忘却のカグラヴィーダ

結月てでぃ

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一章/炎の巨神、現る

お前を守る

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「徹、よく聞きなさい」
 そう言って母が自分に話したのは、当夜と花澄が乗る車が事故にあったこと、そのせいで当夜が学校に来れないこと、元々体の弱かった花澄はもう二度と病院の外には出られないかもしれないことの三つだった。
 生まれた時からずっと傍にいた幼馴染が、急に自分の生活から消えてしまった徹は慌てた。
 隣を見ても当夜の笑顔が見えず、スカスカと空気がかすめていく左手も、半分ずつじゃなくなったお風呂も布団も、全てが空虚でつまらなく感じられる。
 おかしな生活にようやく慣れたのは一年後。小学校六年生の春だった。
 雨に打たれて桜がボロボロに散っていくのを無感情に見ながら家の近くまで帰ってきた徹は、ランドセルの紐を強く握り締める。
 当夜の家を過ぎる時、自然と体が強張るようになってしまっていた。いつまでも自分の元に帰ってこない幼馴染が本当は死んでいて、母たちがそれを自分に隠しているだけないんじゃないか。そうとさえ思うようになっていた。
「……え?」
 ふと見上げた当夜の家は、いつもと様子が違っている。人が住んでいる様子がないのはいつも通りだが、その日は二階の窓が開いていた。
「花澄?」
 二階の真ん中の部屋だ。そこが花澄の部屋であることを徹は知っている。不思議に思いつつも、白いカーテンが揺れる様子を見ていたらいてもたってもいられなくなり、徹は門を開けた。跳ねる胸を手で押さえて玄関のドアノブをつかんで回すと、すんなりと扉は開く。階段を上がっていき、廊下の左側にある部屋のドアを開け放った。
 窓際に、白いワンピースを着た少女が立っている。まだ春など来ていないのではないかと思ってしまう程の寒さに包まれた部屋、開け放たれた窓と扉。何時間そうしていたのか、少女の裸の足は色を失って震えていた。
「なにをしているんだ、花澄!」
 徹が駆け寄る前に、その少女は床に倒れてしまう。白い四肢を投げ出しているそれを見て、徹は自分の血の気が引く音を聞いた。
 もつれる足をなんとか進ませて少女を抱き起す。驚く程に肌の白い少女は青白い唇をうっすらと開いていた。精巧な人形のような美しさを感じた徹は、唾を飲み込んで少女の唇に指を押し当てる。皮膚が柔らかく、弾力のある唇を指でこすると少し赤みが戻ってきたように思われた。
 どうすればいいのか分からなかった徹が肩や足を撫でて温めていると、少女は目を開けた。少女は目を限界まで見開くと、大声を上げて徹の腕の中から逃げ出す。動物的な動きで徹を押し避けた少女は部屋の隅まで行き、ガタガタと体を震わせた。
「ど、」
 どうしたんだと声をかけようとした徹に、少女は来るな!! と大声を上げる。
「また始まる。まただ、また。また花澄が死んでいく。いなくなる、もうすぐ消える、死ぬ」
 ガリガリと一心不乱に指の爪を噛み、ぼとぼとと大粒の涙を流す少女に徹は首を傾げた。
「……花澄? いったい」
 幼馴染の妹である少女に対して呼びかけると、その少女は涙を残したまま表情を消して徹へと顔を向ける。首の向きだけを変えるような動きだったため、徹は身体をビクリと震わせて、一歩後退した。
「はーい」
「花澄?」
「はあい、花澄です」
 少女は不自然なまでに笑顔を作って徹に見せてきた。もう一度名前を呼ぶと、そろそろと四つんばいで近寄ってくる。猫のような仕草に、徹はしゃがんで腕の中に招き入れる。少女は温かかった。
 涙に濡れた少女の目は、血のように濃い赤色をしていた。そのことに気づくと、徹はふっと息を吐いて苦笑をし、少女を抱きしめる。
「せんせえ、今日もまたかみさまが来たの?」
「神様?」
「今日は花澄が行く。ねえ、いいでしょ?」
「行く? 行かなくていい」
「どうして? 行かないと皆死んじゃう。花澄も徹も、みんなみんな死んじゃうんだ」
 腕の中の当夜は耳の上に手を押し当てて俯いてしまう。徹は、当夜がなにを言っているのか分からなくて困り果てた。
「ぜんぶ俺が殺さないと」
「殺すって……そんな、危ない」
「危なくたっていいんだ! 俺が殺さないと皆死んじゃうんだ。もう誰もいない。俺と花澄だけで、花澄もいなくなる」
 ぽんぽんと出てくる物騒な言葉に、徹は眉を寄せて当夜を見つめる。
「皆殺される。皆食べられるんだ」
 涙が止まらない当夜を強く抱き締め、徹は首を振った。
「こわい……っ、こわいよぉ。一人にしないで、ここにいて」
 涙を零す当夜の両手を徹は握り締める。眉と眉を強く引き寄せ、全てを恨んでいるような目で床を睨み付けていた当夜が、徹に顔を向けた。
「大丈夫だ、当夜。僕だ」
「……お兄ちゃんじゃないよ、花澄だってば」
 何日寝ていないのか、当夜の目の下にはクッキリと隈ができていた。徹はそれを指の腹でなぞり、涙を舌で舐める。
「徹だ。わかるか?」
 頭を撫でていると、当夜はこくりと頭を頷けさせた。とおる、と当夜が自分の名前を呼ぶのに、徹は目を和ませる。
「とおる、とおる!」
 それ以外の言葉が話せなくなったように嬉しそうに名前を口に出す当夜を、徹は抱きしめた。
「大丈夫だ。僕がいる」
「徹が?」
「そうだ、僕がお前の傍にずっといる。お前を守る」
 まもると当夜が小さな口で呟き、徹がそれを肯定する。
「お前を守るよ」
「いいよ、俺は。俺はいいもん」
 唇を尖らせる当夜に向かって、徹は首を横に振って見せる。
「よくない」
 守るから、とこめかみに唇を押し当てると、当夜はくすぐったそうに笑い声を上げた。
「好きだよ、当夜」
 愛おしかった人が、恋しい人にもなった日を徹は今も覚えている。
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