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芙美花視点(3)
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「三年……か」
『魔女ノ執事』のお知らせのタイトルを見て、芙美花はそうつぶやいていた。三年。それは芙美花にとっては長いようで短い日々だった。光陰矢の如し。そんな言葉が脳裏をよぎる。
そんなことを考えながら、芙美花は「『魔女ノ執事』3rd Anniversary」のタイトルをタップした。それが己の運命を変える行いなどとは、微塵も考えずに。
それはそうだろう。だれも「三周年のお知らせのタイトルをタップしたら異世界に行くことになった」などという未来は想像できるわけがない。真剣にその可能性について検討するのは、よほど疲れた人間か、狂人かだ。そして芙美花はそのどちらでもなかったので、己の身に降りかかった出来事に、ただただ呆気に取られることしかできなかった。
「おめでとう。あんたは“新米魔女”に選ばれた」
そう言ったのは黒いマーメイドドレスに、これまた黒いつば広帽をかぶり、オペラグローブを身に着けた、ゴシックな装いの貴婦人だった。
加えていつの間にか、芙美花は謎の空間にきていた。モノクロで構成された世界。さまざまな幾何学模様が縦横無尽に空間を走り、さながらエッシャーのトリックアートのような光景が広がっている。
「は、はい?」
芙美花は視線をさまよわせたあと、改めて貴婦人を見た。垂れ目で右の目元に泣きぼくろがあるのが妙に色っぽい、三〇代前半ほどに見える女性に――芙美花は見覚えがあった。
「――い、“偉大なる魔女”……?」
見覚えがあったと言っても、それは現実世界での話ではない。スマートフォン越しの、イラストレーションとして芙美花は貴婦人を見たことがあった。『魔女ノ執事』でプレイヤーである“新米魔女”を導く存在――“偉大なる魔女”。彼女は、そう呼ばれていた。
貴婦人は悪戯っぽくニヤッと笑ったかと思うと、おもむろになにもない空間から優美なデザインの煙管を取り出した。タバコでも吸うのかと思いきや、煙管の先を芙美花に向けて、
「せいかーい」
と、婀娜っぽい声で言う。
芙美花は、夢だと思って己の頬を触ってみた。感触に違和はない。木槿のためと近頃気合を入れて手入れをしている自慢の肌は、つるつるすべすべもちもちであった。
鮮明な感触があっても、それでも芙美花は夢だと思った。これまでに『魔女ノ執事』に関する夢を見たことはある。たいていとりとめがなく、すでにそのぼんやりとした輪郭しか覚えていないような、そんなものばかりだが、夢を見たことがあるという記憶はあった。
ぼけっと間抜けヅラで貴婦人――もとい、“偉大なる魔女”を見る芙美花。そんな芙美花を見て、“偉大なる魔女”は喉で低く笑った。
しかしそうやって笑ったあと、ひどく真面目な顔をして芙美花を見下ろす。“偉大なる魔女”はスーパーモデルさながらの長い脚と高身長を誇っていたので、芙美花よりずっと背が高く、比例して顔の位置も高い。
芙美花が恐る恐るといった様子で“偉大なる魔女”を見上げると、“偉大なる魔女”はつらつらと話し始めるのであった。
「単刀直入に言う。あんたには、異世界で“魔女”となれる資格がある」
そこから始まった“偉大なる魔女”の話は、芙美花にはとうてい信じられない荒唐無稽な話に聞こえた。
曰く、“偉大なる魔女”のいる世界は異世界からの“魔女”の存在によって魔力的均衡が保たれている。
曰く、“偉大なる魔女”は芙美花のいる世界から異世界に転生した存在である。
曰く、『魔女ノ執事』は前世ゲームプログラマーだった“偉大なる魔女”が作成した、芙美花のいる世界で“魔女”の適正者を探し出すためのアプリケーションである。
曰く、芙美花には異世界の“魔女”となる資格があり、“魔女”となることを選べば異世界へ行くことになる……。
どれもこれも、信じがたい内容だった。
しかし、現に芙美花は不可思議な空間に立っている。芙美花の視界のすみで、錯視めいた市松模様のイラストレーションがうごめいている。なにか知らないあいだに薬でも盛られて、トリップをキメたとでも思いたくなるような光景だった。
頭を抱えたい気分に襲われる芙美花を尻目に、“偉大なる魔女”はタバコを吹かす。
「なんだい? “魔女”になることを了承すれば、『執事』に会えるんだよ?」
「『執事』……。え、ムーさんのこと?! ……ですか」
「別に無理して丁寧なしゃべりかたをしなくっても、怒りゃあしないよ。――そうさ。あんたが名づけた『執事』は現実の存在なんだよ。当然、あんたと過ごした三年分の記憶を持って、あんたが異世界にくるのを今か今かと待っている。……そんな『執事』の期待を裏切るのかい?」
「それは……」
「ズルい言い方は百も承知。こっちは手段を選んでいられるほどヒマじゃあないんだよ」
“偉大なる魔女”の妖艶な唇から、紫煙が立ちのぼる。
「ひとまず、お試しとして異世界にきてみないかい? 生身の『執事』と会ってみたくはないかい? もちろん、お試しだから元の世界に帰りたくなったならきちんと帰すよ。異世界転生者として、故郷を突然捨てるツラさはわかってるつもりさ。だけど“魔女”にならないと決めたなら、あんたの記憶は消させてもらう。もちろん、『執事』の記憶もね」
芙美花にとって、“偉大なる魔女”のそれは乗ってはいけない甘言に聞こえたが、心が揺れ動いたのも事実。芙美花からすると、今いる世界に固執する理由は皆無に等しかった。芙美花に無関心な両親、芙美花に理解を示すことのない、冷徹な世間。けれど異世界には――
「木槿……だっけ? あの子はあんたに会いたがっているよ」
……木槿が、いる。芙美花が名づけ、濃密な三年を共に過ごしたパートナーとも言うべき存在が、異世界の地に、現実に、存在している。
「あんたは、どうだい? 会いたいんじゃないのかい?」
“偉大なる魔女”のその言葉が、決定打となった。
『魔女ノ執事』のお知らせのタイトルを見て、芙美花はそうつぶやいていた。三年。それは芙美花にとっては長いようで短い日々だった。光陰矢の如し。そんな言葉が脳裏をよぎる。
そんなことを考えながら、芙美花は「『魔女ノ執事』3rd Anniversary」のタイトルをタップした。それが己の運命を変える行いなどとは、微塵も考えずに。
それはそうだろう。だれも「三周年のお知らせのタイトルをタップしたら異世界に行くことになった」などという未来は想像できるわけがない。真剣にその可能性について検討するのは、よほど疲れた人間か、狂人かだ。そして芙美花はそのどちらでもなかったので、己の身に降りかかった出来事に、ただただ呆気に取られることしかできなかった。
「おめでとう。あんたは“新米魔女”に選ばれた」
そう言ったのは黒いマーメイドドレスに、これまた黒いつば広帽をかぶり、オペラグローブを身に着けた、ゴシックな装いの貴婦人だった。
加えていつの間にか、芙美花は謎の空間にきていた。モノクロで構成された世界。さまざまな幾何学模様が縦横無尽に空間を走り、さながらエッシャーのトリックアートのような光景が広がっている。
「は、はい?」
芙美花は視線をさまよわせたあと、改めて貴婦人を見た。垂れ目で右の目元に泣きぼくろがあるのが妙に色っぽい、三〇代前半ほどに見える女性に――芙美花は見覚えがあった。
「――い、“偉大なる魔女”……?」
見覚えがあったと言っても、それは現実世界での話ではない。スマートフォン越しの、イラストレーションとして芙美花は貴婦人を見たことがあった。『魔女ノ執事』でプレイヤーである“新米魔女”を導く存在――“偉大なる魔女”。彼女は、そう呼ばれていた。
貴婦人は悪戯っぽくニヤッと笑ったかと思うと、おもむろになにもない空間から優美なデザインの煙管を取り出した。タバコでも吸うのかと思いきや、煙管の先を芙美花に向けて、
「せいかーい」
と、婀娜っぽい声で言う。
芙美花は、夢だと思って己の頬を触ってみた。感触に違和はない。木槿のためと近頃気合を入れて手入れをしている自慢の肌は、つるつるすべすべもちもちであった。
鮮明な感触があっても、それでも芙美花は夢だと思った。これまでに『魔女ノ執事』に関する夢を見たことはある。たいていとりとめがなく、すでにそのぼんやりとした輪郭しか覚えていないような、そんなものばかりだが、夢を見たことがあるという記憶はあった。
ぼけっと間抜けヅラで貴婦人――もとい、“偉大なる魔女”を見る芙美花。そんな芙美花を見て、“偉大なる魔女”は喉で低く笑った。
しかしそうやって笑ったあと、ひどく真面目な顔をして芙美花を見下ろす。“偉大なる魔女”はスーパーモデルさながらの長い脚と高身長を誇っていたので、芙美花よりずっと背が高く、比例して顔の位置も高い。
芙美花が恐る恐るといった様子で“偉大なる魔女”を見上げると、“偉大なる魔女”はつらつらと話し始めるのであった。
「単刀直入に言う。あんたには、異世界で“魔女”となれる資格がある」
そこから始まった“偉大なる魔女”の話は、芙美花にはとうてい信じられない荒唐無稽な話に聞こえた。
曰く、“偉大なる魔女”のいる世界は異世界からの“魔女”の存在によって魔力的均衡が保たれている。
曰く、“偉大なる魔女”は芙美花のいる世界から異世界に転生した存在である。
曰く、『魔女ノ執事』は前世ゲームプログラマーだった“偉大なる魔女”が作成した、芙美花のいる世界で“魔女”の適正者を探し出すためのアプリケーションである。
曰く、芙美花には異世界の“魔女”となる資格があり、“魔女”となることを選べば異世界へ行くことになる……。
どれもこれも、信じがたい内容だった。
しかし、現に芙美花は不可思議な空間に立っている。芙美花の視界のすみで、錯視めいた市松模様のイラストレーションがうごめいている。なにか知らないあいだに薬でも盛られて、トリップをキメたとでも思いたくなるような光景だった。
頭を抱えたい気分に襲われる芙美花を尻目に、“偉大なる魔女”はタバコを吹かす。
「なんだい? “魔女”になることを了承すれば、『執事』に会えるんだよ?」
「『執事』……。え、ムーさんのこと?! ……ですか」
「別に無理して丁寧なしゃべりかたをしなくっても、怒りゃあしないよ。――そうさ。あんたが名づけた『執事』は現実の存在なんだよ。当然、あんたと過ごした三年分の記憶を持って、あんたが異世界にくるのを今か今かと待っている。……そんな『執事』の期待を裏切るのかい?」
「それは……」
「ズルい言い方は百も承知。こっちは手段を選んでいられるほどヒマじゃあないんだよ」
“偉大なる魔女”の妖艶な唇から、紫煙が立ちのぼる。
「ひとまず、お試しとして異世界にきてみないかい? 生身の『執事』と会ってみたくはないかい? もちろん、お試しだから元の世界に帰りたくなったならきちんと帰すよ。異世界転生者として、故郷を突然捨てるツラさはわかってるつもりさ。だけど“魔女”にならないと決めたなら、あんたの記憶は消させてもらう。もちろん、『執事』の記憶もね」
芙美花にとって、“偉大なる魔女”のそれは乗ってはいけない甘言に聞こえたが、心が揺れ動いたのも事実。芙美花からすると、今いる世界に固執する理由は皆無に等しかった。芙美花に無関心な両親、芙美花に理解を示すことのない、冷徹な世間。けれど異世界には――
「木槿……だっけ? あの子はあんたに会いたがっているよ」
……木槿が、いる。芙美花が名づけ、濃密な三年を共に過ごしたパートナーとも言うべき存在が、異世界の地に、現実に、存在している。
「あんたは、どうだい? 会いたいんじゃないのかい?」
“偉大なる魔女”のその言葉が、決定打となった。
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