リディア・リアの駒鳥

やなぎ怜

文字の大きさ
上 下
5 / 5

(5)

しおりを挟む
「申し訳ありませんでした」
「貴方が謝る必要なんてないわ。わたしが公衆の面前で――魔法を使ってしまったから」

 禁忌のすべ、魔法。民衆はただそれを恐れるのみで手を伸ばそうとはしない。王家によって、またその旗下に集う貴族――領主らによって、それらは厳しく禁じられているからだ。そんなものに手を出そうと考えるものはよほどの命知らずに違いなかった。

 しかし否やを是と変えられる魔法を、王家がただ封ずるのみで放置するはずもなかった。王家は裏で魔法の研究を命じ、またそれらを厳しく管理しているのが現実だ。

 そしてその研究と管理を王命によって司っているのが――リア家だった。

 かつて魔法はごく一部の人間が独占していた特権的な術だった。それを奪い、ついに玉座を手に入れたのが現在の王家である。しかしその忌まわしい虐殺の記憶は、ほとんど知られていない。

 魔法使いたちが魔法について記した書物を「魔書」と呼ぶのだが、これは普通の書物とは大いに違う。王家――当時は一介の貴族であった――の手に渡ることを良しとしなかった魔法使いたちの手によって、それらには「呪い」が施された。しかしそれも王家へとついた一部の魔法使いたちの手によってほとんどが解呪されてしまった。――それでも、まるで怨嗟の声のように呪いの残滓は残っており、ぬぐい難い瑕疵として明らかに存在するのである。

「コマドリを……放してあげられませんでしたね」

 あの同じ真っ赤に燃える炎のような胸をした小鳥。それに嫉妬しながらも、一番情が移ってしまっていたのは、ロビンだったのかもしれない。

「コマドリ?」

 しかしリディアはロビンの言葉に首をかしげた。

 魔書に残された魔法使いたちの断末魔、その残滓。それは魔法を記憶するたびに、他の記憶を忘れて行くという呪い。幸いなのは消えて行く記憶は本人があまり重要視していない、記憶に留めておく優先度の低いものであるということ。しかしそれは無論膨大な記憶があることを前提としてのもの。その前提がいつ崩れるのかは、だれにもわからなかった。

 魔書の「保管庫」として生涯を終えようとしているリディアの大伯母から、彼女がその役目を引き継いだのは偶然だった。大人たちはなにかしらの方法を持って「保管庫」を定めているのだろうが、その事情はリディアもロビンも知るところではない。

 偶然だとロビンが考えるのは、そうでなければリディアの両親たちはあれほど我が娘の身を嘆かなかっただろうし、ジョンという婚約者など見つくろってはこなかっただろうという憶測からである。

 リディアは二日だけ部屋にこもったあと、「保管庫」の役目を謹んで拝命するとはっきりと言いきった。もし、彼女がどうしても嫌だと泣いて頼んだのならば、きっとロビンは彼女を連れて逃げ出していただろう。けれども、そうはならなかった。

 一冊目の本を読み終えたあと、リディアは領民のことを思い出せなくなった。

 三冊目の本を読み終えたあと、リディアは知人たちのことを思い出せなくなった。

 六冊目の本を読み終えたあと、リディアは親戚たちのことを思い出せなくなった。

 一五冊目の本を読み終えたあと、リディアは家族の記憶を失い始めた……。

 リディアは怯えながらもそれを決して表には出しはしなかった。ロビンは記憶を増やしましょうと言った。魔書を読むことで記憶が消えて行くのなら、日常生活には不必要な、些細な出来事を記憶して行けばいいのだと考えたからだ。けれどもそれが上手く行っているのかは、だれにもわからない。

 でも、それでいいのかもしれないともロビンは思う。

 なにせロビンはリディアの唯一の従者だ。その身の回りを世話する唯一の使用人だ。明日、リディアがロビンのことを忘れていたとしても、すぐにまた思い出を作りなおすことができる。それは、一種の特権階級であることも同然ではないか。

 そう思うと、ロビンは暗い喜びを覚えずにはいられないのだ。……もちろん、表に出しはしないが。

 ――愛らしくさえずることはできないけれど、おそば置いてくださる限り、煉獄の炎をも恐れはしない。



「キャサリンお嬢様、こちらはどういたしましょう」
「なあに? ――コマドリ?」

 慌ただしく出立の準備をする屋敷の中で、キャサリンは籐で編まれた小さな鳥籠へと視線をやる。

「はい。いかがいたしましょう」
「貸して。放してあげるわ」

 どこか気の立った声とは裏腹に、繊細な手つきで鳥籠の扉を開ける。するとコマドリはそれを待っていたかのように、しっかりとした羽ばたきで、夕闇の迫る空へと吸い込まれていった。

「はあ……」

 無邪気に羽ばたいて行ったコマドリを見送り、キャサリンはため息をつく。

「どいつもこいつもこちらの気も知らないで、勝手なんだから」

 そう言ってもう一度、深いため息をついた。
しおりを挟む

この作品は感想を受け付けておりません。

あなたにおすすめの小説

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。

下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。 またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。 あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。 ご都合主義の多分ハッピーエンド? 小説家になろう様でも投稿しています。

夫の幼馴染が毎晩のように遊びにくる

ヘロディア
恋愛
数年前、主人公は結婚した。夫とは大学時代から知り合いで、五年ほど付き合った後に結婚を決めた。 正直結構ラブラブな方だと思っている。喧嘩の一つや二つはあるけれど、仲直りも早いし、お互いの嫌なところも受け入れられるくらいには愛しているつもりだ。 そう、あの女が私の前に立ちはだかるまでは…

英雄になった夫が妻子と帰還するそうです

白野佑奈
恋愛
初夜もなく戦場へ向かった夫。それから5年。 愛する彼の為に必死に留守を守ってきたけれど、戦場で『英雄』になった彼には、すでに妻子がいて、王命により離婚することに。 好きだからこそ王命に従うしかない。大人しく離縁して、実家の領地で暮らすことになったのに。 今、目の前にいる人は誰なのだろう? ヤンデレ激愛系ヒーローと、周囲に翻弄される流され系ヒロインです。 珍しくもちょっとだけ切ない系を目指してみました(恥) ざまぁが少々キツイので、※がついています。苦手な方はご注意下さい。

記憶がないなら私は……

しがと
恋愛
ずっと好きでようやく付き合えた彼が記憶を無くしてしまった。しかも私のことだけ。そして彼は以前好きだった女性に私の目の前で抱きついてしまう。もう諦めなければいけない、と彼のことを忘れる決意をしたが……。  *全4話

婚約したら幼馴染から絶縁状が届きました。

黒蜜きな粉
恋愛
婚約が決まった翌日、登校してくると机の上に一通の手紙が置いてあった。 差出人は幼馴染。 手紙には絶縁状と書かれている。 手紙の内容は、婚約することを発表するまで自分に黙っていたから傷ついたというもの。 いや、幼馴染だからって何でもかんでも報告しませんよ。 そもそも幼馴染は親友って、そんなことはないと思うのだけど……? そのうち機嫌を直すだろうと思っていたら、嫌がらせがはじまってしまった。 しかも、婚約者や周囲の友人たちまで巻き込むから大変。 どうやら私の評判を落として婚約を破談にさせたいらしい。

今さら、私に構わないでください

ましゅぺちーの
恋愛
愛する夫が恋をした。 彼を愛していたから、彼女を側妃に迎えるように進言した。 愛し合う二人の前では私は悪役。 幸せそうに微笑み合う二人を見て、私は彼への愛を捨てた。 しかし、夫からの愛を完全に諦めるようになると、彼の態度が少しずつ変化していって……? タイトル変更しました。

完結 この手からこぼれ落ちるもの   

ポチ
恋愛
やっと、本当のことが言えるよ。。。 長かった。。 君は、この家の第一夫人として 最高の女性だよ 全て君に任せるよ 僕は、ベリンダの事で忙しいからね? 全て君の思う通りやってくれれば良いからね?頼んだよ 僕が君に触れる事は無いけれど この家の跡継ぎは、心配要らないよ? 君の父上の姪であるベリンダが 産んでくれるから 心配しないでね そう、優しく微笑んだオリバー様 今まで優しかったのは?

平民娘の恋

Ringo
恋愛
全てを捨てても愛したい人がいた。 夢のような時間を過ごし、大切な宝物を与えてくれた愛しい人。 だけどその夢は長く続かない。 それは分かっていたことだった。 ※全10話 ※番外編あるかも? ※設定はゆるゆる

処理中です...