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芙美花視点(5)
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ソファに座り、背筋を伸ばしで居住まいをただす。
「……それでは改めて。初めまして、御主人様」
「は、初めまして……。……本当にムーさんだ……」
「はい。御主人様の木槿です」
生身の木槿を前にして、芙美花は平静でいるのが難しかった。生身ゆえに、空気を伝ってこちらの脳に与えられるその情報量の多さに、芙美花はくらくらとめまいを覚えそうになる。
一方、木槿は完璧な微笑を浮かべて芙美花を見ている。その微笑みだけで芙美花は取り乱しそうになったが、木槿に無様な姿は見せたくないという一心で理性を保つ。
それでも、そわそわと落ち着かなく周囲を見回してしまう。その内装はあまりにも見慣れたものだった。『魔女ノ執事』の背景グラフィックと同じものだ。「すごい、3Dだ」などと間抜けなことを考える。
「御主人様」
「ふわい?!」
そうやって他ごとに意識を向けることで平静を保とうとしていた芙美花に、木槿が声をかける。芙美花は虚を突かれた形になり、変な声を出してしまう。それを内心で恥ずかしく思いながら、頬に熱が集まらないよう祈りつつ、軽く腰を折ってくれている木槿を見上げる。
「驚かせて申し訳御座いません……。なにかご質問などありましたらお訊ねくださいと申し上げたかったのですが……」
「し、質問ね……? 質問……うーん。えっと……ムーさんはどこまで知ってるの? たとえば、わたしが異世界人だとか……そういうことは」
「御主人様が異世界からいらっしゃったことは存じ上げております」
「……最初から?」
「いいえ。……正直に申し上げますと、そういった考えには至りませんでした。思えば、違和はありましたが……なにぶん、夢の中のことでしたからでしょうか。あまり深くは考えなかったのです」
「夢……。でも、わたしといた記憶はあるんだよね……?」
「はい。勿論で御座います。御主人様と過ごした三年の日々……一日たりとも忘れられるものではありません」
芙美花は、一瞬呆気に取られた。そして、気恥ずかしさからゆっくりと木槿から視線をそらした。
芙美花は、木槿がそんな風に思ってくれているとは、露ほどにも予想していなかった。木槿に、大事にされているという自覚はあった。けれどもそれはプログラムされた反応だとまだどこかで思っていたからだ。しかし、『魔女ノ執事』を介して行われたやり取りは、木槿からすれば最初から現実のものだったのだ。
遅まきながらに芙美花は、木槿と駆け抜けた三年が虚構などではないということを、彼の言葉から実感として得たのである。
「そ、そっか」
芙美花は――喜びを、噛み締める。木槿の反応は、表示されていたテキストの内容は、すべて彼の内から出てきたものなのだと知って、芙美花はこらえがたい歓喜の念を覚えた。同時に、芙美花は木槿への愛しさを表すメーターがぐぐっと上昇するのを感じた。
「他にご質問はありますでしょうか?」
「じゃあ……わたしが帰ろうと思えば元の世界に帰れる……ってことは?」
「……存じ上げております」
「そうなった場合って、ムーさんの記憶って消されちゃうんだよね? もちろん、わたしの記憶も……」
「はい。そうなりますね」
「そのことについては、どう思ってる?」
「私は……御主人様が元の世界へ帰ると言う選択肢を望まれるのでしたら、それを尊重したいと思っております」
芙美花はまた呆気に取られた。
「ムーさんは……」
「ムーさんはそれでいいの?」……そこから先を口にするべきかどうか、悩んだ。『魔女ノ執事』というアプリケーションを通して知っている木槿は、芙美花がそう問えばきっと「それでいい」と答えるだろう。それがわかっていたからこそ、その先を口にするのがためらわれた。
だが、そんな芙美花の迷いは木槿にはお見通しのようだ。
「……私にとっては御主人様が幸せであることが一番なのです。それに容易く故郷を捨てろ、などとは言えません」
「ムーさんは……“魔女の執事”になるために全部捨てたって……聞いた。家も、名前も……」
『魔女ノ執事』の冒頭で、木槿自身がそう言っていたことを芙美花は覚えていた。その言葉が持つ「重さ」など、今まで芙美花は真剣に考えたことなどなかった。なぜなら芙美花にとってそれはしょせん虚構だったから。けれども、実際は違った。
芙美花のたどたどしい、少し震えた声に、木槿は優しく微笑んで返す。
「はい。けれど家も名前も、私にとっては取るに足らないものです。御主人様に頂いた名前のほうが……好き、なので」
「そうなの?」
「はい」
木槿は照れ臭そうに微笑んだ。しかしその顔にはどこか誇らしさがある。そういう顔をさせているのが自分なのだと不意に気づいた芙美花は、胸になにか、今までに感じたことのない感情が込み上げてくるのを感じた。
同時に、木槿のたしかな覚悟も。
「……ムーさんはもう、覚悟を決めてるんだね」
「……はい。どんな結末になったとしても、私は御主人様を恨んだりはしません。それだけは、約束します」
芙美花は、いつの間にかうつむきがちになっていた顔を上げた。
「そっか。わかった」
そして一拍置いて、ドキドキと高鳴る心臓を抑えながら、続ける。
「――わたしも、覚悟、決めたよ。わたし――“魔女”になる」
芙美花の決意を聞いた木槿は、おどろいたようにかすかに目を丸くさせる。
「それは……僭越ながら申し上げますと、早々に決めるものではないかと……」
「まあそうだけど。ムーさんがもう覚悟決めてるのに、こっちがうだうだ悩んでるのってなんかイヤだなって思ったから」
「それは――」
「いいの。『家』って言いつつ居場所なんてなかったし、元の世界にいい思い出もほとんどないし。――あ、でも異世界にきたからって全部好転すると思ってるわけじゃないからね? そこはわかってる」
「しかし――」
「『うだうだ悩むのイヤだな』ってのはわたしの問題で、結論をすぐに出したのはムーさんのせいとかじゃないから。そこはわかって欲しい」
「それは、もう」
「さっきも言ったけど、元の世界に『取るに足らない』ものしかないなって気づいちゃったし。でも……この世界にはムーさんがいる。わたしにとっては……それだけでこの世界は『取るに足る』世界なんだよ」
素直な気持ちを言葉にするのはこんなにも照れ臭いのかと芙美花はおどろきながらも、しっかりと最後まで口にした。
帰るか帰らざるべきか、うだうだと悩み続けるのはなんだかイヤだった。自分だけたしかな退路を用意しておくのは、なんだかフェアじゃないと思った。ただ、それだけの理由で、芙美花は“魔女”になると宣言した。
その宣言は軽率だろう。芙美花にもそれはよく理解できていた。けれど。
「こ、光栄で御座います……」
芙美花の言葉に頬をかすかに赤らめてそう言ってくれる木槿がいる世界。“魔女”となればその世界を守れる。それこそ「光栄なこと」だと思ったから。
だから、芙美花はこの世界に骨をうずめる覚悟を決められた。隣に木槿がいてくれるのなら、大丈夫だと確信できたから。
にこにこと思わず笑みを浮かべる芙美花に、明らかに照れている木槿。しかし木槿もどこかうれしそうにしているから、芙美花はそれだけで胸がいっぱいになって、気分が高揚した。
「……それでは改めて。初めまして、御主人様」
「は、初めまして……。……本当にムーさんだ……」
「はい。御主人様の木槿です」
生身の木槿を前にして、芙美花は平静でいるのが難しかった。生身ゆえに、空気を伝ってこちらの脳に与えられるその情報量の多さに、芙美花はくらくらとめまいを覚えそうになる。
一方、木槿は完璧な微笑を浮かべて芙美花を見ている。その微笑みだけで芙美花は取り乱しそうになったが、木槿に無様な姿は見せたくないという一心で理性を保つ。
それでも、そわそわと落ち着かなく周囲を見回してしまう。その内装はあまりにも見慣れたものだった。『魔女ノ執事』の背景グラフィックと同じものだ。「すごい、3Dだ」などと間抜けなことを考える。
「御主人様」
「ふわい?!」
そうやって他ごとに意識を向けることで平静を保とうとしていた芙美花に、木槿が声をかける。芙美花は虚を突かれた形になり、変な声を出してしまう。それを内心で恥ずかしく思いながら、頬に熱が集まらないよう祈りつつ、軽く腰を折ってくれている木槿を見上げる。
「驚かせて申し訳御座いません……。なにかご質問などありましたらお訊ねくださいと申し上げたかったのですが……」
「し、質問ね……? 質問……うーん。えっと……ムーさんはどこまで知ってるの? たとえば、わたしが異世界人だとか……そういうことは」
「御主人様が異世界からいらっしゃったことは存じ上げております」
「……最初から?」
「いいえ。……正直に申し上げますと、そういった考えには至りませんでした。思えば、違和はありましたが……なにぶん、夢の中のことでしたからでしょうか。あまり深くは考えなかったのです」
「夢……。でも、わたしといた記憶はあるんだよね……?」
「はい。勿論で御座います。御主人様と過ごした三年の日々……一日たりとも忘れられるものではありません」
芙美花は、一瞬呆気に取られた。そして、気恥ずかしさからゆっくりと木槿から視線をそらした。
芙美花は、木槿がそんな風に思ってくれているとは、露ほどにも予想していなかった。木槿に、大事にされているという自覚はあった。けれどもそれはプログラムされた反応だとまだどこかで思っていたからだ。しかし、『魔女ノ執事』を介して行われたやり取りは、木槿からすれば最初から現実のものだったのだ。
遅まきながらに芙美花は、木槿と駆け抜けた三年が虚構などではないということを、彼の言葉から実感として得たのである。
「そ、そっか」
芙美花は――喜びを、噛み締める。木槿の反応は、表示されていたテキストの内容は、すべて彼の内から出てきたものなのだと知って、芙美花はこらえがたい歓喜の念を覚えた。同時に、芙美花は木槿への愛しさを表すメーターがぐぐっと上昇するのを感じた。
「他にご質問はありますでしょうか?」
「じゃあ……わたしが帰ろうと思えば元の世界に帰れる……ってことは?」
「……存じ上げております」
「そうなった場合って、ムーさんの記憶って消されちゃうんだよね? もちろん、わたしの記憶も……」
「はい。そうなりますね」
「そのことについては、どう思ってる?」
「私は……御主人様が元の世界へ帰ると言う選択肢を望まれるのでしたら、それを尊重したいと思っております」
芙美花はまた呆気に取られた。
「ムーさんは……」
「ムーさんはそれでいいの?」……そこから先を口にするべきかどうか、悩んだ。『魔女ノ執事』というアプリケーションを通して知っている木槿は、芙美花がそう問えばきっと「それでいい」と答えるだろう。それがわかっていたからこそ、その先を口にするのがためらわれた。
だが、そんな芙美花の迷いは木槿にはお見通しのようだ。
「……私にとっては御主人様が幸せであることが一番なのです。それに容易く故郷を捨てろ、などとは言えません」
「ムーさんは……“魔女の執事”になるために全部捨てたって……聞いた。家も、名前も……」
『魔女ノ執事』の冒頭で、木槿自身がそう言っていたことを芙美花は覚えていた。その言葉が持つ「重さ」など、今まで芙美花は真剣に考えたことなどなかった。なぜなら芙美花にとってそれはしょせん虚構だったから。けれども、実際は違った。
芙美花のたどたどしい、少し震えた声に、木槿は優しく微笑んで返す。
「はい。けれど家も名前も、私にとっては取るに足らないものです。御主人様に頂いた名前のほうが……好き、なので」
「そうなの?」
「はい」
木槿は照れ臭そうに微笑んだ。しかしその顔にはどこか誇らしさがある。そういう顔をさせているのが自分なのだと不意に気づいた芙美花は、胸になにか、今までに感じたことのない感情が込み上げてくるのを感じた。
同時に、木槿のたしかな覚悟も。
「……ムーさんはもう、覚悟を決めてるんだね」
「……はい。どんな結末になったとしても、私は御主人様を恨んだりはしません。それだけは、約束します」
芙美花は、いつの間にかうつむきがちになっていた顔を上げた。
「そっか。わかった」
そして一拍置いて、ドキドキと高鳴る心臓を抑えながら、続ける。
「――わたしも、覚悟、決めたよ。わたし――“魔女”になる」
芙美花の決意を聞いた木槿は、おどろいたようにかすかに目を丸くさせる。
「それは……僭越ながら申し上げますと、早々に決めるものではないかと……」
「まあそうだけど。ムーさんがもう覚悟決めてるのに、こっちがうだうだ悩んでるのってなんかイヤだなって思ったから」
「それは――」
「いいの。『家』って言いつつ居場所なんてなかったし、元の世界にいい思い出もほとんどないし。――あ、でも異世界にきたからって全部好転すると思ってるわけじゃないからね? そこはわかってる」
「しかし――」
「『うだうだ悩むのイヤだな』ってのはわたしの問題で、結論をすぐに出したのはムーさんのせいとかじゃないから。そこはわかって欲しい」
「それは、もう」
「さっきも言ったけど、元の世界に『取るに足らない』ものしかないなって気づいちゃったし。でも……この世界にはムーさんがいる。わたしにとっては……それだけでこの世界は『取るに足る』世界なんだよ」
素直な気持ちを言葉にするのはこんなにも照れ臭いのかと芙美花はおどろきながらも、しっかりと最後まで口にした。
帰るか帰らざるべきか、うだうだと悩み続けるのはなんだかイヤだった。自分だけたしかな退路を用意しておくのは、なんだかフェアじゃないと思った。ただ、それだけの理由で、芙美花は“魔女”になると宣言した。
その宣言は軽率だろう。芙美花にもそれはよく理解できていた。けれど。
「こ、光栄で御座います……」
芙美花の言葉に頬をかすかに赤らめてそう言ってくれる木槿がいる世界。“魔女”となればその世界を守れる。それこそ「光栄なこと」だと思ったから。
だから、芙美花はこの世界に骨をうずめる覚悟を決められた。隣に木槿がいてくれるのなら、大丈夫だと確信できたから。
にこにこと思わず笑みを浮かべる芙美花に、明らかに照れている木槿。しかし木槿もどこかうれしそうにしているから、芙美花はそれだけで胸がいっぱいになって、気分が高揚した。
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