上 下
12 / 29

(12)

しおりを挟む
 ここのところの気温上昇は著しいが、この世界ではままあることであった。

 この世界の人間ではないララタにはわりと辛い気温変動であるが、それでも異世界人なりに着こむなり氷の柱を作るなりして毎度どうにかこうにか耐え抜いている。これはこれで「この世界に慣れた」と呼んでもよいのかもしれない。

 ララタは週に一度は必ず王宮に顔を出す。それ以外は辺境の地に建てられた自身の家で魔法書の研究に励む。あるいは、どこかしらの地へと赴いての魔物退治にいそしむ。それがララタの日常だった。

 そしてここしばらくのララタはその三番目――すなわち魔物退治に精を出していた。これがまたなかなか頭の回る魔物で、おまけに体躯も巨大とは言い難い――それでも一〇歳の人間の子供くらいの大きさである――ので、森に隠れられると捜すのに苦労した。

 そしてどうにかこうにか退治して「魔女様様」な歓待を受けて帰ってくれば、すぐさま王宮へと呼び出された。

 あまりにも帰ってきてすぐのことだったので、なにかしらの緊急事態かとすわ緊張すれば、待っていたのはアルフレッドの教育係であるアンブローズおうのひとこと。

「ここのところ殿下はお疲れのご様子。妃殿下、ぜひ」
「ぜひ……?」
「ぜひ」

 白く長いアゴヒゲを生やしたアンブローズ翁は「ぜひ」とだけ言って、そこから先は告げなかった。察しろ、ということなのだろうというのはララタにもわかったが、素直じゃないのでなんだかそのまま聞き入れるのはシャクに思えた。

 そんなララタの思考の推移をおそらく眉辺りから察したアンブローズ翁は、まるで独り言でもいうかのように言葉を続けた。

 曰く、ここ連日は周辺諸国との折衝やら、地方領主らを相手にした饗応やらで大変なご様子、と。

 曰く、こういうときにこそ夫婦は支えあうもの。夫婦円満の秘訣は思いやりである、と。

 ……ララタは「暗にどこかへ連れ出して休憩させてやれってこと?」と思った。一方でアルフレッドのスケジュール管理はどうなってるんだ、と思った。

 だれが担当しているかまでは知らないが、ギチギチのスケジュールにしたせいでアルフレッドがお疲れなのは、そいつの落ち度になるんじゃないのか――。

 しかし勝手に考えることはいくらでもできるが実情はわからないわけで。もしかしたらどうしても都合が合わずにギチギチのスケジュールになってしまったのかもしれない、とララタは思い直すことにした。

 だがどちらにせよ、ララタにお鉢が回ってきたという事実は覆しようもない。

 アンブローズ翁は暗に「お試し」にしろ妃としての仕事をしろと言っているようだ。

 ララタは別に「妃」じゃなくて「魔女様」であってもできる仕事なのにな、などと考えたが、結局口にはしなかった。

 そういった暗闘を経て、ララタはアルフレッドの息抜きに手を貸すことにしたのだった。

 まあ、接待みたいなものである。普段はアルフレッドとは気安い関係で、ひととして最低限の気づかいくらいはするが、過剰にはしない。

 ララタとアルフレッドを表すもっとも適切な表現は、「親友」かもしれない。互いに恋愛感情を抱いているという決定的な点はあるが、ふたりは「恋人」ではないから、そうなる。それはララタ自身もよく理解していた。

 アンブローズ翁の計らいか、その日の午後はフリーになったアルフレッドの元を一番に訪れて、ララタは彼を連れ出すことに成功した。向かう先はララタの家である。

 息抜きの方法を色々と考えはしたが、結局ララタの家がひと目もなくて落ち着くだろうという結論に至った。王宮のようにだれにも誇れるご立派な家ではなかったが、アルフレッドがここを気に入っているというのは、だれの目にも明らかだったというのもある。

 馬かドラゴンでの遠乗りなんかはどうだろうと考えたが、結局ひと目につく可能性はあるわけだし、ララタの家というのは考え得る最適解に思えた。

 ララタの家ではもちろんいつも通りハーブティーを淹れてやって、しばらくなにもしないとか、おしゃべりをする、などといった選択肢もある。

 しかしララタはそれを選ばなかった。

 ここのところの暑さにうんざりしていたので、巨大な水の球を家の――狭い――庭に作ったのである。

「え? なにこれ?」
「水の球」
「そこまでは見ればわかるけれど……どうしたの?」

 アルフレッドほどの身の丈をもすっぽりと覆える巨大な水の球は、もちろんララタの魔法で作ったものだ。初歩的な魔法の応用で、単純にそれを巨大化させたにすぎない。

 しかしもちろんこの水の球を維持するには魔力を使う。今だってララタの体からは絶えず魔力が流出し続けている。

 普段のララタであれば、「暑いから」という理由だけでこんなものを作りはしない。今回だけは特別だ。アルフレッドが楽しめるかなと考えて、ララタは巨大な水の球を作り上げたのである。

 前準備として大量の魔力増強ポーションを作り、飲んでいる。そういうわけでいつもより魔力の総量には余裕がある。

 だから心配しなくてもいい――というようなことをララタはアルフレッドに説明した。

「え? でも今でも魔力を使い続けてるってことだよね? 大丈夫なの? 疲れない?」
「疲れてるのはアルでしょ」
「まあ精神的に色々と疲れてはいるけれど……」
「じゃあ、今日は遊ぼう。せっかく予定がないんだし」
「遊ぶって、どうやって?」

 アルフレッドは巨大な水の球を見て、そう問うた。

 ララタはそこでアルフレッドには水中を泳いで遊ぶ、というような発想がないのだということに気づいた。

 たしかに貴族であれば避暑目的のバケーションというのは珍しくはないが、海水浴を目的としたそれは、こちらの世界では聞いたことがない。もっとも、庶民の場合はまた勝手が違うのだろうが……。

 ララタは「はい」と言ってアルフレッドに手製の水着を差し出した。

「これ、なに?」
「水着。泳ぐときに着る服……で、いいのかな? うん。丹精込めて作ったから、着てね」
「泳ぐ? ……水の球の中を?」

 ようやく合点がいったらしいアルフレッドは、目をぱちくりとさせて、水の球、ララタの顔、そして水着の三箇所へ視線を泳がせる。合点はいったが、具体的な想像がまだ追いついていない感じだった。

「ほらほら、そこの陰で着替えなよ」
「泳ぐ……」
「アルって泳いだことある?」
「ない」
「やっぱり? でもまあ水の球の中は普通に呼吸もできるように作ってるから溺れないよ」
「うーん……」

 まだピンときていないらしいが、ゴネるのもナンだと思ったのか、アルフレッドは大人しく水着に着替えた。ララタの目の届かない家の陰で。

 そしてララタは現れた水着姿のアルフレッドを見て、ちょっとこれは目の毒だと思った。

 アルフレッドの体はよく引きしまっていて、見苦しくない。病床に伏していたころのか弱く繊細な美少年の面影を残しつつ、確実に「男」を感じさせる体つきに変身していた。

 そういうアルフレッドとの性の違いを、「男」の部分を不意に目にしてしまって、ララタの心臓はドッキドキだ。パンツ一丁な水着ではなく、もっと体を覆う服のようなタイプの水着の方がよかったかなとまで考え始める。

 だがひとり恥ずかしがるのも変な感じだったのと、素直じゃない性格ゆえに、ララタはなんでもない風を装ってアルフレッドの背中を水の球へと押して行く。

 アルフレッドがそっと水の球に触れた。指がとぷんと水に沈む。

「あ、そんなに冷たくないんだ」
「冷たすぎるのもどうかと思ってね」
「これってあの魔法書を参考にしたの?」
「あの?」
「ほら、前に僕が王宮図書館で開いちゃったやつ……」
「ああ、あれね。そう。あの中って呼吸ができたでしょ? ちょうどいいと思ってね。色は違うけど」

 あのとき王宮図書館に現れた呼吸のできる海は彩度の低いイエローだった。しかしララタとアルフレッドの目の前にある水の球は美しく透き通っている。これはララタが魔法式に手を入れたからだった。

「はい、入ってみて? ちゃんと水中で浮くようにできてるから」
「うーん。まあ、悩んでいても仕方ないか……」
「なにを悩んでるの? ちゃんと呼吸できるってば。実験したし」
「いや、泳げないから……」
「力を抜いて浮けばいいのよ!」

 ララタがぽんとアルフレッドの背中を押せば、彼は恐る恐るといった調子で水の球に右腕を沈める。浮力を確認したらしいアルフレッドは、次に右脚を突っ込んだ。そうしてから、思い切って頭を突っ込んだ。

 水の球の中で、アルフレッドの金の髪がふわりと広がる。ぶくぶくと泡が口や鼻から出て行く。呼吸はちゃんとできているらしい。

 アルフレッドはぐいっと右腕で反動をつけて全身を水の球の中へと入れる。ちらりとララタを振り返ったが、このままでは会話ができない。アルフレッドは水の球の上部へと如才なく泳いで、水中から頭を出した。

「なんだ、泳げるんじゃん」
「泳げてた……ってことでいいのかなあ」
「今はそれでじゅうぶんでしょ。で、どう?」
「思ったより気持ちいいよ。最近、暑いのが続いてたし。あと……楽しい」
「それはよかった」

 アルフレッドのきらめかしい目を見れば、その言葉にウソがないことはすぐにわかる。

「この魔法、あとで教えてよ。王宮でも作ってみたいんだ」
「結構魔力を消費するから前準備が必要だけど……まあ、わかった。あとで勉強会しよう。――じゃ、わたしも泳ごうかな」
「え? ララタも? あ、いや……嫌だとかじゃなくて」
「わかってるって。ちゃんと水着用意したんだから、泳ぐよ? ひとの目なんてないし、いいでしょ?」
「水着……」

 このときのララタはアルフレッドがなにを懸念としているのか、真の意味では理解していなかった。

 なぜならララタの世界にも「慎み」という言葉はあるが、プールや海で女性が肌を露出させることは当たり前で、抵抗感など一切なかったからだ。

「ララタ……それは……目に毒だよ……」

 なのでいわゆるビキニタイプの水着を着て登場したララタを見て、アルフレッドは珍しく顔を赤くさせた。

 別にララタはアルフレッドを悩殺させようと思ってビキニタイプの水着を選んだのではない。ひとえに裁縫の時間が短くて済むし、布もそんなに消費しない――その程度の理由でビキニタイプの水着を手縫いで作ったのであった。

 そういうわけだから、別にララタは肌を露出させるのが恥ずかしいことだとは微塵も思っていない。

 思っていないのだが、アルフレッドが恥ずかしがっている様を見ると、なんだか自分が露出狂にでもなったかのような気分になる。端的に言って、恥ずかしくなってきたのだ。

 けれどもララタは素直じゃないので、ここで折れるのもシャクだと考えてしまう。

「わたしの世界ではこれが普通だったの! 露出狂とかじゃないから!」
「わかってるけど……でも、うん……こういうのはふたりきりで楽しむものだね……」

 アルフレッドの価値観に照らし合わせるとそうなるのか、とララタは一時的に感じていた恥ずかしさよりも、感心するのが先にくる。

 この世界ではプールなんかは作れないだろうなあと思いつつ、ララタはアルフレッドがいる水の球の中へとなんなく入る。

 アルフレッドはといえば、ララタの方を見ないのに必死だ。それでも真面目なアルフレッドはララタの方を見ずにしゃべるなんてことはできないわけで……。

 ……しばらくのあいだ、寝ても覚めてもアルフレッドの脳裏にララタの水着姿が焼きついて離れなかったのは、むべなるかな。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

聖女を騙った少女は、二度目の生を自由に生きる

夕立悠理
恋愛
 ある日、聖女として異世界に召喚された美香。その国は、魔物と戦っているらしく、兵士たちを励まして欲しいと頼まれた。しかし、徐々に戦況もよくなってきたところで、魔法の力をもった本物の『聖女』様が現れてしまい、美香は、聖女を騙った罪で、処刑される。  しかし、ギロチンの刃が落とされた瞬間、時間が巻き戻り、美香が召喚された時に戻り、美香は二度目の生を得る。美香は今度は魔物の元へ行き、自由に生きることにすると、かつては敵だったはずの魔王に溺愛される。  しかし、なぜか、美香を見捨てたはずの護衛も執着してきて――。 ※小説家になろう様にも投稿しています ※感想をいただけると、とても嬉しいです ※著作権は放棄してません

【完結】身を引いたつもりが逆効果でした

風見ゆうみ
恋愛
6年前に別れの言葉もなく、あたしの前から姿を消した彼と再会したのは、王子の婚約パレードの時だった。 一緒に遊んでいた頃には知らなかったけれど、彼は実は王子だったらしい。しかもあたしの親友と彼の弟も幼い頃に将来の約束をしていたようで・・・・・。 平民と王族ではつりあわない、そう思い、身を引こうとしたのだけど、なぜか逃してくれません! というか、婚約者にされそうです!

婚約者が他の女性に興味がある様なので旅に出たら彼が豹変しました

Karamimi
恋愛
9歳の時お互いの両親が仲良しという理由から、幼馴染で同じ年の侯爵令息、オスカーと婚約した伯爵令嬢のアメリア。容姿端麗、強くて優しいオスカーが大好きなアメリアは、この婚約を心から喜んだ。 順風満帆に見えた2人だったが、婚約から5年後、貴族学院に入学してから状況は少しずつ変化する。元々容姿端麗、騎士団でも一目置かれ勉学にも優れたオスカーを他の令嬢たちが放っておく訳もなく、毎日たくさんの令嬢に囲まれるオスカー。 特に最近は、侯爵令嬢のミアと一緒に居る事も多くなった。自分より身分が高く美しいミアと幸せそうに微笑むオスカーの姿を見たアメリアは、ある決意をする。 そんなアメリアに対し、オスカーは… とても残念なヒーローと、行動派だが周りに流されやすいヒロインのお話です。

料理スキルで完璧な料理が作れるようになったから、異世界を満喫します

黒木 楓
恋愛
 隣の部屋の住人というだけで、女子高生2人が行った異世界転移の儀式に私、アカネは巻き込まれてしまう。  どうやら儀式は成功したみたいで、女子高生2人は聖女や賢者といったスキルを手に入れたらしい。  巻き込まれた私のスキルは「料理」スキルだけど、それは手順を省略して完璧な料理が作れる凄いスキルだった。  転生者で1人だけ立場が悪かった私は、こき使われることを恐れてスキルの力を隠しながら過ごしていた。  そうしていたら「お前は不要だ」と言われて城から追い出されたけど――こうなったらもう、異世界を満喫するしかないでしょう。

やり直すなら、貴方とは結婚しません

わらびもち
恋愛
「君となんて結婚しなければよかったよ」 「は…………?」  夫からの辛辣な言葉に、私は一瞬息をするのも忘れてしまった。

行き遅れにされた女騎士団長はやんごとなきお方に愛される

めもぐあい
恋愛
「ババアは、早く辞めたらいいのにな。辞めれる要素がないから無理か? ギャハハ」  ーーおーい。しっかり本人に聞こえてますからねー。今度の遠征の時、覚えてろよ!!  テレーズ・リヴィエ、31歳。騎士団の第4師団長で、テイム担当の魔物の騎士。 『テレーズを陰日向になって守る会』なる組織を、他の師団長達が作っていたらしく、お陰で恋愛経験0。  新人訓練に潜入していた、王弟のマクシムに外堀を埋められ、いつの間にか女性騎士団の団長に祭り上げられ、マクシムとは公認の仲に。  アラサー女騎士が、いつの間にかやんごとなきお方に愛されている話。

氷のメイドが辞職を伝えたらご主人様が何度も一緒にお出かけするようになりました

まさかの
恋愛
「結婚しようかと思います」 あまり表情に出ない氷のメイドとして噂されるサラサの一言が家族団欒としていた空気をぶち壊した。 ただそれは田舎に戻って結婚相手を探すというだけのことだった。 それに安心した伯爵の奥様が伯爵家の一人息子のオックスが成人するまでの一年間は残ってほしいという頼みを受け、いつものようにオックスのお世話をするサラサ。 するとどうしてかオックスは真面目に勉強を始め、社会勉強と評してサラサと一緒に何度もお出かけをするようになった。 好みの宝石を聞かれたり、ドレスを着せられたり、さらには何度も自分の好きな料理を食べさせてもらったりしながらも、あくまでも社会勉強と言い続けるオックス。 二人の甘酸っぱい日々と夫婦になるまでの物語。

「白い結婚最高!」と喜んでいたのに、花の香りを纏った美形旦那様がなぜか私を溺愛してくる【完結】

清澄 セイ
恋愛
フィリア・マグシフォンは子爵令嬢らしからぬのんびりやの自由人。自然の中でぐうたらすることと、美味しいものを食べることが大好きな恋を知らないお子様。 そんな彼女も18歳となり、強烈な母親に婚約相手を選べと毎日のようにせっつかれるが、選び方など分からない。 「どちらにしようかな、天の神様の言う通り。はい、決めた!」 こんな具合に決めた相手が、なんと偶然にもフィリアより先に結婚の申し込みをしてきたのだ。相手は王都から遠く離れた場所に膨大な領地を有する辺境伯の一人息子で、顔を合わせる前からフィリアに「これは白い結婚だ」と失礼な手紙を送りつけてくる癖者。 けれど、彼女にとってはこの上ない条件の相手だった。 「白い結婚?王都から離れた田舎?全部全部、最高だわ!」 夫となるオズベルトにはある秘密があり、それゆえ女性不信で態度も酷い。しかも彼は「結婚相手はサイコロで適当に決めただけ」と、面と向かってフィリアに言い放つが。 「まぁ、偶然!私も、そんな感じで選びました!」 彼女には、まったく通用しなかった。 「なぁ、フィリア。僕は君をもっと知りたいと……」 「好きなお肉の種類ですか?やっぱり牛でしょうか!」 「い、いや。そうではなく……」 呆気なくフィリアに初恋(?)をしてしまった拗らせ男は、鈍感な妻に不器用ながらも愛を伝えるが、彼女はそんなことは夢にも思わず。 ──旦那様が真実の愛を見つけたらさくっと離婚すればいい。それまでは田舎ライフをエンジョイするのよ! と、呑気に蟻の巣をつついて暮らしているのだった。 ※他サイトにも掲載中。

処理中です...