宰相補佐の隠し事

まめだだ

文字の大きさ
上 下
2 / 8

2

しおりを挟む
定時で仕事を終えた私は足早に帰宅した。
同僚の中にはまだ仕事をしていたり、酒を飲む話をしている者もいたがすべて無視だ。


「せ……の、野分(のわき)!!」


まだ新しい平屋建ての家に入り、すぐにしっかりと鍵を落とす。そのまま目的の人物を探して家の中を通り、そして家の中央にある中庭で足を台に乗せて腕立て伏せをする男を見つけて悲鳴を上げた。


「の、のわわわ野分!何をしているんですか!」

「何って鍛練だよ。鍛えないと衰えてしまうだろう?」


慌てて駆け寄り、裸の背に手を乗せると滴る汗でぬるりと滑った。
私は取り出した手拭き布をその逞しい首筋に押し当てる。野分は膝をついて台から足を下ろすと、地面に直接座り込んで私の手から布を受け取り、額と瞼の辺りをぐいと拭った。小さな手拭き布はすぐに汗でびしょびしょになってしまう。


「こんなに濡れて、いつから鍛練してたんですか」

「濡れてってお前の口から出るといやらしいなあ。おかえり、暘谷」


にやりと笑った男に腰を引かれて、太い腿に尻を乗せてしまう。慌てて立ち上がろうにも腕の力が強くてなし得ない。


「野分……」


私は困ったように男を見上げる。
大丈夫とばかりに微笑む男だが、彼の左足は脛半ばから先がない。失っているのだ。


「とにかく中に入りましょう。もう薄暗くなってますし、このまま風に当たっていたらいけません」

「そうだな。腹が減ったし、食事にしよう」

「今日も肉を焼きましょうね。野分が下拵えを済ませてくれるので助かります」


今度はするりと膝から降りることができた。
野分の手を引けば器用に片足でさっと立ち上がる。壁に手をつきながら、大柄な彼は慣れた調子ですぐに縁側に辿り着いてしまう。


「先に汗を流してきてください。私は食事の準備をします」

「わかった」


野分が風呂場へ向かうと、とっとっと独特の足音が聞こえる。私はそれを聞きながらいそいそと調理場に急いだ。

しかし食事の支度がすべて整う前に野分が戻ってきてしまう。濡れ髪の野分に追い立てられて入れ代わりで風呂に向かった。仕方ない。肉を焼くのは野分の方が上手い。


あまり大きくない食卓に風呂上がりの男二人で向かい合う。大皿料理は食べたい分だけ取り分ければいいので楽だ。大半は野分の胃袋に消える。
野分は酒が好きだが、深酔いすると傷が痛むので少量しか飲まない。下戸であっという間に赤くなってしまう私も軽くだったら付き合える。

いつも通りの食事風景だ。
私はおずおずと下から窺うように正面の男を見た。


「あの、野分?私がいない間ずっとあんな風に鍛練を?」

「そうだな、気が向いたらだけどな」


それはほぼ日課ということだろう。


「…ちょっと言いにくいんですが、最近この辺りで騒音の苦情が出ているらしくて」

「騒音?オレが思う限りでは静かでいいところだぞ」

「だから、その……」

「あー、もしかしてオレが騒々しいか?」

「どんな内容の鍛練をしているかにもよるかと」

「ふむ」


野分は自分の右腕を見下ろしてむきっとさせる。


「声を出さないと力が入らないこともあるからなあ。その騒音とは昼だけか?」

「夜も、少々……」

「だったらオレだけじゃないだろうが」


野分にじとっと見つめられて思わず目を逸らす。


「…………」

「…………」

「……オレはまだ夜中に騒ぐか?」

「…たまにです。最近は減りました」

「そうか。それは悪いことをしたな」


野分は読めない表情で謝り、ぐいっと酒を呷る。
男はいつも通りだったが私は勝手に気まずくなってちまちまと食事を終えた。


「あ――…!」


腹が満ちて上機嫌の野分がごろりと敷かれた布団に横になる。この家では寝台は使わない。野分が倒れると私では動かせないので、布団を動かす方が早いのだ。

同じ理由で軽装を好む野分の背中の筋肉が布一枚隔てた先で躍動している。酒で顔を赤くした私はもじもじとして結局我慢できずに、その大きな背中に飛びついた。


「うおっ」


のし掛かってきた私に驚く野分だが、すぐに相好を崩す。


「暘谷、お前は本当にオレの筋肉が好きだなあ」

「ごめんなさい」

「謝らなくていいから鍛えるのを許してくれよ」


じゃないとお前の大好きな筋肉が育たないぞ。
うねうねと背筋を蠢かせる野分の言い分に笑ってしまう。


「無理はしないでくださいね」

「しないしない」


腕を引かれて、ごろりと仰向けに直った野分の腹の上に乗せられる。後頭部を掴まれ唇を重ねられた。同時に、腹にぐりっと野分の勃ち上がりかけた重い熱を押しつけられる。


―――翠雨殿下は私を誰の肌も知らないと笑ったが、それは間違いだ。童貞はともかく処女はとうに失っている。


「あっあっ、野分……!」

「とけるのが早いなあ、暘谷。かわいいよ」


私は罪を犯している。
それも国を揺るがしかねないとても大きな罪だ。

私が必死に隠すこの大きな獣の所在は誰にも知られてはいけない。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

離縁しようぜ旦那様

たなぱ
BL
『お前を愛することは無い』 羞恥を忍んで迎えた初夜に、旦那様となる相手が放った言葉に現実を放棄した どこのざまぁ小説の導入台詞だよ?旦那様…おれじゃなかったら泣いてるよきっと? これは、始まる冷遇新婚生活にため息しか出ないさっさと離縁したいおれと、何故か離縁したくない旦那様の不毛な戦いである

学園の卒業パーティーで卒業生全員の筆下ろしを終わらせるまで帰れない保険医

ミクリ21
BL
学園の卒業パーティーで、卒業生達の筆下ろしをすることになった保険医の話。 筆下ろしが終わるまで、保険医は帰れません。

私は私で勝手に生きていきますから、どうぞご自由にお捨てになってください。

木山楽斗
恋愛
伯爵令嬢であるアルティリアは、婚約者からある日突然婚約破棄を告げられた。 彼はアルティリアが上から目線だと批判して、自らの妻として相応しくないと判断したのだ。 それに対して不満を述べたアルティリアだったが、婚約者の意思は固かった。こうして彼女は、理不尽に婚約を破棄されてしまったのである。 そのことに関して、アルティリアは実の父親から責められることになった。 公にはなっていないが、彼女は妾の子であり、家での扱いも悪かったのだ。 そのような環境で父親から責められたアルティリアの我慢は限界であった。伯爵家に必要ない。そう言われたアルティリアは父親に告げた。 「私は私で勝手に生きていきますから、どうぞご自由にお捨てになってください。私はそれで構いません」 こうしてアルティリアは、新たなる人生を送ることになった。 彼女は伯爵家のしがらみから解放されて、自由な人生を送ることになったのである。 同時に彼女を虐げていた者達は、その報いを受けることになった。彼らはアルティリアだけではなく様々な人から恨みを買っており、その立場というものは盤石なものではなかったのだ。

神の末裔は褥に微睡む。

織緒こん
BL
 魂ってのは、生命を全うしたあとは、感謝の気持ちを込めて磨いて磨いて、次の生命に繋いでいくもんなんだって、死んでから知った。  四十六歳、妻とふたりの子どもを残して膵臓がんで死んでしまった俺は、美しく幸薄い少年の中で目覚めたのだった。  俺の次の魂の持ち主は、踏み躙られて消えてしまった。魂の行く末を見守っていた俺は前面に押し出されて、前世の記憶を持ったまま、神子返りの少年アリスレアとして生きることになった。  アリスレアは不幸な少年だった。人が十人いたら、余程のひねくれ者でない限り、十人ともその意見に反対しないだろう。    堅物将軍×薄幸美少年(中身はおっさん)  ⁂ ⁂ ⁂ ⁂ ⁂ attention‼︎  嫌なキャラクターは織緒クオリティの下衆さです。女性や子どもが辛い目に遭います。知的文化水準が低い世界の物語なので、基本的人権が尊重されていません。  『えっちはえっちに書こう』がスローガンです。えちえちが苦手な方、十八歳未満のお嬢さま方は『✳︎マーク』を見安にご自衛ください。  

【完結】偽りの宿命~運命の番~

.mizutama.
BL
『今まで味わった苦痛のすべてを私は決して忘れない。 お前には、これからじっくりその代償を支払わせてやる――』 突然の王の死。 王の愛妾、そして「運命の番」として、長年ジャックス王の側に仕えてきたオメガのセシル。 セシルは王の寵愛の深さ故に、周りからいわれのない誹謗中傷を受け続けていた。 先王の息子であるエドガー王の誕生を機に、極刑をも覚悟していたセシルだったが、 新王エドガーがセシルに命じたのは、己の正妃として仕えることだった。 正妃として新王に対面したセシルに、エドガーは冷たく告げた。 ――今まで自分が味わった苦痛の代償を、すべてお前に支払わせてやる……と。 そしてセシルの首筋から先王の噛み痕が消えたとき、セシルの心には不可思議な感情が生まれ始める……。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 【本編完結しました!】※R18 オメガバース(独自設定有り) 年下美貌王✕先王の愛妾オメガ 不憫受け すれ違い・拗らせ ※※R18シーンの予告はありません。ご注意ください。 色々すれ違いまくりですが、ハッピーエンドなのでご安心ください!ラストまで頑張って書きます!

寵妃にすべてを奪われ下賜された先は毒薔薇の貴公子でしたが、何故か愛されてしまいました!

ユウ
恋愛
エリーゼは、王妃になる予定だった。 故郷を失い後ろ盾を失くし代わりに王妃として選ばれたのは後から妃候補となった侯爵令嬢だった。 聖女の資格を持ち国に貢献した暁に正妃となりエリーゼは側妃となったが夜の渡りもなく周りから冷遇される日々を送っていた。 日陰の日々を送る中、婚約者であり唯一の理解者にも忘れされる中。 長らく魔物の侵略を受けていた東の大陸を取り戻したことでとある騎士に妃を下賜することとなったのだが、選ばれたのはエリーゼだった。 下賜される相手は冷たく人をよせつけず、猛毒を持つ薔薇の貴公子と呼ばれる男だった。 用済みになったエリーゼは殺されるのかと思ったが… 「私は貴女以外に妻を持つ気はない」 愛されることはないと思っていたのに何故か甘い言葉に甘い笑顔を向けられてしまう。 その頃、すべてを手に入れた側妃から正妃となった聖女に不幸が訪れるのだった。

地下組織の優秀な性欲処理係

彩月野生
BL
異世界。魔族と通じる地下組織の内部では、小競り合いが絶えなかった。 自由を望み、意志を貫こうとするルコスは、ぶつかりあう輩達、特にビクトルとその子分のリャドに目をつけられていた。ある時、ビクトルに紋を施されて心はそのままに身体だけ操られ、卑猥な行いを強要されて快楽を叩き込まれる。 (思いつき勢いエロ重視な話・誤字脱字報告はご遠慮下さい・ひとまずは脳内保管とスルーでお願いします)

【完結】私の妹は『ずるいモンスター』です。

とうや
恋愛
先妻が産んだ侯爵家長女レアは、ふんわりとした前世の記憶を持つヒノモトからの転生者。悩みの種は「ずるいですわぁ!」が口癖の、同じ日、同じ年に生まれた腹違いの妹ニナ。 「お姉様ばかり、あっさりとしたお料理で痩せててずるいですわぁ!」(下働き以下の食事) 「お姉様ばかり、お勉強しないなんてずるいですわぁ!」(家庭教師も付けてもらえない) 「お姉様ばかり、重いアクセサリーを付けないなんてずるいですわぁ!」(そもそも着飾らせてもらえない) ……あれっ?私、結構この子に愛されてる??? 頭空っぽにして読めるド定番テーマです。毎日21時更新。

処理中です...