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この国には獣人は少ない。理由は色々とある。もともとこの地に住んでいた獣人の数が少ないから、この国を安住の地とする獣人があまりいないというのも理由のひとつだ。
しかし天下の王都ともなれば事情は少し変わってくる。大通りに足を運べば旅装束の獣人の、人間よりも背の高い先――獣耳が生えた頭がよく目立つ。
そんな光景を見ると、今や片田舎で隠遁生活を送るあたしは「ああ都会にきてるな」などと思うわけである。
再会した後輩のイルマから相談というテイの愚痴を聞かされたあと、同じように壁際でそれを大人しく聞いていたテオを連れて大神殿を出る。
時刻はお昼の鐘がちょうど鳴る直前。いい具合にお腹も減ってきていた。
「もうちょっと先の屋台街に行ってなにか食べようか」
奴隷身分であるテオは料理店の類いには入れないため、いっしょに食事をとろうとすれば自然とそういう選択肢になる。
しかし今日はいい天気だし、王都の端にある緑地公園にでも行って、原っぱに座り込んで屋台料理にかぶりつくのは悪くない。
抜けるように青い空。この天気が聖乙女をお披露目するパレードの日まで続けば、王室としてはよいだろう。護衛をする側――つまりあたしたちにとっても、それは歓迎すべきことだ。
他愛ない会話――パレードの護衛の話なんかは外ではできない――を交わしつつ屋台街に足を向ければ、そこはいつものようにごちゃごちゃとした雑多な雰囲気が漂っていた。
定番の料理から異国の料理まで、様々な屋台がしのぎを削っている。
そこかしこから漂ってくるいいにおいに釣られて、あたしの胃もぐーっと音を立てそうな気配がした。
周囲よりも目立とうと原色の屋根や、ひらめく旗が目にまぶしい。そしてデカデカとそっけない極太のフォントが踊る料理名。
年中お祭り騒ぎという表現がぴったりくる屋台街の雰囲気は、嫌いではない。
そこら辺に酔っ払いが転がっていたり、たまに喧嘩がおっぱじまるときはあるが、この浮かれた空気に晒されると、こちらもワクワクとしてくる。
「迷子になるなよ」
「それ、あたしに言うセリフ?」
食欲をそそる香りに釣られるようにして人ごみに足を踏み入れれば、うしろにいるテオがそう声をかけてくる。
あたしとしては常にうしろに控えているテオは前を向いていたら見えないわけで、いつの間にやらいなくなっていそうなのは彼の方じゃないかと思うのだが。
しかしテオはあたしの言葉に鼻で笑った。たしかに客観的に見れば背の低いあたしは人ごみにはすぐにまぎれてしまいがちだろうが……つくづく奴隷らしくない男である。
だが奴隷らしいテオというのも想像できなかった。つまり従順で大人しく、常に感情を押し殺したような顔をしているテオは。
ただテオはあんまり表情豊かなタイプではない。しかし無理をしているようには見えなかった。もしかしたら、それはあたしの勘違いってやつかもしれないが……。
そんなことをつらつらと考えつつ、あたしは視線をあっちこっちへ飛ばして、お眼鏡に適う料理を探していた。
「ヨダレ垂らすなよ」
「垂らしてないわよ!」
「今にも垂れてきそうな顔をしていた」
そんなに食い意地の張った顔をしていたんだろうか?
たしかにまあ、食事はあたしにとっては人生の楽しみだ。美食家というわけではないのだが、他人からするとなんてことないだろう日々の食事も、それなりに楽しみに毎日を過ごしている。
ちなみに、隠遁生活を始めてからは、料理はテオの仕事になっていた。
あたしだって料理は作れなくはない。けれども圧倒的にテオの方が上手い。手際とか、味付けとか、諸々が……。
あと脚を引きずりつつ台所に立つのが辛いと言う最大の理由もあった。
そういうわけで、家事はほとんどテオ任せになっている。
「ねえ、テオ――」
「――あれ? テオ?」
「あそこの屋台にしましょうよ」というあたしの言葉は、すぐそばにいた栗毛の獣人の男の声にかき消された。
振り返ったあたしの目に、珍しく緊張に硬直するテオの姿が目に入る。
あたしもおどろいてテオを見て、次いであたしのすぐ横にいた栗毛の獣人の男を見た。
栗毛の獣人の男は、典型的な旅装束で、ひと目で外からやってきた人なのだということがわかるいでたちだった。
「知り合い?」
あたしの言葉に、テオは我に返ったように何度か瞬きをして、黒い犬耳をピクリピクリと動かした。
栗毛の獣人の男は、そこでようやくあたしの存在に気がついたらしい。彼よりもずっと低い位置にあるあたしのつむじを、まじまじと見ているのが視線でわかった。
「今は魔法女様のところにいるのか?」
「……ここじゃ通行の邪魔になる」
「あ、ああ、そうだな。じゃあちょっとここを出よう。……お前さえよければ、だが」
「別に。気にすることはない」
栗毛の獣人の男は、ちらりとあたしにまた――正確には魔法女の証である黒いローブに?――視線を送った。あたしの反応を気にしているのがありありとわかる。
しかしテオは特にあたしの意思を確認することなくさっさと決めてしまう。
一瞬「おい!」と思わなくもなかったが、まあテオの決めたことだ。悪い事態にはならないだろうと楽観的にあたしもうなずいた。
テオの先導のままに、屋台街を出てまっすぐの場所にある緑地公園へと足を踏み入れる。
テオの足取りは、脚を引きずるあたしに合わせたものか、ひどくゆっくりだった。けれども栗毛の獣人の男は、特に疑問を呈さない。
適当な道の脇まで行くと、先を行っていたテオが振り返って、知り合いらしい栗毛の獣人の男を見る。
……なんとなく、あたしを気づかうような足取りを見せながら、あたしの存在なんてないみたいに扱うテオが気になった。
気に障ったわけじゃなくて、いつもあたしを気にしているテオのことだから、ちょっと不思議に思ったのだ。
そして栗毛の獣人の男は、自分から声をかけておいて、なにか妙に気まずげな顔をしていた。
……ということは、恐らく彼はテオが王都にきてからの知り合い、というわけではなそうだ。
つまり――。
「言いたいことがあるなら、手短に頼む。オレは魔法女様の付き添いだからな」
「ああ、わかった。……すみません魔法女様。彼と――テオと話す時間をどうかくださいませんか?」
テオがあたしのことを「魔法女様」と呼ぶのは、別に珍しいことではなかった。
対外的にはあたしとテオは主従の関係。気安く「あんた」とか「ペネロペ」と呼び捨てることの方が、世間では変なのだ。
栗毛の獣人の男は、妙に下手に出てあたしの顔色をうかがう。その様子を見て、あたしは単なる推測を確信に変えた。
間違いなく、彼はテオと同郷の人間か――少なくとも、テオが奴隷になる前からの知り合いに違いない。
だから栗毛の獣人の男は、テオの身を気づかってこんなに申し訳なさそうな顔をして、彼の主人であるあたしの顔色をうかがっているのだ。
「……気にしないで。知り合いなんでしょう? どういう知り合いかは知らないけれど……しばらく話してきたらいいわ」
そう言ってあたしは席を外そうとしたが、テオに引き止められる。
「魔法女様の前で言えないようなことなら、オレは聞かない」
「ちょっとテオ――」
「どうなんだ、ヨッヘム。オレに言いたいことは、魔法女様の前では言えないか?」
テオの、どこか冷たく感じられる物言いを受けても、ヨッヘムと呼ばれた栗毛の獣人の男は、戸惑う様子も、気分を害した様子もない。
それどころかどこか気を緩めたような顔をして、懐かしそうな目でテオを見る。
「お前は変わらないな……。なんか、安心したよ」
「言いたいことはそれだけか?」
「まだあるから聞いてくれ。……お前が奴隷になったって聞いたときはどうなるかと思ったけど、いい主人に買われたみたいでよかった」
「……まあ、始めからいい主人に当たったわけではないが」
「そうなのか? でも今は――幸せかどうかはわかんないけど……昔よりはマシな顔してる」
はじめはどこか警戒するようなすげない態度を取っていたテオも、徐々にヨッヘムに対して気安さが顔を出してきているようだった。
どうも昔からの知り合いらしいし、気安げな様子こそが、ヨッヘムに対するもともとの態度だったのかもしれない。
あたしは「なにか因縁のあるような相手ではなくてよかった」と、ひとり安堵に胸を下ろす。
同時に、テオの新たな側面を見ている気になって、なんとなく新鮮な気持ちになった。
「あれからずっと借金奴隷なんだな」
「妹の治療費は馬鹿みたいに高かったからな。藪医者やら祈祷師やら……親父たちは妙な連中にまで貸しを作った。まだまだ返し終わるまでは時間がかかる」
「……なあ、その借金……どれくらいになるかはわからないが……いくらか肩代わりしてやろうか?」
ヨッヘムの申し出にあたしはおどろいた。借金の肩代わりをしてやろうなんて、なかなかできるものではない。しかも、テオの借金は奴隷身分になるほどの莫大なものなのだ。
しかしヨッヘムの言葉におどろいたのは、あたしだけだった。
「断る」
「にべもないな……」
「当たり前だろう」
「俺、こう見えてもアウレリア一の大商会にいるんだぜ? 少なくない給金を貰ってるし、蓄えもある。で、所帯持ちでもないし、忙しいからあんまり使いどころがないんだよな」
「じゃあいつかのために……自分のために使え。それはお前が汗水垂らして稼いだ金なんだからな」
「……お前らしいな。さっきも言ったけど、ひとつもお前が変わってなくて安心した。肩代わりの件は気分を害したなら謝る。単純にお前を哀れんだわけじゃないんだ。ただ、同郷の昔馴染みとしてなにかできないかと思って……」
「いい。わかってる。あんたはお人好しだからな。そんなので商売人が勤まるかは甚だ疑問だが」
「はは。俺は商会でも結構な稼ぎ頭なんだ。意外と義理人情を大切にしていると、返ってくるものも多いんだよ」
途中はどうなるかと思ったが、思ったよりもなごやかに着地したため、あたしもホッとする。
ヨッヘムはテオとひと通り話し終えると、今度はあたしのほうを向いた。
「あの……俺がこんなこと言うのも変なんですけど、テオのこと、よろしくおねがいします。不器用なヤツだけど……情に篤い、いいヤツなんで」
「……わかってるわ。あなたも、テオのことを案じてくれてありがとう。……あたしが言うのはヘンかもしれないけど」
「……ヨッヘム」
「わかったわかった。これ以上はなにも言わないって!」
ヨッヘムはバシバシと豪快にテオの肩を叩くと、「それじゃ、またな」と言ってテオに名刺を押しつけるや旅装束の裾をひるがえし、雑踏に消えて行った。
「また」があるのかはよくわからないが……短いながらに「また」会ってみたいとは思えるような、そんな相手ではあった。
しかし天下の王都ともなれば事情は少し変わってくる。大通りに足を運べば旅装束の獣人の、人間よりも背の高い先――獣耳が生えた頭がよく目立つ。
そんな光景を見ると、今や片田舎で隠遁生活を送るあたしは「ああ都会にきてるな」などと思うわけである。
再会した後輩のイルマから相談というテイの愚痴を聞かされたあと、同じように壁際でそれを大人しく聞いていたテオを連れて大神殿を出る。
時刻はお昼の鐘がちょうど鳴る直前。いい具合にお腹も減ってきていた。
「もうちょっと先の屋台街に行ってなにか食べようか」
奴隷身分であるテオは料理店の類いには入れないため、いっしょに食事をとろうとすれば自然とそういう選択肢になる。
しかし今日はいい天気だし、王都の端にある緑地公園にでも行って、原っぱに座り込んで屋台料理にかぶりつくのは悪くない。
抜けるように青い空。この天気が聖乙女をお披露目するパレードの日まで続けば、王室としてはよいだろう。護衛をする側――つまりあたしたちにとっても、それは歓迎すべきことだ。
他愛ない会話――パレードの護衛の話なんかは外ではできない――を交わしつつ屋台街に足を向ければ、そこはいつものようにごちゃごちゃとした雑多な雰囲気が漂っていた。
定番の料理から異国の料理まで、様々な屋台がしのぎを削っている。
そこかしこから漂ってくるいいにおいに釣られて、あたしの胃もぐーっと音を立てそうな気配がした。
周囲よりも目立とうと原色の屋根や、ひらめく旗が目にまぶしい。そしてデカデカとそっけない極太のフォントが踊る料理名。
年中お祭り騒ぎという表現がぴったりくる屋台街の雰囲気は、嫌いではない。
そこら辺に酔っ払いが転がっていたり、たまに喧嘩がおっぱじまるときはあるが、この浮かれた空気に晒されると、こちらもワクワクとしてくる。
「迷子になるなよ」
「それ、あたしに言うセリフ?」
食欲をそそる香りに釣られるようにして人ごみに足を踏み入れれば、うしろにいるテオがそう声をかけてくる。
あたしとしては常にうしろに控えているテオは前を向いていたら見えないわけで、いつの間にやらいなくなっていそうなのは彼の方じゃないかと思うのだが。
しかしテオはあたしの言葉に鼻で笑った。たしかに客観的に見れば背の低いあたしは人ごみにはすぐにまぎれてしまいがちだろうが……つくづく奴隷らしくない男である。
だが奴隷らしいテオというのも想像できなかった。つまり従順で大人しく、常に感情を押し殺したような顔をしているテオは。
ただテオはあんまり表情豊かなタイプではない。しかし無理をしているようには見えなかった。もしかしたら、それはあたしの勘違いってやつかもしれないが……。
そんなことをつらつらと考えつつ、あたしは視線をあっちこっちへ飛ばして、お眼鏡に適う料理を探していた。
「ヨダレ垂らすなよ」
「垂らしてないわよ!」
「今にも垂れてきそうな顔をしていた」
そんなに食い意地の張った顔をしていたんだろうか?
たしかにまあ、食事はあたしにとっては人生の楽しみだ。美食家というわけではないのだが、他人からするとなんてことないだろう日々の食事も、それなりに楽しみに毎日を過ごしている。
ちなみに、隠遁生活を始めてからは、料理はテオの仕事になっていた。
あたしだって料理は作れなくはない。けれども圧倒的にテオの方が上手い。手際とか、味付けとか、諸々が……。
あと脚を引きずりつつ台所に立つのが辛いと言う最大の理由もあった。
そういうわけで、家事はほとんどテオ任せになっている。
「ねえ、テオ――」
「――あれ? テオ?」
「あそこの屋台にしましょうよ」というあたしの言葉は、すぐそばにいた栗毛の獣人の男の声にかき消された。
振り返ったあたしの目に、珍しく緊張に硬直するテオの姿が目に入る。
あたしもおどろいてテオを見て、次いであたしのすぐ横にいた栗毛の獣人の男を見た。
栗毛の獣人の男は、典型的な旅装束で、ひと目で外からやってきた人なのだということがわかるいでたちだった。
「知り合い?」
あたしの言葉に、テオは我に返ったように何度か瞬きをして、黒い犬耳をピクリピクリと動かした。
栗毛の獣人の男は、そこでようやくあたしの存在に気がついたらしい。彼よりもずっと低い位置にあるあたしのつむじを、まじまじと見ているのが視線でわかった。
「今は魔法女様のところにいるのか?」
「……ここじゃ通行の邪魔になる」
「あ、ああ、そうだな。じゃあちょっとここを出よう。……お前さえよければ、だが」
「別に。気にすることはない」
栗毛の獣人の男は、ちらりとあたしにまた――正確には魔法女の証である黒いローブに?――視線を送った。あたしの反応を気にしているのがありありとわかる。
しかしテオは特にあたしの意思を確認することなくさっさと決めてしまう。
一瞬「おい!」と思わなくもなかったが、まあテオの決めたことだ。悪い事態にはならないだろうと楽観的にあたしもうなずいた。
テオの先導のままに、屋台街を出てまっすぐの場所にある緑地公園へと足を踏み入れる。
テオの足取りは、脚を引きずるあたしに合わせたものか、ひどくゆっくりだった。けれども栗毛の獣人の男は、特に疑問を呈さない。
適当な道の脇まで行くと、先を行っていたテオが振り返って、知り合いらしい栗毛の獣人の男を見る。
……なんとなく、あたしを気づかうような足取りを見せながら、あたしの存在なんてないみたいに扱うテオが気になった。
気に障ったわけじゃなくて、いつもあたしを気にしているテオのことだから、ちょっと不思議に思ったのだ。
そして栗毛の獣人の男は、自分から声をかけておいて、なにか妙に気まずげな顔をしていた。
……ということは、恐らく彼はテオが王都にきてからの知り合い、というわけではなそうだ。
つまり――。
「言いたいことがあるなら、手短に頼む。オレは魔法女様の付き添いだからな」
「ああ、わかった。……すみません魔法女様。彼と――テオと話す時間をどうかくださいませんか?」
テオがあたしのことを「魔法女様」と呼ぶのは、別に珍しいことではなかった。
対外的にはあたしとテオは主従の関係。気安く「あんた」とか「ペネロペ」と呼び捨てることの方が、世間では変なのだ。
栗毛の獣人の男は、妙に下手に出てあたしの顔色をうかがう。その様子を見て、あたしは単なる推測を確信に変えた。
間違いなく、彼はテオと同郷の人間か――少なくとも、テオが奴隷になる前からの知り合いに違いない。
だから栗毛の獣人の男は、テオの身を気づかってこんなに申し訳なさそうな顔をして、彼の主人であるあたしの顔色をうかがっているのだ。
「……気にしないで。知り合いなんでしょう? どういう知り合いかは知らないけれど……しばらく話してきたらいいわ」
そう言ってあたしは席を外そうとしたが、テオに引き止められる。
「魔法女様の前で言えないようなことなら、オレは聞かない」
「ちょっとテオ――」
「どうなんだ、ヨッヘム。オレに言いたいことは、魔法女様の前では言えないか?」
テオの、どこか冷たく感じられる物言いを受けても、ヨッヘムと呼ばれた栗毛の獣人の男は、戸惑う様子も、気分を害した様子もない。
それどころかどこか気を緩めたような顔をして、懐かしそうな目でテオを見る。
「お前は変わらないな……。なんか、安心したよ」
「言いたいことはそれだけか?」
「まだあるから聞いてくれ。……お前が奴隷になったって聞いたときはどうなるかと思ったけど、いい主人に買われたみたいでよかった」
「……まあ、始めからいい主人に当たったわけではないが」
「そうなのか? でも今は――幸せかどうかはわかんないけど……昔よりはマシな顔してる」
はじめはどこか警戒するようなすげない態度を取っていたテオも、徐々にヨッヘムに対して気安さが顔を出してきているようだった。
どうも昔からの知り合いらしいし、気安げな様子こそが、ヨッヘムに対するもともとの態度だったのかもしれない。
あたしは「なにか因縁のあるような相手ではなくてよかった」と、ひとり安堵に胸を下ろす。
同時に、テオの新たな側面を見ている気になって、なんとなく新鮮な気持ちになった。
「あれからずっと借金奴隷なんだな」
「妹の治療費は馬鹿みたいに高かったからな。藪医者やら祈祷師やら……親父たちは妙な連中にまで貸しを作った。まだまだ返し終わるまでは時間がかかる」
「……なあ、その借金……どれくらいになるかはわからないが……いくらか肩代わりしてやろうか?」
ヨッヘムの申し出にあたしはおどろいた。借金の肩代わりをしてやろうなんて、なかなかできるものではない。しかも、テオの借金は奴隷身分になるほどの莫大なものなのだ。
しかしヨッヘムの言葉におどろいたのは、あたしだけだった。
「断る」
「にべもないな……」
「当たり前だろう」
「俺、こう見えてもアウレリア一の大商会にいるんだぜ? 少なくない給金を貰ってるし、蓄えもある。で、所帯持ちでもないし、忙しいからあんまり使いどころがないんだよな」
「じゃあいつかのために……自分のために使え。それはお前が汗水垂らして稼いだ金なんだからな」
「……お前らしいな。さっきも言ったけど、ひとつもお前が変わってなくて安心した。肩代わりの件は気分を害したなら謝る。単純にお前を哀れんだわけじゃないんだ。ただ、同郷の昔馴染みとしてなにかできないかと思って……」
「いい。わかってる。あんたはお人好しだからな。そんなので商売人が勤まるかは甚だ疑問だが」
「はは。俺は商会でも結構な稼ぎ頭なんだ。意外と義理人情を大切にしていると、返ってくるものも多いんだよ」
途中はどうなるかと思ったが、思ったよりもなごやかに着地したため、あたしもホッとする。
ヨッヘムはテオとひと通り話し終えると、今度はあたしのほうを向いた。
「あの……俺がこんなこと言うのも変なんですけど、テオのこと、よろしくおねがいします。不器用なヤツだけど……情に篤い、いいヤツなんで」
「……わかってるわ。あなたも、テオのことを案じてくれてありがとう。……あたしが言うのはヘンかもしれないけど」
「……ヨッヘム」
「わかったわかった。これ以上はなにも言わないって!」
ヨッヘムはバシバシと豪快にテオの肩を叩くと、「それじゃ、またな」と言ってテオに名刺を押しつけるや旅装束の裾をひるがえし、雑踏に消えて行った。
「また」があるのかはよくわからないが……短いながらに「また」会ってみたいとは思えるような、そんな相手ではあった。
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