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「渡り人に負けたクセに!」
そんな、まだ変声期も迎えていないクソガキの声が辺りに響き渡る。
けれどもあたしの心はまったく本心から凪いでいて、負け犬の遠吠えなんぞ届かない。
あたしに尻を叩かれるという醜態を晒した子供どもの頭目は、悔しそうな顔をしつつ走り去って行った。
「悔しかったらおとといおいで! クソガキども!」
もはや聖乙女ではないあたしが、必要以上に体面を取り繕うことはなく、子供どもの背中に向かって口の悪いセリフを投げつける。
なにもあたしは筋金入りの子供嫌いというわけではない。
たしかに、子供は生意気だ。特に思春期を迎える頃の子供の扱いにくさったら、ない。
そんな風に思ってしまうのは、あたしもまた子供の領域から抜け出せていない証拠かもしれなかった。
しかし聖乙女が子供嫌いなんていうのは外聞が悪い。聖乙女はだれにでも寛容で、優しくなければならない――みたいな不文律の「理想」のようなものがあるからだ。
もちろんあたしも聖乙女だったころは、律儀にそれを守っていた。
クソガキから汚い言葉を吐かれようが、蹴られようが、あたしはニコニコと慈愛に満ちた笑みを浮かべていた。……今思えばクソガキからすればそういうのは気持ちの悪いオトナの証のようなものだったかもしれない。
しかしまあ、すべては過去の話だ。
つまり、あたしが子供好きっぽいオーラを放って、至極寛容であるかのように振る舞っていたことは。
現実のあたしは別に子供は好きじゃないし、寛容でもない。むしろ狭量だと自覚しているし、短気だ。
そういうわけで地区に新しく配属された魔法女――つまりあたし――に、タカリにやってきたクソガキの尻を叩くという素晴らしい新生活のスタートを切って、深いため息をつく。
「お疲れ様だな」
その様子をまんじりともせず、いつもの表情をうかがわせない黒目で見ていたテオが、あたしにねぎらいの言葉をかける。
「どうも前任はいいように使われていたみたいね……神殿の威信にかかわるわ」
「さっきのガキども、頭目は街の商会の跡取り息子だ」
「よく見てるわね。あとから文句言われるかしら?」
「言われてもあんたにはどうってことないだろう。どちらにせよ魔法女の数は限られているし、魔法女の存在は生活に必要不可欠だ。追い出すなんてことはできはしまい」
テオの言う通り、法力が使える魔法女は湯水のごとく湧いて出てくるわけじゃない。
一説では、一度に世界に存在できる魔法女の数は決まっているとも言われるほど、魔法女は爆発的に増えたりもしないし、減りもしない。
そして魔法女は決められた各地区に配属され、安価で薬を作ったり、魔獣を退治したりするなど、人々が平穏な生活を送るには欠かせない存在なのだ。
だからこそ、その頂点たる聖乙女は民衆からの崇敬を集める。普段お世話になっている魔法女の、さらにスゴイ人というくらいの認識だろうが、神殿にとってはそれこそが重要なのだ。
チリも積もれば山となる。わずかな寄進でも方々から集めることによって、神殿は運営されているというワケだ。
そして民衆の支持を得るということは、そのまま神殿の力となる。王室と対等に綱引きができるのも、魔法女と聖乙女の力あってのことだ。
……しかし。
「この地区の住民は、どうも魔法女を軽んじているようね」
「前の魔法女はかなりの高齢だったらしいからな。あんたが言ったように、いいように使われていたんだろう」
「でも、これからはそうはいかないわ」
どうやら前任の魔法女は、ほとんどタダ同然で薬を売っていたらしいということも早々にわかった。
そもそもの薬の価格は庶民の家計を圧迫しない程度の安価な値段だというのに、それよりも更に安い金額で売っていた……もとい、売らされていたようだ。
相当に高齢ともなれば足腰も悪くしていただろう。身の回りの世話をしてもらうことと引き換えに、神殿には内緒で安く薬を売っていたとあたしは推測した。
もちろん勝手に薬の値段を下げることは、明確に神殿の規律に違反する。
どこの土地でも同じ値段で同じ効果が得られる物を販売する、という取り決めがなされているのだ。前任はそれに反していたことになる。
それがいつから始まったのかはわからないが、前任が引退するまで続いていたことはたしかだ。
この地区の人間が「薬はタダ同然で魔法女から貰えるもの」という認識が、当たり前になってしまうくらいには以前から続けられていたらしい。
お陰さまであたしが神殿が提示する適正価格――これでも相当に安い――で薬を売ろうとしたところ、「勝手に値上げした」などと騒がれたわけである。
もちろんあたしからすれば寝耳に水。神殿は隣国とごちゃごちゃしていた物価が高かった時代にも、薬の値段を上げずにコツコツと信頼を築き上げてきたというのに。
前任にも事情があったのだろうが、神殿がこれまでに築き上げてきたものを御破算にしたことには、違いない。
当然として薬を買いにきた年若い母親と「値上げした」「していない」の応酬になり、最終的には地区を取りまとめる商会の会長に出てきてもらうハメになった。
この会長がまた業突張りのウソつきだったら、話はさらにこじれていただろう。
しかし会長は前任の魔法女が大幅に値下げをして薬を販売していた事実を認め、大人しい態度で「善意に甘えてしまった私たちも悪いのです」などと言い始めたので、あたしも矛を収めるしかなかった。
もやもやとしたものは残るものの、これからこの地区の魔法女をやって行く以上、いたずらに引きずっても仕方がないのはたしかだ。
神殿に報告は上げたものの、騒動の原因である前任の元魔法女をどうするかは神殿側が決めることだ。
しかしおそらく彼女はなんの咎も責めも受けはしないのだろう。もう魔法女を引退してしまっているし、相当に高齢なのだ。
そこに釈然としないものは感じるが、一介の魔法女であるあたしには、どうしようもできない。
それが現実だった。
「初日っから働かせてくれるわ……」
あたしはなにも悪いことはしていないが、地区の住民からの印象は最悪と言ってもいいだろう。
自身が所属するコミュニティの人間が不利な状況に置かれれば、その状況を招いたあたしに悪感情を抱くというのがムラ社会の動物というものである。
社会の末端である子供にまでその空気が伝わっているからこそ、あのクソガキたちはあたしのところにやってきたに違いない。
これから心機一転して魔法女として頑張って行こうというときに、第一印象は最悪。
おまけに今回の件であたしは「業突張りの元聖乙女」として界隈に知れ渡っているらしい。
強欲だから聖乙女を辞めさせられた、なんて噂まで駆けまわっていると、街に出たテオが噂を仕入れてきてくれた。
しかし彼ら彼女らはしょせん陰口を叩くことしかできない。
そこで「魔法女を追い出そう!」という風にはならない。連中にそんな根性はないのだ。あたしが王室や神殿に歯向かえないのと同じように。
先述した通り、神殿を通じて薬を売る魔法女は地域にとってなくてはならない存在だ。そして人に害をなす魔獣を討伐するのも魔法女の仕事である。
そんな風に生活に密着している魔法女を追い出すなどという手段は、まかり間違っても取れないわけなのである。
これはあたしにとっては幸いであり、不幸でもあった。
基本的に一度地区に配属された魔法女は、配置転換などされない。
聖乙女の候補になった場合などの例外を除き、魔法女は生涯をその土地で過ごさなければならないのだ。
そんな決まりがあるからこそ、生涯を決まった土地で過ごすというのはこの地区の前任の魔法女のような、不正の温床にもなり得るのだが、神殿は地域との融和を優先させているらしかった。
それはあたしも例外ではない。
つまりこの先、なにか天地がひっくりかえるような大騒動でも起きない限り、あたしは引退するまでこの地区から離れられないわけなのである。
王都にある大神殿に上がるときなど、一時的に決まった日数のあいだだけ、担当の地区を離れることは許される。
しかし俗世を離れているため、当たり前だが家族と会うなどという理由では地区を空けられない。そもそも、あたしの家族はすでにない。
そんな決まりを思い起こすに、あたしは鬱々とした気分になってしまった。
テオはそんなあたしの空気を察したのか、ぴくりぴくりと黒い犬耳を動かす。
「気落ちしていても仕方がない。第一印象は最悪だが、前向きに改善の方法を探るというのが建設的判断だろう」
「わかってるわよ……」
「あるいはいっそ事務的な付き合いだけに留めるか」
「あたしはそれでもいいけど、神殿からは文句を言われかねないわ。……あたしは聖乙女だったんだから」
なんて理不尽なんだろうと思うも、聖乙女になる道を選んだのはあたしだ。
今さらアレコレと自らの不幸を嘆いていても仕方がない。
「……仕方ない。魔獣退治にでも行くわ」
「建設的判断だ」
「ありがとう。テオにも働いてもらうわよ?」
「わかっている。任せておけ」
そうしてあたしたちは一度家の中へと引き返し、魔獣討伐のための準備に取りかかるのであった。
そんな、まだ変声期も迎えていないクソガキの声が辺りに響き渡る。
けれどもあたしの心はまったく本心から凪いでいて、負け犬の遠吠えなんぞ届かない。
あたしに尻を叩かれるという醜態を晒した子供どもの頭目は、悔しそうな顔をしつつ走り去って行った。
「悔しかったらおとといおいで! クソガキども!」
もはや聖乙女ではないあたしが、必要以上に体面を取り繕うことはなく、子供どもの背中に向かって口の悪いセリフを投げつける。
なにもあたしは筋金入りの子供嫌いというわけではない。
たしかに、子供は生意気だ。特に思春期を迎える頃の子供の扱いにくさったら、ない。
そんな風に思ってしまうのは、あたしもまた子供の領域から抜け出せていない証拠かもしれなかった。
しかし聖乙女が子供嫌いなんていうのは外聞が悪い。聖乙女はだれにでも寛容で、優しくなければならない――みたいな不文律の「理想」のようなものがあるからだ。
もちろんあたしも聖乙女だったころは、律儀にそれを守っていた。
クソガキから汚い言葉を吐かれようが、蹴られようが、あたしはニコニコと慈愛に満ちた笑みを浮かべていた。……今思えばクソガキからすればそういうのは気持ちの悪いオトナの証のようなものだったかもしれない。
しかしまあ、すべては過去の話だ。
つまり、あたしが子供好きっぽいオーラを放って、至極寛容であるかのように振る舞っていたことは。
現実のあたしは別に子供は好きじゃないし、寛容でもない。むしろ狭量だと自覚しているし、短気だ。
そういうわけで地区に新しく配属された魔法女――つまりあたし――に、タカリにやってきたクソガキの尻を叩くという素晴らしい新生活のスタートを切って、深いため息をつく。
「お疲れ様だな」
その様子をまんじりともせず、いつもの表情をうかがわせない黒目で見ていたテオが、あたしにねぎらいの言葉をかける。
「どうも前任はいいように使われていたみたいね……神殿の威信にかかわるわ」
「さっきのガキども、頭目は街の商会の跡取り息子だ」
「よく見てるわね。あとから文句言われるかしら?」
「言われてもあんたにはどうってことないだろう。どちらにせよ魔法女の数は限られているし、魔法女の存在は生活に必要不可欠だ。追い出すなんてことはできはしまい」
テオの言う通り、法力が使える魔法女は湯水のごとく湧いて出てくるわけじゃない。
一説では、一度に世界に存在できる魔法女の数は決まっているとも言われるほど、魔法女は爆発的に増えたりもしないし、減りもしない。
そして魔法女は決められた各地区に配属され、安価で薬を作ったり、魔獣を退治したりするなど、人々が平穏な生活を送るには欠かせない存在なのだ。
だからこそ、その頂点たる聖乙女は民衆からの崇敬を集める。普段お世話になっている魔法女の、さらにスゴイ人というくらいの認識だろうが、神殿にとってはそれこそが重要なのだ。
チリも積もれば山となる。わずかな寄進でも方々から集めることによって、神殿は運営されているというワケだ。
そして民衆の支持を得るということは、そのまま神殿の力となる。王室と対等に綱引きができるのも、魔法女と聖乙女の力あってのことだ。
……しかし。
「この地区の住民は、どうも魔法女を軽んじているようね」
「前の魔法女はかなりの高齢だったらしいからな。あんたが言ったように、いいように使われていたんだろう」
「でも、これからはそうはいかないわ」
どうやら前任の魔法女は、ほとんどタダ同然で薬を売っていたらしいということも早々にわかった。
そもそもの薬の価格は庶民の家計を圧迫しない程度の安価な値段だというのに、それよりも更に安い金額で売っていた……もとい、売らされていたようだ。
相当に高齢ともなれば足腰も悪くしていただろう。身の回りの世話をしてもらうことと引き換えに、神殿には内緒で安く薬を売っていたとあたしは推測した。
もちろん勝手に薬の値段を下げることは、明確に神殿の規律に違反する。
どこの土地でも同じ値段で同じ効果が得られる物を販売する、という取り決めがなされているのだ。前任はそれに反していたことになる。
それがいつから始まったのかはわからないが、前任が引退するまで続いていたことはたしかだ。
この地区の人間が「薬はタダ同然で魔法女から貰えるもの」という認識が、当たり前になってしまうくらいには以前から続けられていたらしい。
お陰さまであたしが神殿が提示する適正価格――これでも相当に安い――で薬を売ろうとしたところ、「勝手に値上げした」などと騒がれたわけである。
もちろんあたしからすれば寝耳に水。神殿は隣国とごちゃごちゃしていた物価が高かった時代にも、薬の値段を上げずにコツコツと信頼を築き上げてきたというのに。
前任にも事情があったのだろうが、神殿がこれまでに築き上げてきたものを御破算にしたことには、違いない。
当然として薬を買いにきた年若い母親と「値上げした」「していない」の応酬になり、最終的には地区を取りまとめる商会の会長に出てきてもらうハメになった。
この会長がまた業突張りのウソつきだったら、話はさらにこじれていただろう。
しかし会長は前任の魔法女が大幅に値下げをして薬を販売していた事実を認め、大人しい態度で「善意に甘えてしまった私たちも悪いのです」などと言い始めたので、あたしも矛を収めるしかなかった。
もやもやとしたものは残るものの、これからこの地区の魔法女をやって行く以上、いたずらに引きずっても仕方がないのはたしかだ。
神殿に報告は上げたものの、騒動の原因である前任の元魔法女をどうするかは神殿側が決めることだ。
しかしおそらく彼女はなんの咎も責めも受けはしないのだろう。もう魔法女を引退してしまっているし、相当に高齢なのだ。
そこに釈然としないものは感じるが、一介の魔法女であるあたしには、どうしようもできない。
それが現実だった。
「初日っから働かせてくれるわ……」
あたしはなにも悪いことはしていないが、地区の住民からの印象は最悪と言ってもいいだろう。
自身が所属するコミュニティの人間が不利な状況に置かれれば、その状況を招いたあたしに悪感情を抱くというのがムラ社会の動物というものである。
社会の末端である子供にまでその空気が伝わっているからこそ、あのクソガキたちはあたしのところにやってきたに違いない。
これから心機一転して魔法女として頑張って行こうというときに、第一印象は最悪。
おまけに今回の件であたしは「業突張りの元聖乙女」として界隈に知れ渡っているらしい。
強欲だから聖乙女を辞めさせられた、なんて噂まで駆けまわっていると、街に出たテオが噂を仕入れてきてくれた。
しかし彼ら彼女らはしょせん陰口を叩くことしかできない。
そこで「魔法女を追い出そう!」という風にはならない。連中にそんな根性はないのだ。あたしが王室や神殿に歯向かえないのと同じように。
先述した通り、神殿を通じて薬を売る魔法女は地域にとってなくてはならない存在だ。そして人に害をなす魔獣を討伐するのも魔法女の仕事である。
そんな風に生活に密着している魔法女を追い出すなどという手段は、まかり間違っても取れないわけなのである。
これはあたしにとっては幸いであり、不幸でもあった。
基本的に一度地区に配属された魔法女は、配置転換などされない。
聖乙女の候補になった場合などの例外を除き、魔法女は生涯をその土地で過ごさなければならないのだ。
そんな決まりがあるからこそ、生涯を決まった土地で過ごすというのはこの地区の前任の魔法女のような、不正の温床にもなり得るのだが、神殿は地域との融和を優先させているらしかった。
それはあたしも例外ではない。
つまりこの先、なにか天地がひっくりかえるような大騒動でも起きない限り、あたしは引退するまでこの地区から離れられないわけなのである。
王都にある大神殿に上がるときなど、一時的に決まった日数のあいだだけ、担当の地区を離れることは許される。
しかし俗世を離れているため、当たり前だが家族と会うなどという理由では地区を空けられない。そもそも、あたしの家族はすでにない。
そんな決まりを思い起こすに、あたしは鬱々とした気分になってしまった。
テオはそんなあたしの空気を察したのか、ぴくりぴくりと黒い犬耳を動かす。
「気落ちしていても仕方がない。第一印象は最悪だが、前向きに改善の方法を探るというのが建設的判断だろう」
「わかってるわよ……」
「あるいはいっそ事務的な付き合いだけに留めるか」
「あたしはそれでもいいけど、神殿からは文句を言われかねないわ。……あたしは聖乙女だったんだから」
なんて理不尽なんだろうと思うも、聖乙女になる道を選んだのはあたしだ。
今さらアレコレと自らの不幸を嘆いていても仕方がない。
「……仕方ない。魔獣退治にでも行くわ」
「建設的判断だ」
「ありがとう。テオにも働いてもらうわよ?」
「わかっている。任せておけ」
そうしてあたしたちは一度家の中へと引き返し、魔獣討伐のための準備に取りかかるのであった。
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