上 下
32 / 118

31_剣術指南

しおりを挟む


「どうして突然、素振りをはじめたんですか?」


 妃殿下に剣を返して、そう問いかけた。


「そ、それは・・・・強くならなきゃと思ったから・・・・」

「強く?」


 聞き返すと、妃殿下は俺の目を避けるように、視線を横に流してしまう。


「もしかしてオディウムと戦ったことで、心境に変化があったんですか?」

「そ、そうなの!」


 妃殿下は勢いよく、顔を上げる。


「オディウムに襲われたとき、私はあなた達に頼りきりで、何もできなかった。だからせめて、自分ぐらいは守れるようになろうと思って、剣術をはじめたの」

「妃殿下は、火薬を使って俺達を助けてくれたじゃないですか」

「それじゃ、不十分よ。あなたにもたくさん迷惑をかけちゃったじゃない」

「それが俺の役目ですから、妃殿下が気に病むことはありません。・・・・それに、英雄になれましたよ」


 俺が笑いかけると、妃殿下の表情も、少しだけ柔らかくなった。


「ですから、剣を握るのは・・・・」

「どうしても強くなりたいのよ」


 危険だから、できれば妃殿下から剣を取り上げたかったが、彼女はその点だけは頑として譲らなかった。



(決意は硬いようだな)


 それまで、淑女はかくあるべきという教えに従ってきた女性が、いきなり剣を持とうとするなんて、めったにないことだ。それだけ、強い覚悟があるということなのだろう。


(だけど今まで剣すら握ったことがない女性が、いきなり剣を振り回すとなると、大変だぞ・・・・)


 俺やエドアルドのような人間は、生れた瞬間から、将来は騎士になるという道を定められていたから、物心つく前に師範をつけられ、強制的に剣術を教え込まれた。

 だけどこの年齢まで剣を持ったことすらなかった妃殿下が、剣術を習得するなんて無謀だ。たとえ剣術の才能があったのだとしても、その能力を大人になってから伸ばすのは難しい。


 それに――――妃殿下が裏庭で剣を振り回している姿を、俺以外の誰かが見かけたら、大問題になるだろう。



「妃殿下はご存知ないと思いますが、実は城内では、訓練場以外の場所で、剣を抜くことは禁じられているんです」

「えっ、そうなの!?」


 妃殿下の声が裏返る。やはり彼女は、城内のルールを知らなかったようだ。


「それにここは狭くて、素振りをするには不向きです。さっきみたいに剣がどこかに引っかかったり、通りかかった人を傷つけてしまう恐れもあります」

「そ、そうね・・・・考えが足りなかったわ・・・・」


 妃殿下は、またしょんぼりと項垂れてしまう。その姿を見て、力になりたいと思った。


「剣術を学びたいのなら、俺達と一緒に訓練しますか?」


 妃殿下は苦笑する。


「そうしたいのは山々だけど・・・・きっと止められると思うの。父は、私が兵士達の訓練を見ることすら嫌がったわ。男の領分に近づくな、野蛮な女になる、ってね。・・・・今の立場だと、もっと反対されるはず」


(そうかもしれないな・・・・)


 カーヌス神聖王国でも御多分に漏れず、貴族階級の女性には、貞淑さが求められる。王妃が突然剣術を学びたいなど言い出したら、まわりは当然、大げさなほど反対するだろう。



「じゃ、こっそりしましょう。――――俺が手伝いますよ」



「え?」



 妃殿下は瞼を、忙しく開閉させた。



「剣術を学びたいんでしょう? これでも一応、魔王を倒す程度には剣を扱えますから、時間があるときには付き合いますよ」


 妃殿下は束の間、呆気に取られていた。それから少しずつ、顔に喜びが広がっていく。


「そうしてくれると助かるわ! ありがとう、エンリケ!」

「ただ、俺の師匠は感覚で覚えろタイプで、俺自身もそうなので、技や心得を細かく言葉で伝えることは苦手です。だから、上達するための具体的な秘訣などは教えられませんが・・・・」

「構わないわ。実際、感覚で覚えるしかないものね」

「よかった、ではまずは、場所を移動しましょう。ついてきてください」


 まずは妃殿下を、城の裏手にある小高い場所に連れていった。


「ちょっとここで待っていてください」

「?」


 不思議そうにしている妃殿下に背を向けて、俺は訓練場に足を向ける。


 そこで訓練していた二人の部下から、木刀を奪い、妃殿下がいる場所へ引き返した。


「これを使いましょう」

「木刀?」


 木刀を渡すと、妃殿下はそれをしっかりと握りしめた。


「ええ、訓練場以外では剣を抜いてはならないという決まりはありますが、木刀を振り回してはならないという決まりはありませんから」

「・・・・それって、言葉の抜け穴ってものじゃないかしら?」

「すべてが言葉の綾です。もっともな言い訳さえ、用意していればいい」

「・・・・あなたも、結構腹黒いのね」

「俺なりの処世術です。それから、これは外しましょう」


 妃殿下の手首を持ち上げて、鉄の腕輪を外した。


「で、でも、腕力をつけるためには、身に付けておいたほうがいいんじゃないかしら?」

「初心者が無理をするのはよくありません。腕を痛めてしまいますよ。ある程度、体力がついてからにしましょう」

「そう。私には何もわからないから、あなたに従うわ」


 鉄の腕輪を離れた場所に置いて、俺は妃殿下の前に戻る。


「それじゃ、さっそくはじめましょうか」

「ええ」


 妃殿下は後ろに下がり、剣を構える。


 両手でしっかりと柄を握り、切っ先を俺の顔ぐらいの高さに上げていた。


「妃殿下の体格を考えると、正面に構えるよりも、もっと肘を上げて、刃を水平に構えるほうがいいかもしれません」

「こ、こう?」


 妃殿下はぎこちなく動き、木刀を中段の高さまで上げると、刃を水平に寝かせた。兵士の訓練を見物したことがあるのか、俺が言った構えを、すんなりと理解してくれたようだ。


「もっと肘を引いて、木刀の先を、俺の喉あたりに向けてください」

「こ、こうかしら?」

「ええ、そうです。それじゃ、打ち込んでみてください」


 俺も木刀を構え、攻撃に備えた。


 だがなぜか、妃殿下は打ち込むことに躊躇いを見せる。


「遠慮はいりませんよ」

「・・・・本当に、全力で打ち込んで大丈夫? 私は貧弱だけど、万が一ということもあるから、心配なの」


 どうやら俺に怪我をさせるかもしれないと、心配しているようだった。


「俺は騎士団の訓練で、入団したばかりの初心者の相手を、何度もしています。慣れていますから、万が一はありません」

「そ、そうよね。あなたみたいな人にたいして、失礼だったわ。ごめんなさい」

「では、はじめましょうか」


 妃殿下の心は、決まったようだった。



「やあっ!」


 威勢のいい掛け声とともに、妃殿下は大きく前に踏み込む。



 同時に、水平に構えていた木刀を、俺の肩めがけて大きく突き出した。


 俺はわずかに横に移動して、一刀をかわす。妃殿下の木刀は、空を引っ掻いた。



「わっ・・・・!」


 勢いをつけすぎてしまったのか、妃殿下は前のめりになり、二、三歩よろめく。支えが必要かもしれないと思い、すぐに腕を出せるよう、様子を見ていたが、妃殿下は自分で体勢を立て直した。


「大振りはやめたほうがいいです。胴体ががら空きになってしまいますから。敵に脇腹を狙われて、剣で貫かれると、楽に死ぬことができません」

「こ、怖いこと言わないでよ!」


 妃殿下は次に、踏み出しとともに両腕をバネのように振るって、木刀を横に薙いだ。


 俺も今度はかわさず、腕を跳ね上げて、妃殿下の木刀を上へ弾く。


 妃殿下は後ろによろめき、今度は体勢を立て直すまで、時間がかかった。


 その後も何度か打ち合い、妃殿下の木刀を弾き続けた。



(驚いたな)


 初心者とは思えないほど、妃殿下は相手の動きを読む術に長けている。ただやはり、重さや素早さが足りないとも感じた。



「はあ、はあ・・・・」


 妃殿下はまだ剣術初心者で、体力がない。打ち合っていると、すぐに息づかいが苦しくなり、動きも鈍くなってしまう。


 それでも自分からは、休憩しようと言い出さない。――――その態度から、妃殿下の覚悟が感じられた。


「少し休憩しましょう」


 体力を消耗して、集中力が途切れると、怪我をしかねない。だから俺のほうから、そう提案した。


「いえ、大丈夫よ」


 妃殿下はふらつきながらも、木刀を持ち上げる。


「剣術は、一日や二日で上達することはありません。まずは毎日欠かさず、素振りや走り込みをして、体力をつけることが肝要です。筋肉がつけば、剣の重さはそれほど気にならなくなるでしょう」


 俺がそう諭すと、妃殿下は納得して、木刀を下ろしてくれた。


「・・・・わかったわ。まずは体力ね」

「ええ、そうです」


 それから妃殿下は、恨めしそうに俺を見る。


「・・・・あれだけ動いたのに、あなたは全然疲れていないのね」

「そう見えますか?」

「悔しい。勝つなんて無理だってわかってたけど、せめて一回ぐらい、あなたから一本取りたかった」


 妃殿下はひどく残念そうに、呟きを足元に落とす。


 彼女が真摯に、剣術に取り組んでいることが伝わってくる。自然と笑みが零れていた。


「だったら、今からでも打ち込んでもらって構いませんよ」

「えっ」


 面食らったのか、妃殿下の目が丸くなった。


「どういうこと? 訓練は終わったんでしょう?」

「訓練以外の時でも、打ち込んできていいということですよ。俺が油断している時を狙えばいいんです。俺に参ったと言わせたら、あなたの勝ちですよ」

「・・・・でも、さすがにそれは卑怯過ぎない?」

「卑怯じゃありませんよ。妃殿下はまだ初心者ですから、ハンデは必要です」


 ハンデという言葉にムッとしたのか、妃殿下の目付きが険しくなった。


「・・・・たいした自信ね。どんなに油断している時でも、私の攻撃はかわせる自信があるっていうことでしょう?」

「一応、これでもスクトゥム騎士団の団長を任されている身なので、たとえ平時であろうとも、か弱い女性の一刀を避けられなければ、名折れです」

「か弱い・・・・」


 妃殿下の顔全体に、どす黒い笑顔が広がっていく。



 強くなろうと努力している相手に、か弱いなんて言うべきじゃなかったと気づいたが、前言撤回するには遅すぎた。



「あ、あの、妃殿下。俺は、あなたを侮るつもりはなく――――」

「わかっているわ。私が初心者なのも、弱いのも事実だもの」


 にこりと――――妃殿下は笑う。だがその笑顔からは温かみが感じられず、見ているだけで、体温が下がっていった。


「で、では、城に戻りましょうか」

「ええ」

 俺がうながすと、妃殿下は歩き出してくれた。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ぽっちゃりな私は妹に婚約者を取られましたが、嫁ぎ先での溺愛がとまりません~冷酷な伯爵様とは誰のこと?~

柊木 ひなき
恋愛
「メリーナ、お前との婚約を破棄する!」夜会の最中に婚約者の第一王子から婚約破棄を告げられ、妹からは馬鹿にされ、貴族達の笑い者になった。 その時、思い出したのだ。(私の前世、美容部員だった!)この体型、ドレス、確かにやばい!  この世界の美の基準は、スリム体型が前提。まずはダイエットを……え、もう次の結婚? お相手は、超絶美形の伯爵様!? からの溺愛!? なんで!? ※シリアス展開もわりとあります。

【完結】いてもいなくてもいい妻のようですので 妻の座を返上いたします!

ユユ
恋愛
夫とは卒業と同時に婚姻、 1年以内に妊娠そして出産。 跡継ぎを産んで女主人以上の 役割を果たしていたし、 円満だと思っていた。 夫の本音を聞くまでは。 そして息子が他人に思えた。 いてもいなくてもいい存在?萎んだ花? 分かりました。どうぞ若い妻をお迎えください。 * 作り話です * 完結保証付き * 暇つぶしにどうぞ

宮廷外交官の天才令嬢、王子に愛想をつかれて婚約破棄されたあげく、実家まで追放されてケダモノ男爵に読み書きを教えることになりました

悠木真帆
恋愛
子爵令嬢のシャルティナ・ルーリックは宮廷外交官として日々忙しくはたらく毎日。 クールな見た目と頭の回転の速さからついたあだ名は氷の令嬢。 婚約者である王子カイル・ドルトラードを長らくほったらかしてしまうほど仕事に没頭していた。 そんなある日の夜会でシャルティナは王子から婚約破棄を宣言されてしまう。 そしてそのとなりには見知らぬ令嬢が⋯⋯ 王子の婚約者ではなくなった途端、シャルティナは宮廷外交官の立場まで失い、見かねた父の強引な勧めで冒険者あがりの男爵のところへ行くことになる。 シャルティナは宮廷外交官の実績を活かして辣腕を振るおうと張り切るが、男爵から命じられた任務は男爵に文字の読み書きを教えることだった⋯⋯

十三回目の人生でようやく自分が悪役令嬢ポジと気づいたので、もう殿下の邪魔はしませんから構わないで下さい!

翠玉 結
恋愛
公爵令嬢である私、エリーザは挙式前夜の式典で命を落とした。 「貴様とは、婚約破棄する」と残酷な事を突きつける婚約者、王太子殿下クラウド様の手によって。 そしてそれが一度ではなく、何度も繰り返していることに気が付いたのは〖十三回目〗の人生。 死んだ理由…それは、毎回悪役令嬢というポジションで立ち振る舞い、殿下の恋路を邪魔していたいたからだった。 どう頑張ろうと、殿下からの愛を受け取ることなく死ぬ。 その結末をが分かっているならもう二度と同じ過ちは繰り返さない! そして死なない!! そう思って殿下と関わらないようにしていたのに、 何故か前の記憶とは違って、まさかのご執心で溺愛ルートまっしぐらで?! 「殿下!私、死にたくありません!」 ✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼ ※他サイトより転載した作品です。

【完結】私、四女なんですけど…?〜四女ってもう少しお気楽だと思ったのに〜

まりぃべる
恋愛
ルジェナ=カフリークは、上に三人の姉と、弟がいる十六歳の女の子。 ルジェナが小さな頃は、三人の姉に囲まれて好きな事を好きな時に好きなだけ学んでいた。 父ヘルベルト伯爵も母アレンカ伯爵夫人も、そんな好奇心旺盛なルジェナに甘く好きな事を好きなようにさせ、良く言えば自主性を尊重させていた。 それが、成長し、上の姉達が思わぬ結婚などで家から出て行くと、ルジェナはだんだんとこの家の行く末が心配となってくる。 両親は、貴族ではあるが貴族らしくなく領地で育てているブドウの事しか考えていないように見える為、ルジェナはこのカフリーク家の未来をどうにかしなければ、と思い立ち年頃の男女の交流会に出席する事を決める。 そして、そこで皆のルジェナを想う気持ちも相まって、無事に幸せを見つける。 そんなお話。 ☆まりぃべるの世界観です。現実とは似ていても違う世界です。 ☆現実世界と似たような名前、土地などありますが現実世界とは関係ありません。 ☆現実世界でも使うような単語や言葉を使っていますが、現実世界とは違う場合もあります。 楽しんでいただけると幸いです。

皇妃になりたくてなったわけじゃないんですが

榎夜
恋愛
無理やり隣国の皇帝と婚約させられ結婚しました。 でも皇帝は私を放置して好きなことをしているので、私も同じことをしていいですよね?

悪役令嬢に転生したら病気で寝たきりだった⁉︎完治したあとは、婚約者と一緒に村を復興します!

Y.Itoda
恋愛
目を覚ましたら、悪役令嬢だった。 転生前も寝たきりだったのに。 次から次へと聞かされる、かつての自分が犯した数々の悪事。受け止めきれなかった。 でも、そんなセリーナを見捨てなかった婚約者ライオネル。 何でも治癒できるという、魔法を探しに海底遺跡へと。 病気を克服した後は、二人で街の復興に尽力する。 過去を克服し、二人の行く末は? ハッピーエンド、結婚へ!

【完結】実家に捨てられた私は侯爵邸に拾われ、使用人としてのんびりとスローライフを満喫しています〜なお、実家はどんどん崩壊しているようです〜

よどら文鳥
恋愛
 フィアラの父は、再婚してから新たな妻と子供だけの生活を望んでいたため、フィアラは邪魔者だった。  フィアラは毎日毎日、家事だけではなく父の仕事までも強制的にやらされる毎日である。  だがフィアラが十四歳になったとある日、長く奴隷生活を続けていたデジョレーン子爵邸から抹消される運命になる。  侯爵がフィアラを除名したうえで専属使用人として雇いたいという申し出があったからだ。  金銭面で余裕のないデジョレーン子爵にとってはこのうえない案件であったため、フィアラはゴミのように捨てられた。  父の発言では『侯爵一家は非常に悪名高く、さらに過酷な日々になるだろう』と宣言していたため、フィアラは不安なまま侯爵邸へ向かう。  だが侯爵邸で待っていたのは過酷な毎日ではなくむしろ……。  いっぽう、フィアラのいなくなった子爵邸では大金が入ってきて全員が大喜び。  さっそくこの大金を手にして新たな使用人を雇う。  お金にも困らずのびのびとした生活ができるかと思っていたのだが、現実は……。

処理中です...