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「まさか、誘いの手紙がくるとは思わなかったわ」
「君には私がそんなに薄情に見えるのかい?」
「薄情と言うか……利に敏い?」
「まあそうだけれど……友情だって大切にするさ。損得だけでは得られないものがある」
「殊勝な言葉ね」
銀の髪に青い瞳、多くの乙女の恋慕を集める涼やかな顔立ち――。
友人であるハンス・フォン・ローゼンハインはそういう男だったが、不思議とあたしの心は彼と出会ったときから恋情になるほどの魅力は感じないのであった。
聖乙女ではなくなったときに、この姓にフォンの称号を持つ伯爵家の若き継嗣とも縁は切れたと思っていた。
ハンスのことをことさら悪しざまに感じていたわけではないのだが、そもそも彼との関係は至ってドライ。ベタベタとくっついて、いちいち友情を確認するような、そういう友人関係ではなかった。
ハンス自身も貴族らしく常に損得勘定をしているような――と表現するとヤなやつに思われるかもしれないが――そういうやつ。
つまりあたしたちのあいだには強固な絆、みたいなものはなかった。
あたしにとってのハンスも、有象無象の貴族のうちではまあ話の通じるやつ、くらいの立ち位置だった。
年が近いからわりかし気軽に話せた、というのもある。
なんとなく、貴族ってのはオジサンばかりだというイメージがあったくらいには、当時のあたしは子供だった。
そして子供だったからこそ、ハンスと友誼を結べたのかもしれない。
ハンスからの突然の手紙は、神殿からの――こちらも突然の――「王都へ上がれ」という呼び出しの手紙とほとんど同時にやってきた。
内容は「王都に上がるならうちの屋敷に逗留しないか」というようなもの。
神殿からの命令とほとんど同時に手紙を届けられるなんて、さすがは情報通で知られるハンスだなと舌を巻いた。
というか、これはほとんど筒抜けと言ってしまってもいいだろう。それはそれでどうなんだと思わなくもないが……。
そして聖乙女ではなくなってから半年も経ってないというのに、もはやハンスの名前は久しく感じられるほど、あたしはお貴族様からはほど遠い存在となってしまっていたのだった。
「君が聖乙女に返り咲かない可能性もなくはないのだし」
「……そんなこと起こらないわよ。それくらいはわかっているわ」
久々の顔合わせを喜びあい、通された客間でくつろぎながらも、あたしはハンスの目的を計りかねていた。
テオも出立の前に「ハンスは油断ならない」と警告をしてきたくらいだ。
聖乙女時代からずっとあたしにくっついているテオがそう言うのだから、その言葉にはそれなりの重みを感じる。
まず考えたのは病気を治療して欲しいとかそういう魂胆かと思った。
けれどもハンスの様子を見る限りでは空振りだったし、そもそもローゼンハイン家ほどの力のある家ならば、わざわざあたしを誘い出してまでする頼みごとのように思えない。
となればハンスの言葉を額面通りに受け取るべきなのか。
……つまり、あたしが聖乙女に返り咲く可能性を、ハンスはなにかしらの情報から感じ取った。
あたしがそこまで考えたところで、答え合わせをするようにハンスは現聖乙女――異世界からの渡り人、アンナ・ヒイラギの噂を口にする。
「いや、どうかな? あくまで噂だが……今の聖乙女様は上手く法力が使えないらしい」
「あなたが噂って言うのなら、それはほとんど真実だわ」
「信頼してくれているのかい? それはうれしいね」
ハンスの涼やかな均整の取れた顔を見る。
たしかにこの顔から自分へ向けた笑顔が取れるかで、一喜一憂する令嬢方の気持ちは、まあわからなくもない。
あたしにだって並みの審美眼はあるから、ハンスが並み外れて美しいということくらいはわかる。
けれどもそれ以上には、それなりの親しさを感じる友人以上には、ハンスには心を許せそうになかった。
こいつは必要とあらば親だってその涼しい顔で売れるやつだ。
ひとたび心を許してしまえば、地獄が近づく。
そういう、油断のならなさを感じているからこそ、あたしたちの関係は至ってドライであったのだ。
「……今は上手く使えなくても仕方がないんじゃないかしら? アンナ・ヒイラギは渡り人よ。聞けば、法力なんて存在しない世界からきたらしいし。……そのうち使えるようになるわよ」
「『そのうち』がいつくるのやらわからないお陰で、神殿側は焦っているみたいだ」
「ということは、聖乙女による治療も滞っているのね」
「そう。お陰でアンナ・ヒイラギに対する民衆の評判は芳しくない。彼女を聖乙女にした神殿に対しても疑念の声が大きくなってきている。……つまり、前の聖乙女を卑劣な手段を用いてその座から追いやったと」
「そう的外れでもない論だわ」
「おまけに根拠不明の流言も飛び交っている始末で、王室も神殿をせっついているようだ」
「そっか。アンナ・ヒイラギはもうツェーザル殿下と婚約していたんだっけ。それじゃあ彼女が法力を使いこなせないんじゃ、王室の威信にも、神殿の威信にもかかわる、というわけね」
「いや、婚約はしていない」
「あ、そうなの?」
「君との婚約を解消したばかりですぐに別人と婚約するというのは外聞が悪い、というのもあるが、なによりアンナ・ヒイラギが殿下との婚約にためらいを見せていてね」
「……まあ、突然別世界に放り込まれただけでいっぱいいっぱいなんでしょうね……」
そう考えると、あたしがドロドロとした感情を向けているアンナ・ヒイラギに対して同情めいたものを覚えなくもない。
それでもそのわずかに湧いた同情心を上回るほどに、あたしは彼女を恨んでもいたが。
「ま、私もアンナ・ヒイラギには哀れみを禁じ得ないよ」
「そんなに彼女の評判は芳しくないの?」
「そうだね。ツェーザル殿下を籠絡して君から奪ったとか、貴族の子息たちを侍らせて贅沢三昧をしているだとか……色々と噂は耳に入ってくる」
「……それ、事実じゃないのよね?」
「もちろん。そこは安心して欲しい。アンナ・ヒイラギは至って普通の、真面目な娘だ。――しかし法力は使いこなせない。それが問題を大きくしているってところかな」
一応、アンナ・ヒイラギは法力の練習には真面目に取り組んでいるらしい。
けれども法力を使いこなせないので、未だに民衆の前に出すことができないでいる――といったところだろうか。
「それであたしが王都に呼ばれたのね」
「神殿の中にはアンナ・ヒイラギを聖乙女の座から引きずり下ろしたい連中もいる。もちろんその逆、アンナ・ヒイラギを立派な聖乙女とすることで権勢を誇りたい輩も。……気をつけて」
「ご忠告ありがとう。そうね。あたしを聖乙女に推薦した神官なんかは、今の状況には歯噛みしているでしょうね……」
恐らく、今回あたしを王都に呼び寄せたのは、反アンナ・ヒイラギの勢力だろう。
派閥争いというのはどんな組織にも存在する。あたしが所属する神殿も、もちろん例外ではない。
それでもしばらくは反アンナ派も大人しくはしているだろう。聖乙女をコロコロ替えるのは民衆からすれば悪印象だ。
あたしは、そうやってあたしを再び担ぎ出そうとしている連中が大人しくしているあいだに、またあの田舎へ戻ればいい。
そうすればそれなりに悠々自適の年金生活が待っているのだから。
「それはそうと、君が魔法女を続けるのは少し意外だった」
「なぜ?」
「還俗して結婚でもするのかと」
「まさか! ないない。そもそも相手がいないわ。……で、そういうあなたはどうなのよ。お貴族様なんだから、あたしとは違っていつかはするんでしょう?」
「話のわかる相手は早々いないからね」
「そうなの?」
「ああ。箱入りのご令嬢方ではね、なかなか満足できないんだ。打てば響くような、それでいて私との距離を見誤らないような伴侶が欲しいんだけれど」
「……なんだか、聞いてるとずいぶんと欲張りな条件ね」
「そうかな?」
ハンスの美貌と才気と家格をもってすれば、女なんてより取り見取りだろうに。
しかし彼はなかなかの欲張りのようだ。そういうハングリー精神があるからこそ、貴族社会でも頭ひとつ抜けた地位に君臨していられるのかもしれないが。
呆れた顔をするあたしを、ハンスは油断のない微笑を浮かべたまま見ていた。
「……まあとにかく、王都での用事が終わるまで、しばらくあなたのお世話になるわ」
「ああ、屋敷の出入りは好きなようにして構わないし、なにか入用のものがあればメイドにでも言いつけてくれ」
「ありがとう。助かるわ」
ハンスとの久々の顔合わせは、思っていたよりもなごやかに終わった。
それだけに明日待ち受ける、大神殿へ上がるという用事は、あたしの心に重くのしかかるのであった。
「君には私がそんなに薄情に見えるのかい?」
「薄情と言うか……利に敏い?」
「まあそうだけれど……友情だって大切にするさ。損得だけでは得られないものがある」
「殊勝な言葉ね」
銀の髪に青い瞳、多くの乙女の恋慕を集める涼やかな顔立ち――。
友人であるハンス・フォン・ローゼンハインはそういう男だったが、不思議とあたしの心は彼と出会ったときから恋情になるほどの魅力は感じないのであった。
聖乙女ではなくなったときに、この姓にフォンの称号を持つ伯爵家の若き継嗣とも縁は切れたと思っていた。
ハンスのことをことさら悪しざまに感じていたわけではないのだが、そもそも彼との関係は至ってドライ。ベタベタとくっついて、いちいち友情を確認するような、そういう友人関係ではなかった。
ハンス自身も貴族らしく常に損得勘定をしているような――と表現するとヤなやつに思われるかもしれないが――そういうやつ。
つまりあたしたちのあいだには強固な絆、みたいなものはなかった。
あたしにとってのハンスも、有象無象の貴族のうちではまあ話の通じるやつ、くらいの立ち位置だった。
年が近いからわりかし気軽に話せた、というのもある。
なんとなく、貴族ってのはオジサンばかりだというイメージがあったくらいには、当時のあたしは子供だった。
そして子供だったからこそ、ハンスと友誼を結べたのかもしれない。
ハンスからの突然の手紙は、神殿からの――こちらも突然の――「王都へ上がれ」という呼び出しの手紙とほとんど同時にやってきた。
内容は「王都に上がるならうちの屋敷に逗留しないか」というようなもの。
神殿からの命令とほとんど同時に手紙を届けられるなんて、さすがは情報通で知られるハンスだなと舌を巻いた。
というか、これはほとんど筒抜けと言ってしまってもいいだろう。それはそれでどうなんだと思わなくもないが……。
そして聖乙女ではなくなってから半年も経ってないというのに、もはやハンスの名前は久しく感じられるほど、あたしはお貴族様からはほど遠い存在となってしまっていたのだった。
「君が聖乙女に返り咲かない可能性もなくはないのだし」
「……そんなこと起こらないわよ。それくらいはわかっているわ」
久々の顔合わせを喜びあい、通された客間でくつろぎながらも、あたしはハンスの目的を計りかねていた。
テオも出立の前に「ハンスは油断ならない」と警告をしてきたくらいだ。
聖乙女時代からずっとあたしにくっついているテオがそう言うのだから、その言葉にはそれなりの重みを感じる。
まず考えたのは病気を治療して欲しいとかそういう魂胆かと思った。
けれどもハンスの様子を見る限りでは空振りだったし、そもそもローゼンハイン家ほどの力のある家ならば、わざわざあたしを誘い出してまでする頼みごとのように思えない。
となればハンスの言葉を額面通りに受け取るべきなのか。
……つまり、あたしが聖乙女に返り咲く可能性を、ハンスはなにかしらの情報から感じ取った。
あたしがそこまで考えたところで、答え合わせをするようにハンスは現聖乙女――異世界からの渡り人、アンナ・ヒイラギの噂を口にする。
「いや、どうかな? あくまで噂だが……今の聖乙女様は上手く法力が使えないらしい」
「あなたが噂って言うのなら、それはほとんど真実だわ」
「信頼してくれているのかい? それはうれしいね」
ハンスの涼やかな均整の取れた顔を見る。
たしかにこの顔から自分へ向けた笑顔が取れるかで、一喜一憂する令嬢方の気持ちは、まあわからなくもない。
あたしにだって並みの審美眼はあるから、ハンスが並み外れて美しいということくらいはわかる。
けれどもそれ以上には、それなりの親しさを感じる友人以上には、ハンスには心を許せそうになかった。
こいつは必要とあらば親だってその涼しい顔で売れるやつだ。
ひとたび心を許してしまえば、地獄が近づく。
そういう、油断のならなさを感じているからこそ、あたしたちの関係は至ってドライであったのだ。
「……今は上手く使えなくても仕方がないんじゃないかしら? アンナ・ヒイラギは渡り人よ。聞けば、法力なんて存在しない世界からきたらしいし。……そのうち使えるようになるわよ」
「『そのうち』がいつくるのやらわからないお陰で、神殿側は焦っているみたいだ」
「ということは、聖乙女による治療も滞っているのね」
「そう。お陰でアンナ・ヒイラギに対する民衆の評判は芳しくない。彼女を聖乙女にした神殿に対しても疑念の声が大きくなってきている。……つまり、前の聖乙女を卑劣な手段を用いてその座から追いやったと」
「そう的外れでもない論だわ」
「おまけに根拠不明の流言も飛び交っている始末で、王室も神殿をせっついているようだ」
「そっか。アンナ・ヒイラギはもうツェーザル殿下と婚約していたんだっけ。それじゃあ彼女が法力を使いこなせないんじゃ、王室の威信にも、神殿の威信にもかかわる、というわけね」
「いや、婚約はしていない」
「あ、そうなの?」
「君との婚約を解消したばかりですぐに別人と婚約するというのは外聞が悪い、というのもあるが、なによりアンナ・ヒイラギが殿下との婚約にためらいを見せていてね」
「……まあ、突然別世界に放り込まれただけでいっぱいいっぱいなんでしょうね……」
そう考えると、あたしがドロドロとした感情を向けているアンナ・ヒイラギに対して同情めいたものを覚えなくもない。
それでもそのわずかに湧いた同情心を上回るほどに、あたしは彼女を恨んでもいたが。
「ま、私もアンナ・ヒイラギには哀れみを禁じ得ないよ」
「そんなに彼女の評判は芳しくないの?」
「そうだね。ツェーザル殿下を籠絡して君から奪ったとか、貴族の子息たちを侍らせて贅沢三昧をしているだとか……色々と噂は耳に入ってくる」
「……それ、事実じゃないのよね?」
「もちろん。そこは安心して欲しい。アンナ・ヒイラギは至って普通の、真面目な娘だ。――しかし法力は使いこなせない。それが問題を大きくしているってところかな」
一応、アンナ・ヒイラギは法力の練習には真面目に取り組んでいるらしい。
けれども法力を使いこなせないので、未だに民衆の前に出すことができないでいる――といったところだろうか。
「それであたしが王都に呼ばれたのね」
「神殿の中にはアンナ・ヒイラギを聖乙女の座から引きずり下ろしたい連中もいる。もちろんその逆、アンナ・ヒイラギを立派な聖乙女とすることで権勢を誇りたい輩も。……気をつけて」
「ご忠告ありがとう。そうね。あたしを聖乙女に推薦した神官なんかは、今の状況には歯噛みしているでしょうね……」
恐らく、今回あたしを王都に呼び寄せたのは、反アンナ・ヒイラギの勢力だろう。
派閥争いというのはどんな組織にも存在する。あたしが所属する神殿も、もちろん例外ではない。
それでもしばらくは反アンナ派も大人しくはしているだろう。聖乙女をコロコロ替えるのは民衆からすれば悪印象だ。
あたしは、そうやってあたしを再び担ぎ出そうとしている連中が大人しくしているあいだに、またあの田舎へ戻ればいい。
そうすればそれなりに悠々自適の年金生活が待っているのだから。
「それはそうと、君が魔法女を続けるのは少し意外だった」
「なぜ?」
「還俗して結婚でもするのかと」
「まさか! ないない。そもそも相手がいないわ。……で、そういうあなたはどうなのよ。お貴族様なんだから、あたしとは違っていつかはするんでしょう?」
「話のわかる相手は早々いないからね」
「そうなの?」
「ああ。箱入りのご令嬢方ではね、なかなか満足できないんだ。打てば響くような、それでいて私との距離を見誤らないような伴侶が欲しいんだけれど」
「……なんだか、聞いてるとずいぶんと欲張りな条件ね」
「そうかな?」
ハンスの美貌と才気と家格をもってすれば、女なんてより取り見取りだろうに。
しかし彼はなかなかの欲張りのようだ。そういうハングリー精神があるからこそ、貴族社会でも頭ひとつ抜けた地位に君臨していられるのかもしれないが。
呆れた顔をするあたしを、ハンスは油断のない微笑を浮かべたまま見ていた。
「……まあとにかく、王都での用事が終わるまで、しばらくあなたのお世話になるわ」
「ああ、屋敷の出入りは好きなようにして構わないし、なにか入用のものがあればメイドにでも言いつけてくれ」
「ありがとう。助かるわ」
ハンスとの久々の顔合わせは、思っていたよりもなごやかに終わった。
それだけに明日待ち受ける、大神殿へ上がるという用事は、あたしの心に重くのしかかるのであった。
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