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3章
46-1. 緑色の変なもの ロイド
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木々の色付きが鮮やかな花の色から緑の濃淡に変わっても、ゴブリンたちは冬場に確立されたルートの定期巡回を続けていた。
冬が明けてからこっち、隣国で起きている内戦が沈静化してきたおかげか、はたまた山奥まで踏み込んでこなくとも野原で食べ物が得られるようになったからか、山賊と化した兵士崩れが流れてくることはめっきり少なくなっていた。内戦とやらがこのまま終息してくれるなら、今年の冬は静かになるだろ。そうしたら、この前の騎士たちがやってきた都に行く余裕もできるだろう。もっとも、有瓜がそれまでに出産していれば、の話しになるが。
あの竜は寝る前にせめて、妊娠期間は人間と同じでいいのかくらい言っていけばいいものを! ……いや、眠いから言い忘れたのではなく、単純にあいつ本竜も普通に分かっていないのだという気がする。つまり、有瓜がいつ何時に産気づくのか、誰にも分からないのだ。
有瓜のまだお腹は平らに見えるけれど、いきなり膨らみ始めることだってあるかもしれないのだ――少なくとも、その可能性があると思いながら有瓜の側を離れることはできない。
だから、妊娠期間が人間と大差ないのなら、今年の冬はきっとだらだら過ごすことになるのだろうと思っている。
さて、そろそろ話を戻そう。
つまりは、そんな予定を立てるくらいに、最近は巡回に出たゴブリンたちが山賊を見つけることもなかったのだ。ところが今回、巡回ルート上の洞窟に山賊が屯しているのを忍者ゴブリンたちが発見。ただちに戦士たちを呼び寄せると、鉄板戦術の燻り出し作戦を敢行。
燻り出し作戦も、初めて実行したときは刺激性の煙を出す木切れを燃やして腰布で扇いでいただけだったけれど、いまはもう少し進歩している。
枝と葉っぱではなく、葉だけを集めて乾燥させ、細かく千切ったものを、危険地帯で採取した獣の糞便と練り合わせて特製の煙玉にしたものを燃やし、さらには神官の魔術で空気を操作して、発生した煙を余すところなく洞窟内へ流し込めるようになっていた。蛇足ながら、この煙玉は狼煙を上げるのに使った色玉から着想を得たものだったりする。
いっそうヤバくなった煙をいっそう無駄なく流し込めるようになった効果は絶大で、山賊たちは燻り出されるどころか、洞窟内で目口鼻を抑えたまま気絶する、あるいは気絶もできずにのたうつことしかできなくなっていたそうだ。おかげでゴブリンたちは、わざわざ風魔術で煙を吸い出してから洞窟内に乗り込み、止めを刺してまわる羽目になったらしい。
「過ぎたるば及ばざるがごとす、だすただな。汗顔の至りだすだ」
神官は、俺がどこかでぽろっと言ったことがあるのだろう言いまわしを使って恐縮しながら報告してくれた。
小難しい言葉遣いを使いこなしていることにも驚かされたけれど、それよりも気になるのは、彼らが乗り込んだ洞窟奥で見つけて、連れ帰ってきたもの――物か者か、よくわ分からない緑色の変なものだった。
「……なんだ、これ?」
俺の疑問に答えてくれる相手はいない。
「見たことないです……」
「色的に女のゴブリンっぽいすけど……違うんすよね?」
姉妹揃って頭を振っている。
ゴブリンたちも似たようなものだし、有瓜も興味深そうにその緑色を見ているけれど、それが何かを分かっているわけではなさそうだ。
「ふむ……」
俺も改めて、それを見つめる。
それを端的に表現するのなら、緑色の女の子、だった。
背丈はアンよりも低く、忍者たちとどっこいどっこいだ。でも、忍者たちは小柄でも引き締まった体躯をしているけれど、この緑の少女は真逆の体型をしている。運動よりも読書を好んでいそうな華奢さだ。そしてまた少女の顔つきも、その印象を強くさせていた。
幼い、あどけない、という形容詞が似合う顔立ち。整っているほうだと思うのだけど、焦点の合っていない眠たげな目つきは、この少女が普通ではないことを見る者に印象付けてくる。いや、緑色の肌と、肌よりも濃い深緑色の若布みたいな髪をしている時点で、これが普通の少女ではないことなど一目瞭然なのだけど。
肌も髪も緑なら、虹彩の色もまたエメラルドのような緑で、唇も瞳と似たような彩度の高い緑色をしている。また、ゴブリンたちが連れてきたときは下着一枚身につけていない全裸だったから見えてしまったのだけど、乳首も唇と同じ色をしていた。たぶん粘膜は全部、その色なのだろう。なお、いまは薄っぺらな胸元と細い腰回りに布が巻きつけられている。
じつは服を着せるときに一悶着あった。
最初は、アンの服を着せたのだ。少女は素直に服を着せられたのだけど、着せ終わったアンが手を離すとすぐに脱いでしまった。アンは「大丈夫、着ていてもいいんだよ」と優しく語りかけながら、もう一度服を着せたのだけど、緑色の少女はやはり、すぐに脱いでしまう。
アンは、この少女は服を着ていたことで山賊に酷い扱いを受けたことがトラウマになっているのだ、と考えたようだったけれど、少女は服を着せられるときも脱ぐときもずっと眠たげな表情のままで、内心はよく分からなかった。
表情が変わらないのもまたトラウマの影響なのかもしれないけれど、とにかく今すぐ服を着せるのは無理そうだ……と諦めそうだったところに、有瓜が「じゃあ、これならどうでしょ?」と二枚の布をビキニとパレオのように巻いてみたら、少女は脱がずに受け容れてくれた――という次第だった。
「この子、わたしよりもヌーディストですね……わたしでも、まだ全裸はちょっと寒いので服を着ているというのに……お洒落のために我慢ができる気合いの入ったヌーディストですね!」
冗談か本気か分かりづらいことを言う有瓜は無視して、俺は今一度、この緑色した少女を見つめて首を捻った。
「ふむ、ふむ……とりあえず、人間でもゴブリンでもないのは間違いないんだよ……な?」
ゴブリンたちと赤毛の姉妹をぐるりと見やって確認すると、どちらもぎこちなく首肯した。
「はい、たぶん」
「おらたつ、牝さ生まんねぇだ」
「ふむ……ということは――じゃあ、これは何だ?」
「あっ、義兄さん義兄さん」
有瓜が挙手して発言許可を求めてくる。
「なんだ、有瓜?」
「あのですね、白人黒人黄色人種みたいな感じで、緑人って線はないですかね?」
「……ふむ」
ありえるかも、と思ってしまった。
ここは魔術だ巫術だというワードが飛び交い、ついでに巨体の竜が航空力学を無視して空を飛ぶようなファンタジック異世界なのだから、肌の色が緑の人間がいてもおかしく――
「……ん? というか、ゴブリンは人間じゃないんだよな?」
「義兄さん、突然なんの話です?」
「いや、人間と人型の魔物の境界線はどこにあるんだろうか、と」
二十一世紀地球の生物学でも、それまで全く別の生き物だと思われていたものがよくよく調べてみたら、元は同じものだったのから枝分かれして進化したものだと判明した――なんてことが、わりと普通にあるとネットに書いてあった。それがどこまで本当かは、いまとなっては確かめようもないけれど、俺が言いたいのはつまり、こういうことだ。
人間は「ニンゲン目ニンゲン科ニンゲン」で、ゴブリンは「ニンゲン目ゴブリン科ゴブリン」なのかもしれないということだ。
この世界には魔物という概念があって、ゴブリンたちも魔物の一種と見なされている。だけど、魔物を倒すと死体が消滅して、代わりに魔石が残る――みたいなことは、ない。魔物と獣、人間を分ける区別は「人間にとって積極的に害を為そうとするか否か」という主観的な基準でしかないのだ。
まあ、生物学的にどうだと考えたところで、一般的なゴブリンが人間の女を襲う生態をしている以上、「ゴブリンも人間の仲間かもしれない」なんて考えが受け容れられる日は、まず来ないだろう。
「魔物か人間かっていう大きな括りはいいとして、名前が分からないのはちょっと不便ですね。お喋りできたら良かったんですけどねぇ……」
うっかり自分の考えに没頭してしまっていた俺に代わって、有瓜がそう言って話を先に進めた。
俺がさっきから彼女のことを緑色の少女としか呼んでいないのも、彼女が何者なのかを彼女自身の周りに集まって、なのに彼女へ尋ねることなく話し合っているのも、彼女がまったく喋らないからだった。
ゴブリンたちが洞窟の奥で彼女を見つけたとき、彼女は噴煙に粘膜をやられて涙を流しながら嗚咽していたという。だけど、顔に水をかけて刺激成分を洗い流した後は声を出さなくなってしまった。その後、付いてくるように告げると小さく頷いて大人しく従ったそうなので、こちらからの声は聞こえているし、言葉も理解しているはずだ。
それなのに喋ろうとしないのは、やはり心因性の失語症なのだろうか。こんなことなら、山賊の親玉だけは殺さずに捕えておくように通達しておけば良かった。冬の間は食料に余裕がなかったせいか、山賊が女子供を捕まえていることがなかったために、こういう事態の想定がまったくできていなかった。今後は、親玉だけは最低限、喋れる状態で捕えておくようにしてもらおう。
……それにしても、山賊に捕まっていた少女と来ると、どうしてもアンのときを思い出してしまう。そんなことを考えて、ふとアンのほうに視線を投げると、アンは訝しげな顔で緑色の少女を見つめていた。
「アン、どうした?」
「ロイドさん……あの、わたしの想像なので、違うかもしれないんですけど、」
そう前置きして、アンは自分の意見を語ってくれた。
「山賊たちは、この子を売り物にするつもりだったのかもしれません。身体に傷がまったくないです」
「なるほど……山賊でも商品なら丁寧に扱う、か」
実体験に基づいた貴重な意見だな、と喉元まで出かかったセクハラ発言を呑み込めた俺は、男として成長していると思う。
「あ? 商品っつうことは、買い手がいるってことか?」
「お姉ちゃんが鋭いことを言った!?」
「言って悪いかよ!?」
シャーリーが洞察力を働かせれば、アンがすかさず茶化す――いや、わりと真顔で驚いていた。
その横で、有瓜が小首を傾げる。
「でも、買い手がいるなら、なんでこんなところにいたんでしょ?」
「うん……つまり、買い手は山越えした先にいるんだろうな」
「えっ、それってあたいらの国ってことか?」
俺の考察に、シャーリーが目を剥く。そうだろうな、と頷きを返しながら、俺は続きを話した。
「この子が何なのかは分からないけど、たぶん珍しい人種か、あるいは魔物かなんだろう。でも、内戦でごたごたしている国では買い手が見つからなかったか、それとも内戦のごたごたに乗じて盗んできたものだからなのか……とにかく、この子を連れていた連中は山越えしてでも安定している国にこの子を持ち込んで、そこで売ろうとしたんだろうな」
まあ、この推測が見当違いの可能性は滅茶苦茶高いだろう。
この子は売り物よりもヤバい何かだったりするかもしれないし、あるいは山賊たちとは全く関係なくあの洞窟に居着いていただけかもしれない。
何にせよ、確かなことはひとつだけだ。触らぬ神に祟りなし、である。
「――というわけで、この子は元いたところに返すってことでいいかな」
俺は皆を見まわし、その結論を提案した。
皆の返事はもちろん、有瓜を見る、だ。
そして有瓜はやはりもちろん、
「ひとまず様子見しましょう。拾ってきた以上は責任を持つべきなのです!」
まだ平らな自分のお腹に手を置きながら、そう宣言した。
ダイチとミソラを命名してから母性の発達が著しい有瓜が、人畜無害を絵に描いたような少女を前にして、捨てましょう、と言うはずがなかった。
「了解。巫女様の御心のままに」
有瓜に向かってこれ見よがしに恭しく頭を下げてやると、ムッとした顔で睨まれた。
「義兄さんに面倒はかけませんよ。言い出した責任を取って、わたしが一人で面倒見ますしっ」
「いや、そこは全員で面倒を見たほうが効率的だし安全だ。それよりも、有瓜。おまえには、おまえにしかできない仕事があるぞ」
「え、何ですか?」
微妙に身構えた有瓜に、俺は笑顔で言ってやった。
「名無しだと不便だから、この子の呼び名を考えてやってな。できるだけ早く、でも良いやつを」
「……おぅ」
有瓜は面白いくらいに顔を引き攣らせるのだった。
冬が明けてからこっち、隣国で起きている内戦が沈静化してきたおかげか、はたまた山奥まで踏み込んでこなくとも野原で食べ物が得られるようになったからか、山賊と化した兵士崩れが流れてくることはめっきり少なくなっていた。内戦とやらがこのまま終息してくれるなら、今年の冬は静かになるだろ。そうしたら、この前の騎士たちがやってきた都に行く余裕もできるだろう。もっとも、有瓜がそれまでに出産していれば、の話しになるが。
あの竜は寝る前にせめて、妊娠期間は人間と同じでいいのかくらい言っていけばいいものを! ……いや、眠いから言い忘れたのではなく、単純にあいつ本竜も普通に分かっていないのだという気がする。つまり、有瓜がいつ何時に産気づくのか、誰にも分からないのだ。
有瓜のまだお腹は平らに見えるけれど、いきなり膨らみ始めることだってあるかもしれないのだ――少なくとも、その可能性があると思いながら有瓜の側を離れることはできない。
だから、妊娠期間が人間と大差ないのなら、今年の冬はきっとだらだら過ごすことになるのだろうと思っている。
さて、そろそろ話を戻そう。
つまりは、そんな予定を立てるくらいに、最近は巡回に出たゴブリンたちが山賊を見つけることもなかったのだ。ところが今回、巡回ルート上の洞窟に山賊が屯しているのを忍者ゴブリンたちが発見。ただちに戦士たちを呼び寄せると、鉄板戦術の燻り出し作戦を敢行。
燻り出し作戦も、初めて実行したときは刺激性の煙を出す木切れを燃やして腰布で扇いでいただけだったけれど、いまはもう少し進歩している。
枝と葉っぱではなく、葉だけを集めて乾燥させ、細かく千切ったものを、危険地帯で採取した獣の糞便と練り合わせて特製の煙玉にしたものを燃やし、さらには神官の魔術で空気を操作して、発生した煙を余すところなく洞窟内へ流し込めるようになっていた。蛇足ながら、この煙玉は狼煙を上げるのに使った色玉から着想を得たものだったりする。
いっそうヤバくなった煙をいっそう無駄なく流し込めるようになった効果は絶大で、山賊たちは燻り出されるどころか、洞窟内で目口鼻を抑えたまま気絶する、あるいは気絶もできずにのたうつことしかできなくなっていたそうだ。おかげでゴブリンたちは、わざわざ風魔術で煙を吸い出してから洞窟内に乗り込み、止めを刺してまわる羽目になったらしい。
「過ぎたるば及ばざるがごとす、だすただな。汗顔の至りだすだ」
神官は、俺がどこかでぽろっと言ったことがあるのだろう言いまわしを使って恐縮しながら報告してくれた。
小難しい言葉遣いを使いこなしていることにも驚かされたけれど、それよりも気になるのは、彼らが乗り込んだ洞窟奥で見つけて、連れ帰ってきたもの――物か者か、よくわ分からない緑色の変なものだった。
「……なんだ、これ?」
俺の疑問に答えてくれる相手はいない。
「見たことないです……」
「色的に女のゴブリンっぽいすけど……違うんすよね?」
姉妹揃って頭を振っている。
ゴブリンたちも似たようなものだし、有瓜も興味深そうにその緑色を見ているけれど、それが何かを分かっているわけではなさそうだ。
「ふむ……」
俺も改めて、それを見つめる。
それを端的に表現するのなら、緑色の女の子、だった。
背丈はアンよりも低く、忍者たちとどっこいどっこいだ。でも、忍者たちは小柄でも引き締まった体躯をしているけれど、この緑の少女は真逆の体型をしている。運動よりも読書を好んでいそうな華奢さだ。そしてまた少女の顔つきも、その印象を強くさせていた。
幼い、あどけない、という形容詞が似合う顔立ち。整っているほうだと思うのだけど、焦点の合っていない眠たげな目つきは、この少女が普通ではないことを見る者に印象付けてくる。いや、緑色の肌と、肌よりも濃い深緑色の若布みたいな髪をしている時点で、これが普通の少女ではないことなど一目瞭然なのだけど。
肌も髪も緑なら、虹彩の色もまたエメラルドのような緑で、唇も瞳と似たような彩度の高い緑色をしている。また、ゴブリンたちが連れてきたときは下着一枚身につけていない全裸だったから見えてしまったのだけど、乳首も唇と同じ色をしていた。たぶん粘膜は全部、その色なのだろう。なお、いまは薄っぺらな胸元と細い腰回りに布が巻きつけられている。
じつは服を着せるときに一悶着あった。
最初は、アンの服を着せたのだ。少女は素直に服を着せられたのだけど、着せ終わったアンが手を離すとすぐに脱いでしまった。アンは「大丈夫、着ていてもいいんだよ」と優しく語りかけながら、もう一度服を着せたのだけど、緑色の少女はやはり、すぐに脱いでしまう。
アンは、この少女は服を着ていたことで山賊に酷い扱いを受けたことがトラウマになっているのだ、と考えたようだったけれど、少女は服を着せられるときも脱ぐときもずっと眠たげな表情のままで、内心はよく分からなかった。
表情が変わらないのもまたトラウマの影響なのかもしれないけれど、とにかく今すぐ服を着せるのは無理そうだ……と諦めそうだったところに、有瓜が「じゃあ、これならどうでしょ?」と二枚の布をビキニとパレオのように巻いてみたら、少女は脱がずに受け容れてくれた――という次第だった。
「この子、わたしよりもヌーディストですね……わたしでも、まだ全裸はちょっと寒いので服を着ているというのに……お洒落のために我慢ができる気合いの入ったヌーディストですね!」
冗談か本気か分かりづらいことを言う有瓜は無視して、俺は今一度、この緑色した少女を見つめて首を捻った。
「ふむ、ふむ……とりあえず、人間でもゴブリンでもないのは間違いないんだよ……な?」
ゴブリンたちと赤毛の姉妹をぐるりと見やって確認すると、どちらもぎこちなく首肯した。
「はい、たぶん」
「おらたつ、牝さ生まんねぇだ」
「ふむ……ということは――じゃあ、これは何だ?」
「あっ、義兄さん義兄さん」
有瓜が挙手して発言許可を求めてくる。
「なんだ、有瓜?」
「あのですね、白人黒人黄色人種みたいな感じで、緑人って線はないですかね?」
「……ふむ」
ありえるかも、と思ってしまった。
ここは魔術だ巫術だというワードが飛び交い、ついでに巨体の竜が航空力学を無視して空を飛ぶようなファンタジック異世界なのだから、肌の色が緑の人間がいてもおかしく――
「……ん? というか、ゴブリンは人間じゃないんだよな?」
「義兄さん、突然なんの話です?」
「いや、人間と人型の魔物の境界線はどこにあるんだろうか、と」
二十一世紀地球の生物学でも、それまで全く別の生き物だと思われていたものがよくよく調べてみたら、元は同じものだったのから枝分かれして進化したものだと判明した――なんてことが、わりと普通にあるとネットに書いてあった。それがどこまで本当かは、いまとなっては確かめようもないけれど、俺が言いたいのはつまり、こういうことだ。
人間は「ニンゲン目ニンゲン科ニンゲン」で、ゴブリンは「ニンゲン目ゴブリン科ゴブリン」なのかもしれないということだ。
この世界には魔物という概念があって、ゴブリンたちも魔物の一種と見なされている。だけど、魔物を倒すと死体が消滅して、代わりに魔石が残る――みたいなことは、ない。魔物と獣、人間を分ける区別は「人間にとって積極的に害を為そうとするか否か」という主観的な基準でしかないのだ。
まあ、生物学的にどうだと考えたところで、一般的なゴブリンが人間の女を襲う生態をしている以上、「ゴブリンも人間の仲間かもしれない」なんて考えが受け容れられる日は、まず来ないだろう。
「魔物か人間かっていう大きな括りはいいとして、名前が分からないのはちょっと不便ですね。お喋りできたら良かったんですけどねぇ……」
うっかり自分の考えに没頭してしまっていた俺に代わって、有瓜がそう言って話を先に進めた。
俺がさっきから彼女のことを緑色の少女としか呼んでいないのも、彼女が何者なのかを彼女自身の周りに集まって、なのに彼女へ尋ねることなく話し合っているのも、彼女がまったく喋らないからだった。
ゴブリンたちが洞窟の奥で彼女を見つけたとき、彼女は噴煙に粘膜をやられて涙を流しながら嗚咽していたという。だけど、顔に水をかけて刺激成分を洗い流した後は声を出さなくなってしまった。その後、付いてくるように告げると小さく頷いて大人しく従ったそうなので、こちらからの声は聞こえているし、言葉も理解しているはずだ。
それなのに喋ろうとしないのは、やはり心因性の失語症なのだろうか。こんなことなら、山賊の親玉だけは殺さずに捕えておくように通達しておけば良かった。冬の間は食料に余裕がなかったせいか、山賊が女子供を捕まえていることがなかったために、こういう事態の想定がまったくできていなかった。今後は、親玉だけは最低限、喋れる状態で捕えておくようにしてもらおう。
……それにしても、山賊に捕まっていた少女と来ると、どうしてもアンのときを思い出してしまう。そんなことを考えて、ふとアンのほうに視線を投げると、アンは訝しげな顔で緑色の少女を見つめていた。
「アン、どうした?」
「ロイドさん……あの、わたしの想像なので、違うかもしれないんですけど、」
そう前置きして、アンは自分の意見を語ってくれた。
「山賊たちは、この子を売り物にするつもりだったのかもしれません。身体に傷がまったくないです」
「なるほど……山賊でも商品なら丁寧に扱う、か」
実体験に基づいた貴重な意見だな、と喉元まで出かかったセクハラ発言を呑み込めた俺は、男として成長していると思う。
「あ? 商品っつうことは、買い手がいるってことか?」
「お姉ちゃんが鋭いことを言った!?」
「言って悪いかよ!?」
シャーリーが洞察力を働かせれば、アンがすかさず茶化す――いや、わりと真顔で驚いていた。
その横で、有瓜が小首を傾げる。
「でも、買い手がいるなら、なんでこんなところにいたんでしょ?」
「うん……つまり、買い手は山越えした先にいるんだろうな」
「えっ、それってあたいらの国ってことか?」
俺の考察に、シャーリーが目を剥く。そうだろうな、と頷きを返しながら、俺は続きを話した。
「この子が何なのかは分からないけど、たぶん珍しい人種か、あるいは魔物かなんだろう。でも、内戦でごたごたしている国では買い手が見つからなかったか、それとも内戦のごたごたに乗じて盗んできたものだからなのか……とにかく、この子を連れていた連中は山越えしてでも安定している国にこの子を持ち込んで、そこで売ろうとしたんだろうな」
まあ、この推測が見当違いの可能性は滅茶苦茶高いだろう。
この子は売り物よりもヤバい何かだったりするかもしれないし、あるいは山賊たちとは全く関係なくあの洞窟に居着いていただけかもしれない。
何にせよ、確かなことはひとつだけだ。触らぬ神に祟りなし、である。
「――というわけで、この子は元いたところに返すってことでいいかな」
俺は皆を見まわし、その結論を提案した。
皆の返事はもちろん、有瓜を見る、だ。
そして有瓜はやはりもちろん、
「ひとまず様子見しましょう。拾ってきた以上は責任を持つべきなのです!」
まだ平らな自分のお腹に手を置きながら、そう宣言した。
ダイチとミソラを命名してから母性の発達が著しい有瓜が、人畜無害を絵に描いたような少女を前にして、捨てましょう、と言うはずがなかった。
「了解。巫女様の御心のままに」
有瓜に向かってこれ見よがしに恭しく頭を下げてやると、ムッとした顔で睨まれた。
「義兄さんに面倒はかけませんよ。言い出した責任を取って、わたしが一人で面倒見ますしっ」
「いや、そこは全員で面倒を見たほうが効率的だし安全だ。それよりも、有瓜。おまえには、おまえにしかできない仕事があるぞ」
「え、何ですか?」
微妙に身構えた有瓜に、俺は笑顔で言ってやった。
「名無しだと不便だから、この子の呼び名を考えてやってな。できるだけ早く、でも良いやつを」
「……おぅ」
有瓜は面白いくらいに顔を引き攣らせるのだった。
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