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生贄編

1.夜空の星になってろ神様

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「どうも……邪魔するぞ」
 洞穴の中にはドアがないので、エディスは代わりに壁を二回軽く叩いて挨拶をした。
「あら、いらっしゃい」
 奇妙にみずみずしい、若い女の声が返ってくる。エディスは口に手を当て、えずきそうになったのを押さえる。リスティーの方を見ると、彼女はまるで魔法に掛かったかのように、なんの疑問も抱かずに体を動かしていた。それが、まるで糸でもつけて引きずられていくようにエディスの目には見えた。
「おい、しっかりしろ」
 その腕を掴んで引っ張るが、リスティーは構わず進んでいく。エディスはそれに舌打ちをして、仕方なくついていく。
 細く棚引いていた光が強まってきて、広く開けた場所に出ると目に焼き付くかと思う程に発する。
 暗い所を進んできたせいで目がくらんだエディスは額に腕を当てて光を和らげようとする。やがて慣れてきてから腕を下ろすと、目に白い調度品が入り込んできた。上品さよりも骨のような不気味さを感じさせるそれらを目で追うと、ゆらりと視界の端が揺らぐ。
「はじめまして、エドワードくん」
 明けの空に似た薄紫の髪に、雪の如く白い肌。冷淡な感情を含んだ、切れ長の目がこちらを刺すように見つめてきた。
「私は、シュアラロ・マリス・サラロリア」
 あなたの母親の友だちよ、赤い唇がそう動く。口が小さく開く度に垣間見える牙に、エディスは顔を顰めた。
「本当に友達だったのね! 良かったわね、エディス」
「良かったわねぇ……えぇそうね。さ、いつまでもそんな所に立ってないで、入りなさい」
 口は笑みを象っていても、空気がひりついている。嬉しそうに、輝かしいことのように笑い合うリスティーとその女を離れた所から眺めていたエディスは、息を吐いてから歩いていく。
 促された椅子にどっかりと足を開いて座り、膝に肘を当てる。組んだ指で口元を隠して、眦を吊り上げて険しい目つきで女を見据えた。
「や……やだエディス、なに。アンタ、怒ってるの?」
 激した様子にリスティーがたじろぐが、女は顔を歪めて笑む。そうすると金色の目が三日月のようになり、余計にエディスの癇に障った。
 あらかじめ用意していたのか香りの立つ紅茶を持ってきて勧められたが、断る。それでもと手渡してきたので、受け取ってからテーブルに乱暴に叩きつけた。茶器が音を立てて中の液体がテーブルに散らばる。
「……酷い育ちね」
「奴隷市生まれなもんで、こんな臭ぇもん飲めねえよ」
 次いでリスティーの手にカップを握らせたので、腕を振って床に叩き落とした。怒ることも出来ず、唖然として自分の手を見るリスティーの顎を掴む。顔を覗きこんで、「くだらねえ魔法を掛けんなよ」と低く声を落とす。
 国王の時とは違い、今度は額に指の先を当てて紋様を描いていく。その中央に息を吹きかけると、リスティーの上体ががくんとのけ反った。
「おい、しっかりしろよ」
 肩を揺すり、背を伸ばすとリスティーはエディスの腕を掴んでくる。首をぐらぐらと揺らしてもたれ掛かってきたので、近くにあった丸テーブルを引き寄せ、そこにうつ伏せに寝かせておく。
「誰に似たのかしら……魔法に詳しいのね」
「少なくとも、俺が知ってる女じゃねえだろうな」
 そう言うと、直前まで皮膚が切れそうな程に張り詰めていた空気がほんの微かにだが緩んだ。女は「そう、あなたは分かっているの」と指の先を口元に当てて思案する。
「あれがエディスでないと分からないような愚鈍な子どもなら、話などしないところだったのだけど」
 本当に誰に似たのかしらと値踏みしてくる女に対し「アンタは俺に誰を見るんだよ」と顎を上げ、鼻で笑って返した。椅子の背もたれに腕をのせ、尊大な態度を取るエディスに女は青筋を立てる。
「そういうところ、エディスに似てるわ……あの子、顔はいいんだけど」
「性格が悪かったってか?」
    笑い飛ばしたエディスに、女ーーシュアラロは言葉を失った。
「エドワードくん」
 それから忌々しそうに妬める目でエディスを捉え、口を開く。
「あなた、死んで」
「それは……なんの為にだ」
 どういう理念があって話をしているんだと冴え冴えとした眼光で見返すと、
「私はエディスを取り返したいの」
    シュアラロは真っ向からぶつかってきた。神からねと斜に構える彼女に、エディスは「神から?」と眉をひそめる。
    エディスは首の後ろを掻き、目を閉じて息を吐き出す。
「あのさ、本当に神なんて存在すんのか」
 エディスは無神論者だった。祈る瞬間があれば己を鍛える方がより良い時間を考えており、祈ったことがない。そしてその存在も否定するわけではないが信じてもいない。
「ティーンス大聖堂を知らないの?」
「知ってるけど、あの噂も眉唾ものだろ」
    シュアラロはこめかみに指を押し当てて、痛みを制するように瞼に力を入れて閉じる。
「この国には元々、数多の神がいたわ。人と共に生きる神が。けれど、別の世界から来た神を見てどこかへいってしまったの」
 陣地争いをする神様。俗物的すぎてな……とエディスはふっと息を零した。
「神様はどこに消えたと思う?」
「空の星になった」
 子どもに読み聞かせる童話の中ではそうなっていた。それに、大聖堂にしまわれているという女神像も元は星だったのだから、あながち間違えでもないだろう。
「現実は童話の世界ではないのよ」
 しかし、困った子どもね眉を下げて呆れられてから幼稚な発言だったと己を恥じた。
「古い神はね、人の中に入ったの」
 ほっそりとした白い指を差し出され、エディスは目を丸くする。シュアラロは仕返しだとばかりに悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「あなたたちは、それを魔物と呼んでいるわ」
「は……?」
 くすくすと声を立てて笑うシュアラロに、エディスは汗が引いていくのを感じた。体の末端から冷たくなっていき、座っている感覚さえなくなっていく。
「あなたたちが毎日楽しそうに殺しているのは神が入った人間。能力者の能力は、異星から来た神の破片が入った時に偶然貰える恩恵というところね」
 古来からいた神か、他の星から来た神かの違い。どちらも人ではないと――魔物、魔力。構成する物質の研究を禁止したのは、王だ。理性があった時の、王。
「これを聞いてもあなたは戦えるのかしら?」
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