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31_剣術指南
しおりを挟む「どうして突然、素振りをはじめたんですか?」
妃殿下に剣を返して、そう問いかけた。
「そ、それは・・・・強くならなきゃと思ったから・・・・」
「強く?」
聞き返すと、妃殿下は俺の目を避けるように、視線を横に流してしまう。
「もしかしてオディウムと戦ったことで、心境に変化があったんですか?」
「そ、そうなの!」
妃殿下は勢いよく、顔を上げる。
「オディウムに襲われたとき、私はあなた達に頼りきりで、何もできなかった。だからせめて、自分ぐらいは守れるようになろうと思って、剣術をはじめたの」
「妃殿下は、火薬を使って俺達を助けてくれたじゃないですか」
「それじゃ、不十分よ。あなたにもたくさん迷惑をかけちゃったじゃない」
「それが俺の役目ですから、妃殿下が気に病むことはありません。・・・・それに、英雄になれましたよ」
俺が笑いかけると、妃殿下の表情も、少しだけ柔らかくなった。
「ですから、剣を握るのは・・・・」
「どうしても強くなりたいのよ」
危険だから、できれば妃殿下から剣を取り上げたかったが、彼女はその点だけは頑として譲らなかった。
(決意は硬いようだな)
それまで、淑女はかくあるべきという教えに従ってきた女性が、いきなり剣を持とうとするなんて、めったにないことだ。それだけ、強い覚悟があるということなのだろう。
(だけど今まで剣すら握ったことがない女性が、いきなり剣を振り回すとなると、大変だぞ・・・・)
俺やエドアルドのような人間は、生れた瞬間から、将来は騎士になるという道を定められていたから、物心つく前に師範をつけられ、強制的に剣術を教え込まれた。
だけどこの年齢まで剣を持ったことすらなかった妃殿下が、剣術を習得するなんて無謀だ。たとえ剣術の才能があったのだとしても、その能力を大人になってから伸ばすのは難しい。
それに――――妃殿下が裏庭で剣を振り回している姿を、俺以外の誰かが見かけたら、大問題になるだろう。
「妃殿下はご存知ないと思いますが、実は城内では、訓練場以外の場所で、剣を抜くことは禁じられているんです」
「えっ、そうなの!?」
妃殿下の声が裏返る。やはり彼女は、城内のルールを知らなかったようだ。
「それにここは狭くて、素振りをするには不向きです。さっきみたいに剣がどこかに引っかかったり、通りかかった人を傷つけてしまう恐れもあります」
「そ、そうね・・・・考えが足りなかったわ・・・・」
妃殿下は、またしょんぼりと項垂れてしまう。その姿を見て、力になりたいと思った。
「剣術を学びたいのなら、俺達と一緒に訓練しますか?」
妃殿下は苦笑する。
「そうしたいのは山々だけど・・・・きっと止められると思うの。父は、私が兵士達の訓練を見ることすら嫌がったわ。男の領分に近づくな、野蛮な女になる、ってね。・・・・今の立場だと、もっと反対されるはず」
(そうかもしれないな・・・・)
カーヌス神聖王国でも御多分に漏れず、貴族階級の女性には、貞淑さが求められる。王妃が突然剣術を学びたいなど言い出したら、まわりは当然、大げさなほど反対するだろう。
「じゃ、こっそりしましょう。――――俺が手伝いますよ」
「え?」
妃殿下は瞼を、忙しく開閉させた。
「剣術を学びたいんでしょう? これでも一応、魔王を倒す程度には剣を扱えますから、時間があるときには付き合いますよ」
妃殿下は束の間、呆気に取られていた。それから少しずつ、顔に喜びが広がっていく。
「そうしてくれると助かるわ! ありがとう、エンリケ!」
「ただ、俺の師匠は感覚で覚えろタイプで、俺自身もそうなので、技や心得を細かく言葉で伝えることは苦手です。だから、上達するための具体的な秘訣などは教えられませんが・・・・」
「構わないわ。実際、感覚で覚えるしかないものね」
「よかった、ではまずは、場所を移動しましょう。ついてきてください」
まずは妃殿下を、城の裏手にある小高い場所に連れていった。
「ちょっとここで待っていてください」
「?」
不思議そうにしている妃殿下に背を向けて、俺は訓練場に足を向ける。
そこで訓練していた二人の部下から、木刀を奪い、妃殿下がいる場所へ引き返した。
「これを使いましょう」
「木刀?」
木刀を渡すと、妃殿下はそれをしっかりと握りしめた。
「ええ、訓練場以外では剣を抜いてはならないという決まりはありますが、木刀を振り回してはならないという決まりはありませんから」
「・・・・それって、言葉の抜け穴ってものじゃないかしら?」
「すべてが言葉の綾です。もっともな言い訳さえ、用意していればいい」
「・・・・あなたも、結構腹黒いのね」
「俺なりの処世術です。それから、これは外しましょう」
妃殿下の手首を持ち上げて、鉄の腕輪を外した。
「で、でも、腕力をつけるためには、身に付けておいたほうがいいんじゃないかしら?」
「初心者が無理をするのはよくありません。腕を痛めてしまいますよ。ある程度、体力がついてからにしましょう」
「そう。私には何もわからないから、あなたに従うわ」
鉄の腕輪を離れた場所に置いて、俺は妃殿下の前に戻る。
「それじゃ、さっそくはじめましょうか」
「ええ」
妃殿下は後ろに下がり、剣を構える。
両手でしっかりと柄を握り、切っ先を俺の顔ぐらいの高さに上げていた。
「妃殿下の体格を考えると、正面に構えるよりも、もっと肘を上げて、刃を水平に構えるほうがいいかもしれません」
「こ、こう?」
妃殿下はぎこちなく動き、木刀を中段の高さまで上げると、刃を水平に寝かせた。兵士の訓練を見物したことがあるのか、俺が言った構えを、すんなりと理解してくれたようだ。
「もっと肘を引いて、木刀の先を、俺の喉あたりに向けてください」
「こ、こうかしら?」
「ええ、そうです。それじゃ、打ち込んでみてください」
俺も木刀を構え、攻撃に備えた。
だがなぜか、妃殿下は打ち込むことに躊躇いを見せる。
「遠慮はいりませんよ」
「・・・・本当に、全力で打ち込んで大丈夫? 私は貧弱だけど、万が一ということもあるから、心配なの」
どうやら俺に怪我をさせるかもしれないと、心配しているようだった。
「俺は騎士団の訓練で、入団したばかりの初心者の相手を、何度もしています。慣れていますから、万が一はありません」
「そ、そうよね。あなたみたいな人にたいして、失礼だったわ。ごめんなさい」
「では、はじめましょうか」
妃殿下の心は、決まったようだった。
「やあっ!」
威勢のいい掛け声とともに、妃殿下は大きく前に踏み込む。
同時に、水平に構えていた木刀を、俺の肩めがけて大きく突き出した。
俺はわずかに横に移動して、一刀をかわす。妃殿下の木刀は、空を引っ掻いた。
「わっ・・・・!」
勢いをつけすぎてしまったのか、妃殿下は前のめりになり、二、三歩よろめく。支えが必要かもしれないと思い、すぐに腕を出せるよう、様子を見ていたが、妃殿下は自分で体勢を立て直した。
「大振りはやめたほうがいいです。胴体ががら空きになってしまいますから。敵に脇腹を狙われて、剣で貫かれると、楽に死ぬことができません」
「こ、怖いこと言わないでよ!」
妃殿下は次に、踏み出しとともに両腕をバネのように振るって、木刀を横に薙いだ。
俺も今度はかわさず、腕を跳ね上げて、妃殿下の木刀を上へ弾く。
妃殿下は後ろによろめき、今度は体勢を立て直すまで、時間がかかった。
その後も何度か打ち合い、妃殿下の木刀を弾き続けた。
(驚いたな)
初心者とは思えないほど、妃殿下は相手の動きを読む術に長けている。ただやはり、重さや素早さが足りないとも感じた。
「はあ、はあ・・・・」
妃殿下はまだ剣術初心者で、体力がない。打ち合っていると、すぐに息づかいが苦しくなり、動きも鈍くなってしまう。
それでも自分からは、休憩しようと言い出さない。――――その態度から、妃殿下の覚悟が感じられた。
「少し休憩しましょう」
体力を消耗して、集中力が途切れると、怪我をしかねない。だから俺のほうから、そう提案した。
「いえ、大丈夫よ」
妃殿下はふらつきながらも、木刀を持ち上げる。
「剣術は、一日や二日で上達することはありません。まずは毎日欠かさず、素振りや走り込みをして、体力をつけることが肝要です。筋肉がつけば、剣の重さはそれほど気にならなくなるでしょう」
俺がそう諭すと、妃殿下は納得して、木刀を下ろしてくれた。
「・・・・わかったわ。まずは体力ね」
「ええ、そうです」
それから妃殿下は、恨めしそうに俺を見る。
「・・・・あれだけ動いたのに、あなたは全然疲れていないのね」
「そう見えますか?」
「悔しい。勝つなんて無理だってわかってたけど、せめて一回ぐらい、あなたから一本取りたかった」
妃殿下はひどく残念そうに、呟きを足元に落とす。
彼女が真摯に、剣術に取り組んでいることが伝わってくる。自然と笑みが零れていた。
「だったら、今からでも打ち込んでもらって構いませんよ」
「えっ」
面食らったのか、妃殿下の目が丸くなった。
「どういうこと? 訓練は終わったんでしょう?」
「訓練以外の時でも、打ち込んできていいということですよ。俺が油断している時を狙えばいいんです。俺に参ったと言わせたら、あなたの勝ちですよ」
「・・・・でも、さすがにそれは卑怯過ぎない?」
「卑怯じゃありませんよ。妃殿下はまだ初心者ですから、ハンデは必要です」
ハンデという言葉にムッとしたのか、妃殿下の目付きが険しくなった。
「・・・・たいした自信ね。どんなに油断している時でも、私の攻撃はかわせる自信があるっていうことでしょう?」
「一応、これでもスクトゥム騎士団の団長を任されている身なので、たとえ平時であろうとも、か弱い女性の一刀を避けられなければ、名折れです」
「か弱い・・・・」
妃殿下の顔全体に、どす黒い笑顔が広がっていく。
強くなろうと努力している相手に、か弱いなんて言うべきじゃなかったと気づいたが、前言撤回するには遅すぎた。
「あ、あの、妃殿下。俺は、あなたを侮るつもりはなく――――」
「わかっているわ。私が初心者なのも、弱いのも事実だもの」
にこりと――――妃殿下は笑う。だがその笑顔からは温かみが感じられず、見ているだけで、体温が下がっていった。
「で、では、城に戻りましょうか」
「ええ」
俺がうながすと、妃殿下は歩き出してくれた。
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