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「あー、もう期末かー」

 食堂でうどんをすするつばきは、そう言ってうんざりしたようにため息をついた。

「勉強しないとね」
「柊くんはいつも成績いいじゃん~。ね、アキラちゃん」

 つばきから話を振られたアキラは箸を取り落としそうになる。

「あ、う、うんそうだね」

 こうしてつばきが冨由馬との会話にアキラを入れてくれようとするのは今に始まったことではない。しかし、どうにも未だ慣れることができずにいた。

 体育祭で冨由馬に負ぶわれ、その後中間考査の前に彼のボタンを直してあげたアキラは、色々あり期末考査を前にした今現在ではつばき、冨由馬、夏生の三人と昼食を共にするようになっていた。この「色々あり」の部分には大いにつばきが関わっている。

「わたし江ノ木くんのこと狙ってるんだ」

 つばきにそう告げられたアキラは、意外な言葉にしばしぽかんと口を開けた。そんなアキラの心中を察してかつばきは困ったような顔で「意外?」と聞いて来たので、アキラはあわてて首を横に振る。

「つばきは……柊くんとか、ああいうひとがタイプなのかなーって思ってたから」

 それは言外に「意外だ」と言っているも同然なのだが、あせりに追い立てられているアキラは気づかない。

 つばきはアキラの言葉を聞くや、ぷっと吹き出した。

「ええ~? 柊くん? 柊くんはありえないって!」
「いや、でも人気あるじゃん?」
「柊くんのことが好きなのはアキラちゃんでしょ?」

 つばきには別段隠しているわけではなかった。それでも改めて言われるとやはり恥ずかしい。アキラは日に焼けた肌をにわかに朱色に染めた。

「……で、さあ。江ノ木くんってよく柊くんといっしょにいるじゃない?」
「うん、幼馴染だってね。仲良いよね」
「ね。でさ、アキラちゃんと柊くんのこと応援するから、私と江ノ木くんのこと応援して?」
「え? ええっ。い、いや、わたしはいいよ。……あ、そうじゃなくって! つばきのことは応援するけど、わたしのことは別にいいってこと――」

 両手を振って拒絶するアキラであったが、その手はすばやくつばきのほっそりとした指に捕らえられてしまう。桜貝のような爪がついた指先はひんやりとしていて、アキラはどきりとした。

「おねがい、アキラちゃん」
「おねがいって言われても……」
「いっしょにがんばろ?」
「つばきだったらだいじょうぶだよ。だってつばきは――」

 ――わたしと違って可愛いし。

 アキラは思わず出かかった言葉を飲み込んだ。

「アキラちゃん……」
「つばき……」
「――当たって砕けろ、だよ」
「砕けたら意味ないんじゃ……」

 その後もこんな調子でつばきに説得されてしまったアキラは、結局は折れて彼女と「共同戦線」を組むことになった。とはいえ意外と恥ずかしがりやなアキラが冨由馬に話しかけるのはなかなか難易度が高い。だから無理だとつばきに泣きついたのだが、つばきは笑顔で「そこは考えてあるから」と力強く親指を立てた。

 それが冒頭のやり取りに繋がる。要は異性相手でも物怖じしないつばきが冨由馬と会話を繋げてパスをアキラに寄越す、という作戦であった。しかしそれはアキラからすればいささか厳しいものがある。つばきであれば軽くいなせるのかもしれないが、アキラからするとキラーパスもいいところなのだ。

 だがここで度胸を見せなければいけないこともアキラは承知していた。冨由馬との会話ばかりでどうもつばきはあまり夏生とは話せていないようなのだ。

 もとより夏生は口数の多いほうではない。学校内で一番話しているのは恐らく幼馴染の冨由馬だろう。そういうわけでつばきも冨由馬との会話から夏生への足がかりを探しているのだろうが――それはあまり上手く行っているとは言いがたいようだ。

 それでもつばきによるとメッセージアプリを介しては色々とおしゃべりができているらしい。学校では話さないのでアキラからはうかがい知れないが、つばきが嘘をついていないのならそちらは順調なのかもしれなかった。

 だがこれでも仲は良くなったほうである。証拠に、四人は共に昼食を取るようになった。今までのアキラは基本的につばきといっしょに昼食を過ごし、たまにそこへほかの友人たちが加わる――といった調子であった。

 一方の冨由馬は夏生といっしょに昼食を取っていたらしい。このあたりはアキラたちと変わりがないようだ。

 四人で昼食を取るきっかけもまたつばきだった。つばきが冨由馬に声をかけ、彼が快く受け入れたことでこの組み合わせが実現したのである。

 昼食の席を同じくすれば自然と会話が増えるし、昼食以外でも会話を交わすようになった。

 意外にもひとり暮らしをしているという冨由馬はアキラの話を聞きたがった。内容は主に家事のことである。冨由馬の印象からすると要領良くできているような気がするが、内実は違うらしい。それを言うときの冨由馬は少し恥ずかしそうで、アキラはそれを可愛いと思ってしまった。

 家族以外の役に立つとは思っていなかった家事ではあるが、こうして冨由馬から意見を求められるのは、なんとなく勝てる見込みのない相手の優位に立てたような気がして、そういう点でもアキラの心をくすぐった。

 冨由馬からあのレシピはおいしかったなどと言われては、アキラは舞い上がっていた。冨由馬と距離が近くなったようで――否、実際にふたりの距離はこれまでにないほど近くなった――それがうれしくて仕方がない。

 けれどもアキラはそのについてまでは考えたことがなかった。空想の上で考えはしても、地に足のついた想像はしたことがなかった。アキラは無意識のうちに「そんなことはありはしない」と決めつけていたのである。

 しかしその「ありはしない」ことは唐突に訪れた。

 その日は重く暗い雲が空に垂れ込めていた。ちょうど期末考査の最終日のことである。教室内を煌々と電灯が照らす中、考査自体はつつがなく終わったのだが、そのころには外は荒れ模様となっていた。

「電車止まらないよね?」
「傘持って来たー?」

 そんな会話があちらこちらから聞こえる中、教室の窓は激しい風雨を受けてガタガタとその身を震わせている。

「アキラちゃんて徒歩だったよね」
「うん、そうだよー」
「お姉ちゃん迎えに来てくれるって言ってるから乗って行かない?」
「え? いいよー悪いし。そんな遠くないし」
「だめだめ、風強くて危ないんだからさ。乗って行きなよ。お姉ちゃんもそう言ってるし!」

 いつものようにつばきに押し切られたアキラは、友人たちと別れを告げてつばきと連れ立ち昇降口へと向かう。ガラス張りの出入り口が開け放たれた昇降口では、空を切る容赦のない風の音が響き渡っていた。そんな中を生徒たちが足早に外へと出て行く。

「すごい風」
「台風近いって言ってたもんね。――あっ」

 カバンの中をしばらくごそごそとまさぐっていたつばきは、しばらくして申し訳なさそうな顔をアキラに向ける。

「ごめんアキラちゃん! 教室にスマホ忘れちゃったみたい」
「え? 大変じゃん」
「ごめん~ちょっと取りに行って来るから待ってて!」
「わかったー」

 そうしてアキラは昇降口にある大きな柱に背をもたれかけさせてつばきの帰りを待った。スマートフォンを取りに戻るだけならばそんなに時間はかからないだろう。そう考えていたが、予想に反してつばきはいつまで経っても帰って来ない。

 ようやくアキラのスマートフォンに連絡が来たと思えば、内容は「江ノ木くんがいるからちょっと話していく!」というものであった。アキラは「仕方がないなあ」とため息をつきながら、人の気配がなくなった昇降口でスマートフォンをカバンにしまう。

「あれ、久木さん?」

 不意に声をかけられ、アキラはわかりやすく肩を跳ねさせる。あわてて振り向けば、靴箱の手前の廊下に手ぶらの冨由馬が立っていた。その冨由馬はちょっと困ったように笑ってアキラを見る。

「ごめん、おどろかせちゃった?」

 そう言いながら靴箱の前に敷かれたスノコの上を歩いてアキラに近づく。ぎしぎしという木のきしむ音がするたびに、比例してアキラの心臓も鼓動を速めた。

「う、ううん。だいじょうぶ。柊くんはどうしたの? カバンは?」
「あーちょっと後藤ごとう先生に用事頼まれちゃって……。これからカバン取りに行くところ」

 なるほど、だから夏生は教室に残っていたのだなとアキラは納得する。冨由馬はいつも夏生と連れ立って帰路に就いていた。

「久木さんは? あ、新治さん待ってるの?」
「うん、そう。よくわかったねー」
「いつもいっしょにいるからね。でもだいぶ風強くなってるけどだいじょうぶ? 久木さんって電車通学だっけ?」
「ううん。徒歩。あ、でもつばきのお姉さんが送ってくれるって言うから……」
「そっか、それならだいじょうぶだね」

 きっと冨由馬はだれに対してもこうなのだろうとは思いつつも、心配されてうれしくないわけがない。

「彼氏でも待ってるのかと思った」
「……えっ」

 ふわふわと舞い上がっていたアキラは、冨由馬の予想だにしない言葉に固まった。

「ええっ、そ、そんな相手いないしっ」

 あわてて手を振るが、顔が熱を持っているのがわかる。耳まで熱い。日焼けの色で隠せやしないだろうかとアキラは思うが、果たしてそれができているのか、目の前の冨由馬の表情からは読めなかった。

 照れ隠しに大わらわのアキラに対し、冨由馬はどこまでも自然体だ。いつも通り、柔和な表情でアキラを見ている。

「へー、そうなんだ」
「そうだよー。だってわたしいつもつばきといるじゃん?」
「でもいるかなって」
「いないいない! つばきならともかく!」
「ふーん……じゃあ俺が立候補しようかな」

 アキラは今度こそ思考ごと固まった。

「……え?」

 ようやく出た言葉は少しかすれていたが、そのことに頓着する余裕など、アキラには残っていない。

「じょ、冗談はやめてよー! びっくりしちゃったじゃん!」

 そう、冗談だ。冗談に決まっている。こんな都合のいいことが起こるわけがない。

 アキラはそう自分に言い聞かせるも、それでも心の奥底では「もしかしたら」という希望が頭をもたげ始めていた。今のアキラはその希望を必死で抑え込んでいる状態だ。期待して、外れてはひどく落胆してしまう。それがわかっていた。そしてその希望が叶えられる可能性が低いことも、わかっていた。

 けれど冨由馬はいともたやすく、アキラのその臆病な心すら打ち砕く。

「冗談じゃないんだけど」
「え? やだなー……。またまたそんな」
「俺、久木さんの恋人になりたいな」

 アキラは息が止まるかと思った。思考は完全に焦げついて、まともに動かすことすら叶わない。だというのに、冨由馬は待ってくれない。

「返事、くれる?」
「えっと、その、待っ――」
「待てない。今ここで欲しい。ダメならダメだって、言って欲しい」

 アキラは冨由馬の顔を見ていられず、うつむいた。その顔は真っ赤に染まり、その色は首元にまで及んでいる。

 けれども、ダメなわけがなかった。

 ダメなどとは、言えるはずがなかった。

「わたしも――柊くんの恋人になりたい」


 *


「上手く行ってよかったけど、ここからヘマしないでよね」

 夜も更けた外は相変わらず風がごうごうと音を立てて町に吹き付けている。そんな中、部屋でひとり足を伸ばしているつばきの電話の相手は、いわずもがな、冨由馬であった。

「はあ? そりゃこっちのセリフだろ」

 平素の彼を知る者が聞けば目を剥くことは間違いない、粗暴な言葉遣いで冨由馬は答えた。普段の人当たりの良い姿は、むろん彼が意図的に作った姿で、冨由馬の本性とはこんなものであった。

「もー相変わらずその乱暴な口調なんとかならないの~?」
「お前のムカつく口調をなんとかしてから言え」
「ぶー、ひどーい。そんなんじゃ江ノ木くんに嫌われちゃうよー?」

 つばきの言葉に、電話口で冨由馬はせせら笑う。

「お前と違って夏生は俺の本性知ってるんだよ」
「なにそれ初耳」
「言ってなかったからな」
「まあやることやってくれるんならいいけどさー」

 つばきは一度言葉を切る。

「アキラちゃんのこと、ぐちゃぐちゃにしてよ」

 そう言ったつばきの顔は、いつもの優しげな色はかけらもなく、どこまでも欲深く歪んだ笑みに満ちていた。

「性格悪いな」
「クソラギに言われたくないー」
「その呼び方やめろよ」
「いーや。……まあ成果によっては考えてあげなくもないけどね」

 だれにも言えない企みを進めるふたりの夜は、こうして過ぎて行く。もう片方の当事者たる、アキラと夏生を置いて。
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