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彼は相変わらず微笑をたたえたまま、言葉を続けた。ミオリはそれを身じろぎひとつすることもできず、ただ聞くに徹するしかなかった。
「ミオリさんに優しくしているのは『お仕事』だからなんですよ? 面倒を見て、世話をするのがあのおふたりの『仕事』なんです」
ミオリはすぐにでも両の耳を塞いでしまいたかったが、体は強張って言うことを聞かない。まばたきをすることすらも忘れて、穴が開くほどに彼の顔を見ていた。
「熱心に面倒を見てもらって、そこに『愛がある』だなんて誤解してしまうのも無理はないですけれど――ただ単におふたりが職務に忠実だからで」
ミオリの心は、声を伴わない悲鳴を上げる。
「別に、あなたを愛しているわけではないんですよ」
しかし同時に、これまでミオリが抱いていた違和感すべてが、彼の言葉の数々ですべて説明できるような、そんな納得感を覚えた。
「だから――」
彼が続けざまになにかを口にしようとしたとき、やおらリビングルームのドアが開いて、スマートフォンを片手にシュヴァーが戻ってきた。シュヴァーはいつも通りの、人好きのする顔で急な電話に出たことをまた謝罪した。「気にしないでください」。その言葉を口にしたのは、ミオリに真実を突きつけてきた彼にほかならない。彼は出会ってからずっと、同じ顔をしている。いっそ不気味なほどに。
「どこまで説明してもらった?」
シュヴァーが、ミオリが腰かけているソファの隣に座る。クッションが深く沈み込んで、シュヴァーは自分よりもずっと重い、大人の男性なのだという場違いな実感を、ミオリは抱いた。
キャップのついた、蛍光色のラインマーカーの先が書類の上を指し示す。シュヴァーの疑問には、彼が答えてくれた。ミオリは先ほどの出来事で、記憶の一部がすり抜かれたようになっていて、とうていシュヴァーの質問に答えられるような状態ではなかった。
けれども、ミオリは動揺を上手く隠せていたと思う。少なくとも、ミオリ自身はそう思った。自分の感情を隠すのは得意だ。心を押し殺すのなんて簡単だ。――そう思っていたが、今は少しだけ自信がない。ラーセとシュヴァーに甘やかされて、心が弱くなってしまったからだとミオリは思った。
「――それじゃあ、この欄に署名をお願いします」
ひと通り彼の説明が終わり、「聞きたいことはある?」というシュヴァーの問いに、ミオリは首を左右に振って答えた。慣れない手つきで、ミオリは自分の名前を白い書類に書き込む。色々なことをかみ砕いて説明された、という輪郭だけしか捉えられず、詳しい話を今のミオリが記憶しておくことは難しかった。それでもふたりの時間を取らせているという焦燥感だけで、ミオリはその書類にサインした。
「お疲れ様です」
彼は相変わらず、どこかあどけない面影を残した、優しそうな顔でミオリに言う。その口から明確な悪意の言葉をぶつけられたのは、ミオリが見た白昼夢ではないかと思ってしまうくらいに、彼の微笑は善良そのものに見えた。
いや――彼の言葉を「悪意」からくるものだと捉えるのは、ひねくれた考え方かもしれない。彼のそれは、ミオリに対する「忠告」だろう。彼はミオリに釘を刺したのだ。ミオリがラーセとシュヴァーの優しさを誤解して、思い上がっていたから。ラーセとシュヴァーはミオリを大切にしてくれているが、それはミオリ個人になにか思い入れがあるわけではないのだ。
それらはすべて「仕事」だったのだ。
……もしかしたら、彼はラーセとシュヴァーのどちらかに、懸想しているのかもしれない。それならば、相対したこともないミオリを良く思えないのにも納得がいく。この世界には基本的に男性しかいないわけで、そうなると恋愛の対象はおのずと同性に限られてくる。であれば、彼がラーセとシュヴァーのどちらかを恋い慕っており、ぽっと出のミオリに図らずも会うことになって、直接なにか言いたくなるのは、別におかしなことではないと思えた。
「ミオリちゃん、疲れちゃった?」
「え? ……は、はい。……そうかも、しれないです」
ミオリは、自分でもちょっとおどろくくらいに、力ない声が出た。それがシュヴァーの心配を煽ったらしく、彼の眉があからさまに下がったのがミオリにもわかった。
……けれども、そんな態度だってミオリになにかがあれば「仕事上」で困るからかもしれない。ミオリはシュヴァーが勤める会社のことをまったく知らなかったが――たとえば、業務の評価に影響が出るとか。それは完全にミオリの空想であったが、ミオリにはいかにもありそうに思えた。
ミオリに「忠告」をした彼の言葉が嘘かもしれないとは、ミオリだって考えた。けれども悲しいが、ミオリがなんの魅力もなければ、才能もないただの子供だというのは、動かしようのない事実だ。この世界では珍しい女性であること以外に、ミオリに優しくする理由はないだろう。そして平凡未満の子供に、立派な大人の男性が惹かれる理由は、ない。
もし、ラーセとシュヴァーが、そんなミオリを心の底から愛しているのだとすれば――ふたりは、おかしなひとということになる。
しかし、その可能性はないだろう。となれば、立派な大人であるラーセとシュヴァーが、ミオリに優しくして、心を砕いている理由は、明白だ。
――「仕事」なんだ。
それはミオリの中で動かしがたい事実となって、のしかかった。
「ミオリさんに優しくしているのは『お仕事』だからなんですよ? 面倒を見て、世話をするのがあのおふたりの『仕事』なんです」
ミオリはすぐにでも両の耳を塞いでしまいたかったが、体は強張って言うことを聞かない。まばたきをすることすらも忘れて、穴が開くほどに彼の顔を見ていた。
「熱心に面倒を見てもらって、そこに『愛がある』だなんて誤解してしまうのも無理はないですけれど――ただ単におふたりが職務に忠実だからで」
ミオリの心は、声を伴わない悲鳴を上げる。
「別に、あなたを愛しているわけではないんですよ」
しかし同時に、これまでミオリが抱いていた違和感すべてが、彼の言葉の数々ですべて説明できるような、そんな納得感を覚えた。
「だから――」
彼が続けざまになにかを口にしようとしたとき、やおらリビングルームのドアが開いて、スマートフォンを片手にシュヴァーが戻ってきた。シュヴァーはいつも通りの、人好きのする顔で急な電話に出たことをまた謝罪した。「気にしないでください」。その言葉を口にしたのは、ミオリに真実を突きつけてきた彼にほかならない。彼は出会ってからずっと、同じ顔をしている。いっそ不気味なほどに。
「どこまで説明してもらった?」
シュヴァーが、ミオリが腰かけているソファの隣に座る。クッションが深く沈み込んで、シュヴァーは自分よりもずっと重い、大人の男性なのだという場違いな実感を、ミオリは抱いた。
キャップのついた、蛍光色のラインマーカーの先が書類の上を指し示す。シュヴァーの疑問には、彼が答えてくれた。ミオリは先ほどの出来事で、記憶の一部がすり抜かれたようになっていて、とうていシュヴァーの質問に答えられるような状態ではなかった。
けれども、ミオリは動揺を上手く隠せていたと思う。少なくとも、ミオリ自身はそう思った。自分の感情を隠すのは得意だ。心を押し殺すのなんて簡単だ。――そう思っていたが、今は少しだけ自信がない。ラーセとシュヴァーに甘やかされて、心が弱くなってしまったからだとミオリは思った。
「――それじゃあ、この欄に署名をお願いします」
ひと通り彼の説明が終わり、「聞きたいことはある?」というシュヴァーの問いに、ミオリは首を左右に振って答えた。慣れない手つきで、ミオリは自分の名前を白い書類に書き込む。色々なことをかみ砕いて説明された、という輪郭だけしか捉えられず、詳しい話を今のミオリが記憶しておくことは難しかった。それでもふたりの時間を取らせているという焦燥感だけで、ミオリはその書類にサインした。
「お疲れ様です」
彼は相変わらず、どこかあどけない面影を残した、優しそうな顔でミオリに言う。その口から明確な悪意の言葉をぶつけられたのは、ミオリが見た白昼夢ではないかと思ってしまうくらいに、彼の微笑は善良そのものに見えた。
いや――彼の言葉を「悪意」からくるものだと捉えるのは、ひねくれた考え方かもしれない。彼のそれは、ミオリに対する「忠告」だろう。彼はミオリに釘を刺したのだ。ミオリがラーセとシュヴァーの優しさを誤解して、思い上がっていたから。ラーセとシュヴァーはミオリを大切にしてくれているが、それはミオリ個人になにか思い入れがあるわけではないのだ。
それらはすべて「仕事」だったのだ。
……もしかしたら、彼はラーセとシュヴァーのどちらかに、懸想しているのかもしれない。それならば、相対したこともないミオリを良く思えないのにも納得がいく。この世界には基本的に男性しかいないわけで、そうなると恋愛の対象はおのずと同性に限られてくる。であれば、彼がラーセとシュヴァーのどちらかを恋い慕っており、ぽっと出のミオリに図らずも会うことになって、直接なにか言いたくなるのは、別におかしなことではないと思えた。
「ミオリちゃん、疲れちゃった?」
「え? ……は、はい。……そうかも、しれないです」
ミオリは、自分でもちょっとおどろくくらいに、力ない声が出た。それがシュヴァーの心配を煽ったらしく、彼の眉があからさまに下がったのがミオリにもわかった。
……けれども、そんな態度だってミオリになにかがあれば「仕事上」で困るからかもしれない。ミオリはシュヴァーが勤める会社のことをまったく知らなかったが――たとえば、業務の評価に影響が出るとか。それは完全にミオリの空想であったが、ミオリにはいかにもありそうに思えた。
ミオリに「忠告」をした彼の言葉が嘘かもしれないとは、ミオリだって考えた。けれども悲しいが、ミオリがなんの魅力もなければ、才能もないただの子供だというのは、動かしようのない事実だ。この世界では珍しい女性であること以外に、ミオリに優しくする理由はないだろう。そして平凡未満の子供に、立派な大人の男性が惹かれる理由は、ない。
もし、ラーセとシュヴァーが、そんなミオリを心の底から愛しているのだとすれば――ふたりは、おかしなひとということになる。
しかし、その可能性はないだろう。となれば、立派な大人であるラーセとシュヴァーが、ミオリに優しくして、心を砕いている理由は、明白だ。
――「仕事」なんだ。
それはミオリの中で動かしがたい事実となって、のしかかった。
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