

 ラヴィニエは柔らかな笑みを湛えていたが、俺に向き直ると目尻と口元を引き締めた。

「彼らは巫女様のためなら、躊躇うことなく命を捨てるでしょう。私はまだ短い付き合いですが、それでも断言できます」
「……俺も同意見だよ」

 俺は静かに頷きつつも、内心ではラヴィニエの言うの具体的な内容が思い浮かんできてしまって変な笑いが出てしまいそうになったけれど、ぐっと唇を噛み締めて我慢した。空気を読んだ。ラヴィニエはいま、とてもいい顔で、いいことを言っている。

「彼らは立派な騎士です。主君を見限って逐電した私には少々眩しいほどに。だからこそ、彼らには命を懸けて欲しくないのです。命を懸けずともいいほど強くなって欲しいのです。どんな相手にでも、剣を持っているなら絶対に負けない自信と実力を身につけて欲しいのです。――ですから、私はどれだけ嫌われようとも、彼らに剣を教えます。それが、出来損ないの騎士だった私にできる精一杯のことなのですから」

 ゴブリンたちに向けられるラヴィニエの眼差しには尊敬の色が見えている。凜とした横顔はとても絵になっていて、訓練後の汗を掻いたゴブリンたちに毎度毎度飽きもしないで小鼻を膨らませている女性と同一人物だとは思えない。

「……」
「従者様、先ほどから何か言いたげな顔ですね」

 ふいに横目で睨まれて、思わず喉が引き攣った。

「えっ、そんなことは――な、ない? ぞ?」
「誤魔化すつもりなら、もっと上手に誤魔化していただきたかったですね」
「は……はは……」

 睨んでくるラヴィニエから、俺は目を顔ごとを逸らして苦笑するのだった。

「はぁ……いいですよ。それよりも、雑談はこのくらいにして、そろそろ始めましょうか」
「あ、そうだな」

 追求を控えてくれたラヴィニエに、俺もすぐさま同意した。

「……って、ラヴィニエ?」

 なぜかラヴィニエは、剣の稽古を再開するつもりで立ち上がった俺の足下にしゃがんだままやって来ていた。
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