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ひとけのない授業中の校舎の廊下をテクテクと歩いて行く。向かう先は医務室だ。今のところ、体調は悪くないのだが、頭にボールが激突したので大事を取って医務室へ向かうことになったのである。
正直に言って「授業をサボれてラッキー」くらいのことは考えている。なぜならこのディアモンド魔法学園には毎週水曜日に午後の授業を丸々使ったスポーツの時間があるのだが、わたしはこの授業が苦手だった。ひとことで説明すると、「運動神経が悪いから」。
前世も体育の授業はイヤだった。チームスポーツなんかじゃ絶対に足を引っ張るし、個人競技でも目立てるわけじゃない。むしろ悪目立ちすることのほうが多く、そんな時間は苦痛でしかなかった。
そういうわけでエマとなった今でも、スポーツに対してはうっすらと苦手意識がある……というわけなのだ。
――『ディアりっ!』には体育の授業の描写なんてなかったはずなんだけどなあ……。
やはり、というか、もはや当たり前となった結論が頭をよぎる。この世界は『ディアりっ!』とは似て非なる世界。ローズマリアの性格も違えば、エマも違うし、このあいだはクリスタルとかいう生徒に呪われかけた。それ自体はあまりにお粗末なものだったけれど、呪われかけたことは事実なので、いまだに強い印象が残っている。もちろん、悪印象が、だ。
……と、そんなことを考えていたのが悪かったのだろうか。ノックを二回して「失礼します」という言葉と共に医務室の扉を開けば、そこにはくだんの「残念美少女」……エメラルド寮のクリスタル・オータムがいたのである。
しかしクリスタルは扉が開いた音が聞こえただろうに、こちらを振り返らなかった。それどころか、じっと窓際のベッドを凝視している。窓際のベッドにはカーテンが引かれていなかったので、だれかが寝そべっているらしいふくらみがあるのがわかる。
クリスタルがなぜ窓際のベッドを注視しているのかさっぱりわからず、わたしはだれも見ていないのにもかかわらず、首を傾げたくなった。
「――ねえ、クリスタルさん」
「ぎゃあああああああっ!!!」
絹を裂くような悲鳴――ではなく、勢いよく空気を引き裂く「騒音」と呼ぶにふさわしい声が、クリスタルの口から飛び出る。そのあまりのうるささに、わたしは耳を手でふさぎたくなった。
ようやくこちらを振り返ったクリスタルのグリーンの瞳には、涙の膜が張っていた。……そんなにびっくりしたのだろうか。涙が出るほどに? だとすれば、少し悪いことをしたかもしれない。クリスタルに不幸の手紙を送りつけられた出来事は未だにムカムカするが、それはそれとして申し訳ない気持ちが湧き上がる。
「ごめん。びっくりさせちゃった?」
「びっくりするに決まってるでしょーが! バッカじゃないの!?」
「バカって……そんな風に言われるほどのことかな……」
クリスタルは泣きべそをかいた顔のまま、サカサカと虫を連想させる素早い動きでわたしに近づく。相手は、こちらを呪おうとした前科を持っている人間だ。だから、わたしはクリスタルが近づいたぶんだけ、反射的にうしろに下がった。
「ちょっ、ちょっと、なに逃げてんのよ!?」
「いや……普通は逃げるでしょ」
「なんで!?」
「『なんで』って……まさか自分がしたことをもう忘れたの?」
「それくらい覚えてるわよ!」
「じゃあわかるでしょ? 呪いをかけようとしてきて、しかも魅了魔法をためらいなく使ってくる前科持ちに近づかれたくないの」
わたしの口からは、自分でもおどろくほどに辛辣な言葉が飛び出した。
クリスタルは「それくらい覚えている」と言った通り、己がマズいことをしたという意識は一応あるのか、ぐっと唇を閉じて沈黙した。しかしそれも長くはもたず、ちらりと窓際のベッドのふくらみを見やったかと思うと、そちらに向かって人差し指をさして見せる。
「――あれ! あれ! アンタにも見えてるでしょ!?」
「いや、うん、そりゃあ目は悪くないから見えてるけど……?」
「もーっ! ほんっと鈍感! 『医務室の眠り姫』の話を知らないの!? バカなの!?」
ほとんど泣きべそを通りすぎてギャンギャンと泣き出しそうな雰囲気のクリスタルの言葉を聞いて、わたしはやっとなぜこんなにも彼女がおびえているのかを理解した。
「医務室の眠り姫」――この学園に伝わる怪談のひとつ。寮の交流会で先輩が披露してくれた話の中に、それがあった覚えがある。
内容は、いつのまにかベッドの掛け布団がまるで人間でもいるかのように盛り上がっているが、剥いでもそこにはだれもいない――というだけの怪談のはずだ。たしか、この話をしてくれた先輩も「害はない」と言っていた気がする。
しかしそれはそれ、これはこれというやつである。こちらに害があろうとなかろうと、怪異であることはたしか。前世を含めてもそのようなオカルトな事象に現実でぶち当たったことのないわたしは、一度に肝が冷える思いをする。
「え……ほ、本当に? だれか生徒が寝てるんじゃ……」
「あたし授業サボってずっとひとりで医務室にいたの! なのに目を離した隙にいつのまにか布団がふくらんでて……。もう、怖くて怖くて動くに動けなかったの!」
まなじりに涙を浮かべつつ、クリスタルがそう訴える。「医務室の眠り姫」は現実に今、お前の目の前に存在しているのだ、と。
そう言われると、なんだか窓際のベッドの辺りが、日が射しているにもかかわらず、薄暗く感じられてくるから不思議だ。なんだか、禍々しい気配を発しているような気さえしてくる。
でも――。
「怪談だなんて、バカバカしい」
「はあ?!」
「現実に今目の前に存在するとしても、『医務室の眠り姫』は害のない存在のはず。そんなのにビビるなんて……わたし、ちょっと見てくるから」
「アンタ、それゼッタイ死亡フラグだよ!」
「そういうこと言わないでよ……本当に死亡フラグになったら恨むから」
「なんで!?」
ぎゃあぎゃあとわめくクリスタルをそのままにして、わたしは窓際のベッドへと近づく。枕元を覗き込んでも、頭も髪も見当たらない。けれども、掛け布団はまるでひとりその中で丸くなっているかのような形に盛り上がっていた。
――イメージするのは、強い自分!
わたしは己にそう言い聞かせる。引っ込み思案で、内気で、消極的な前世の自分とはいい加減お別れしたい。だから自信をつけたくて――ローズマリアの隣に堂々と立ちたくて、今は勉強も頑張っている。あとはこの性格だ。どうしようもなく、臆病なわたし。それを変えたい……。
わたしは自分を奮い立たせるように、「よし!」と気合の声を出した。背後から「ぜんぜん『ヨシ!』じゃないからね!?」という声が上がるが、無視する。
そしてわたしは――掛け布団を一度に剥ぎ取った。
「ぎゃあああああああああ!!!」
再び、クリスタルがドでかい悲鳴を上げる。いや、それはもはや雄たけびに近かった。ボールをぶつけられた頭がガンガンと痛むような気がして、わたしは両耳を手でふさぐ。
背後からドタドタドタッと音がしたかと思うと、クリスタルが耳をふさいでいるわたしに飛びかかった。おどろきと衝撃でわたしの体はゆらいだので、たたらを踏んでどうにか持ちこたえる。非難の目でクリスタルを見れば、彼女はもうほとんど泣いているのと同じ顔をして、わたしが掛け布団を剥いだ――カラのベッドを見ていた。
「本物じゃん! 本物だったじゃん! マジでなんでそんな余計なことするかなあああああー?!」
「ちょ、うるさいうるさい! 耳元で叫ばないでよ!」
「あたし怖いのダメなの! 幽霊とかお化けとか都市伝説とか! なのになんでマジ怪談だって確定させちゃうようなことすんの!? アンタあたしを殺したいの!?」
「いや、別にそんなつもりは……」
「うわあああああああん!!! 異世界転生したのにぜんっぜんうまくいかないし、お化けは出るしでもうイヤッッッ!!!」
「いや、ほんとうるさ……」
しかしクリスタルが「幽霊とかがダメ」というのは本当の本気らしく、今や彼女の顔は青を通り越して障子紙のごとく白く見えた。
わたしだって、正直ビビっている。だって、掛け布団は明らかに下に固いものがあるかのように盛り上がっていた。なのに、それを剥いでも下にはなにもなかった。「医務室の眠り姫」の怪談は本物だったのだ。
しかし本物のオカルトに出会えた高揚感よりも、本物と出会ってしまったという恐怖心よりも、今強く抱く感情は――。
「もうイヤああああああああ!!!」
「――だから、うるさいってば!」
……それからクリスタルが大人しくなるまで、体感では一〇分はかかった。
正直に言って「授業をサボれてラッキー」くらいのことは考えている。なぜならこのディアモンド魔法学園には毎週水曜日に午後の授業を丸々使ったスポーツの時間があるのだが、わたしはこの授業が苦手だった。ひとことで説明すると、「運動神経が悪いから」。
前世も体育の授業はイヤだった。チームスポーツなんかじゃ絶対に足を引っ張るし、個人競技でも目立てるわけじゃない。むしろ悪目立ちすることのほうが多く、そんな時間は苦痛でしかなかった。
そういうわけでエマとなった今でも、スポーツに対してはうっすらと苦手意識がある……というわけなのだ。
――『ディアりっ!』には体育の授業の描写なんてなかったはずなんだけどなあ……。
やはり、というか、もはや当たり前となった結論が頭をよぎる。この世界は『ディアりっ!』とは似て非なる世界。ローズマリアの性格も違えば、エマも違うし、このあいだはクリスタルとかいう生徒に呪われかけた。それ自体はあまりにお粗末なものだったけれど、呪われかけたことは事実なので、いまだに強い印象が残っている。もちろん、悪印象が、だ。
……と、そんなことを考えていたのが悪かったのだろうか。ノックを二回して「失礼します」という言葉と共に医務室の扉を開けば、そこにはくだんの「残念美少女」……エメラルド寮のクリスタル・オータムがいたのである。
しかしクリスタルは扉が開いた音が聞こえただろうに、こちらを振り返らなかった。それどころか、じっと窓際のベッドを凝視している。窓際のベッドにはカーテンが引かれていなかったので、だれかが寝そべっているらしいふくらみがあるのがわかる。
クリスタルがなぜ窓際のベッドを注視しているのかさっぱりわからず、わたしはだれも見ていないのにもかかわらず、首を傾げたくなった。
「――ねえ、クリスタルさん」
「ぎゃあああああああっ!!!」
絹を裂くような悲鳴――ではなく、勢いよく空気を引き裂く「騒音」と呼ぶにふさわしい声が、クリスタルの口から飛び出る。そのあまりのうるささに、わたしは耳を手でふさぎたくなった。
ようやくこちらを振り返ったクリスタルのグリーンの瞳には、涙の膜が張っていた。……そんなにびっくりしたのだろうか。涙が出るほどに? だとすれば、少し悪いことをしたかもしれない。クリスタルに不幸の手紙を送りつけられた出来事は未だにムカムカするが、それはそれとして申し訳ない気持ちが湧き上がる。
「ごめん。びっくりさせちゃった?」
「びっくりするに決まってるでしょーが! バッカじゃないの!?」
「バカって……そんな風に言われるほどのことかな……」
クリスタルは泣きべそをかいた顔のまま、サカサカと虫を連想させる素早い動きでわたしに近づく。相手は、こちらを呪おうとした前科を持っている人間だ。だから、わたしはクリスタルが近づいたぶんだけ、反射的にうしろに下がった。
「ちょっ、ちょっと、なに逃げてんのよ!?」
「いや……普通は逃げるでしょ」
「なんで!?」
「『なんで』って……まさか自分がしたことをもう忘れたの?」
「それくらい覚えてるわよ!」
「じゃあわかるでしょ? 呪いをかけようとしてきて、しかも魅了魔法をためらいなく使ってくる前科持ちに近づかれたくないの」
わたしの口からは、自分でもおどろくほどに辛辣な言葉が飛び出した。
クリスタルは「それくらい覚えている」と言った通り、己がマズいことをしたという意識は一応あるのか、ぐっと唇を閉じて沈黙した。しかしそれも長くはもたず、ちらりと窓際のベッドのふくらみを見やったかと思うと、そちらに向かって人差し指をさして見せる。
「――あれ! あれ! アンタにも見えてるでしょ!?」
「いや、うん、そりゃあ目は悪くないから見えてるけど……?」
「もーっ! ほんっと鈍感! 『医務室の眠り姫』の話を知らないの!? バカなの!?」
ほとんど泣きべそを通りすぎてギャンギャンと泣き出しそうな雰囲気のクリスタルの言葉を聞いて、わたしはやっとなぜこんなにも彼女がおびえているのかを理解した。
「医務室の眠り姫」――この学園に伝わる怪談のひとつ。寮の交流会で先輩が披露してくれた話の中に、それがあった覚えがある。
内容は、いつのまにかベッドの掛け布団がまるで人間でもいるかのように盛り上がっているが、剥いでもそこにはだれもいない――というだけの怪談のはずだ。たしか、この話をしてくれた先輩も「害はない」と言っていた気がする。
しかしそれはそれ、これはこれというやつである。こちらに害があろうとなかろうと、怪異であることはたしか。前世を含めてもそのようなオカルトな事象に現実でぶち当たったことのないわたしは、一度に肝が冷える思いをする。
「え……ほ、本当に? だれか生徒が寝てるんじゃ……」
「あたし授業サボってずっとひとりで医務室にいたの! なのに目を離した隙にいつのまにか布団がふくらんでて……。もう、怖くて怖くて動くに動けなかったの!」
まなじりに涙を浮かべつつ、クリスタルがそう訴える。「医務室の眠り姫」は現実に今、お前の目の前に存在しているのだ、と。
そう言われると、なんだか窓際のベッドの辺りが、日が射しているにもかかわらず、薄暗く感じられてくるから不思議だ。なんだか、禍々しい気配を発しているような気さえしてくる。
でも――。
「怪談だなんて、バカバカしい」
「はあ?!」
「現実に今目の前に存在するとしても、『医務室の眠り姫』は害のない存在のはず。そんなのにビビるなんて……わたし、ちょっと見てくるから」
「アンタ、それゼッタイ死亡フラグだよ!」
「そういうこと言わないでよ……本当に死亡フラグになったら恨むから」
「なんで!?」
ぎゃあぎゃあとわめくクリスタルをそのままにして、わたしは窓際のベッドへと近づく。枕元を覗き込んでも、頭も髪も見当たらない。けれども、掛け布団はまるでひとりその中で丸くなっているかのような形に盛り上がっていた。
――イメージするのは、強い自分!
わたしは己にそう言い聞かせる。引っ込み思案で、内気で、消極的な前世の自分とはいい加減お別れしたい。だから自信をつけたくて――ローズマリアの隣に堂々と立ちたくて、今は勉強も頑張っている。あとはこの性格だ。どうしようもなく、臆病なわたし。それを変えたい……。
わたしは自分を奮い立たせるように、「よし!」と気合の声を出した。背後から「ぜんぜん『ヨシ!』じゃないからね!?」という声が上がるが、無視する。
そしてわたしは――掛け布団を一度に剥ぎ取った。
「ぎゃあああああああああ!!!」
再び、クリスタルがドでかい悲鳴を上げる。いや、それはもはや雄たけびに近かった。ボールをぶつけられた頭がガンガンと痛むような気がして、わたしは両耳を手でふさぐ。
背後からドタドタドタッと音がしたかと思うと、クリスタルが耳をふさいでいるわたしに飛びかかった。おどろきと衝撃でわたしの体はゆらいだので、たたらを踏んでどうにか持ちこたえる。非難の目でクリスタルを見れば、彼女はもうほとんど泣いているのと同じ顔をして、わたしが掛け布団を剥いだ――カラのベッドを見ていた。
「本物じゃん! 本物だったじゃん! マジでなんでそんな余計なことするかなあああああー?!」
「ちょ、うるさいうるさい! 耳元で叫ばないでよ!」
「あたし怖いのダメなの! 幽霊とかお化けとか都市伝説とか! なのになんでマジ怪談だって確定させちゃうようなことすんの!? アンタあたしを殺したいの!?」
「いや、別にそんなつもりは……」
「うわあああああああん!!! 異世界転生したのにぜんっぜんうまくいかないし、お化けは出るしでもうイヤッッッ!!!」
「いや、ほんとうるさ……」
しかしクリスタルが「幽霊とかがダメ」というのは本当の本気らしく、今や彼女の顔は青を通り越して障子紙のごとく白く見えた。
わたしだって、正直ビビっている。だって、掛け布団は明らかに下に固いものがあるかのように盛り上がっていた。なのに、それを剥いでも下にはなにもなかった。「医務室の眠り姫」の怪談は本物だったのだ。
しかし本物のオカルトに出会えた高揚感よりも、本物と出会ってしまったという恐怖心よりも、今強く抱く感情は――。
「もうイヤああああああああ!!!」
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