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悪役令息編

6.エクイラ・ランドリュー交響曲、第六番「青と炎」

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 最近、屋敷の中に明るい光が差し込んできた。それはきっと、あの方のおかげ。
「あら! 今日は一段と……」
 スープを一口飲み、アーマーは手を口に当てる。顔を上げ、持ってきてくれた給仕に「美味しいです」と微笑みかけると彼女もまた頷いた。
「シェフったら張り切ってるんです。久しぶりにエドワード様からいつも美味しい料理をありがとう、って言われたって!」
「庭はご覧になられました?」
「いえ、まだ……鍛錬場には寄りましたが」
「ピアノを置いているテラスの所を、庭師がお花を植え替えたんです。希少な青い薔薇もあるんですよ」
 青い薔薇と聞いて、頭にある人物がよぎる。花に飾られたテラスでコーヒーを飲む彼もまた美しいだろう、と妄想に駆られたアーマーは「後で寄ってみます」と絞まりっ気がなくなってしまいそうな頬を手で押さえながら応える。
「エドワード様がお庭に行かれることが多くなったからって言ってたわよね」
「最近テラスでお客様と話されてますものね~」
 ほう……と頬に手を当ててため息を漏らす。アーマーも二人の姿を想像して、いい……と口の端を緩めた。
「変わりましたよね、エドワード様」
「前はもっとこう、ピリピリしてて話しかけづらかったのに」
 話しかけてみると意外と優しい人だったんですねと言うメイドに、アーマーは微苦笑を浮かべる。アーマーも最初はそう思っていた。国の秩序を司っている方だ、それ相応に厳しいのだろうと前情報だけで彼を見ていた。
「でも、あんな親じゃそうもなるわよね」
「私なら家出しちゃってるかも」
 エドワード様のお父上が変態だというのは有名な話だ。別宅で何人もの男娼を囲い、公衆浴場で性にふけっている。幼い頃からエドワード様は、公務を行わない彼の代理を務めておられた。
 それに、お母上もーー……。
「ごちそうさまでした。とても美味しかったです」
 席を立つと、良かったと笑顔で返される。エディス様と違い、私は客ではない。だがエドワード様は軍から貸してもらっているのだからと大切に扱うよう言ってくださる。破格の扱いだと感じていた。
 私は麗しい彼らを護らせてもらえることを誇りに感じているし、なによりの幸せだ。

 エディス様は王太子としての知識を、エドワード様は魔法を互いに教えあっておられるらしく、よく屋敷内で額を合わせて話している姿が見受けられた。
 今日は庭のテラスでお茶にすると聞いていたので向かうと、もうすでに始まっていたようだった。
「ん! これいい匂いだな!」
「良かった。それね、西から取り寄せた花なんだ。蝋梅というんだよ」
 薄黄色の花に顔を近づけたエディス様が目を伏せる。その色っぽいこと! 好きだなとエドワード様に囁き、柔らかな笑顔に浮かべる王子様にこちらの胸が締め付けられ、動悸がしてきそうだった。
「アーマー、隠れてないで出ておいで」
 突然エドワード様に声を掛けられて体が跳ねる。護衛として潜んでいるのは互いに知っていることなので、なにか別に用事があるのかと花壇の影から出ていく。
「どうされましたか」
 遠くから応じると、エドワード様が「おいでと言ってるでしょ」と手招く。
 光の差す庭、という言葉が相応しい。正直、美男子が戯れている場に私なんぞが近づくなど恐れ多いので、空気かなにかだと思っていてほしいのに。
 数歩近づき、「……演奏されるんですか」と気付いた。楽譜を手にしていたエドワード様が頷いて立ち上がってピアノの前に置かれている椅子を引く。
 エディス様が「練習だよ」と言って、隣の椅子に置かれていたヴァイオリンを手にする。
 楽器は王侯貴族のたしなみの一つだ。兄の恋人のレイアーラ様は琴の名手だし、友だちのシルベリアさんはチェンバロでもリュートでも弾きこなす。よく恋歌をシュウさんの前で奏でてはぐうぐう寝られて、私に困ったような視線を送ってきたのを覚えている。
「エドが見てていいってさ」
 はにかんで笑うエディス様に恐縮してしまい「よ、よろしいのですか?」と声がどもってしまう。恥ずかしながら、憧れの人と話す緊張感からかいつも上手く話せなくなくてもどかしい。
 隣に座っていいとも言われたが、音もなにも耳に入らなくなってしまうので丁重に断らせていただいた。立って聴いていると、周りにどんどん人が集まってきてしまってエディス様が困ったとばかりに眉を下げる。
「おい、緊張して音を間違えそうになるんだけど」
 こんなに集まってくると思わなかったとエドワード様に詰め寄るので、エドワード様が息を零して笑われた。それが見たことがないように感じられて首を傾げてしまう。笑顔の印象が強い方なのに、どうしてかしらと唇に手を当てるが、すぐに理由が思い当たって視線を下げる。
「坊ちゃま、よく笑われるようになられた……」
 けれど、その声で顔を上げる。斜め前の方で聴いていた執事長が涙ぐんでいて、キリガネさんが呆れながらもハンカチを渡しているのが目に入った。
 キリガネさんはエンパイア家ではなく、エドワード様に仕えている。だからか常にエディス様に対しても警戒を怠らない。
 眼鏡で隠しているけれどキリガネさんもとんでもない美形で、エドワード様と並んでいると絵になる。この二人も強い絆で結びついているように感じられるが、理由を訊くのが憚られているので個人的な調査が進んでいない。
「本当に素敵だわ……天国のよう」
 私たちは浮かれていた。そう、浮かれすぎていたのだ。
「シルク様が生きていれば、お二人は本当の兄弟になられたのよね」
 なんてことを言うのかと周りが注意をしようとした時、心臓を打ち鳴らすかの如き低い音が轟いた。その瞬間、水を打ったように静かになる。
 何故か。音を立てた張本人が首を傾け、昏く澱んだ目で睨み上げていた。薄く開いた口からなにが発されるのか。恐ろしくて震えそうになる手を押さえる。
 終曲の音にしては重かった。叩きつけるような弾き方はこれまでとは全く違い、彼の感情がようやく乗ったようにさえ私には思えた。
 肌が切れてしまえそうな緊張感が漂い、私の前にいたメイドがふらつく。件の言葉を口にした愚か者だ。主人への気遣いさえできない彼女の肩を支えると、青白い顔でこちらを見てくる。潤んだ瞳から涙を零しかねなかった彼女はハンカチで口を押さえ、嗚咽を零しながら走っていってしまった。
 こちらの様子を伺っていたのか、青い目と視線が合う。
 彼はいつもと同じ笑顔を顔に浮かべると、ピアノの方に顔を向けた。
 骨ばった手が鍵盤を押し沈める。奏でられる曲に私は息を呑む。エディス様の方を見ると、彼もまた呆然と立ち尽くしていたが、すぐにヴァイオリンを構えた。一拍の呼吸の後、力強く弓を引く。
「……エクイラ・ランドリュー交響曲、第六番。青と炎」
 ――副題は心を失った男、だ。
 低いピアノの音は落ち着きをもたらしてくれるようにも響くが、随所に入るヴァイオリンの金切り声のような音がこちらを苛立たせてくる。ピアノは彼の足音で、ヴァイオリンは波打つ彼の心情。
 この曲は、戦争で失った妻の葬式から帰る男を表していた。
 冷や汗が髪から落ち、首の後ろに当たった。思惑に気付いたこちらを咎めるように、エドワードと視線が交わる。
 す、と目が細まった。この人の笑顔はいつ見ても完璧だけど、温度は伴ってない。飾りでしかない笑顔はさぞ貴族としての誇りだろう。

 私は気付いている、この人の内に籠る憎悪に。
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