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50_敗北の後のだらけた一日
しおりを挟む――――こうして、トリエルの嘆きは防がれた。
虐殺を防ぐという、目的の一つは達成できたものの、もう一つの目的は達成からは程遠かった。
ブランデに帰還後も、私は失敗を引きずってしまい、城の窓辺で一日中、トリエル村で起こったことを反省していた。反省ばかりでは意味がないとわかっていたのに、気力が湧かなくて、何も手につかない。
(一歩間違えば、リュシアン達を失っていた)
ドラゴンレーベンの力は、〝前世〟の経験から、嫌というほど思い知っている――――つもりだった。
いや、前世で焼かれる街を目の当たりにして、私はドラゴンの恐怖を、間違いなく心に刻まれたはずだった。
空から降り注いでくる、強大な熱量、自分が砂粒に思えるほど、巨大なドラゴンの影――――ドラゴンの再来を前にして、私は前世で味わわされた恐怖に縛られ、銅像のように一歩も動けなくなっていた。
――――それは、抗おうとする意志を根こそぎ奪われるほど圧倒的な力で、自然災害そのものだった。
だから、ドラゴンの力を見くびっていたわけじゃない。
読み間違えたのは、エセキアスの行動だ。
今はまだ、エセキアスは狂王の手前で踏み止まっているため、自軍が近くにいる間は、ドラゴンレーベンの力を使わないと踏んでいた。
けれど、その予想は外れた。――――自軍が近くにいるのに、エセキアスはドラゴンレーベンを使ったのだ。
「・・・・はあ」
いつものように魔王城にやってきても、何から着手すればいいのかわからず、人形のように玉座に座っていることしかできなかった。
「・・・・・・・・」
気力を失っているのは、私だけじゃない。
スクトゥム騎士団にまったく太刀打ちできなかった亜人達は、自信を喪失し、骨まで失ったように、だらしなく座っていた。
魔王城全体が、だらけた空気に支配されている。そして腑抜けたまま過ごしていると、時間はあっという間に流れていった。
――――玉座の円蓋の穴から降り注ぐ日差しは、いつの間にか赤く染まっている。また一日、無駄にしてしまったようだ。
「ボス、何かしましょうよ・・・・」
もうそろそろブランデに戻らなければと思っていると、リュシアンのほうから、そう切り出してきた。
「な、何かしないとさあ・・・・」
「・・・・・・・・」
私はゆっくりと、姿勢を正す。
「まずは、みんなに謝らなければならないわ。・・・・みんなが作戦通りに進めてくれたのに、私はこれをエセキアスに使うことができなかった」
私は腕を前に突き出し、中指で輝く指輪をみんなに見せる。
「ま、まあ・・・・まさかエセキアスが、近くにいた連中を手当たり次第、外に追い出すなんて、誰にも予想できないし・・・・」
亜人達は、気まずそうにしている。あんな人でも、一応は私の夫という立場なので、盾にされた私を気遣ってくれているのだろう。
「・・・・ある意味、あいつの最低具合を見誤ったのが、今回の敗因だよな・・・・」
「・・・・そうね、その通りよ・・・・」
あらためて敗因を突き付けられ、その情けない内容に悲しくなった。
「・・・・そして今回の作戦で、気づかされたことがあるわ」
立ち上がり、広間に集まった亜人達の顔を見つめた。
「魔王軍、弱いと思うの」
私の一言に、亜人達は雷に打たれたように立ち尽くす。
「そんなにはっきりと言わなくても・・・・」
「ボス! 俺達だって、結構凹んでるんですよ!」
「わかってるわ。・・・・みんなで強くなるために、魔王軍の方向性を考え直す必要があるという話なの」
――――このままでは永遠に、魔王軍はカーヌス軍には勝てず、後塵を拝し続けることになるだろう。
でも軍を再編成し、作戦を見直すには、専門家が必要だ。私一人で兵站に気を配り、作戦を考えるには、限界がある。
「みんな。魔王軍の中で、一番頭がいい人を選んでちょうだい」
「え?」
「私一人で、軍の方向性を考えるなんて、やっぱり無理だったのよ。普通は選ばれた代表が、話し合って決めるものなんだから」
「そうなのか? オディウム様は、一人で即決してたけど」
「オディウムは別格よ。あの人は作戦を考えるとかそんなレベルじゃなく、手当たり次第に特攻仕掛けてただけじゃない」
高い修復力を持つ表皮、巨大でありながら俊敏、極めつけは透明になるという能力。そんな強力な力を持っていたためなのか、オディウムは過去に何度もカーヌスに攻撃を仕掛けてきたけれど、すべて肉弾戦ばかりで、作戦らしい作戦は存在しなかった。
彼には部下を鍛え、集団の力でカーヌス軍と対抗するという発想自体が、欠けていたのかもしれない。
でも、私はそんな強力な力を持ってないし、何よりもオディウムのやり方は成功しなかった。別の切り口を見つけてくれる人が必要だ。
「・・・・そもそも、こんな調子で、魔王軍は今までどうやってきたの?」
「どうやってって・・・・オディウム様が、『次はこの街を襲うぞ』みたいな感じで目標を決めて、俺達は『うおおーっ!』ってなって、後は現地集合。数がそろったら、町や城に特攻しかける感じ」
「雑すぎない!? 遠足じゃないのよ!?」
なぜ亜人達は今まで、その雑な方針に疑問を持たなかったのか。
「今回のことで、私にはやっぱり相談役が必要なんだって、痛感したわ。私よりもあなた達のほうが、魔王軍のことに詳しいでしょう? だから、一番頭がいい人を選んで。――――その人が魔王軍の参謀役よ」
亜人達は困ったように、泳ぐ視線を交錯させる。
「・・・・お前、行けよ」
「いや、お前が行けよ」
そのうちに亜人達は、参謀という役目を仲間に押しつけはじめた。
「ちょっと! どうして嫌な役を押し付け合ってるみたいな感じになってるのよ! 参謀役に選ばれるって、むしろ名誉なことでしょう!?」
「いやだって、俺達には無理ですよ!」
「難しいことじゃないわ。単純に、この中で一番頭がいい人を選べばいいのよ」
私がそう叫ぶと、亜人達の視線は、一か所に集まりはじめる。
――――視線を集めたのは、リュシアンだった。
「・・・・りゅ、リュシアンが頭脳派?」
今までのリュシアンの、頭脳派からは程遠い言動を思い返し、私は動揺する。頭上には、クエッションマークが浮かんでいたはずだ。
「ず、頭脳派とは言えないかもしれないけど、俺、計算できるよ」
「・・・・・・・・へ?」
「掛け算がわかるんだ」
「・・・・・・・・」
単純明快な答えだったのに、私は理解するまでとても長い時間がかかってしまった。
「あの――――掛け算って?」
「掛け算は掛け算だよ。8×8がわかるんだ。・・・・あ、もしかしてボス、掛け算知らないの?」
「・・・・知らないはずないでしょ・・・・それよりも、掛け算できないってどういうこと?」
今度は亜人達のほうが、理解できないという顔をする番だった。
「みんな、横に並びなさい!」
確認が必要だと思い、私が叫ぶと、亜人達はあたふたと動き出した。時にはぶつかりながらも、なんとか不揃いな横一列になる。
「8×8を答えなさい!」
「58です!」
「16です!」
「38です!」
「・・・・・・・・」
横列に並んだ亜人達の口から、見事にばらばらの数字が飛び出してきた。
「64!」
そう答えたのは、リュシアン一人だけだった。
「兵站とか、そんなレベルの話ができる状態じゃなかったのね・・・・」
――――魔王軍の問題は他にもあったのだと思い知り、私は頭を抱えた。
「・・・・今日はもう疲れたわ。また明日、話し合いましょう」
何もしていないはずなのに、強い疲労感に襲われている。この問題は明日に繰り越すしかないと思い、私はみんなに帰宅をうながした。
「あ、ごめん、ボス。明日はここにいる全員、祭りに行く予定なんだ。だから、訓練には参加できない」
「ま、祭り?」
「そう、祭り。楽しいぞー、ボスも来ないか? 俺達と一緒に騒ごうぜ」
「あ、あなた達、この前もお祭りとか言って、訓練を休んでたじゃない!」
「そうだったっけ? まあ、月に一回ぐらい、祭りがあるからな」
「お祭りの日が多すぎでしょ!」
亜人達は、月に一回は、飲めや歌えのどんちゃん騒ぎをしているらしい。
「・・・・あなた達、とても充実した日々を送ってない? 呪い解くために戦う必要、ないんじゃないかしら?」
呪われた一族は、暗く湿っぽい場所で、鬱々とした日々を送っている印象を勝手に抱いていた。
だけど呪われた亜人達はそんな印象とは程遠く、家族や友達に囲まれ、楽しい日々を過ごしている。亜人達はそろいもそろって、箸が転がっても笑いそうな明るい性格なので、もしかしたらブランデの若者たちよりも、青春を謳歌しているかもしれない。
そんな彼らが、どうしてつらい思いをして戦っているのかと、不思議に思えてきた。
「呪いは解きたいよ」
「その気持ちはわかるけど、呪いを解くためにはつらい訓練に耐えなきゃならないし、危ない橋を渡らなきゃならないでしょう? 今が幸せなら、そんな危険を冒す必要はないんじゃないかしら?」
「うーん・・・・」
リュシアン達は、首を傾げる。
「でも、呪いを解くのはご先祖様の悲願だから。俺達の代で達成したいよ」
「俺の父ちゃんも、今年こそは絶対、呪いを解くぞー! って、年明けの日の出を見ながら叫んでたし」
「一年の抱負みたいなノリなのね・・・・」
呪いを解きたいという気持ちに嘘はないものの、私の想像よりも、ずっと軽く聞こえた。
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