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38_陛下への捧げもの
しおりを挟む「嶺依! 嶺依はどこにおる?」
陛下の声が聞こえて、ハッとした。
「そこにおったか。嶺依、そばへ参れ」
呼ばれたので、私は陛下の前に行き、跪く。
「今、妃嬪達と面白い話をしていた」
「どのような話か、お伺いしてもよろしいでしょうか?」
「もちろんだ。そなた、話して聞かせよ」
妃の一人に、陛下はそう命じる。お妃様は、はい、陛下、と優雅に答え、私に向きなおる。
「皇帝陛下がもし、独秀殿下のように危険な目に遭われ、無事御帰還なされたのなら、宴の席で、陛下に何を捧げるべきかを話していました。私は歌を」
「私は踊りを」
「私は刺繍を送りたいと思います」
妃嬪達がそれぞれ、得意なものを答える。
「それで、そなたはどんな答えを言うのだろうと気になって、側へ呼んだのだ」
陛下はそう言った。
「私の答え、ですか?」
「ジェマ族の娘は、仕えるべき主人に、宴の席で何を送るのだ?」
まさか、そんなことを聞かれるなんて思わずに、とっさに答えが出てこなかった。
おそらく陛下は、定型文のような答えではなく、少し変わった答えが聞きたかったのだろう。だから私のような、変わり者に白羽の矢が立ったようだ。
「そなたは何を送る? 教えてくれ」
陛下に問われて、私は考え込んだ。
「ジェマ族の宴は、質素なものです。それぞれ、みなで料理を持ち合い、囲んで料理を分けあいます。身分も儀礼もなく、食べて、酒を飲み交わすだけ。ですから、陛下に差し上げるとなると――――」
「差し上げるとなると?」
「捕れたての肉料理ぐらいでしょうか」
私の答えを無礼だと思ったのか、大官達は眉を顰め、女性達はくすくす笑った。
「捕れたての肉料理か。それはよい!」
だが意外にも、陛下は私の答えを気に入ってくれたようだ。
「そなたは、狩猟を生業としているからな」
「新鮮なお肉は塩を振り、直火で焼くだけで、ここに置かれた料理に引けも取らぬほど美味なのです。陛下は、ジェマ族の問題に尽力してくださいました。いずれぜひ、陛下に献上したく思います」
「ただ塩を降っただけの肉料理を、陛下に献上するつもりか? そなた、無礼であるぞ」
「よせ、興が醒めるようなことを申すな。よいではないか、私はぜひとも、ジェマ族の者達と肩を並べ、彼らの郷土料理を味わってみたいと思ったぞ」
「身に余る光栄です」
「・・・・・・・・」
私を注意した大官は、陛下の言葉で口ごもった。
「他には? 他には何かないか?」
「・・・・そうですね」
さらに聞かれて、私は困ってしまう。
「・・・・私には学もなく、歌も舞もできず、刺繍も苦手です。できることと言えば、狩りだけですから――――」
そこで私は一つ、陛下に捧げられるものを思いついた。
「皇帝陛下。陛下は多忙でありながら、身内に潜む敵にも煩わされていることでしょう。大変、苦労なされていることと存じます」
「ああ、まったくだ」
陛下は渋面になり、頬杖をついた。
「・・・・敵だけじゃない。悪癖を持つ弟にも、煩わされておる」
陛下が冗談交じりに言うと、人々の視線が独秀殿下に向かい、笑い声が零れる。独秀殿下は俯いてしまい、反対に膝に抱かれていた振玉様は、不思議そうに父親を見上げる。
「・・・・父上、何をしたの?」
振玉殿下の無邪気な一言に、またどっと笑い声が弾けた。
「女人を近づけようとしない、俊煕のことにも、頭を悩ませておるな」
今度は矛先が、俊煕殿下に向かったようだ。水を向けられた俊煕殿下も、顰め面になってしまう。その顔を見て、また忍び笑いが宴席を満たした。
「俊煕、お前も早く結婚して、身を固めよ」
「・・・・私はまだ未熟者です。今は武芸や学問に集中したいと思います」
「またそれか」
陛下は呆れたのか、のけぞって、背もたれに寄りかかる。
「それで、その話が捧げものと関係あるのか?」
「ええ、ございます。さきほど申し上げた通り、私にできることは狩りだけです。ですから」
顔を上げて、微笑した。
「――――皇帝陛下が敵に煩わされているのなら、私が陛下の敵を一人、斬ってみせましょう」
宴席の賑わいが、煙のようにふっと消えてしまう。妃嬪達は青ざめ、陛下の表情を窺っていた。
「うはははは!」
だけど皇帝陛下だけは笑い声を弾けさせ、何度も膝を叩いた。
笑い声が響いたおかげで、一瞬硬直した空気はすぐに緩んで、元通り、場は和やかになった。
「・・・・敵を斬る、か。まことにそなたは、面白い女子だ」
ひとしきり笑い、陛下は満足そうに呟く。
「私には、他にできることがございません。であれば、できることの中で、陛下に捧げるものを探さねばなりません。このような答えしか思いつかず、まことに申し訳なく思っています」
「いいや、そんなことはない。そなたは私を楽しませてくれた。そなたのような女子は、妃嬪の中にも、宮女の中にもいない。そなたがよいと言うならば、召し上げたいと思うほどだ」
その言葉に驚いたものの、それを隠すため、顔を上げなかった。
(・・・・深い意味はないのよね、きっと)
私は、宮廷でのしきたりに疎い。だから、言葉に含みがあったとしても、それを読み取るのは難しい。
召し上げる、という言葉には、広い意味がある。貴人が、気に入った女性を寝所に呼ぶときにも、使われたはずだ。
(いくらなんでも、考えすぎだ)
陛下の態度を見るに、深く考えずにその言葉を使っただけなのだろう。
だけど陛下の一言は、とても大きい。その証拠に、群臣は戸惑ったような態度を見せていて、妃嬪達も面白くなさそうな顔をしている。
「ま、まことに光栄なことではありますが、私は宮中の儀礼などに疎く、とてもお役に立てるとは思えません」
「だが、私のために人を斬ると言ったではないか」
「はい。ですから、もし私の力を役立てたいとお考えなら、密偵としてお使いください」
「まことに変わった娘だな。だがそれでは、そなたとあまり話ができぬ。それよりも――――」
「・・・・父上」
俊煕殿下が立ち上がる。
「・・・・少し酒の量が多すぎます。量が過ぎれば、お身体に触りますよ」
俊煕殿下の声は冷えていた。空気まで凍えて、宴席はさらに静かになる。
「お、おお、そうだな」
不穏なものを感じたのか、陛下は食膳に盃を置く。
「嶺依、煩わせたな。席に戻ってよいぞ」
「感謝します」
許しを得て、私は自分の席に戻った。
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