上 下
5 / 44

(5)

しおりを挟む
 一八〇センチメートルを超える長身に、痩せぎすの体。胸は「絶壁」という言葉を用いるのに相応しい貧相さ。身に着けているのはセールで買ったがゆえにぶかぶかのアノラックパーカーと、細身のジーンズ。……加えてレンの声は女性らしい高さがほとんどない、ハスキーボイスだった。

 レンは、今まで散々男に間違われてきた。屈辱とまではいかないにしてもちょっとした寂寥感を覚えるていどには男に間違われて生きてきた。だから学長が勘違いをしたという事実に気づいたときも、怒りの感情は湧きはしなかった。

 ただ、レンは己の見た目に女性らしい特徴がないことはよくよく知っていたので、自らの性別をわざわざ主張することには一種の気恥ずかしさを覚える。もしもこんな状況でなければ、男と勘違いさせたまま過ごすということすらしていただろう。

 しかし寮だ。男と女でわざわざわけられている住居空間だ。気恥ずかしいからという理由で男子寮に素知らぬフリをして入るわけには行かない。レンは意を決して、男子寮の寮監を探す学長の背中に声をかけた。

「あの……私、女です」

 レンは散々悩んで「わかりにくかったかもしれませんが」という言葉を飲み込んだ。自らの正確な性別をわざわざ告げる。いつだって居心地が悪くイヤな時間だ。内心で冷や汗をだらだらとかくレンを前に、頭ひとつぶんは背の低い学長は「あら」と声を出した。

「あらあら、ごめんなさいね……わたくしもまだまだ見る目がないこと」
「イエ、イインデス。ヨクマチガエラレマスカラ」

 緊張からレンの言葉は不自然なカタコトになる。それを聞いた学長は申し訳なさそうな顔をしたが、それは一瞬だけのことだった。すぐにその表情は珍しいものを見たという顔になる。レンはそんな学長の反応に、己はそんなに男っぽいのだろうか……と思い悩む。

 特段、レンは男ぶったりはしたことはない。けれども振る舞いは優雅さがなく粗雑な自覚があったし、言葉遣いだって女らしい柔らかさとは無縁だと思っている。しかしそんなことはレンのいた世界の、日本人女性であれば、別に珍しいというほどのものでもない。……この異世界ではどうだかは知らないが。

 しかし貴婦人を体現したかのような学長を前にすると、もしかしたらこの異世界ではレンの言動は男と判じられても仕方のないことなのやもしれない――。……とまでレンは一足飛びに考えるが、学長の表情の真の理由はそんな妄想とは別のところにあった。

「その格好はわざとなのかしら?」
「え? いえ……わざとというか、これが普通というか、自然体というか……」

 レンは学長の質問の意図をイマイチ読めず、しどろもどろな物言いになる。「わざと」というのはどういう意味なのだろうか? 男と取られたくてこういう格好をしていると誤解されているのだろうか? レンの頭をそんな予測が目まぐるしく渦を巻く。

 しかしレンがそんな疑問を口にするより先に、学長はある可能性に思い当たり、双方に誤解が生じていることを看破した。

「重ね重ねごめんなさいね。レンは異世界人だものね。この世界とは異なる世界の人間……。言葉が通じるし言動にも不自然な点は感じられないから、ついつい忘れてしまっていたわ」
「あ、はい。それで……この格好は特に男を装うことを意図しているわけではなく……私の普段着、とは言っておきます」

 学長のダークスーツを見れば、レンのいた世界とこの異世界で服装の許容範囲に大きな違いはなさそうである。あのとき実践室のプレートがかかった大部屋にいた少年たちの服も、レンが知る学生服と大きな差は感じられなかった。となるとレンが身に着けているアノラックパーカーがなにかしら問題を引き起こしている、というわけではなさそうである。

 そして学長はようやく双方に誤解が生じていることを告げた。

「わたくしが驚いたのはレンが女性だったこと……と言うとまた誤解が生じそうね。――あのね、レン。女性であるあなたにはしっかりと聞いて、覚えていて欲しいのだけれど……この世界では女性の数のほうが男性よりもひどく――少ないのよ」

 大いなる秘密を打ち明けるような声で、学長はそう言った。レンは学長から言われたことをすぐに理解し、だから己が女であったことに学長が驚いたのかと合点する。そしてフリートウッド校では男子寮が六つあるのに対し、女子寮がひとつしか存在しない理由もようやく察した。あの実践室でレンを取り囲んでいた生徒たちが、いずれも少年ばかりだった理由も。

「つまり……女は珍しい存在だというわけです、よね」
「ええそうよ。そしてレン。あなたも女性ならわかるでしょうけれど、その状態はとても、ひどく危険なの。人類全てが善人ではないように、男性がおしなべてみな紳士ではないことはレンにもわかるでしょう」
「ええ、はい。それは、もちろん」
「……もちろん、ほとんどの男性は恥知らずな真似はしないわ。当校に通う生徒も、フリートウッドのエンブレムに恥じるような真似はしないものと信じたい。けれども可能性の問題として、レンには気をつけて欲しいのよ」

 学長のくりくりとした大きな瞳が不安に揺れる。レンは――そんなに心配するべきことなのだろうかとのん気に考えていた。

 レンは今までほとんど女扱いされたことはない。かつては「男みたい」と言われるたびに、男だと勘違いされるたびに密かに傷ついていたが、今ではほとんど開き直れている。男ぶることはなかったが、ことさら女ぶったこともない。さすがに大学生になって薄化粧はするようになったが、それでも男だと勘違いする人間は後を絶たなかった。

 そういうわけでレンは己の女性性を欲される、という状況を上手く想像できなかった。いくら男女比が偏っており、いくら男が女に飢えており、いくら多感な思春期の少年が通う学校に放り込まれても、己が求愛される図などまったく描けなかったわけである。

 けれども学長が心配する以上、「大丈夫です」などと気軽に言えることもできず、レンは曖昧なうなずきで誤魔化す。学長はそんなレンの胸中を見抜いたのか、心配そうな表情を崩すことはなかった。その気まずさに耐えられなかったのはレンのほうで、矛先をそらすべく心中に湧いた疑問を口にする。

「あの……この学校にも女の子はいるわけですよね?」
「ええ。当校は共学ですから」
「その女の子たちは普段はどうしているんですか? ……集団行動必須、とか?」

 それだったらカンベンして欲しいなあとレンは思った。

 身を守るためという理由はわかるが、レンはそういういかにも「女子っぽい」行動はしたことがないし、なんだったら苦手意識すら持っていた。トイレまで一緒に行動するなんてことは、レンの意識からすればちょっと遠慮したいことなのである。……この世界では恐らくそんなことは言っていられないだろう、ということも一応理解してはいたが。

 しかし学長の返答はレンの予測の斜め上をかっ飛んで行った。

「女子生徒はむしろ同性同士で行動することはありませんね」
「え……。それってちょっと危なくないですか?」
「そんなことはありませんよ。常にハーレムの成員がそばにいて、彼女たちを守ってくれますからね」
「ハー……レム……?」

 レンは己の思考が急ブレーキをベタ踏みした音を聞いた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

男女比崩壊世界で逆ハーレムを

クロウ
ファンタジー
いつからか女性が中々生まれなくなり、人口は徐々に減少する。 国は女児が生まれたら報告するようにと各地に知らせを出しているが、自身の配偶者にするためにと出生を報告しない事例も少なくない。 女性の誘拐、売買、監禁は厳しく取り締まられている。 地下に監禁されていた主人公を救ったのはフロムナード王国の最精鋭部隊と呼ばれる黒龍騎士団。 線の細い男、つまり細マッチョが好まれる世界で彼らのような日々身体を鍛えてムキムキな人はモテない。 しかし転生者たる主人公にはその好みには当てはまらないようで・・・・ 更新再開。頑張って更新します。

気付いたら異世界の娼館に売られていたけど、なんだかんだ美男子に救われる話。

sorato
恋愛
20歳女、東京出身。親も彼氏もおらずブラック企業で働く日和は、ある日突然異世界へと転移していた。それも、気を失っている内に。 気付いたときには既に娼館に売られた後。娼館の店主にお薦め客候補の姿絵を見せられるが、どの客も生理的に受け付けない男ばかり。そんな中、日和が目をつけたのは絶世の美男子であるヨルクという男で――……。 ※男は太っていて脂ぎっている方がより素晴らしいとされ、女は細く印象の薄い方がより美しいとされる美醜逆転的な概念の異世界でのお話です。 !直接的な行為の描写はありませんが、そういうことを匂わす言葉はたくさん出てきますのでR15指定しています。苦手な方はバックしてください。 ※小説家になろうさんでも投稿しています。

二度目の人生は異世界で溺愛されています

ノッポ
恋愛
私はブラック企業で働く彼氏ナシのおひとりさまアラフォー会社員だった。 ある日 信号で轢かれそうな男の子を助けたことがキッカケで異世界に行くことに。 加護とチート有りな上に超絶美少女にまでしてもらったけど……中身は今まで喪女の地味女だったので周りの環境変化にタジタジ。 おまけに女性が少ない世界のため 夫をたくさん持つことになりー…… 周りに流されて愛されてつつ たまに前世の知識で少しだけ生活を改善しながら異世界で生きていくお話。

異世界転生先で溺愛されてます!

目玉焼きはソース
恋愛
異世界転生した18歳のエマが転生先で色々なタイプのイケメンたちから溺愛される話。 ・男性のみ美醜逆転した世界 ・一妻多夫制 ・一応R指定にしてます ⚠️一部、差別的表現・暴力的表現が入るかもしれません タグは追加していきます。

美醜逆転世界でお姫様は超絶美形な従者に目を付ける

朝比奈
恋愛
ある世界に『ティーラン』と言う、まだ、歴史の浅い小さな王国がありました。『ティーラン王国』には、王子様とお姫様がいました。 お姫様の名前はアリス・ラメ・ティーラン 絶世の美女を母に持つ、母親にの美しいお姫様でした。彼女は小国の姫でありながら多くの国の王子様や貴族様から求婚を受けていました。けれども、彼女は20歳になった今、婚約者もいない。浮いた話一つ無い、お姫様でした。 「ねぇ、ルイ。 私と駆け落ちしましょう?」 「えっ!? ええぇぇえええ!!!」 この話はそんなお姫様と従者である─ ルイ・ブリースの恋のお話。

異世界転移した心細さで買ったワンコインの奴隷が信じられない程好みドストライクって、恵まれすぎじゃないですか?

sorato
恋愛
休日出勤に向かう途中であった筈の高橋 菫は、気付けば草原のど真ん中に放置されていた。 わけも分からないまま、偶々出会った奴隷商人から一人の男を購入する。 ※タイトル通りのお話。ご都合主義で細かいことはあまり考えていません。 あっさり日本人顔が最も美しいとされる美醜逆転っぽい世界観です。 ストーリー上、人を安値で売り買いする場面等がありますのでご不快に感じる方は読まないことをお勧めします。 小説家になろうさんでも投稿しています。ゆっくり更新です。

旦那様が多すぎて困っています!? 〜逆ハー異世界ラブコメ〜

ことりとりとん
恋愛
男女比8:1の逆ハーレム異世界に転移してしまった女子大生・大森泉 転移早々旦那さんが6人もできて、しかも魔力無限チートがあると教えられて!? のんびりまったり暮らしたいのにいつの間にか国を救うハメになりました…… イケメン山盛りの逆ハーです 前半はラブラブまったりの予定。後半で主人公が頑張ります 小説家になろう、カクヨムに転載しています

男女比が偏っている異世界に転移して逆ハーレムを築いた、その後の話

やなぎ怜
恋愛
花嫁探しのために異世界から集団で拉致されてきた少女たちのひとりであるユーリ。それがハルの妻である。色々あって学生結婚し、ハルより年上のユーリはすでに学園を卒業している。この世界は著しく男女比が偏っているから、ユーリには他にも夫がいる。ならば負けないようにストレートに好意を示すべきだが、スラム育ちで口が悪いハルは素直な感情表現を苦手としており、そのことをもどかしく思っていた。そんな中でも、妊娠適正年齢の始まりとして定められている二〇歳の誕生日――有り体に言ってしまえば「子作り解禁日」をユーリが迎える日は近づく。それとは別に、ユーリたち拉致被害者が元の世界に帰れるかもしれないという噂も立ち……。 順風満帆に見えた一家に、ささやかな波風が立つ二日間のお話。 ※作品の性質上、露骨に性的な話題が出てきます。

処理中です...